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30.陸奥(みちのく)へ
30-5. 蒲生風呂
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雲は高く、空の色はどこまでも澄んでいた。遠く猪苗代湖の水面が陽を弾き、山々の稜線には、うっすらと赤が混じりはじめている。
黒川の城は、驚くほど質素であった。
かつて蘆名氏の居城として名を馳せたとはいえ、北国の出城に過ぎない。天守などなく、主郭も小さく、石垣は所々崩れかけている。堀は浅く、土塁も低く、会津四十二万石の居城としては、あまりに手狭だった。
だが忠三郎は、なにひとつ不満を口にしなかった。
むしろこの静けさを好んだ。霧の朝、風の通る昼、虫の声とともに沈む夕暮れ。山々に囲まれ、天を仰げば雲が遠く、ここには松坂では得られぬ静寂があった。
(まずはこの地を知ることだ。風を、土を、水の流れを)
忠三郎は焦らず、急がず、ただ心の内に一つの構想を秘めていた。
――この地にふさわしい城を築く。天守を掲げ、外敵を防ぎ、民の誇りとなる城を。
だが、それは急ぐことではない。まずは、人を得、領を治めること。それが第一と、忠三郎は心得ていた。
新たに与えられた四十二万石。松坂時代の三倍を超える大封を前に、忠三郎はまず、これまで家を支えてきた家臣たちの労をねぎらうことから始めた。
秋の澄んだ空の下、忠三郎は一人ひとりの家臣に紙を渡し、こう言った。
「これまでの働きを書き記し、望む知行を遠慮なく書いてくれ」
その数、百五十名を超えた。紙が集まり、合計してみると、百五十万石を優に超えていた。
忠三郎はそれを見て、大いに笑った。
「よいな。それだけの働きをしたと、そなたらが自ら思うておる証よ。では皆でよく相談し、どう分け合うかを決めよ。任せる」
その裁定を、関盛信をはじめとする重臣たちに一任した。皆、忠三郎の性格を知っている。結果、遠慮と配慮が重なり合い、揉めごともなく配分は収まった。
そして――忠三郎自身の取り分は、松坂時代とほとんど変わらなかった。
それを伝え聞いたとき、重臣たちは密かに頭を抱えた。
「殿、それでは新城の普請も、城下の整備も、薪代ひとつ払えませぬぞ……」
とはいえ、当の忠三郎は、庭の萩を眺めながら涼しい顔で言った。
「それで良い。まだ蓄えもある。武士の誉れは、懐の石高にあらず。生きざまにある」
「はぁ…」
問題はそこからである。
黒川城の御台所は、ほどなく火の車となった。薪代、塩代、井戸の修繕、橋の架け直し、すべてに銭が要る。御用金の話が出れば、忠三郎は「まず民を楽にせよ」と言って退ける。家中は苦笑しつつも、知行の分け前が公平であったため、大きな不満はなかった。
が――困ったのは、夜の一献である。
ある日、酒肴役のひとりが重臣にそっと耳打ちした。
「今夜の膳、味噌汁と梅干しだけでは……殿にあまりに忍びなく……」
その一言で、家臣たちは顔を見合わせた。
それ以来、重臣たちがこっそりと懐から袋を出し合うことが増えた。へそくり、小遣い、嫁の手前内緒にしていた銭。誰かれともなく、風呂場の裏に集まり、小声で囁く。
「まこと、殿のための湯と膳じゃな……」
「酒も一本、足しておこう。米の節約分で何とか……」
こうして、家中の『隠し銭』が集まり、酒肴はほんのり豪華になった。
忠三郎はその夜、ささやかな酒に目を細めたが、なぜかその場にいた皆が一様に目を逸らしていたことに気づいて、後にぽつりとつぶやいた。
「ふむ……家臣が賄いを案ずる家、というのも……如何なものであろうか」
この一連の噂は、いつしか「蒲生家の密酒騒動」として黒川の町人たちの笑い話となり、後には「蒲生の蔵は空っぽでも、心の懐は満ちておる」などと、どこか誇らしげに語られることとなった。
そんな蒲生家には、もうひとつの、奇妙な習わしがあった。
黒川の初秋は、目に見えぬほどの静けさをまとっていた。刈り入れ間近の田が朝露にきらめき、城の周囲を取り囲む山の稜線が、淡く煙る。城と呼ぶにはまだ質素なその館――黒川城には、天守はない。けれど、そこには主君・蒲生忠三郎の大いなる構想が秘められていると、加賀山隼人正は感じていた。
(この城は、やがて高く、美しくあろう……)
隼人正はそう思いながら、城の石段を登った。
隼人正はもと、高山右近の家来だった。十歳の時にルイス・フロイスより洗礼を受け、ディエゴの名を持つキリシタンとなった。右近が追放されたのち、蒲生家の召し抱えを受けたが、初めて忠三郎の姿を見たとき、どこか心の奥に響くものがあった。武辺一途な大名とは異なる、牧者のような、心に寄り添う気配。
忠三郎の奇妙な美徳に初めて触れたのは、戦のあとのことだった。
討ち取った首の数もさることながら、敵の兵糧庫を焼かずに確保した若武者が、その功を認められた。皆が金子か馬かと思っていたところ、忠三郎は言った。
「うむ、おぬしの名、まだ村名であったな? では今日より蒲生を名乗るがよい」
家臣たちは一瞬ぽかんとし、次に笑った。
「殿、またですか……」
忠三郎は悪びれもせず言った。
「名は魂。与うるに足る戦であった。惜しむべきは名ではなく、名に恥じぬ行いにある」
以来、戦功のたびに「蒲生姓」がふえてゆき、蒲生家には本家より蒲生姓の者が多いという、奇妙な一門が出来上がった。町人からは「蒲生の里」とまであだ名されたが、忠三郎は笑って気にも留めなかった。
そんなある折、前田利家が聚楽第の屋敷に立ち寄った際のこと。
「おぬしの元から来る者は、誰も彼もみな、蒲生を名乗る。これは如何なることか」
忠三郎はあっけらかんと答えた。
「戦功の褒美にございます。皆、志ある者ゆえ、我が名を授け候」
すると利家は、茶を噴きそうになりながら言った。
「ははあ、志ある者に与えるのは結構じゃ。が、蒲生の名は飴ではないぞ。珍しき苗字をこうも安売りしては、蒲生にあらざる蒲生が世に溢れて、道が混み合うわ!」
忠三郎は少し首をかしげ、笑って答えた。
「さればこそ、道に迷う者があれば、いずれ誰かの導きとなるやも知れませぬ」
利家はしばらく黙っていたが、やがて大笑し、
「……やれやれ、道理を説いても敵わぬお方よ!」
と、茶を置いた。
以後、利家はことあるごとに「蒲生殿の家臣は連枝かと思えば、名字だけの仮初めぞ」と冗談めかして言うようになったが、どこか羨ましげでもあったという。
そして、月に一度開かれる評定――その場において、隼人正は、あらためて確信した。
身分も年齢も問わず家臣たちを集め、思うところを述べよと忠三郎は笑って促した。ある者が声を震わせて「我らの知行が少のうございます」と訴えたとき、忠三郎は少し笑い、穏やかにこう言った。
「知行と情とは、車の両輪じゃ。どちらかが欠ければ、まことの道は行けぬ」
その言葉は、隼人正にとって新鮮だった。神を恐れ、民に仕え、誇らず、奢らず――その姿はまさに、キリシタンの中で語られる「よき羊飼い」の姿と重なる。
そして、あの夜のこと。
風の冷たさに、はや秋の深まりを感じるころ、隼人正はふと湯屋の煙に気付き、音もなく戸口に立った。中から笑い声が響き、湯上がりの家臣たちが楽しげに出てくる。
「殿が……今宵も自ら薪を割られ、湯を焚いてくだされた」
「これぞ蒲生風呂。湯とともに、志まであたたまるわ」
ひとりの家臣が、頬を赤く染めながらそう言ったとき、隼人正は戸をそっと開けた。
白い湯気の向こう、忠三郎が――まるで煤の霊でも出たかのような格好で、もくもくと薪をくべていた。
顔はすすでまだら模様、鼻の頭には灰がつき、髷の先には焚き木の小枝が一本、まるで飾りのようにくっついている。見れば、羽織の裾もところどころ焦げ、腕まくりの肘には小さな火の粉の跡。炭俵に腰をかけてはいるが、どう見てもくつろげてはおらず、眉間に皺を寄せて火加減と格闘中だった。
が、ふと気配に気づいたのか、忠三郎は振り返り――顔いっぱいにすすをつけたまま、にこりと微笑んだ。
「隼人か。湯加減は、如何であった?」
その瞬間、思わず声が漏れそうになった隼人正は、ぐっと唇を引き結び、深く頭を下げた。
大身となり、会津少将と呼ばれる主君が、自ら手を動かし、煤まみれになってなお、家臣のために湯を焚き、笑って迎える――その姿が、ある言葉と重なった。
「あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」
それはかつて、弟子の足を洗ったイエス・キリストの言葉。誰が一番偉いかと言い争う弟子たちに対してキリストは、偉くなりたいのであれば人に仕えよと、そう諭した。
武将でありながら、誰よりも低く伏して家臣の疲れを癒すこの人の姿は、まさにキリストの生き方と通じる。
(これが…会津少将・蒲生忠三郎…)
隼人正は知らず、膝をついていた。
ただ、深く、黙して頭を垂れた。
このお方に付き従っていきたい。いや、このお方のそばで、自らも人をあたためる者でありたい――そう思わずにいられなかった。
夜気は冴え、虫の声が遠く響く。黒川の城に灯る薪の炎は、ただ一夜の湯を温めるためのものではない。それは、厳しくもあたたかな国づくりの、第一歩であった。
そして、その火がともる城の奥で、もう一人、複雑な思いを抱いている者がいた。
成田甲斐。元は敵方の女武者にして、いまは忠三郎の側に仕える身――しかし正式な側室ではなく「側女」という曖昧な立場にあった。父はすでに蒲生家の家臣となっていたが、それでも甲斐の心は、いまだに居場所を定めかねていた。
忠三郎にどう接してよいか、わからぬまま日々が過ぎていた。武将としては誠に不思議な人だと、甲斐は幾度となく思った。強い。それは間違いない。采配も、剣も、そして心も――
戦場では矢玉をものともせぬ猛将でありながら、城に戻れば、人を遠ざけるようにひとり静かに過ごしている。誰に強いられるわけでもなく、茶杓を削り、和歌を詠み、居間に籠もって筆をとる。
その背を、甲斐は何度、障子の隙間からのぞいたことだろう。あまりに雅びていて、どこか近寄りがたい。いや、近づいてはいけぬもののようにさえ思われた。
ある晩、ふと目を覚ました甲斐は、ふらりと庭に出た。
月はあまりに美しかった。
澄み切った空に冴えわたる名月。雲一つない空を、まるで磨き上げた銀の皿のように、冷たくも気高く照らしていた。庭の草の露までもが銀に光り、遠くの山並みは薄墨の絵のように浮かんでいた。蝉の声も消え、虫の音だけが風にまぎれて聞こえる。
ふと、築地の陰に立ち尽くす影が目に入った。
(誰……?)
思わず足を止めると、それは忠三郎だった。
甲斐は息を呑んだ。月を見上げるその目から、静かに涙がこぼれていた。頬を濡らすそれは、声もなく、ただ夜風に舞うように光を帯びていた。
甲斐は、てっきり新たな国を得た喜びの涙かと思った。だが――
「……綿向山の月も、こうして冴えておった」
そのひと言で、甲斐はすべてを悟った。
かつて忠三郎が治めていた近江・日野。
織田の婿として約束されていたはずの未来を断たれ、故郷を去った男の、戻ることの叶わぬ地への、慕情と悔恨。
それは、今もなお彼の胸を静かに焼き続けているのだ。
白い装束の背は、月の光に照らされて、どこか儚げであった。
武門の誉れをまといながら、誰よりも孤独に耐えている背中。
その姿が、甲斐の胸を締めつけた。
声をかけることは、できなかった。
否、かけてはならぬように思った。
忠三郎は、誰にも、本当の想いを明かすことはない。人に見せぬ顔を、誰かに預けることも、きっと一生ないのだ――と。
ただ、風の音と虫の声のなか、甲斐は忠三郎と同じように月を仰いだ。
会津の空に浮かぶその月は、冷たく澄みわたりながら、どこかもの哀しく、人の世の寂しさを照らし出していた。
築地の陰で佇むその背は、何ものにも寄りかからず、ただ一人で夜を受け止めていた。
背を向けたままの忠三郎は、もう泣いてはいなかった。けれど、その沈黙のなかにこそ、甲斐は言葉にできぬ深い哀しみを感じた。
それは栄達の陰にひそむものではなく、決して誰にも埋められぬ、喪われたものへの悔恨だった。
綿向山の月は、もう彼の上にはない。
その代わりに照らすこの会津の月も、忠三郎にとっては、遠い異郷の光なのかもしれない。
どれほど人をあたためても、自らがその火にあたたまることのない男――。
成田甲斐の夜は、音もなく、静かに更けていった。
そしてその胸には、今はもう触れることすらできぬ、ひとつの悲しみが、そっと灯っていた。
黒川の城は、驚くほど質素であった。
かつて蘆名氏の居城として名を馳せたとはいえ、北国の出城に過ぎない。天守などなく、主郭も小さく、石垣は所々崩れかけている。堀は浅く、土塁も低く、会津四十二万石の居城としては、あまりに手狭だった。
だが忠三郎は、なにひとつ不満を口にしなかった。
むしろこの静けさを好んだ。霧の朝、風の通る昼、虫の声とともに沈む夕暮れ。山々に囲まれ、天を仰げば雲が遠く、ここには松坂では得られぬ静寂があった。
(まずはこの地を知ることだ。風を、土を、水の流れを)
忠三郎は焦らず、急がず、ただ心の内に一つの構想を秘めていた。
――この地にふさわしい城を築く。天守を掲げ、外敵を防ぎ、民の誇りとなる城を。
だが、それは急ぐことではない。まずは、人を得、領を治めること。それが第一と、忠三郎は心得ていた。
新たに与えられた四十二万石。松坂時代の三倍を超える大封を前に、忠三郎はまず、これまで家を支えてきた家臣たちの労をねぎらうことから始めた。
秋の澄んだ空の下、忠三郎は一人ひとりの家臣に紙を渡し、こう言った。
「これまでの働きを書き記し、望む知行を遠慮なく書いてくれ」
その数、百五十名を超えた。紙が集まり、合計してみると、百五十万石を優に超えていた。
忠三郎はそれを見て、大いに笑った。
「よいな。それだけの働きをしたと、そなたらが自ら思うておる証よ。では皆でよく相談し、どう分け合うかを決めよ。任せる」
その裁定を、関盛信をはじめとする重臣たちに一任した。皆、忠三郎の性格を知っている。結果、遠慮と配慮が重なり合い、揉めごともなく配分は収まった。
そして――忠三郎自身の取り分は、松坂時代とほとんど変わらなかった。
それを伝え聞いたとき、重臣たちは密かに頭を抱えた。
「殿、それでは新城の普請も、城下の整備も、薪代ひとつ払えませぬぞ……」
とはいえ、当の忠三郎は、庭の萩を眺めながら涼しい顔で言った。
「それで良い。まだ蓄えもある。武士の誉れは、懐の石高にあらず。生きざまにある」
「はぁ…」
問題はそこからである。
黒川城の御台所は、ほどなく火の車となった。薪代、塩代、井戸の修繕、橋の架け直し、すべてに銭が要る。御用金の話が出れば、忠三郎は「まず民を楽にせよ」と言って退ける。家中は苦笑しつつも、知行の分け前が公平であったため、大きな不満はなかった。
が――困ったのは、夜の一献である。
ある日、酒肴役のひとりが重臣にそっと耳打ちした。
「今夜の膳、味噌汁と梅干しだけでは……殿にあまりに忍びなく……」
その一言で、家臣たちは顔を見合わせた。
それ以来、重臣たちがこっそりと懐から袋を出し合うことが増えた。へそくり、小遣い、嫁の手前内緒にしていた銭。誰かれともなく、風呂場の裏に集まり、小声で囁く。
「まこと、殿のための湯と膳じゃな……」
「酒も一本、足しておこう。米の節約分で何とか……」
こうして、家中の『隠し銭』が集まり、酒肴はほんのり豪華になった。
忠三郎はその夜、ささやかな酒に目を細めたが、なぜかその場にいた皆が一様に目を逸らしていたことに気づいて、後にぽつりとつぶやいた。
「ふむ……家臣が賄いを案ずる家、というのも……如何なものであろうか」
この一連の噂は、いつしか「蒲生家の密酒騒動」として黒川の町人たちの笑い話となり、後には「蒲生の蔵は空っぽでも、心の懐は満ちておる」などと、どこか誇らしげに語られることとなった。
そんな蒲生家には、もうひとつの、奇妙な習わしがあった。
黒川の初秋は、目に見えぬほどの静けさをまとっていた。刈り入れ間近の田が朝露にきらめき、城の周囲を取り囲む山の稜線が、淡く煙る。城と呼ぶにはまだ質素なその館――黒川城には、天守はない。けれど、そこには主君・蒲生忠三郎の大いなる構想が秘められていると、加賀山隼人正は感じていた。
(この城は、やがて高く、美しくあろう……)
隼人正はそう思いながら、城の石段を登った。
隼人正はもと、高山右近の家来だった。十歳の時にルイス・フロイスより洗礼を受け、ディエゴの名を持つキリシタンとなった。右近が追放されたのち、蒲生家の召し抱えを受けたが、初めて忠三郎の姿を見たとき、どこか心の奥に響くものがあった。武辺一途な大名とは異なる、牧者のような、心に寄り添う気配。
忠三郎の奇妙な美徳に初めて触れたのは、戦のあとのことだった。
討ち取った首の数もさることながら、敵の兵糧庫を焼かずに確保した若武者が、その功を認められた。皆が金子か馬かと思っていたところ、忠三郎は言った。
「うむ、おぬしの名、まだ村名であったな? では今日より蒲生を名乗るがよい」
家臣たちは一瞬ぽかんとし、次に笑った。
「殿、またですか……」
忠三郎は悪びれもせず言った。
「名は魂。与うるに足る戦であった。惜しむべきは名ではなく、名に恥じぬ行いにある」
以来、戦功のたびに「蒲生姓」がふえてゆき、蒲生家には本家より蒲生姓の者が多いという、奇妙な一門が出来上がった。町人からは「蒲生の里」とまであだ名されたが、忠三郎は笑って気にも留めなかった。
そんなある折、前田利家が聚楽第の屋敷に立ち寄った際のこと。
「おぬしの元から来る者は、誰も彼もみな、蒲生を名乗る。これは如何なることか」
忠三郎はあっけらかんと答えた。
「戦功の褒美にございます。皆、志ある者ゆえ、我が名を授け候」
すると利家は、茶を噴きそうになりながら言った。
「ははあ、志ある者に与えるのは結構じゃ。が、蒲生の名は飴ではないぞ。珍しき苗字をこうも安売りしては、蒲生にあらざる蒲生が世に溢れて、道が混み合うわ!」
忠三郎は少し首をかしげ、笑って答えた。
「さればこそ、道に迷う者があれば、いずれ誰かの導きとなるやも知れませぬ」
利家はしばらく黙っていたが、やがて大笑し、
「……やれやれ、道理を説いても敵わぬお方よ!」
と、茶を置いた。
以後、利家はことあるごとに「蒲生殿の家臣は連枝かと思えば、名字だけの仮初めぞ」と冗談めかして言うようになったが、どこか羨ましげでもあったという。
そして、月に一度開かれる評定――その場において、隼人正は、あらためて確信した。
身分も年齢も問わず家臣たちを集め、思うところを述べよと忠三郎は笑って促した。ある者が声を震わせて「我らの知行が少のうございます」と訴えたとき、忠三郎は少し笑い、穏やかにこう言った。
「知行と情とは、車の両輪じゃ。どちらかが欠ければ、まことの道は行けぬ」
その言葉は、隼人正にとって新鮮だった。神を恐れ、民に仕え、誇らず、奢らず――その姿はまさに、キリシタンの中で語られる「よき羊飼い」の姿と重なる。
そして、あの夜のこと。
風の冷たさに、はや秋の深まりを感じるころ、隼人正はふと湯屋の煙に気付き、音もなく戸口に立った。中から笑い声が響き、湯上がりの家臣たちが楽しげに出てくる。
「殿が……今宵も自ら薪を割られ、湯を焚いてくだされた」
「これぞ蒲生風呂。湯とともに、志まであたたまるわ」
ひとりの家臣が、頬を赤く染めながらそう言ったとき、隼人正は戸をそっと開けた。
白い湯気の向こう、忠三郎が――まるで煤の霊でも出たかのような格好で、もくもくと薪をくべていた。
顔はすすでまだら模様、鼻の頭には灰がつき、髷の先には焚き木の小枝が一本、まるで飾りのようにくっついている。見れば、羽織の裾もところどころ焦げ、腕まくりの肘には小さな火の粉の跡。炭俵に腰をかけてはいるが、どう見てもくつろげてはおらず、眉間に皺を寄せて火加減と格闘中だった。
が、ふと気配に気づいたのか、忠三郎は振り返り――顔いっぱいにすすをつけたまま、にこりと微笑んだ。
「隼人か。湯加減は、如何であった?」
その瞬間、思わず声が漏れそうになった隼人正は、ぐっと唇を引き結び、深く頭を下げた。
大身となり、会津少将と呼ばれる主君が、自ら手を動かし、煤まみれになってなお、家臣のために湯を焚き、笑って迎える――その姿が、ある言葉と重なった。
「あなたがたの間では、そうではありません。
あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」
それはかつて、弟子の足を洗ったイエス・キリストの言葉。誰が一番偉いかと言い争う弟子たちに対してキリストは、偉くなりたいのであれば人に仕えよと、そう諭した。
武将でありながら、誰よりも低く伏して家臣の疲れを癒すこの人の姿は、まさにキリストの生き方と通じる。
(これが…会津少将・蒲生忠三郎…)
隼人正は知らず、膝をついていた。
ただ、深く、黙して頭を垂れた。
このお方に付き従っていきたい。いや、このお方のそばで、自らも人をあたためる者でありたい――そう思わずにいられなかった。
夜気は冴え、虫の声が遠く響く。黒川の城に灯る薪の炎は、ただ一夜の湯を温めるためのものではない。それは、厳しくもあたたかな国づくりの、第一歩であった。
そして、その火がともる城の奥で、もう一人、複雑な思いを抱いている者がいた。
成田甲斐。元は敵方の女武者にして、いまは忠三郎の側に仕える身――しかし正式な側室ではなく「側女」という曖昧な立場にあった。父はすでに蒲生家の家臣となっていたが、それでも甲斐の心は、いまだに居場所を定めかねていた。
忠三郎にどう接してよいか、わからぬまま日々が過ぎていた。武将としては誠に不思議な人だと、甲斐は幾度となく思った。強い。それは間違いない。采配も、剣も、そして心も――
戦場では矢玉をものともせぬ猛将でありながら、城に戻れば、人を遠ざけるようにひとり静かに過ごしている。誰に強いられるわけでもなく、茶杓を削り、和歌を詠み、居間に籠もって筆をとる。
その背を、甲斐は何度、障子の隙間からのぞいたことだろう。あまりに雅びていて、どこか近寄りがたい。いや、近づいてはいけぬもののようにさえ思われた。
ある晩、ふと目を覚ました甲斐は、ふらりと庭に出た。
月はあまりに美しかった。
澄み切った空に冴えわたる名月。雲一つない空を、まるで磨き上げた銀の皿のように、冷たくも気高く照らしていた。庭の草の露までもが銀に光り、遠くの山並みは薄墨の絵のように浮かんでいた。蝉の声も消え、虫の音だけが風にまぎれて聞こえる。
ふと、築地の陰に立ち尽くす影が目に入った。
(誰……?)
思わず足を止めると、それは忠三郎だった。
甲斐は息を呑んだ。月を見上げるその目から、静かに涙がこぼれていた。頬を濡らすそれは、声もなく、ただ夜風に舞うように光を帯びていた。
甲斐は、てっきり新たな国を得た喜びの涙かと思った。だが――
「……綿向山の月も、こうして冴えておった」
そのひと言で、甲斐はすべてを悟った。
かつて忠三郎が治めていた近江・日野。
織田の婿として約束されていたはずの未来を断たれ、故郷を去った男の、戻ることの叶わぬ地への、慕情と悔恨。
それは、今もなお彼の胸を静かに焼き続けているのだ。
白い装束の背は、月の光に照らされて、どこか儚げであった。
武門の誉れをまといながら、誰よりも孤独に耐えている背中。
その姿が、甲斐の胸を締めつけた。
声をかけることは、できなかった。
否、かけてはならぬように思った。
忠三郎は、誰にも、本当の想いを明かすことはない。人に見せぬ顔を、誰かに預けることも、きっと一生ないのだ――と。
ただ、風の音と虫の声のなか、甲斐は忠三郎と同じように月を仰いだ。
会津の空に浮かぶその月は、冷たく澄みわたりながら、どこかもの哀しく、人の世の寂しさを照らし出していた。
築地の陰で佇むその背は、何ものにも寄りかからず、ただ一人で夜を受け止めていた。
背を向けたままの忠三郎は、もう泣いてはいなかった。けれど、その沈黙のなかにこそ、甲斐は言葉にできぬ深い哀しみを感じた。
それは栄達の陰にひそむものではなく、決して誰にも埋められぬ、喪われたものへの悔恨だった。
綿向山の月は、もう彼の上にはない。
その代わりに照らすこの会津の月も、忠三郎にとっては、遠い異郷の光なのかもしれない。
どれほど人をあたためても、自らがその火にあたたまることのない男――。
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フィクションも混在しています。
また動画制作などを視野に入れてる為、脚本として使いやすい様に、基本は会話形式で書いています。
HPでは人物紹介や年表等、最新話を先行公開しています。
公式HP:アラウコの叫び
youtubeチャンネル名:ヘロヘロデス
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猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
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