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第一章 隣の部屋に住む人は

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 夜七時前、お伺いのメッセージを目雲のスマホに送ってから、ゆきはチャイムを押してやってきた。
 当然のように出迎えた宮前にもう驚くこともなく玄関を抜けたゆきはその先のダイニングテーブルに広げられた光景には驚かされた。

「まだ誰かいらっしゃるんですか?」

 クツクツと小さな音を立てる蓋をされた土鍋以外に、色とりどりのつまみだろう料理がいろいろと並べられていた。

「来ないよー、三人」

 隣に立った宮前をゆきが見上げる。

「それにしては料理が多い気がするのですが?」
「なんか周弥が鍋の他にもいろいろ作るからさ、余ったら持って帰ろうね。お菓子も買ってあるし」

 宮前を見上げて困惑を示しているゆきの横に目雲が大皿を両手にやってきた。

「ゆきさんとりあえず座ってください、ショールはハンガーに掛けておきますか?」

 大皿をテーブルに置いた目雲が、空いた両手で椅子を引くと受け取りますよと言うように少し手を差し出してくれている。
 流石に隣だからとコートも着ずに普段着にいつもの厚手のストールだけを肩から掛けてきていた。

「ありがとうございます」

 さらに増えた料理に驚きを隠せないながらも、ゆきは引かれた椅子に座りショールと言うには少しお洒落さに欠けるそれを肩から取り差し出された手に渡す。受け取った目雲はきちんと畳むとハンガーへ掛けに行った。
 ゆきが促された席は前回と違い、いわゆるお誕生日席で宮前は対角の前回ゆきが座ったキッチンカウンターと対面する位置に座った。

「そういえば自己紹介もしてなかったよね。俺は宮前隼二郎、三十三歳、独身です」
「篠崎ゆきです、えっともうすぐ二十六歳です。私も独身です」
 つられて同じようにゆきも自己紹介をした。
「ゆきちゃんって勝手に呼んじゃったけどいい?」
「はい、もちろん」

 それから宮前は初対面で失礼なのは承知でと前置きをした。

「ゆきちゃん彼氏は? ほらお隣と言えど一応男二人のところに招いちゃったからさ。変な意味じゃなくて、もしいたら怒られたりするかもじゃん」

 彼氏という言葉にゆきは遠い目をした。

「残念というべきなのか、縁遠い存在ですね、彼氏」
「え、結構いない感じなの?」
「そうですね、もうしばらく恋さえ本の中の出来事ですよ」
 料理を前に大人しく座っているゆきに宮前は笑いかける。
「へぇ、そうなんだ。ちなみに俺は恋人いるから心配いらないからね、そこは誠実な男だから。周弥は彼女いないけど、ただの誠実だから安心して」
「あ、そうなんですね」

 ゆきの反応を宮前はきちんと読み取った。

「それは周弥に対しての驚き?」
「えっとその……」

 下世話な想像だったのでゆきは言い淀んだ。

「なになに?」
「ベッドが大きかったのと枕がちょっと多かったので、一緒に寝るお相手がいるのかなと少し思った部分もありまして」

 もしくは別れたばかりか、とはわざと言わなかった。
 二人で食事をした辺りからお付き合いしている人はいないからかなとはゆきも察してはいたけれど、だからこそ思ったのだ。
 まさか失恋のショックでボロボロになっていたとまではゆきも思っていなかったが、人にはいろんな事情があるのは百も承知なので、何に重きを置いて暮らしているかなんて他人のゆきが気にするのも失礼だと、それを聞き出すつもりも勿論ないからだ。

「あれはねぇ、ただ睡眠の質の向上を図っただけなのと、背が高すぎるが故の結果だから」

 宮前が笑うが、ゆきには盲点だった。

「身長! 一般的なシングルサイズでは狭いんですね」
「そうそう、それに寝返りにストレスがない方が睡眠の質も上がるんだってさ。だから縦にも横にも広いんだよ。枕も日によってしっくりくるのが違うとかで四つもあるんだよ。全部周弥の体調改善の一環だから」

 そんなに幸せな理由ではないと笑う宮前に、ゆきは労わりの表情を浮かべる。

「目雲さんの苦労が寝具にも表れてるなんて、試行錯誤されてるんですね」
「まあ、結果は伴ってないけどね、本当に彼女と幸せ空間だったらいいのにね」
「隼二郎、変なことを聞くな、言うな。すみません、ゆきさん」

 キッチンからやってきた目雲はゆきにおしぼりを渡してくれた。

「いえいえ、ありがとうございます」
「じゃあとりあえず乾杯しようよ、お酒もいっぱい買ってきたから遠慮なく言って。チューハイ? 梅酒? ハイボール? クラフトビールもあるよ」

 宮前が指を折りながら酒の種類を紹介する。

「本当にいっぱい用意してくれたんですね、弱めの物ならなんでも大丈夫なんで適当に」
「だって周弥」

 聞いておきながら丸投げする宮前を無視して、目雲は改めてゆきに聞いた。

「甘い物の方がお好きですか?」
「どちらかと言えば」
「じゃあフルーツのチューハイをいくつかお持ちしますね」
「俺ビール」

 目雲がテーブルにいくつかの缶を並べると宮前は自分の分を取り、ゆきも一つ飲みなれた物を手に取った。すると目雲がそれを受け取り、グラスに注ぐ。

「どうぞ」
「ありがとうございます、目雲さんお酒は?」

 アルコールも制限してる可能性を考えたゆきだったが、目雲はそのゆきの言葉を以前の失態を思い起こして静止してるのではなく、体調管理をしている目雲への気遣いだと正しく受け止めた上で自分用にビールを持ち上げた。

「今日は少し飲もうと思っています」

 その返答に宮前が少し眉をあげたが、ゆきも目雲も気づかなかった。
 目雲がそういうならとゆきはニコリと笑った。

「じゃあ注ぎましょうか?」
「ゆきさんは今日はお客様なのでくつろいでいってください」

 すぐに宮前が声を上げる。

「俺は?」
「お前は違うだろ」
「えー冷たい」

 そういいながら、すでに宮前は自分で目雲が持ってきたグラスに注いでいた。

「じゃあ、ゆきちゃんの歓迎会ってことで」
「そうなんですか?」
「そうそう、ということで、これからよろしく! かんぱーい」
「かんぱーい」
「乾杯」

 軽く三人でグラスを当てて、小さく軽やかな音がした。
 ゆきはひと口。
 宮前は一気に煽り、目雲は少し飲むとすぐ鍋の蓋を開けた。

「わぁ」

 湯気の後に現れた光景に思わずゆきは声が漏れる。

「おお、良い感じじゃん」

 シンプルな寄せ鍋のようでいて彩豊かな具材が所狭しとぐつぐつ煮えていた。

「お取りします」

 目雲がもう隙もなくもてなすので、ゆきは微笑みながらも頭を下げる

「本当に何から何まで、すみません」
「いいのいいの、周弥はこういうの向いてるから」
「お前が言うな」

 目雲は取り分けた器を、そっとゆきの目の前に置いて熱いから気を付けてくださいと言葉と添えた。

「いただきます」

 手を合わせてから、湯気の立ち上る器に箸をいれ、慎重に口に運ぶ。

「熱いですけど、美味しいです」
「ゆっくり食べてください」

 ゆきを気にしながらも目雲はちゃんと宮前の分も取り分けている。

「お二人は仲が良いんですね」

 ふうふうと冷ましながらゆきが聞くと、宮前が笑う。

「そうそう、俺たち幼馴染なんだ。小学生くらいからの」
「腐れ縁です」

 きっぱりと言い捨てる目雲に宮前は笑う。

「ゆきちゃんは一緒に住んでるお姉さんとはお友達?」

 ちゃんとルームメイトだという認識をしていることも目雲と宮前が情報共有を細かくする関係なのを伺わせた。

「そうです、大学生の時に働いていた居酒屋さんに来ていた常連の方だったんです」
「へぇ、そんな出会いもあるんだね。よく来てたから仲良くなったの?」
「そんな感じです」

 そんな風に宮前とゆきが食べながら話している間も、目雲は自分も少しは食べながらだがゆきのために取り皿に少しずつ料理を盛り付けて置いていた。

「ありがとうございます、前も思いましたけど、目雲さん綺麗に盛り付けますね。私ではちょっとこうはならないんです」
「適当ですよ」
「適当でこれならセンスありすぎですよ」

 ゆきの驚きに宮前が考察を加える。

「こいつたぶん写真で見た物とか再現したり応用したりする能力が高いんだよ、だから料理本とか載ってるの見ただけで無意識に同じようなことできるんだ」

 宮前がグラスを持った指で目雲を指しながらそのついでと言わんばかりに口に運んでいる。

「すごい能力ですね、見ただけで理屈とか構造が理解できるってことでしょうか」

 ゆきは取り分けられた皿をまじまじと見つめる。

「そうそう、それそれ」

 宮前が頷くのを見ながら、ゆきが一つ食べる。

「それは周弥が作ったやつ」
「おいしいです」
「俺も食べよ」

 宮前の皿にも目雲が盛り付け、ゆきと二人でそれを食べ進める。
 皿の上の全種類ととりあえず摘まんだゆきは感嘆した。

「そして全部おいしいです」
「買ってきた物もありますから」

 目雲の謙遜に余計にゆきは目を丸くした。

「どれがそれか見分けがつかないところが、もうちょっと凄すぎです」
「だよねー、もはや怖いよねー」
「そこまでは言ってませんよー」

 さっきはうっかりだったが、今度は意図して真似た。仲良くなるためのではなく、処世術として近しい雰囲気を出しつつ距離感を測っていた。

「あははは、また真似してる」

 そしてゆきは全く同じことを宮前もしているのだと分かっていた。
 大笑いする宮前に、わざわざ頬を膨らませて抗議する。

「今のはわざとです、宮前さんが意地悪言ったからですよ」

 それを見てますます笑う宮前に目雲が睨むが、ゆきの冗談が分かる宮前はもう少しゆきの反応を楽しむ。

「それは本心ではちょっと引いたって自白してるみたいだよぉ」
「引いてません。本当に尊敬しただけですからね、目雲さん」

 表情を一変させてゆきはにっこりと目雲にフォローを入れた。

「はい、ありがとうございます」

 少しだけ微笑んだ目雲は、ゆきの空いた皿にまた料理を取り分ける。
 ゆきは確実に箸が進んでいた。宮前も酒が進んでいる。
 ゆきが目雲に料理の事を聞いたり、それに答えながらゆきのグラスが空かないようにする目雲と自分にもと要求しながら買い物での出来事を話す宮前とで、わいわいと話は盛り上がる。

「それにしてもよく周弥がめまい起こしてるって分かったね」

 目雲が注ぐグラスをゆきは両手で支えながら、宮前の質問対する適切な言葉を探して少し視線を天井に上げる。

「私の母が少し、体が弱い、病気がち、おっちょこちょい? なんです」
「最後だけ違わない?」

 宮前の笑いながら眉を寄せる質問に、ゆきは目雲に会釈してひと口飲んでから、説明する。

「性格と体が対応してないんです。すごく元気で明るい人なんですけど、それに体が付いていけてない感じで。寝込んだり貧血起こして倒れたり、すぐ火傷とか指切ったりとか、今のところ大病してないことだけは凄く有難いんですけど」
「看病し慣れてるんだ」

 宮前の言葉にゆきは首を振った。

「素人なんで普段だったらとにかく病院に行くことを勧めるんですけど」

 宮前が続く言葉を拾う。

「周弥は病院だけはちゃんといってるもんな」

 子供に諭すように目雲をのぞき込む宮前に笑いながら、ゆきも頷いた。

「比較的日付の近い処方薬もありましたし、言われなくてもしっかりとされてるんだろうと思って」

 目雲に他人の忠告は不要だとゆきは感じたままを宮前に伝えた。

「しっかりし過ぎだとも思うけどね、真面目な人の方がストレス抱えやすいって聞くでしょ?」

 宮前がグラスを片手に、空いた手で頬杖をついて胡乱な目を目雲に向けている。

「私がずぼらなので、凄いなって思いますよ」

 それは正直な感想だった。几帳面さのないゆきは楽をするための方法を日々模索している。楽をするための努力という謎の矛盾と共生していた。




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