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第一章 隣の部屋に住む人は

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 次の日曜日の午後。
 目雲周弥めくもしゅうやは部屋の片づけをしていた。
 その目雲の部屋に友人の宮前隼二郎みやまえじゅんじろうが呼びされていた。

「お前、チャイム押すのが怖いって、その子の方が怖いだろう」

 小学生の頃からの幼馴染である宮前は驚きと呆れを表情と声で表していた。
 段ボールを縛りながら、手伝う条件としてその訳を聞いていた宮前は、ゆきを自分が寝るまで呼び止めた理由に驚いていた。
 けれど目雲はそんな宮前を気にした様子はない。互いによく知る間柄であるからこその態度だ。

「そうだな」
「そうだなって、マジお隣で顔見知りでも通報事案だぞ。その子も面倒見良すぎだろ」
「放っておけなかったんだろう」

 それとなしにそういう優しい人だと伝えている目雲は宮前を少しも見ることなく、せっせと乾燥まで終えて放ったままになっていた洗濯物の山を片付けていた。

「そういう時は俺に連絡しろよ」
「パニックなんだから分かるわけがない」
「だったらその後だよ、少しマシになったら、女の子は帰して俺呼べば良かっただろ」

 はたと動きを止めて、宮前を見た。

「そうだな、あの時は考え付かなかった」

 宮前はこの普段は良識と平常心の塊のように暮らしている目雲がこうしてたまにおかしくなることに大きなため息を漏らした。
 けれど、それだけでとどまらず、からかいの虫の疼いた宮前は目を細めて口角だけ上げる。

「下心か」

 完全に手を止めて下種な笑みを浮かべる宮前を気にしたそぶりもなく目雲は作業に戻る。

「ただ頭が働いてなかっただけだ」
「でも今回は完全に下心だろ」
「お詫びをしたかっただけだ」

 目雲がいつも通り表情を変えずに作業している傍にいよいよ寄って行った宮前は隣にしゃがみ込んで目雲の肩に腕を回して顔を寄せる。

「お詫びって、その子掃除しに来ることになってんだろ」

 お詫びする人間を呼んで掃除させるなんて普段の目雲なら絶対にしないと宮前は確信をもって言えた。
 恋愛に対してこれまで受け身でいることしかなかった目雲が変な手段を取るのも考えづらかった。慣れずに異常になるほどならそれはそれで宮前には微笑ましいが、目雲の性格を知っているが故に、積極的になるならもっと真正面から行くか用意周到な手段を取るか。駆け引きだなんだなんて面倒なことはせず、恋を楽しむなんて思考もないはずだった。

 だからこそ、部屋に呼びたい理由を追及しているのだ。

「結果的にそうなっただけだ」

 目雲はすべてを端折って、簡潔にまとめた。
 だから宮前は一転キレた。
 そして畳まれ積まれた洗濯物の塔の一つを叩く。

「だけだ、だけだ、って。それでなんで今掃除してんだ、俺にまで手伝わせて」
「あまりに汚かったら失礼だろ」

 眉間にやや皺を寄せたもののあまりに冷静に返され、ますます宮前のボルテージは上がる。

「掃除しにくるんだろ! それとも掃除するってのは口実で、全然掃除しないで別の事考えてるタイプの子なのか?」

 これにはさすがに気分を害した目雲も手が止まる。

「違う」
「じゃあなんで掃除する? お前変なもんでも隠してんのか?」
「隠してない」

 そしてまた宮前は大きなため息を一つ。

「はあ。結局お前の下心だろ」

 宮前だって友人を助けてくれたまだ見ぬ親切な女性を心の底から疑っているわけではない。けれど、親切だからこそ疑わずにいれない事情もあるから、目雲の心情が気になるのだ。

 小学生からずっと目雲の人間関係、今回は特に女性関係を知っているからこそ、目雲に寄ってくる女性にはあまり良い印象を持っていない宮前がそこに目雲がどんな気持ちを持っているのかで自身の対応も変わるのだ。
 応援するべきか、静観するべきか、反対するべきか、いっそ妨害までするべきなのか。
 宮前には目雲が大きく体調を損なうまで何もできなかった苦い過去の反省があるからこそ、そこを見極めずにいられなかった。

 目雲の方も普段とは違う自分を感じていて不安が珍しくあった。

「そう思うか?」

 自覚としては下心は本当にない。けれどそれは目雲の感情であって傍から見るとどうなのだろうかと分からない部分でもあった。

 そもそも部屋は自分で片付けて綺麗になるからと食事にだけ誘うつもりだった。次で会えたら言おうと思ってはいたが、いざその時が来るとそれをどう言葉にすれば深読みされずにお礼のためだけだと伝わるだろうかと考えている間に、ゆきが先に思わぬ提案をしてくれたのだ。

 とんでもない迷惑を掛けた自覚はありすぎるくらいあったが、過度なお礼は余計に迷惑だろうとゆきの人柄を思い、形の残らない物にしようとあれこれ考えたが適当な物が思い浮かばず、なによりすでに菓子折りを渡してしまっていた。ならば食事はどうだろうかと考えた。ただ外食ではそれこそ下心を疑われるかもしれないと目雲でも感じ取って、だったらもう何度も家に来てもらっているのだから、自分で作って出してしまえば手ごろなお礼になるだろうと思い至った。
 自分では考え抜いた答えだったが、他人からすればどう見えるのか知りたい。

 だからこそ宮前に確認したのだが、言い募る宮前本人が、なぜか突然及び腰になる。
 宮前としてはまだ判断材料がなさ過ぎて応援も反対もできないだけだったのだが、目雲のこれまでにない行動をそんな理由で止めることもしたくなかった。

「いや、まあ、別にその子が嫌がってないならいいんじゃないか」

 嫌がるも何もゆきは本当に真剣に掃除だけする気なのだと目雲は分かっていた。ゆきの方こそ全く下心がないことは目雲はどうしてだか確信できてしまっていた。
 だから宮前が前提としている関係性をお互い視野に入れていないことを理解させるのを諦めた。

「別に何もしない」
「しないのか?」

 宮前のこれは、どうせ今まで通り目雲が完全否定前提の質問だった。
 もし良い雰囲気なら、少しくらいアクションを起こしてもいいという冗談半分のからかいを含めた疑問だったのだが、目雲は別方向で正直に答えた。

「よければ夕食を食べていってもらう気はある」

 迷っている間にゆきに先に申し出てくれたその案に乗ることで、当初の目的も達成しようと目論んでいた。
 からかっていたはずの宮前が真顔で押し黙ると、じっと真剣な顔で目雲を見つめた。
 目雲が訝しがる。

「なんだ」
「なんか良かったよ、そんな気持ちになってくれて」
 妙に感慨深くされて居心地の悪くなった目雲は視線を逸らす。
「別に深い意味はない」

 宮前はそんな目雲も含めて胸が熱くなっていた。

「周弥さ、たぶんいろいろ限界だったんだよ。自覚はないみたいだけど、ここ何年も下手したら十年近くだぞ、お前相当頑張ったよ。だから、神様がご褒美くれたんだ」

 宮前が言った言葉に目雲は思わずは反応せずにはいられなかった。

「……ご褒美」

 ご褒美と言う言葉が彼女の言葉でリフレインした。

「お前を二回も助けてくれたのがその子で本当に良かった。お前をこんなに元気にしてくれて」

 柄にもなく真面目に語る姿が怪しく、目雲の眉間に皺が寄る。

「どうしたんだ」
「だって、他の誰かだったら絶対お前ずっと落ち込んでたはずだ。もっと無茶して入院するほどひどくなってたかもしれない。メンタルの方が崩壊してかもしれない」

 少しは自覚がある目雲は黙っていた。

「お前の性格で、そんな風に助け求めたり甘えたりできなかったと思うんだよ。特に最近の周弥はさ、俺にだって弱ってる所見せるの嫌で遠ざけてただろ」

 痛い所を突かれたと目雲も宮前のやたらと思いやる言葉を誤魔化すことはできなかった。

「悪かった」
「別にいいよ、俺はお節介だからお前が嫌がってもグイグイいくし。そろそろ何とかしないとって思ったところに先に救世主が現れてくれたんだから、ちょっと放っておいて良かった」

 笑いながら肩をバタバタと叩いてくる宮前を見る。

「救世主か」
「女神の方がいいか?」
「どちらでもいい」

 宮前は思い切り目を丸くした。

「ほら! そんな風に否定しないところ。よっぽど信頼してるのか、安心できる存在になってるのか。会ったばっかりなんだろ、助けられたとはいえ何でなんだ?」

 目雲にしても思いつきで行動していて自分でもおかしいとは思っていた。
 改めて考えてみても、申し訳ない気持ちになるのに、どうしてだか彼女の笑顔が思い出された。
 ただ考えるとふと言葉が漏れた。

「楽しそうだった」
「聞きようによっては、その子相当なサイコパスだぞ」

 眉を下げる宮前が言っている意味が今回の騒動中にそうだったと受け取れるということを分かって、訂正する。

「苦しんでる俺を見て楽しそうだったわけじゃない」
「だろうな、そんな怖い人がお前のタイプだったなんて知りたくないし」
「違う」

 目雲が否定すれば宮前は笑う。けれど、ふざけながらも話題を逸らすつもりは無いようで、質問を続ける。

「じゃあ何が楽しそうだったんだ?」

 思い返す目雲の脳裏にはゆきにドアの前で挨拶をされてからの三カ月間の光景があった。

「引っ越してきてから見かける姿がどこか楽しそうだった」

 自分の仕事帰りにごみを持つゆきと廊下ですれ違った時や、駅までの道でコンビニに入るゆきを見かけた時、本当に偶然でゆきに気付かれていなことも多々あった。
 気が付いて挨拶されることもあればただ見かけるだけの時もあり、それも本当に数えられるほど少ない機会だった。
 それでも印象に残るくらいにはゆきの姿は目雲にとって鮮烈だった。

「お前、それってずっと気になってたってことか?」

 前のめりになってくる宮前に、また面倒くささを感じ始めた目雲は手を動かし始める。

「気になるではなく、不思議だと毎回思っただけだ」
「それを気になってるというんじゃないか?」

 言いながら宮前も服を畳み始めた。

「迷惑を掛けたからお詫びしたいだけだ」
「はいはい。なんでもいいよ。別に変な子じゃなきゃ」

 目雲の方の印象は今までにないくらい素晴らしいものになっていても、果たしてそれが真実かは宮前はまだ疑っていた。

「そんなことは微塵もない」

 目雲はその疑念に首を振る。ただどうしてそこまで裏を考えずにいられるのかは自分でも分かっていなかった。
 あまりにもはっきりとした否定に宮前はまた目を丸くしたが、その直後笑みを深くして目雲の肩を叩いた。

「良い子なんだな、頑張れよ」
「だからそういうのじゃない」
「ちゃんと掃除も手伝ってやる」

 それはそうだと目雲も頷いた。


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