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第二章 車内でも隣には

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 曇った感情を何とか隠してゆきの元に戻り、日が沈むのもすっかり早い時間になっているため空が暮れだして寒さが増す前に早めに牧場を出て、家の近くで夕飯を食べていこうと話した帰りの車の中。その話の勢いのまま目雲はゆきに予定を聞く。

「ゆきさんは今年も年末年始はご実家ですよね」

 黙っていることもできたし、兄の言葉を無視することもできた。
 いつも通り一人で行くこともできた。
 けれど目雲はゆきとは今だけの関係で居たくなかった。兄に言われたように、将来を見据えているなら始めから関係を拗らせるのはゆきに申し訳ない思いもある。自分と両親との確執にゆきは全く無関係だからだ。

 それなのに、自分が頑なになることでゆきの印象が悪くなるのは避けるべきだと思ってしまう。正月に集まるのは兄一家も弟一家もだからこそ、今後会わせる時に変な先入観を持たれたくもない。

 でも会わせたくない。
 だからゆきに譲れない予定があればと、姑息な考えが口に出ていた。

「その予定ですけど、何かありましたか?」

 少し先のことをわざわざ聞かれたので察しの良いゆきが気付くのは必然だった。

「いえ、それなら」

 上手く断る口実を探したかった目雲だったが、ゆきの方が柔軟だった。

「変えることもできますよ」

 チラリとにこり微笑むゆきを見て、目雲はたっぷりと逡巡したのち、信号で止まったタイミングでゆきの方を向いた。

「少しだけ、ご相談があります」
「何でしょうか?」

 ゆきの軽やかな雰囲気に、目雲の口調は逆に重くなる。

「一月三日、僕の実家に行くというのは可能でしょうか」
「可能ですよ」

 ゆきは至極あっさり答えたので、目雲の方がすこし焦る。

「あの、予定があればそちらを優先してもらっていいんです」

 信号が変わり走り出す。
 目線が前からほぼ動かせなくなった目雲は、じっとゆきの声色に気を配る。

「今のところ三日に予定はないので、ちょっと早めに地元から戻ってくることはできますよ。それに何か理由があるから実家に一緒に来てほしいのかなって」

 ゆきがすぐに返事をしたのはそれだけの理由だった。
 目雲が言い辛そうにしているのはすぐにわかり、それでも言われたのだから、余程だろうとゆきは推察したのだ。
 しかし目雲の方は自分の迷いから口にしたことを酷く後悔した。

「僕は行きたくはないですし、ゆきさんも連れて行きたくはありません。でもゆきさんを悪者にもしたくないんです」

 全く持って詳細は分からなかったゆきだが、目雲にしては珍しいその言葉に頬が緩む。
 妙に子供っぽい理由でゆきは思わずそのまま笑ってしまう。

 自分が悪者になると言われてゆきがまず想像するのは、戦隊モノの敵たちで、しかも大勢いる平戦闘員の方だ。
 もちろん彼氏の実家というシチュエーションがどういうものかは書籍の中で多くを見ているので知らないことはないのだが、悪いパターンでそれが降りかかったところで、自分がどこまで深刻な心境になるのかと今は分からない。

 それに連れてきたくないと言うことは、両親に意味がある紹介でもなく、実家の方に何か目雲の彼女を知っておきたい事情があるのだろうとだけが分かる。

 行くととてつもなく落ち込むかもしれないが、目雲との関係がそれで歪むかというとそれはないなと思えた。現状ゆきはそこまで未来のことを考えたりもしていないからこそ、彼氏の実家との関係構築よりもまずは目雲自身との関係を深めることを重きを置いている自覚があるので、何がどう起ころうとも今のところのゆきにはそれほど重大事案にはならなかった。

 そしてゆきが今捉えている目雲の言動の感触としては、ゆきと目雲の実家との関係があまり良好にならないことが目雲に想定されている事案のようだから、どうなろうともそれが原因で目雲の心変わりもないだろうと思えたことも大きかった。

 目雲に嫌われないのなら、ゆきとしては何も問題はない。

「行かないと私は悪者になるんですね。行くのがすごく嫌なら、私が悪者になっても良いんですけど、どうします? 私はどっちでも本当にいいですよ」

 すぐにやられてしまう弱い悪者の自分を想像して笑っているゆきを、そうと分かる訳もない目雲だったが、どちらでもゆきの中では特に意味を持たせずフラットだと伝わった。
 ゆきの評価を冗談でも勝手に下げられることが許せなかった目雲は行く方を選ぶ。ゆきに対して不快な思いをさせないと言うことを信じたくもあって、期待したかった。

「すぐ帰りますので」
「すぐじゃなくても大丈夫ですよ」
「いえ、すぐ帰ります」

 きっぱりとした宣言の様な言葉に、せっかく悪者にならないために行くのに結果が同じにならないかとゆきはまた悪者の自分を思い浮かべる。

「それはそれで心証悪そうですけど」

 ゆきがクスクス笑うと、目雲はとにかく顔さえ見せれば兄を黙らせられると、ゆきが楽し気ならそれ以外がどうなろうとも関係ないという心境だった。

「そこは僕が悪者になるので大丈夫です」
「目雲さんが悪者になったら強敵そうですね、でも最後には味方になったりしてとっても良い人だったりしそうです」

 ゆきの話が不思議な方向に流れたので、どうしてそう思うのか気になる。

「それは小説とかそういう話ですか?」
「小説というかテレビでしょうか、最近は分からないですが、子供向けの特撮系ではあるあるな気がします」
「子供の頃でも僕はあまり観てなかったのですみません」

 全くピンとこずに目雲は話しに乗れず、少しもそういったものに興味を示さなかった過去の自分を叱責したいくらいになったが、ゆきも自身のことを振り返って首を捻る。

「そういえば私も自分の時は観てなかったです、妹が女の子が変身する方のアニメがすごく好きだったので結構大きくなってから何となく観ていた程度です、でもなんでだか知ってるのはなぜなんでしょう。友達が観てたからかな」

 うーんと考え始めたゆきに目雲は肩の力が抜ける。

 付き合いだして間もないのに実家に行くことを要望としているなど、ゆきだから強い反発はなくとも、それでももっと戸惑うと思っていた。けれどゆきは全く深刻に受け止めずに、受け流すわけでもなく、いつも通りに理解を示した。そして自分が実家を拒む理由を深く聞き込んだりもしなかった。

 だから目雲も僅かにだが不安を拭うことができた。いつも通りのゆきならば、きっと連れて行っても大きな負担を背負うようなことはないだろうと思うことができた。
 重たくなった心はすぐには元にまでは戻らなかったが、食事を十分に楽しめるくらいには気にしないでいられた。



 翌週の日曜日のことだった。
 この日は二人で朝から神社巡りをして、昼食にお好み焼き屋に来ていた。

「青のりが付いてたら教えてくださいね」
「僕もお願いします」

 自分で焼くこともできるところだったが、楽に美味しく食べようと二人は焼いてから持ってきた貰う方にした。

 焼きあがるまでしばらく掛かるというので、ゆきはこれはチャンスと切り出した。

「目雲さん、ご相談があるのですが、いいですか?」

 あえて目雲と同じ話掛け方を選んだことに目雲は気付いて真正面からゆきを見つめる。

「どうぞ」

 そのときの目雲とは違い、言いにくそうというわけではなく、気恥ずかしそうにゆきは話し出した。

「あの、お正月は私いつも四日にこっちに戻ってくることにしてたので、今回は二日に戻るって話をしたら理由を聞かれまして」

 続きは言わずとも目雲の実家に行くと説明したのだと分かったからこそ、反応が予想できた。

「反対されましたか?」

 ゆきは笑顔で首を横に振る。

「いえ、目雲さんの実家に行くからって説明したら、良かったらうちの家にも来ませんかって」
「ゆきさんのご実家ですか?」

 驚いた様子の目雲にゆきは苦笑する。

「深い意味があるわけでもなくてですね、単純に会ってみたいだけだと思うので、無理にとは」

 ゆきの実家は完全に好奇心だと分かっていた。単純にゆきの恋人が見たいだけだ。特に母と妹が。父は娘の彼氏というものへの抵抗感が妹の恋愛事情のせいで拗れてしまっていて、もうゆきの相手に対してはゆきへの信頼がそのまま相手への信頼になっている。だから電話口で大事な客人を招くというくらいのテンションになっていた。

 目雲の拒絶も大いに想定していたからこそ、ゆきも強引に誘うつもりはなかった。むしろ興味があった場合に念のための話だったので、断られても何にも問題はなかったのだが、意外にも目雲の方が前のめりになっていることに気が付いた。

「行ってもいいんですか?」

 ゆきはにこりと頷く。

「はい、もちろん。お誘いしてるのはこちらですし」
「行かせていただきます」

 あまりにはっきり言うので、ゆきは気を使わせるのではと不安になる。

「私が目雲さんのご実家に行くからとか気にしなくても心配いりませんよ」
「そういうことではなく、ゆきさんのご実家なら行ってみたいという僕の事情です」

 自分の実家にどんな興味があるのかは、ゆきにはさっぱり分からなかったが乗り気であるなら存分にと思うだけのゆきは実家の準備もあるだろうからと予定を尋ねる。

「私は十二月三十日から帰りますけど、目雲さんはいつからでも」
「それは十二月三十日から伺ってもいいんでしょうか」

 ゆきも目雲の積極的な具合を見て、軽くさらに誘ってみる。

「いいですよ、一緒に二日までいます? 三泊しますけど」
「よろしければそうしたいですが、本当にご迷惑ではないですか?」

 そこは普段の目雲らしく遠慮を見せるんだなと、ゆきは心配ないと言う。

「迷惑だったら誘いませんよ。何の変哲もないお正月になりますけど」
「寝て過ごすより、ずっと良いお正月です」

 日ごろ多忙な目雲にとっては寝て過ごすことも重要のように感じるゆきだったが、本人がそれより良いというのならゆきが拒む理由はなかった。

「じゃあ家に連絡しておきますね。あ、招待しておいてなんですが、とても広いとか特別なことは何もないのであまり期待しないで下さいね」
「ゆきさんのご実家というだけで嬉しいです」

 目雲の本当に嬉しそうな雰囲気がゆきに伝わってきて、それならせめて実家でしかできないことはないかと絞り出す。

「……定番ですけどアルバムでもみましょうか」

 よくあるシチュエーションをゆきが示せば目雲はさっきと同様嬉しそうに頷いた。

「ぜひお願いします」

 これが初のお泊りとなるのだが、実家なので何も起こらないだろうとそこにはお互い触れなかった。

 そのあとすぐに運ばれてきたお好み焼きを切り分け、温まった目の前の鉄板にソースの掛ける音と香りで食欲を掻き立てられながら、アツアツを頬張った。




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