獅子の末裔

卯花月影

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20.戦乱再び

20-3. 清須の団子

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 清須での合議が終わり、国元へと帰りゆく諸将を見送りながら、忠三郎はこの町を見回っていた。信長が若き日に住んだという清須城を中心に、町の人々が行き交い、どこか懐かしい活気が漂っている。

 どこを歩いても、土の香りと真夏の暑さに満ちたこの町は、周囲に広がる田畑に囲まれ、織田の隆盛を支えた地として、独特の力強さを醸し出していた。
 道すがら振り返ると、武家の人々や町の子どもたちが城を見上げ、信長を今なお懐かしむように佇んでいる。信長の夢の跡が、清須の風景と共に心に染み入るようだった。
 
「若殿。皆々様、お帰りになられておりまするが、我らはこのまま物見遊山でくつろいでいてもよいもので?」
 忠三郎は町野左近の言葉に耳を傾けるそぶりも見せず、長屋の一角を遠く見やっていた。そこにはかつて前田利家、羽柴秀吉、さらには義兄・滝川一益までもが住まったと聞かされ、心惹かれるようにその場所を眺めている。
「あの長屋に、前田又左殿や羽柴筑前、して、義兄上までが住んでいたというではないか」
 その目はどこか愉しげで、まるで昔話をたどるかのようだ。町野左近は忠三郎の様子に、少々呆れつつも微笑んでいた。常より掴みどころなきこの若い主は、諸将が一同に会したこの清須で、何を感じ、何を思っているのか。

(もしや…)
 昨夜、滝川助太郎が姿を見せていた。噂では関東から撤退した滝川勢が、ようやくこの地へ戻りつつあるという話だ。それならば、忠三郎はただ物見遊山と見せかけて、一益の軍勢が戻るのを待っているのではなかろうか。

 夏の盛りを映す陽射しが清須の町に降り注ぎ、長屋の白壁が柔らかな光を受けて淡く輝いていた。蝉の声がひとしきり耳に響き、町の空気に静かでいてどこか張りつめた雰囲気が漂う中、忠三郎はじっと長屋を見つめている。その視線には、日頃の曖昧な笑みとは異なる、どこか切実な期待と微かな緊張が混じっているように見えた。

 その様子を黙って見ていた町野左近は、忠三郎の胸の内を察し、
「若殿はもしや、滝川様をお待ちでは…?」と声をかけた。
 忠三郎は一瞬驚いたように振り向き、まるで悪戯を見つけられた子供のような笑顔を浮かべた。
「わかるか?」
「それは無論でございます」
 忠三郎は照れ臭そうに目をそらしながら、
「されど、これは義兄上や義太夫には内密にのう」
と続けた。町野左近が不思議そうに
「は、それはまた何故に…?」
と尋ねると、忠三郎は笑いながら
「何やら気恥ずかしい」とぽつりと漏らした。清須の町を包む熱気の中で、忠三郎の横顔は少し赤らんで、いつもの無邪気さとは違う、どこか隠し事を抱えたような優しげな面持ちだった。

 七月の澄みきった空に白い雲がゆったりと浮かび、草木は深緑を深めている。その朝、清須城の門前に滝川勢がついに姿を現した。待ちかねた面々がその様子を見つめる中、忠三郎もまた、かすかに胸が高鳴るのを感じながら、ひそかに義太夫の姿を探していた。

 間もなく、忠三郎の視線の先に、ボロボロの甲冑に身を包んだ義太夫の姿が見えた。重たく肩を落とした背中は、まるで地獄から這い上がってきたかのようで、戦の険しさがそのまま刻まれている。忠三郎は、思わず胸の内で嘆息を漏らした。

(これは酷い…)
 ちらりと視線を向けると、主君である一益や三九郎の姿は不思議と変わらぬ風格を漂わせていたが、その周囲を囲む家臣たちは皆、ひどく疲れ果てた様子で、息も絶え絶えの者も見受けられる。彼らがいかに壮絶な戦をくぐり抜けてきたかを想像するに、忠三郎の心にも言い知れぬ痛みが広がった。

 織田家の後継者となった信忠の長子・三法師に拝謁するため、一益と三九郎が清須城に登城する中、忠三郎は義太夫の元に足を向けた。

 義太夫は助九郎の手を借り、よたよたと馬から降りると、ようやく両足を地面につけて息を整えた。そして、笑いを含んだ声で助九郎に向かって一言。

「この甲冑、なんとも重くていかん…馬がいてくれて助かったわい」
 助九郎は口元を引き締めつつ、思わず肩を震わせて答えた。
「義太夫殿、ずいぶんとお疲れでござるな。これではまるで、甲冑に担がれて歩いておるようで…」
「もういい加減、脱いでもよいじゃろ」
 そう言うや否や、傍にいた助九郎が待ってましたとばかりに義太夫の甲冑を脱がせ始めた。どうやら、見物人の手前、致し方なく甲冑をまとっていたらしい。案の定、甲冑を外すと、その下に着込んだ直垂や袴には、あちこち破れが目立つ。

 助九郎が、あきれたように甲冑を見つめて言う。
「義太夫殿、かようなボロを纏うほどであれば、むしろ、直垂のままのほうがよかったのでは」
 その言葉に、義太夫は顔を赤らめるかと思いきや、大きな声で笑った。
「カハハ!そう言うな、助九郎。これも死地を潜り抜けた勇者の証じゃ」
 義太夫の豪快な笑いに、周囲の家臣たちもつられて微笑んでいる。

(思うていたよりも元気そうではないか)
 忠三郎もふと笑みをこぼして義太夫に近づいた瞬間、左手に布が巻かれていることに気付いた。血が滲み、よく見ると指が失われているのが布越しにもはっきりと分かる。
「義太夫…その手…」
 忠三郎が後ろから声をかけると、義太夫は驚いたように「おや」と振り返り、照れ隠しのように笑みを浮かべた。

「おぉ、鶴。まだ清須におるとは。如何した。殿に用があったか?」
 その飄々とした様子に忠三郎は一瞬言葉を飲み込みつつも、微笑んで答えた。
「滝川勢帰還と聞いては、会わずには帰るわけにもいくまい」
 忠三郎がそう言うと、義太夫はうんうんと大げさに頷き、
「では、存じ折の団子屋に参ろう」
と嬉しそうな笑顔を見せる。
「団子?」
「然様。せっかく清須に舞い戻ったのじゃ。わしが若かりし頃、殿の目を盗んで通いつめた団子屋を特別に教えてやる。こっち参れ」
 義太夫は得意げに笑うと、忠三郎を促した。

 忠三郎は一瞬きょとんとしながらも、すぐに吹き出しそうになり、義太夫の後について歩き出した。団子など思いもよらぬことだったが、こうして義太夫の背を追いかけて歩くのが、どこか懐かしくも心地よかった。


 団子屋の前に並んで腰を下ろす二人。義太夫と肩を並べて団子を頬張る――ほんの数ヶ月前までは、これが日常の一幕であり、さして珍しくもない光景であったはずだ。しかし、今となっては、こうして互いに無事で再び顔を合わせることさえ、奇跡のように思えてならない。

 しんとした夕刻の町並み。焼き団子の香ばしい匂いが漂う中、忠三郎は義太夫の顔をちらりと横目で見た。いつも通りの無邪気な笑みを浮かべ、楽しげに団子を食べる姿に、ふと胸が温かくなる。
 忠三郎は団子を握りしめながら、義太夫の小袖の隙間から垣間見える無数の傷跡に、無言のまま目を落とす。そこには過酷な戦いをくぐり抜けてきた証が刻まれている。そんな義太夫のことを思うと、胸の奥で何ともいえぬ切なさが湧き上がる。

「いやぁ、うまいのう!」
 義太夫が子どものような無邪気さで団子をほおばりながら、忠三郎の方を見てにやりと笑う。
「鶴、如何した。食わぬならわしが…」
「食うから、取るな!」
 忠三郎は素早く団子を引き寄せ、義太夫に取られまいと口に運ぶ。義太夫は声をあげて笑い、傷だらけの顔が一瞬だけ昔の面影を取り戻したように見えた。
 ほんのひとときだが、過ぎ去った平穏な日々が戻ってきたような錯覚に、幾分ほっとした。

 蝉の声がひとしきり騒がしく、夏の蒸し暑い風がひゅうと通り抜ける中、二人はやがて団子を平らげた。義太夫は、串を手のひらで転がしながら、ふと忠三郎をじっと見つめる。
「何を懸念しておる?心にかかることがあって、殿を待っておったのであろう?」
  なかなか鋭いところを突いてくる。まるで子供の秘密をすっぱ抜くかのように、鋭くも温かい眼差しだった。

 忠三郎は義太夫の顔を見つめ、団子の串をくるくると指先で回しながら、言葉を探した。
「清須の合議にでて、はっきりと分かった。織田家は二つに割れる。最早どうにもならぬ。そのとき、義兄上は…」
 一瞬、義太夫の表情が微かに曇り、少しの間、沈黙が流れた。しかし、すぐに肩をすくめるようにしておどけてみせ、からりとした笑い声を響かせた。

「我らは北勢を守らねばならぬ。鶴、おぬしは江南の地を守ることが責務ではないか。それを思えば、己の進むべき道は自ずと見えてこよう」
 忠三郎は静かに聞きながらも、心の奥底に迷いが漂うのを感じていた。義太夫の言葉は正論だが、忠三郎にはその「道」がどこへ続くのか、はっきりと見定めることができない。

 思いあぐね、団子の櫛を見つめていると、義太夫がぽつりとつぶやく。
「…されど、もしその道が、この先、我らと袂を分かつものだとしたら…」
 義太夫が口にした「袂を分かつ」という言葉が、夏の夜の微風のように忠三郎の胸に染み渡っていく。しかし、その響きが心に届くや否や、忠三郎は思わず首を振り、決然とした口調で言葉を返した。
「袂を分かつ?そのようなこと、あるはずもなし」
 まるで心の奥底に積もる信念を、言葉にすることで確かめるかのように続けた。
「わしを他の者と同じと思うな。如何なる敵が待ち受けようとも、わしは義を貫く」

 忠三郎のまっすぐな視線を受け、義太夫が口元を綻ばせ、可笑しそうに笑い出した。
「何が可笑しい?」
 忠三郎がムッとして問うと、義太夫は肩を揺らしながら、子供を愛でるかのような温かな眼差しを向けてくる。
「いや…。何とも微笑ましいと思うたのじゃ」
 その含み笑いに、忠三郎はため息をつき、胸の奥で少しばかりの苛立ちが芽生えた。またしても、まるで童を相手にしているかのような物言いだ。内心で舌打ちしながら、少し口をとがらせてみせる。

「いつまでも童と思うてくれるな」
 わずかに口を尖らせた忠三郎を見て、義太夫はまた笑いはじめる。
「然様か。さもありなん。おぬしも六万石の大名じゃ」
 褒めているのか、揶揄しているのか分からなかったが、根底には兄のような温かさが滲んでいた。義太夫の目には、ただ義を貫こうとする忠三郎が、まるで無邪気な子供のように映っているのかもしれない。

 しばらくして、義太夫の笑みが消え、ふいに真顔になった。
「たとえ袂を分かつとしても、我らはいつまでも友じゃ。そうであろう?」
 その一言が、夏の夕暮れに響く蝉の声のように、忠三郎の胸に深く染み入る。義太夫はなぜそんな言葉を口にしたのか、その真意を図りかねて無意識に目を伏せた。袂を分かつなどということが、この先本当に起こりうるのか?あるいは、義太夫がそう思う理由が何かあるのか?

 夏の風が二人の間をそっと通り抜ける。いくら考えても、義太夫の懸念の根を読み取ることができない。ただ、ふわりと浮かんだ不安が、まるで遠くの雷鳴のように胸の奥で小さく鳴り響き、言葉を探す思いが、団子の串を握る手の中に沈んでいくようだった。
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