獅子の末裔

卯花月影

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16.伊勢の黒雲

16-3. 千種の木漏れ日

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 伊勢の国は元々、北畠氏の支配する南勢、関氏やその縁戚が多くを占める中勢、そして四十八家と呼ばれる国衆が覇を競う北勢から成り立っていた。
 その北勢の国衆の一つが千種氏だ。六角氏が北伊勢に進出した際、千草に攻め入ったが、千種家は後藤氏の子を養子に迎え、六角氏と和議を結ぶことで事態を収めた。つまり現在の当主・千種三郎左衛門は、忠三郎の母・お桐の弟にあたる。

 今、その千種三郎左衛門は一益に従っている。いざ騒乱が勃発した際には、義太夫とともに立てた策を実行に移す。忠三郎は義太夫と相談し、この叔父を味方につけ、雲林院家や細野家の人々を連れて日野へ戻ろうと考えた。しかし、実際にことが上手く運ぶかどうかは、まだ分からない。

 なぜならば、
『我らに手を貸す者は、そう多くはないかもしれぬ』
 義太夫は自信なさげにそう言っていた。
『まだ我が滝川家がまともに家臣も揃えられぬ頃じゃ。北勢に攻め入る際、兵がなかなか集まらなかった。それゆえ好条件を提示してあちこちに声掛けしたところ、雑兵が余るほど集まった』
 好条件とは乱取りのことだった。雑兵たちが我先にと集まってきた理由は乱取りし放題と聞いたからだ。人も物も取り放題と噂を聞いたものたちが我も我もと集まり、あっという間に大軍勢になった。

『随分と方々に火をつけて歩いた。乱取りで、桑名の町に人市がたった程じゃ。若い女子は見つけ次第、かっさらってきておったから、戦さの後は女子には不自由しなかったであろうよ』
 義太夫は、まるで笑い話のように語ったが、その言葉の裏には戦乱の凄惨な現実が透けて見えた。
 戦さの主力は足軽であり、武士は全体のわずか一割程度しかいない。人取りをして兵数を増やすことは軍備の強化に繋がるが、方々で火を放ち、乱取りで人市が立ったとなれば、伊勢一帯に悪評が広まるのも無理はない。

 忠三郎は、義太夫の言葉を聞きながら、その当時の滝川勢がどれだけ乱暴な行為で知られていたのかを想像した。奪うために集まった雑兵たちは、ただ目先の利益を求めて動く。そういった足軽・雑兵が主力であったために、滝川家の評判は悪名高く広がっていったのだろう。

 まして、戦乱の世とはいえ、戦さにおける火攻めはご法度とされ、そこまで乱暴な行為をもって攻め入る話はあまり聞かない。しかし滝川勢の得意とするのはこの火攻めであった。火を巧みに用い、恐怖をもって敵を圧倒するのが初期のころの滝川勢の戦術だったのだ。

 北勢の国人衆も、この滝川勢の苛烈を極める乱取りと火攻めによって、強制的に従わざるを得ない状況に追い込まれたと言っても過言ではない。幾つもの村や町が焼かれ、抵抗すればその地は焦土となった。そうした凄惨な結果を目の当たりにした者たちは、戦わずして服従する道を選ぶ他なかった。

 しかし、この乱暴な行為により、織田家全体が乱暴者の集まりと見なされ、徹底して抵抗する者も現れた。そして、否応なく従った者たちの中には、いずれ付け入る隙を伺い、反旗を翻す者もいるだろう。

 表向きは織田家の威光に屈服しているかもしれないが、その実、恨みを抱いている者たちは少なくない。こうした者たちは、いつか機を見て織田家に背を向け、あるいは他家に寝返ることも考えられる。忠三郎もまた、織田家の力の裏に潜む不安定さを感じ取らざるを得ない。

(されど、義兄上ばかりを責められまい)
 忠三郎は静かに目を伏せ、過去の自分の行いを思い返していた。戦さの激流に飲み込まれ、心ならずも手を汚してきたことは、一度や二度ではない。
 目の前にあるのは冷徹な現実であり、清廉な道理だけで生き抜くことなど許されない。一益やその家臣たちもまた、戦乱の中で同じような苦渋の決断を重ねてきたに違いない。滅びるか、勝ち残るか、その狭間で生きる者たちに、絶対的な正しさなどあるのだろうか。
(戦国の世において、何をもって正しさとするか)
 戦さの勝者が「正しさ」を決めるとするならば、結局のところ、勝つことこそが正義であるという理屈になってしまう。それでは、正しさとは勝利そのものなのだろうか。そんな疑問が胸の奥深くで繰り返し浮かんでは消える。

 外では、風が一陣、木々を揺らしながら吹き抜けていく。その音は、まるで心の中にある揺れ動く葛藤を表しているかのようだ。
 (戦国の世では、勝者がすべてを決め、敗者には何も残らない)
 その理屈を思い浮かべながら、苦々しく口を噛みしめた。戦いに勝ち残れば、正しさも自ずと得られるという理屈は、この残酷な現実に適合している。しかし、その「正しさ」は本当に正しいのだろうか。
(勝利だけが正義だとするなら、どれだけ多くの命が無意味に散っていくのか…)
 幾度も繰り返されてきた戦場の記憶が頭をよぎる。忠三郎自身もその中で数多くの者を斬り、多くの家臣を失ってきた。そのすべてが、ただ勝利のための犠牲だったのかと考えると、胸の奥に重く苦しい思いが広がった。

(勝利のために犠牲にされた者たちの命を、無駄にしてよいのだろうか)
 勝利を得るために、誰かの命を犠牲にし続けることが、果たして正しい道なのか。
 風が遠くから木々の間をすり抜け、静かな音を立てて広間を吹き抜ける。その風に乗って、胸中にある葛藤はますます大きくなる。

(されど、義兄上は、目先の勝利だけを追い求める者ではないはず。八郎殿の命を捨ててまでも、ただ勝つために動くとは思えぬ)
 一益への信頼が静かに再びよぎった。一益が見せる決断は、常に冷静で戦術的だが、その奥にはもっと深い洞察があるはずだ。単に勝利者としての正義を追い求めるのではなく、もっと根本的な価値や人としての道を探し求めているのではないか。

(義兄上は、ただ勝ちさえすればいいとは考えていないはずだ…)
 一益の行動や言動の裏には、常に深謀遠慮が見える。戦乱の中で多くの命が奪われる厳しい現実を知りつつも、一益は単なる勝者としての正義ではなく、己の信念を貫き通そうとしているように見える。

 風が軽やかに窓から吹き込み、広間に心地よい涼しさを運ぶ中、忠三郎はその風に乗って、一益の背後にある意志を思い描いた。勝利だけではない、もっと別の「正しさ」を見つけようとしているのではないか、と。そして、その正しさに従って、一益は八郎殿を見捨てることなど決してしないだろう。

 忠三郎が思索にふけっていると、突然、義太夫が明るく笑いながら口を開いた。
『案ずるな、秘策を授ける』
 自信満々でそう言う義太夫に、忠三郎は一瞬、ぽかんとした。
『秘策?』
 義太夫は得意げに頷く。
『然様。おぬしの叔父、千種三郎左衛門が自ら協力を申し出るような秘策じゃ』
『そんな秘策があるのか?』
『無論じゃ』
 半ば驚きながらも、忠三郎はすぐに話に乗った。

『早う申せ。如何なる秘策か?』
 すると、義太夫は急に落ち着いた口調になり、大事なことを話すようにゆっくりと語り出した。
『ある。まずは修業を積まねばならぬ』
『修行とな、ふむ。それはどのくらいかかる?』
 義太夫は不敵な笑みを浮かべながら、素破の極意を語るかのように言った。
『短く見積もっても五十年くらいかのう」
 忠三郎は呆然と義太夫を見つめた。
『五十年?』
 義太夫は神妙な顔つきをして、しばしの間、考えるそぶりを見せたあと、少し笑って続ける。
『わしも修行途中ゆえに、ようわからぬのじゃ』
 忠三郎は思わずため息をつき、義太夫の冗談じみた返答に肩を落としたが、心の奥では、ふとその軽妙さに救われる気持ちもあった。

『まあまあ、素破の術というのは、焦らずに極めるものよ』
 義太夫はしたり顔でそう言う。
まつりごとを為すに徳をもってすれば、たとえば北辰の其の所に居て、衆星のこれに共するがごとし。天地万物を見れば、森羅万象、すべてのものが正しき道筋に沿って動いておることがわかる。道を踏み外さねば、なんとでもなろうよ』
 義太夫の言うことは、どこまでが本気でどこからが戯れなのか、いつもながらによく分からない。

『帰するところ、道を踏み外さなければ、すべてうまくいくということか?』
『然様。孔子の言うところの君子とは、上に立って威張り散らす者のことではない。己以外のすべての者の幸いを願い、己を投げ出す者のこと。鳳雛ほうすうからおおとりとなり、皆の幸福を守れ』
 おおよそ義太夫らしからぬまともな答えに、忠三郎はフム、と頷き、そしてハタと気づいた。
(これは…昔、誰かに言われたような…)
 ひどく心にかかる言葉だ。

『義太夫。それはおぬしが言うた言葉ではあるまい。誰が言うていた?』
 と問いただすと図星だったらしく、義太夫は急に慌てたように咳払いした。
『コホン…まあ、わしも長い修行の中で、いろんな教えを耳にしておるからな。どこで聞いたかなど…その、忘れてしもうたわ!とにかく、今はその言葉を信じて動けば、道は開けるということよ!』
 なんとか話を逸らそうとしているのが見え見えだ。

 忠三郎は、そんな義太夫の様子に苦笑しつつも、どこか懐かしい気持ちを覚えた。
『まあ、言うておることは間違いではなさそうじゃな…』
 結局、なんの手立ても講じられないまま、千草峠を越え、叔父のもとへ向かうことにした。

 千種城は、千草峠を通る者を見張るかのように、険しい山中に築かれている。
 その築城は南北朝時代に遡るとされ、村上源氏の末裔であり、後醍醐天皇の側近であった千種忠顕を祖とする由緒ある城だ。
 千種氏は、一時期、北勢四十八家を従えるほどの勢威を誇っていたが、六角氏の攻勢にさらされた。その戦いで、六角氏側の先鋒を務めたのが小倉三河守実隆。蒲生快幹の三男であり、この戦が小倉三河守の名を世に知らしめた。
『我が家に男子は一人でよい』
 これは忠三郎の祖父である快幹の信条であり、家の繁栄を考えた結果の方針だった。度重なる家督争いによる教訓ともいえる。
 快幹は、家督を継ぐ一人以外の男子を全て蒲生家の勢力拡大の駒として、近隣の諸家に養子に出した。忠三郎の叔父たちもその運命を辿り、養子としてそれぞれの家の一部となった。

 六角勢の猛攻を受け、千種勢は次第に苦境に立たされた。苦渋の決断の末、千種家は和睦を選び、条件の一つとして、忠三郎の母・お桐の弟である三郎左衛門を養子に迎え、跡目を継がせることとなった。

 しかし、その後、千種家の当主である忠治は、自らの実子である又三郎に家督を譲りたいと考えるようになる。これを知った三郎左衛門は、忠治と又三郎親子を千種城から追い出し、名実ともに千種城の主としての地位を確立した。
 こうして一見すれば千種家の争乱は終わったかに思えた。しかし、忠治と又三郎の追放は、一族の間に新たな火種を残すこととなった。

 忠治と又三郎親子は何度か北勢四十八家の縁者を頼り、失われた千種城を奪還しようと試みたが、そのたびに失敗に終わった。ついには、北勢に勢力を拡大しつつあった一益に縋りつくこととなる。一益は彼らを庇護し、千種氏の旧縁を頼りに軍勢を集め、再び千種城を攻め立てた。時勢も味方し、三郎左衛門は多勢に無勢で、城を守り抜くことが叶わず、ついに降伏し城門を開いたのである。
 
 ところが、一益は不思議なことに、千種城をそのまま三郎左衛門に委ねた。
「それはまた、なにゆえに?」
 忠三郎は首を傾げる。町野左近の調べてきた話を聞く限り、それまでの戦いは忠治と又三郎親子を再び千種城に戻すための戦いではなかったのか。
「又三郎が密かに六角家に内通しているという風聞があったそうで」
 一益はこの噂を掴むや、又三郎を呼び出した。城主に返り咲けると歓喜した又三郎は、何も知らずに急ぎ駆けつけたが、一益はその瞬間、一刀のもとに又三郎を斬り伏せた。話を聞いた父の忠治は慌てて寺へ駆け込み、出家を果たすことで辛くも死罪を免れた。

 ここまでが、町野左近が千種家中の事情を探り出した結果であった。
「つまり、叔父上は義兄上…滝川左近に恩義を感じておるのであろうか?」
 話の流れからすると、三郎左衛門がいまだに千種城の主として居座ることができるのは、一益のおかげのようにも思える。
「さて…それは…」
 町野左近は返答のしようもなく、口ごもった。
 忠三郎は滝川勢の北勢侵攻時の惨劇を知っていながら、まだそんなのどかな考えを抱いていることに町野左近自身も多少の疑念を抱いている。
「然様か?まぁ、叔父上に会うてみればわかること」
 忠三郎は気を取り直し、明るく千種城の城門を叩いた。

 忠三郎と町野左近は千種城の広間に通された。まもなくそこへ、叔父の千種三郎左衛門が近臣を伴って姿を現した。鋭い目つきで忠三郎を見つめながら、三郎左衛門は口を開いた。
「鶴。頼み事以外でおぬしが顔を見せることはあるまい。此度は何事であるか」
 さすがは叔父だ。忠三郎の目的を一瞬で見抜いた。後ろで控える町野左近は冷や汗を拭っているが、忠三郎は笑顔を崩さず、いつものように軽やかに答える。
「叔父上。そう申されますな。此度は中勢の騒乱のことでご相談が」
「おぬしが肩入れしておる滝川左近のことか」

 三郎左衛門は鋭く切り込んでくる。普通の者ならたじろぐところだが、忠三郎は平然と首を横に振った。
「いえ。すでに叔父上にはお聞き及びのことと思われまするが、雲林院殿の老臣が三十郎様によって討たれました。両者の間のわだかまりが原因と考える次第。つきましては何とも気の毒な雲林院祐基殿とそのご家族、並びに細野藤敦殿とそのご家族を庇護し、この千草を越えて日野に連れていきたいと思うておりまする。どうかお力添えくだされ」
 忠三郎がそう言うと、三郎左衛門は怪訝な顔をする。

「何が気の毒な、じゃ。そのどちらも滝川左近の縁者ではないか。雲林院の嫁が左近の娘、細野の養子が左近の息であろう。おぬしが助けたいと思うておるのは雲林院でもなければ細野でもない。滝川左近じゃ」
 まさに叔父の言う通りであった。しかし、ここで怯む忠三郎ではない。冷静に、しかし挑むように口を開いた。
「そう申されますな。叔父上がこうしてこの城の主でいるのも、偏に滝川左近殿のお陰ではありませぬか」
 その言葉に、三郎左衛門の顔色が変わり、厳しい口調で返した。
「何を申すか。どの口がそのような戯言を言うておる」
 三郎左衛門の目が一瞬、忠三郎の眼を貫くように睨んだが、忠三郎は微動だにせず、ただ笑顔を保ったまま見返している。

(また、なんともよろしくない頼みかたをされたものじゃ)
 町野左近は、忠三郎と三郎左衛門のやり取りに心臓が止まりそうな思いだった。忠三郎が無遠慮に滝川左近の名前を出すとは予想外だったが、あまりにも大胆な話の持っていき方に、ただハラハラするばかりだ。
「おぬしは滝川の者どもと供に、芋がら縄などを食しておるというではないか。蒲生家の嫡男として恥ずかしいとは思わぬのか。あのようなものは武士の食すものではない。物乞いの食すものじゃ」
 叔父が見下すようにそう言った。

(物乞いの食すもの…)
 忠三郎は、叔父・三郎左衛門の侮蔑の言葉を静かに受け流していた。しかし、胸の内では怒りにも似た反発の炎が燃え盛る。滝川家の者たちが粗暴で、礼儀作法に欠けていることは否定できない。しかし、彼らこそが岐阜で孤独だった忠三郎に温かい手を差し伸べ、芋がら汁を供してくれた。その粗末な食事が、どれほど孤独な心を救ってくれたか。だからこそ、彼らを悪し様に言われることは、己自身を否定されるよりも、はるかに耐えがたかった。

「叔父上、芋がら縄が粗末な食事であろうとも、わしはそれを恥じることはございませぬ」
 忠三郎は静かにそう告げる。
「真冬の陣中に置いては、これほどの美味はございませぬ。次の戦さ場では、叔父上もぜひ味わってみられては如何かと」
 微笑みながら言ったその言葉は、まるで冬の寒風を包む春の日差しのように柔らかく広間に響く。三郎左衛門は一瞬、眉を寄せ、戸惑いを見せたものの、すぐに表情を引き締めた。忠三郎と目を合わせぬまま、低く押し殺した声で言葉を返した。
「まあ、よい。話の続きをしようか」
 その声には、微かな躊躇いと冷静さが交差していたが、忠三郎は気に留めることなく、さらに言葉を重ねた。

「叔父上、このままでは、せっかく収まった伊勢の戦乱が、再び火の手を上げることとなりましょう。それは、誰一人として望むところではございませぬ。過去のわだかまりは捨て、この一時、どうかお力をお貸しくださりませぬか」
 三郎左衛門は、一瞬口を開こうとしたが、忠三郎の真剣な眼差しに触れ、言葉を飲み込んだ。沈黙が広間に満ちる。叔父と甥の対話は、表面上の言葉以上に、互いの内面での葛藤を伴いながら続く。

 うららかな春の風が、千種城の広間をそっと吹き抜け、忠三郎と叔父の三郎左衛門の頬を撫でる。心地よいはずの風も、この場に漂う緊張感をほぐすには至らない。
(かような折は、何と話せばよかったのであろうか)
 忠三郎はふと目を伏せ、己の無力さを痛感する。考えてみれば、叔父のことをほとんど知らない。叔父が何に重きを置き、何を大切に思っているのかさえ理解していないのだ。そんな状況で、叔父の心を動かそうとするなど、もとより無謀なことだった。

(義兄上であれば…)
 一益の顔が頭に浮かぶ。一益であれば、相手の心の内を入念に調べ尽くし、何をもって動くかを的確に見極めるだろう。一益は、戦いが始まる前から勝機を掴むような策略家だ。それを何度も見てきたにもかかわらず、なぜ自分は、正面からぶつかるような愚かな交渉をしてしまったのだろうか。
(わしには謀略は難しい)
 改めてそう痛感する。思えば、いつも自分は力押しで物事を進めようとしてきた。正直であることは悪いことではない。しかし、それが相手の心を動かすとは限らない。今ここで、自分のやり方に限界があることを思い知らされる。

 広間に満ちる静寂の中で、忠三郎は内心の迷いと葛藤を隠しながら、再び叔父に向き合う。
「鶴」
 突然、三郎左衛門の低い声が広間に響いた。忠三郎は一瞬驚き、反射的に返事をする。
「は、はい」
「中勢に兵を進め、細野と雲林院を連れて参ればよいのじゃな」
「叔父上!は、はい。仰せの通りで」
 思わぬ言葉に忠三郎は喜び、元気な声をあげた。心の奥では、叔父が協力してくれるとは思っていなかっただけに、その反応は予想外のものだった。喜びが広がり、頬が自然と緩む。これで一益の手を借りずにことを進められるかもしれない。

(よかった…これで義兄上の子らの命を救うことができる)
 忠三郎は胸に溢れる安堵を感じながら、晴れやかな気持ちで叔父の顔を見た。
 広間の奥に座る三郎左衛門の表情は、木漏れ日の中で一瞬、柔らかく映ったようにも見えた。しかし、次の瞬間には再びその厳しい輪郭を取り戻していた。

 廊下に差し込む木漏れ日が、揺れる葉の影を淡く描き出す。風が優しく吹き、木々のざわめきが遠くから聞こえてくる。春の訪れを感じさせるその風景に、忠三郎の心は一層軽くなった。まるで長く続いた戦乱の時代が、ここで一息ついているかのように。
(この風が、義兄上のもとへ届けばよいが…)
 忠三郎は静かに息を吐き、再び木漏れ日の差し込む廊下を見つめた。その柔らかな光が、これから迎える未来を明るく照らしてくれるようにと願いながら。
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