獅子の末裔

卯花月影

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24.新たな時代

24-1. 巨石の行方

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 天正十四年、冬。

 父、滝川一益の葬儀のために久方ぶりで上洛した滝川三九郎は、都に足を踏み入れるなり、目を疑うような光景を目にした。
 都の入口から五条橋へと続く道沿いの家々が、巨大な獣が通り抜けたかのように無惨に破壊されている。
(これはいったい…何があったというのか)
 瓦が砕け、柱は折れ、建物の残骸が散乱する光景に、三九郎の眉間には深い皺が刻まれた。秀吉が都に大仏殿を建立する計画を耳にしている。思い当たる節を胸に浮かべながら、道行く者に声をかけた。

「これなる家々は何故、このように壊されたのじゃ?」
 問いかけに応じたのは、商人風の初老の男だった。男は、三九郎の言葉に一瞬驚いた表情を浮かべたものの、すぐに声を潜めて答えた。
「ご存じではないので? これは飛騨様の仕業でござりますよ」
「飛騨様…飛騨守とはもしや…」
「無論、蒲生飛騨守様のことで」
 三九郎の胸に、あの蒲生忠三郎氏郷の名が浮かぶ。洛中でこのような話が聞こえてくるとは思いもよらず、耳を疑った。
「飛騨殿は何ゆえ、このようなことを?」
 三九郎の言葉には困惑が混じっていた。屋根だけが潰され、かろうじて形を保つ家もあれば、瓦礫と化しているものもある。その数たるや目も当てられぬ。いかに戦乱の時代とはいえ、都の中心地でここまでの乱暴を働く者がいるとは信じがたい。

 男は肩をすくめ、遠くを見つめるように話を続けた。
「あのお方の舅、故信長公でさえも、このような乱暴狼藉をなされたことはありませんでした。大仏殿建立のための材木を運ぶために道幅を広げられた、と噂で聞いておりますが…」
 洛中・洛外では、この「飛騨殿」の振る舞いが噂となり、非難と恐れの的となっているらしい。
 三九郎の胸には、疑念が渦巻いた。
(忠三郎がこのような手段を取ったと? いや、しかし…何か裏があるのではないか…)
 滝川の家を苦しめたあの男が、今またこの都に何をしようとしているのか。その答えを確かめずにはいられなかった。

 事の発端は大仏殿建立のための巨石の運搬に手間取ったことだった。
「これがとてつもない巨石で。かつて信長公が安土に城を築いたとき、蛇石と呼ばれた巨石を安土山まで引いていくため、滝川左近殿、丹羽五郎左殿、そして今の関白様が、人足一万人を集めて運び出したとか。その蛇石にも劣らぬ大石にござりまする」
 三九郎の脳裏に、あの安土築城の喧騒が甦る。父・一益の居城があった伊勢からも多くの人足が徴発され、朝から晩まで運搬に駆り出された。築城の費用と労力は滝川家の財を圧迫し、父が夜毎、帳簿を前に深いため息を漏らしていた光景が瞼に焼き付いている。

(その安土の城も今や廃城…)
 繁華を極めた安土の町並みは消え失せ、今では草木が茂り、人の気配もない。ただの野辺となり果てた。父が費やした苦労も、滝川家の犠牲も、何のためだったのか――そんな虚しさが三九郎の胸を押し潰すようだった。

 今回の大仏殿建立の巨石運搬に苦労している話をきいた秀吉は、忠三郎に声をかけた。
 忠三郎はその命を受け、人足を集めるべく家臣たちに厳命した。そして石は大津の三井寺から都近くまで運び込まれたが、ここで事態は暗転する。途中で巨石がびくとも動かなくなり、ついに秀吉から直々に運搬中止の命が下されたのだ。

「問題はその後でござります」

 三九郎はそう語る商人の言葉に耳を澄ませた。
 途上に放置された巨石が往来の邪魔となり、都ではたちまち噂が広まった。人々は指をさし、声を潜めながら囁く。
「飛騨守様が巨石を捨て置き、都の道を塞いでいるとな」
 秀吉の命に従ったとはいえ、忠三郎の名声は都でひどく傷ついた。
 その数日後、落首が立てられた。
 
 大石を 道にかまふ(構う・蒲生)に
          引き捨てて 飛騨の匠も 成らぬものかな
          
 その一句は、民衆の口から口へと伝わり、京の町中に広がっていった。
 蒲生飛騨守が大石を道に放置し、工事を成し得なかった無様さを嘲笑うものである。鋭くもどこか滑稽な響きを持つ言葉に、京童たちはさぞや笑いを誘われたことだろう。

 しかし、その嘲りを受け流すことのない者がいた。やがて掲げられた返歌が、それを物語る。
 
 大石を 道にかまふと 見るこそは
            身にも掛からぬ しらをいふさい(幽斎)
            
 この歌は、落首を詠んだ者への痛烈な反撃だった。「身に降りかかる火の粉を避ける者が、しらを切って何を言うのか」と挑発的に詠むその調べ――京童たちは騒然となった。

 この返歌によって、最初の落首の作者が細川幽斎こと細川藤孝であると明るみに出る。
 藤孝はかつて、足利将軍家に仕え、室町幕府の要職を担った家臣だった。しかし信長に従って足利義昭を見限り、その後は娘を明智光秀の嫡子に嫁がせるなど、縁戚関係を巧みに築いていた。本能寺の変後は、光秀との縁を切り捨て、すぐさま秀吉に臣従するという迅速な立ち回りを見せた。

 剃髪して家督を嫡子に譲った今は、数寄に生きる隠居の身。茶道や和歌に秀でた藤孝は、その才覚を持て余すように軽妙な歌を詠む。その一首が、この京の民衆を揺るがす騒ぎを引き起こした。
 風刺と遊び心の中に、いまだこの世を渡る剛胆さを感じさせる藤孝。

 落首の噂はまたたく間に広がり、やがて蒲生家の家人たちの間でも噂となった。忠三郎の耳に入るころには、知らぬ者はいない程、人から人へ、面白おかしく話が広まっていた。
「皆でわしを笑いものにしておるのか」
 話を聞いた忠三郎は、人が変わったように怒りをあらわにした。
「かように天下の笑いものにされ、指をくわえて黙っておられようか。かくなるうえは、如何なる手をもってしても、あの巨石を大仏殿まで運び入れてみせる」
 家臣たちはその剣幕に押され、誰も口を挟むことができなかった。その矢先、話を聞きつけた秀吉から、再び巨石運搬中止の命が下った。だが、その使者の言葉を聞くや否や、忠三郎は冷ややかな笑みを浮かべて吐き捨てた。
「わしは関白の家来ではない。今は関白に力を貸しておるにすぎぬ。そのわしが何ゆえに関白の命に従わねばならぬのか。これはもはや大仏殿云々の話ではない。ましてあの下賤な猿の出る幕でもない」
 忠三郎の声はますます熱を帯び、語調は峻烈さを増していく。
「これは、わしを愚弄した京童ども、そしてあの細川の親父との戦さである!」
 その場にいた家臣たちは顔を見合わせたが、いかに忠三郎の熱を冷ます言葉を紡ごうとも、燃え上がる怒りの前ではすべて無力であった。

 秀吉の使者を追い返して家臣を総動員させ、蒲生家の財力を持って多くの人足を再招集した。各地から人を募り、道具を揃え、石を動かすための手筈を整えさせる。その勢いは尋常ではなく、ついには人足の前に立ち、巨石の上に自ら登ると、声を張り上げて号令をかけた。
「引け!引け!お前たちの力を見せてみよ!この石を動かせぬ者は、蒲生の名を口にするな!」
 その掛け声は地を揺るがし、集まった人足たちはその熱気に押され、縄を握り締めて巨石を引き始めた。意地と誇りが、どこまでも忠三郎を突き動かした。

 とはいえ、そう簡単に動くものではない。巨石は一旦は動き出したかに見えたものの、都に入る途上で度々足を止めた。そのたびに忠三郎は怒りを募らせ、やがてその苛立ちは頂点に達する。
「何をしておる!一歩も動かぬとは、ここに集まった者どもは皆無力か!」
 そのとき、列を離れて草履の紐を結び直している人足の姿が目に入った。忠三郎は顔を真っ赤にして叫び声を上げた。
「その者を引き立てよ!」
 家来たちに引き立てられてきた人足は震えながら跪いたが、忠三郎は問答無用で腰の刀を抜き、ためらうことなくその首を刎ねた。その光景に、周囲の人足たちは皆青ざめ、恐怖で体を震わせた。

「この巨石が動くまで、一人たりとも許さぬ!命が惜しくば、この石を引け!」
 忠三郎の怒号はあたりに響き渡り、人足たちは決死の思いで縄を掴み直した。顔には汗が滝のように流れ、手のひらには豆が潰れて血が滲んだ。それでも彼らは、ただ無我夢中で巨石を引き続けた。
 それでも巨石が動きを止めるたびに、忠三郎はあの手この手を尽くした。傾城屋に使いを送り、遊女たちを呼び寄せて華やかに舞わせる。さらに自ら笛を取り、軽やかな調べを奏で、掛け声をかけて人々の士気を高めた。その異様な光景は、通りすがる都人の間でも噂となり、やがて加茂川を渡る様子は見物人で溢れるほどであった。

「そのあとが酷い話で」
 京童への怒りが冷めやらぬ忠三郎は、巨石を再び動かすべく、大勢の人足を民家の屋根に上らせ、その屋根を足場代わりに石を引かせた。瓦は粉々に砕け、柱は軋みを上げて倒れ、民家のほとんどがその重みに耐えきれず潰れてしまった。
「それで、五条橋の向こうまで家々が壊されておるのか」
「はい、そればかりか…壊れた家々をご覧になられた飛騨様は、高笑いなさったとか」
「高笑いした…」
 織田家に仕えるころから忠三郎を知る身として、普段の温厚な性格からは到底考えられない。忠三郎は民を愛し、戦乱の世にあってもその安寧を願っていた。それゆえに、この話を聞かされると、忠三郎がなぜそのような粗暴な行為に及んだのか、その胸中に何があったのか、到底理解できなかった。

 しかし、周囲の者たちの口ぶりから、その高笑いは確かであったらしい。怒りが極限を超え、何かが弾けた結果なのか、あるいは己を皮肉るしかないような追い詰められた心境だったのか――その真意を知る術はない。

 かくして、巨石は多くの民家を破壊しつつ突き進み、ついに大仏殿の建設地にたどり着いた。その巨石を見上げた都人たちの間では、これが天下一の権力者となりつつある秀吉の命によるものか、あるいは飛騨守の矜持が生んだ狂気の産物か、口々に語られた。

 だが、潰れた家々の主たちの嘆きや泣き声、壊れた家財を見つめる無力な姿は、巨石の陰に埋もれていった。そしてその巨石がいずれ大仏殿の一部として輝く未来を、誰も想像する余裕はなかった。

 しかし、それだけでは収まらなかったようだ。忠三郎は、その後、大坂城に登城し、諸将が集う中で細川幽斎に声をかけた。
「幽斎殿は、日ごろより和歌や管弦など芸事が達者と耳にいたしており候」
 穏やかな笑顔でそう言いながら、一拍の間をおいて続けた。
「されど、槍働きの話とて、ついぞ耳にしたことがござりませぬな」
 この一言は、幽斎の面前に座していた諸将の間に一瞬の静寂をもたらした。幽斎の文雅の才を称賛する一方で、戦場での手柄がないことを皮肉った強烈な一撃に、場の空気が微妙に張り詰めた。

 細川幽斎は、平常心を装いながらもその顔に明らかな不快の色を浮かべた。そしてかろうじて、冷ややかな声を漏らした。
「我が身も戦場において手柄を立てた覚えがござる。飛騨殿が存じておられぬだけであろう」
 そう言いつつも、その声音にはかすかな動揺が滲んでいた。諸将はそのやりとりに言葉を挟むことなく、ただ面白がるように様子を見守っている。

 幽斎はそれ以上追及されることを恐れたのか、言葉少なにその場を後にした。彼が立ち去った後、諸将の間には、皮肉を含む忠三郎の発言に対する賞賛とも呆れともつかない苦笑が広がった。

「常より長閑なお方と聞き及びましたが、時の流れが人と異なるだけで、意外にあれは、執念深いお方なのではないかというもっぱらの噂で」
 三九郎は心の内で相槌を打つ。
(そうかもしれぬな…)
 細川幽斎の風雅に傾く姿勢は、長らく世人の憧憬の的であった。その幽斎が皮肉を込めているとはいえ、趣ある落首を掲げ、忠三郎がそれに対して意地になったのだから、京の民が噂するのも無理からぬことかもしれない。

 とはいえ、三九郎の胸中には、別の感慨が押し寄せていた。
(それにしても…)
 久しぶりに上洛してみれば、耳に入るのは嫌な話ばかりだ。
 かつての忠三郎は、武将としての才覚に加えて、温和で誰にでも親切な性分が人々を引きつけていた。それが今や、巨石の運搬をめぐる粗暴な振る舞いや、細川幽斎への痛烈な皮肉といった話題で持ちきりだとは。

 三九郎はふと、京の街並みに目を向けた。冬の冷え込む空の下、五条橋から見下ろす鴨川は、穏やかに流れている。だが、その景色が示す平穏とは裏腹に、忠三郎をめぐる話題が広がるたび、彼の名が損なわれていくように思えてならない。
(時が人を変えたのか。それとも、もとより彼の内に潜んでいたものが、今になって顔をのぞかせているのか…)

 空を見上げた三九郎は、微かな溜息をついた。
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