獅子の末裔

卯花月影

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25.南勢の鳳凰

25-6. 黄金の国

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「…にしても、忠三郎殿はちと遅いような…」
 牧野長兵衛が様子を見に行こうかと腰をあげたとき。
 ガタガタガタ――

 躙口が乱暴に音を立て、次の瞬間、忠三郎が姿を現した。
「おぉ、これは皆様お揃いで」
 くったくのない笑顔を浮かべながら、何食わぬ顔で中へ入ってくる。

 右近と宗易が目を合わせ、長兵衛は呆れたように苦笑した。
「右近殿はなにやら浮かぬ顔をしておられる。如何なされた。此度の九州出陣のことで何か気がかりなことでも?」
 忠三郎が茶碗を手に取りながら尋ねると、右近はわずかに眉を寄せた。

 九州征伐の陣触れはこの正月にでたばかり。
「我らは後発部隊。二月下旬に大坂を発ち、肥後に向かうとのことでしたが、忠三郎殿は確か九番隊であったような……」
 牧野長兵衛が思い出したように口にする。

 そう――先発部隊は、まず日向から薩摩へと向かう。
 二月中旬には、総大将・豊臣秀長が九州入りし、先鋒を黒田官兵衛が務める手はずとなっていた。

 一方、忠三郎は後発部隊の九番隊。
 諸将が皆、すでに九州へ入った後、遅れて戦場へ向かうことになる。
(このまま大人しくしていては、なんの功名も立てられぬまま、九州攻めが終わりかねない)
 忠三郎は、茶を啜りながらも、内心では冷静に戦の行方を見据えていた。
 後発の九番隊。
 ただ命じられるままに進軍していれば、戦場に着いた頃にはすでに決着がついているかもしれない。

(味方が攻めあぐねるのを待って、名乗りをあげねば……)
 ただついて行くだけで終わるつもりはない。
 しかし、敵は九州の覇者・島津。
 戦巧者の彼らが、そう易々と勝たせてくれるはずもない。必ず、味方が膠着し、攻めあぐねる局面が訪れる。その時こそ、己が撃って出る時――。
 忠三郎は、そう見越していた。
 だからこそ、九番隊と知らされた時も、黙って受け入れたのだ。

(機は、必ず訪れる)
 戦の舞台は、着々と整いつつあった。

「右近殿は常よりキリシタンの教えを広めたいと仰せじゃ。我らが此度の戦さで名を挙げることで、皆の目がキリシタンに集まり、関白もキリシタンの教えを広めることをよしとするのではありますまいか」
 忠三郎の提言に、牧野長兵衛は大きくうなずいた。
「まことに忠三郎殿の申す通り。わしもそう思うていたところじゃ。そうそう、忠三郎殿、聞き及びましたぞ。家臣たちを集めて、皆、キリシタンになるようにと話をされたとか」
 長兵衛の言葉に、忠三郎は少し苦笑した。

 それは、松坂の町づくりが進み、領民が増えてきた頃の話だ。
 四五百森改め、松坂の城下に、キリスト教の教会堂を建てることになり、家臣たちにもキリシタンになるよう勧めた。
「いかにも。領民たちにも勧めておりまする」
 忠三郎が誇らしげに言うと、それまで黙って聞いていた高山右近が驚いたように問い返した。
「はい。それゆえ、我が領内では日々、キリシタンになるものが増えており申す」
 忠三郎は得意げに言い放った。
 右近は静かに頷いたが、その表情はどこか複雑だ。

 つい先日、大坂城の秀吉のもとに正親町天皇の使者が現れた。
 伊勢神宮を領する南伊勢の国主がキリシタンとは何事か、と苦言を呈したというのだ。
――キリシタンと朝廷。
 この問題は、今に始まったことではない。
 永禄八年、正親町天皇が発した「大薄払い」、すなわち伴天連追放の綸旨。
 都での布教許可を得るために、宣教師ロレンソが時間をかけて将軍に謁見し、ようやく許可を得たものの、その五年後には追放されてしまった。
 やむなく河内へと移った宣教師たちは、再び都での布教許可を得るため、信長に接触する。
 しかし、その許可を得るまでにはさらに四年の歳月を要した。
 その後も正親町天皇は、典医・曲直瀬道三がキリシタンに改宗しようとした際、「キリシタンは日本の神々の敵である」と諭し、改宗を思いとどまらせた。

――そして、問題はもう一つ。
 秀吉自身の神格化の動きである。
 秀吉は、自らの出自を補うため、「自分こそは天皇の御落胤である」と主張し、日本の神々と同列の「太陽神」として自らを神格化しようとしている。
 そのため、祐筆に命じて新たな神話の執筆まで進めていた。
 右近が憂慮しているのはそこだった。

(関白が自らを神とする以上、キリスト教の教えとはどこまでも相いれない)
 忠三郎の行為――すなわち、領内でキリシタンを増やし、神宮を擁する南伊勢に布教の波を広げることは、秀吉への挑発行為と取られてもおかしくはない。

 右近は静かに茶を置き、忠三郎の顔をじっと見つめた。
「忠三郎殿……」
 己の行動の一つ一つが、どれほど危ういものかを、忠三郎は本当に理解しているのか――。
 右近は、その言葉を飲み込んだ。

 右近の心痛な面持ちを見て、忠三郎は突然、腹を抱えて笑い出した。
「忠三郎殿。これは、笑うておる場合ではありませぬぞ!」
 牧野長兵衛が顔色を変えて諫めるが、忠三郎は一切意に介さない。
「あの下賤な輩が、かような世迷い言を申すとは。これが笑わずにおられようか!」
 嘲るような口調で言い放つ。どうやら忠三郎は、秀吉の思惑など微塵も気にしていないようだ。

「忠三郎殿。いささかお言葉が……」
 黙って聞いていた宗易が、やんわりとたしなめる。
 だが、忠三郎は笑みを浮かべたまま、右近へと向き直った。
「右近殿。そのような戯言、まともに取り合うことはありませぬ。此度の戦さで我らの力を見せつければ、関白もつまらぬことを取沙汰することもなくなりましょう。長兵衛殿も、そうご案じめさるな。此度もわしが功名を上げ、天下に名を轟かせてみせましょうほどに!」
 その場にいる誰もが、先行きに一抹の不安を抱えているというのに、忠三郎だけはまるで別世界にいるようだった。
 右近が言いたいことは、戦場で手柄を立てる云々とはまったく異なる話のはずだ。

(どうにも話が噛み合わぬ……)
 右近は目を閉じ、静かにため息をついた。
 忠三郎の無邪気な自信が、吉と出るか凶と出るか――。
 それを知るのは、まだ先のことだった。


 忠三郎と牧野長兵衛が帰ったのちも、右近は席を立とうとはしなかった。
 茶室の静寂の中、千宗易はそんな右近の様子を伺いながら、ふと忠三郎のことを思い起こした。
 初めて忠三郎を見たのは、彼がまだ「鶴千代」と名乗っていた頃。
 前髪立ちの若き忠三郎は信長の傍近くで近侍を務めていた。
 堺で初めて顔を合わせたとき、親子ほども年の離れた宗易に対しても、物おじすることなく、気さくに話しかけてきた。

(あの頃から変わらぬ男よ……)
 信長の下で育ったせいか、強者の前にあっても臆せず、むしろ堂々と己を通す。それが魅力でもあり、時に危うさを孕む要素でもあった。

『上様は茶堂として宗易殿をお召し抱えになったとか』
『鶴千代殿も茶の湯を?』
『はい。右近殿から教えを受けました。右近殿は、もう教えることはない。それゆえ、今後は宗易殿から教えを受けるようにと、そう仰せで。どうかそれがしを弟子にしてくだされ。天下三宗匠の誉れ高い宗易殿から、ぜひとも教えを受けとうござります』

 忠三郎は満面の笑みを浮かべ、実にあっけらかんと弟子入りを願い出た。
 宗易は一瞬、目を見張った。
(まことに、この男は……)
 相手を敬いながらも、無防備なほどにふところへ飛び込んでくる。
 まるで、何の垣根もないかのように。
 この若さで、人との距離をこうも自然に詰めることができる――それが忠三郎の持つ不思議な才なのかもしれぬ。
 信長が気に入り、傍に置いていた理由が、今さらながらわかる気がした。

 弟子にするかどうかはさておき、この男の行く末が、急に気になり始めていた。
 忠三郎は、ただ明るく親しみやすいだけではない。
 その立ち居振る舞いには、どこか華やかさがあった。
 そして何より、物惜しみしない。
 価値あるものさえ、土か石のようにあっさりと家臣に下げ渡す。
 だからこそ、家臣たちの評判も良い。
 南伊勢の地を与えられ、大幅加増となったときも、自身の直轄領はほぼ増やさず、新たに召し抱えた者たちに惜しみなく分け与えた。
 結果、忠三郎自身の実入りは、日野にいた頃から大して変わっていない。

 権謀術数とは、ほど遠い性格。
 それが忠三郎の親しみやすさの一因ではあったが、反面、秀吉の微妙な立場や心の機微には、まるで気付く様子がない。

いや――気付かぬのではなく、気にしていないのかもしれぬ。

 良くも悪くも、彼の行動は人目を惹く。
 そして今回もまた、朝廷を逆撫でし、面倒事を増やしている。
 秀吉はそんな忠三郎の行為のひとつひとつを苦々しく思っている。
 だが、忠三郎自身はそれを知ってか知らずか、全く気に留める素振りもない。
 その無邪気さが、人々を惹きつけるのか、それとも……。

「官兵衛殿も案じておいででした。忠三郎殿はどうも、殿下の気に障るようなことばかりなさると……」
 茶室に残った高山右近が、深く息をついた。
 忠三郎は、無邪気で、率直で、憎めぬ男だ。
 だが、あまりに無頓着すぎる。

 四十年前にポルトガルから伝わった火縄銃は、日本国内で革新的な改良が重ねられ、ヨーロッパの銃にはない照準器がつけられるようになった。
 堺、根来、国友、日野――各地で量産が進み、伝来からわずか十年で十万挺が流通したとも言われている。
 その後も需要は増え、鉄砲鍛冶の数も増え続けた。
 今や、豊臣家が保持するだけでも十万挺。
 国内の銃をすべて集めれば、二十万挺に達する。
 質・量ともに、もはや世界有数の鉄砲国家となった日本。

 そして、その豊臣家の軍事力強化に欠かせないのが、イエズス会を介した南蛮貿易だった。
 硝石や鉛、武器の流通――それらを担うのが、ポルトガル商人やイエズス会。
 豊臣家の力が南蛮貿易によって支えられている以上、キリシタンを無碍に排除することはできない。

 だが、その均衡を乱しかねないのが――忠三郎の無邪気さだった。
 右近は、忠三郎の奔放な振る舞いが、いつか取り返しのつかぬ事態を招くのではないかと、深く憂慮していた。

 イエズス会は今、難しい局面に立たされていた。
 火縄銃の「火縄」の加工、そして火薬の製造に欠かせぬ硝石。
 これを秀吉の求めに応じて渡し続けることで、戦禍が日本国内に留まらず、唐や天竺、はては南蛮まで広がる恐れがある――。
 イエズス会は、秀吉の野望がどこまでも広がっていることを知らされ、これまで通り協力を続けることに不安を抱いた。
 そこで、今回の軍船調達の依頼を断ったのだ。

 しかし――秀吉は納得していない。

 火薬原料の調達量は年々増加の一途をたどり、堺の商人たちは巨万の富を得ている。
 だが、もしイエズス会が火薬原料の調達を渋るようなことがあれば、秀吉の怒りはどこへ向かうか分からない。

(この難局で、迂闊な対応は許されぬ……)
 右近は日々、身の痩せる思いだ。
 そんな中――忠三郎の悪意なき言動のひとつひとつが、右近の悩みの種となっていた。
 無邪気で、天真爛漫で、あまりに正直な忠三郎。
 だが、その無邪気さこそが、秀吉の機嫌を損ね、さらに朝廷を刺激し、イエズス会との均衡を崩しかねない。

(忠三郎殿……この局面の危うさを、どこまで理解しておられるのか)
 右近は、深いため息をついた。

――火薬の匂いが、すでにこの国の空気に染み込んでいることを、忠三郎はまだ気づいていないのかもしれない。

「生来、あのようなお人柄。殿下もよう分かっておいでで。取り立てて何かを仰せになることもないのでは」
 宗易が穏やかに言う。
 しかし、右近は静かに首を振った。
「……であればよいのですが……」
 とても、そうは思えない。

 秀吉が嫉妬深く、疑り深い性格であると指摘したのは、側近中の側近である黒田官兵衛だった。
 秀吉の身近で、誰よりも忠実に動いてきた官兵衛がそう言うのだから、間違いはない。
 そして、右近が感じている不安の一因も、まさにそこにあった。
 一歩誤れば、秀吉とイエズス会の蜜月は終わる。
 右近は、宗易ほど楽観視することができなかった。
 秀吉の心変わりが、すべてを覆す可能性は十分にある。
――忠三郎の無邪気さが、やがて火種とならぬことを願うばかりだった。
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