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第二章 車内でも隣には

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 目雲がゆきを呼び出した次の週。
 職場である建築事務所のフリースペースで自作の弁当を食べていた目雲の横の席に女性が座った。
 十人での会議でも使用可能なテーブルに今は目雲だけがいたのだから、隣に座るというのは目的があるように感じるが、目雲とこの瀬戸口ひろ子は事務所の先輩後輩の間柄でひろ子の方が先輩で気心の知れた仲だった。

「お疲れ目雲」
「お疲れ様です、今戻りですか」
「打ち合わせが結構掛かっちゃって、今日も自分で作ったお弁当? 先週までとは大違い。頑張るね」

 特に返事はせず頷くだけの目雲の隣りでテイクアウトのボックスランチを広げるひろ子が、目雲の前に置いてあるタブレットに目をやる。

「なに、車? 買うの?」
「はい」
「前はいらないって言ってたのに。どんな心境の変化?」
「便利ですから」
「それは今も昔もずっとそうよ。え! 彼女でもできたの?」

 突然目をきらめかせ始めたひろ子を気にする目雲ではないので、変わらず食事を続けながら淡々と返す。

「はい」

 ひろ子はほぼ冗談で言ったことに肯定が帰ってきたことに思いっきり目を丸くした。予想では冷たい視線か呆れたため息か、彼女ができていてもはぐらかされると思っていたのであまりに素直な返事にも驚く。
 ただすぐにひろ子は満面の笑顔になった。

「えぇ! おめでとう! そっかぁ、それで車ね。変われば変わるものねぇ」

 目雲が無言で頷きつつ、また新たな車種の検索し、箸を動かしながら詳細を読み込む。

「何か決めてるの?」

 ひろ子がランチボックスを手に持ち乗り出すように画面を見る。

「今は調べているだけで、決めている物はありません」
「SUVにしてよ」

 突然の提案に目雲もひろ子の横顔を見る。

「はい?」
「で、キャンプ行こうよ! 私の家族と一緒に」

 ひろ子が目黒とテーブルの間に体を割り込ませ、プラスチックのフォークを指に挟みながら、タブレットに打ち込んでアウトドア向きのそれらの車を表示させる。

「なぜですか?」

 体勢を元に戻したひろ子がフォークをボックスに差し込みながら目雲を見る。

「あ、別に乗せてって言ってるんじゃないのよ。うちはうちの車で行くから。とにかくみんなでキャンプしたいのよ。やっぱりキャンプと言ったらSUVでしょ?」

 なぜそんなに推してくるのか分からない目雲はひろ子が余程好きな車なのかと推測する。

「他の車種でも行くことは可能だと思いますが、瀬戸口さんもSUVに乗ってるんですか?」

 ひろ子は視線も食事に戻しパクパク食べ進めながら、目雲の質問に答えた。

「うちは子供もできたし、車中泊まだできないけどお昼寝くらいはできるようにミニバンよ」

 どうやら色々な理由があってひろ子がそれを愛車にすることは叶わなかったことは分かった目雲は、それほど欲しいならと目の前の情報を提供する。

「SUVにもいろいろあります、大きさも金額も色々です」
「そこはいろんな兼ね合いがあって、私の一存ではね。通勤で使うわけでもないし、車が趣味ってわけでもないから、二台目買うのも現実的じゃないし、私はキャンプがしたいのよ」

 キャンプの部分を強調して目雲に向けていい笑顔をするひろ子に、目雲は相変わらずの無表情で告げる。

「そもそもキャンプをしたいとは言ってません」

 そこに後ろから声がした。

「あ、ひろ子帰って来てるじゃん。出先で食べてきちゃったよ」
「お疲れ様」
「お疲れ」

 瀬戸口朋一、目雲の年下の同期で、そしてひろ子の夫だ。

「何の話で盛り上がってたんだ?」

 コーヒー片手に目雲の後ろに立つ。
 ひろ子が掻い摘んで説明すると笑った。

「出た、ひろ子のキャンプ好き。しかも大人数でやりたがるんだよね」
「楽しいでしょ? それにファミキャンもしたいと思ってるし、ソロは前に、禁止されただけだし」

 ひろ子がまだ朋一と付き合う以前、何度か不快なことがあったと愚痴ったことを覚えてていた朋一が付き合うことになったときに、キャンプに行きたくなったら自分が必ず付き合うからとひろ子一人で行くことを止めたのだ。
 ひろ子も一人で行くことにこだわりがあったわけでもなく、朋一も宣言通りひろ子が行きたいと言えば付いてきたので、約束を破る気はない。

「最近行けてないから余計だろ」

 後ろと横とで話し始めた二人をそのままに目雲の黙々と食事は続けていた。

「もうそろそろいいでしょ? 今はいろんなところあるから、道具とか本格的に揃えなくてももっと簡単に楽しめるところに行けばさ、テント泊じゃなくてもいいし。小さい子もオーケーなところとか、温泉あるところとか」
「そうやって目雲にプレゼンしてんのか」
「だってこんなチャンスないでしょ。前だったらキャンプなんて誘っても即答で却下されてたけど、彼女ができたからって車買おうとしてるんだよ! キャンプだって行くって言うかもしれないじゃない」
「そんなにキャンプ人口増やしたんか」
「キャンプ仲間を増やしたいの」
「でも目雲とキャンプってなんか楽しんでるところを想像できない」
「まあはしゃぎはしないだろうけど、ハマったらとことんやりそうじゃない」
「そうなるとそれこそソロキャンとかになってくんじゃないか?」
「一緒に行ってくれなくなるって? そんなことないよね、たまには一緒に行ってくれるよね?」

 急に振られた話題だがきちんと聞いてはいた目雲は食べ終わった弁当箱を片付けながら答えた。

「車を買うだけです」
「そうだぞ、目雲は車を買うって言ってるだけだ」
「だからキャンプに誘ってるの」

 朋一は首を傾げ、何とも訝し気な顔をする。

「車買うとキャンプに行くようになるのか?」

 その疑問には答えず、ひろ子は頷きながら時計を見た。

「そうそう、あぁ、もっと話したけど、仕事しないと。とにかくキャンプ考えてよ」

 あっと言う間に片付けて自席に戻っていったひろ子を見送ったあと、その席に朋一が座った。

 キャンプと車が結びつくものではないと分かっていながらも、ひろ子は主張するだけして上手く逃げたなと残った二人は思ったが、退勤時刻に制限があるので時間に追われていることも事実だった。
 子育ての事情なのでそれは朋一も一緒なのだが、事務所に戻ったばかりだからか目雲と親しい自負のためかまだ居座る様子だった。

「弁当作り出したのも節約するためだったり?」
「関係ない」

 水筒を横にタブレットをさらに真剣に見始めた目雲に気にせず朋一は話を続ける。

「だよな、じゃあ今更なんで自作の弁当?」
「健康管理のためだ」

 テーブルに片肘を付いて目雲を少し眺めた朋一は改めて聞いた。

「なあ、本当は何で車欲しくなったんだ? マンション売ったからか?」
「それは関係ない」

 朋一の眉間の皺がより深くなる。

「じゃあマジで彼女? 彼女が車買ってって?」
「言われていない」
「車ないと不便なとこに彼女住んでんの?」
「そうでもない」
「じゃあ絶対必要なわけじゃないのに? なんで?」

 目雲はタブレットから目を離し朋一を見て、存外真面目な顔をして茶化しているわけではないと分かった。
 だからこそ純粋な疑問として口が動いた。

「どうしてそんなに聞きたがるんだ」
「目雲はそういうタイプじゃないから。彼女に見栄張りたいとか思わないだろ」

 これも真面目なトーンでどこか心配も滲んでいるようだった。
 そんなだから目雲も自分のことを思い返して言葉が漏れる。

「見栄か」

 それが否定的に聞こえなかった朋一は身を引いて僅かに驚く。

「そうなのか?」
「違う」

 あっさり覆されて力が抜けてずるずるとテーブルに額だけくっつけて突っ伏した。
 やや子供っぽい様な動作はいつものことなので、目雲は気にも留めずタブレットに戻る。

 目雲のそんな態度もいつものことなので朋一もめげない。姿勢は変えずにぬるりと顔だけ動かして頬をテーブルにつけたまま目雲を見上げると、すねたように唇を尖らせた。

「じゃあなんだよ」

 ゆきに思わず電話をして迎えに行くタクシーの中で、この先どうなるのかも分からない中で、ただ思ったことを口にした。

「会いたい時に会いに行ける」

 躊躇いなく告げられたことを、すぐに咀嚼できなかった朋一は瞳だけ少し逸らして考えた。
 数秒後、今日一番の驚きに目を見開いた。

「マジ?」
「嘘の方がいいのか?」

 朋一は数度の瞬きをしてのけぞるほどの勢いで体を起こした。

「え、ガチ?! うわぁガチか、すげぇ」

 急にテンションを上げた朋一を今度は目雲が訝しむ。

「なんなんだ」
「どんな子なんだその子、なあ、会わせてくれよ」
「どうしてだ」

 唐突で必要性が全く感じられない要求に目雲は眉間に皺を寄せる。

「この目雲にいつでも会いたいと思わせる人なんて気になりすぎるだろ」
「気にしなくていい、あといつでもとは言ってない」

 けれど目雲の言葉などもう朋一は聞いていなかった。

「いや、バーベキューしよ! 車買うまで待ってられない、ひろ子もウチの子も喜ぶだろうから、まずバーベキューしよう」
「まずも何もない」
「いいだろ、それこそキャンプするって言ってんじゃないんだから。二人は何の準備もしなくて大丈夫、こっちで全部やるから」
「聞いてみないと分からない」

 はっきり拒絶しなかったのは、ゆきがもしかするとアウトドアも好きかもしれないという考えが頭をよぎったからだ。嫌いだと言われればその時はっきり断ればいいと、一旦ゆきに尋ねてみようと、朋一の提案を保留にする。

「何としても承諾をもぎ取ってこい」
「無理強いはしない」
「彼女最優先ってか、いいねぇ。もっと会いたくなった、絶対誘ってこい」
「都合が付かなければ参加はない」

 行くか行かないかは完全にゆきの判断に任せようと思っているので、目雲は断る余地もしっかりと確保しておく。

「分かった分かった、取り敢えず誘うだけ誘ってみろって」
「聞いてみるだけだ」

 時計を確認した目雲は荷物を持って立ち上がる。

「最悪バーベキューじゃなくてもいいからな」

 朋一も立ち上がり歩き出した目雲についていく。

「バーベキューはついでか」
「それだとひろ子が喜ぶからな。でも会えたらとりあえずいい」
「会ってどうするんだ」
「目雲がそこまでのめり込む子なんて気になるだろ、話しするだけだって」
「そうすることに意味があるとは思えない」
「いいだろー、取り敢えず聞いてみろ」

 自分のデスクに着いた目雲はもう返事も頷きもせず、仕事に戻り朋一を追い払った。




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