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第五十六章
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私は今から10年以上前から徹底的にイエス•キリストについて、勉強しました。
旧約聖書、新訳聖書、四冊の福音書を読み漁りました。
そうして、イエス•キリストの『神の国運動』を知ったのです。
今回はこのキリスト教にスポットライトをあてました。
キリスト教または耶蘇教はイエスを|救い主(キリスト、メシア》として信仰する宗教です。
キリスト教では、イエスが神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じられています。
殆どのキリスト教派は『父なる神』と『その子キリスト』と『聖霊』を唯一の神(『三位一体』として信仰しているのです。また、基督教とも表記されます。
さて、このキリスト教について、ご紹介しましょう。
先ず最初はキリスト教を信仰する国・地域です。世界的に信仰されています。
その信者数は、2024年現在23億8202万人 です。
成立年は、1世紀。
創始者は、ナザレのイエス。
信仰対象は、唯一神(ヤハウェ)。
聖典は、旧約聖書、ヘブライ語聖書、
新約聖書。
母体はユダヤ教。
聖地はエルサレム ナザレ ベツレヘムなど。
発祥地はパレスチナ。
世界三大宗教のひとつ。
ー(キリスト教の深読み)ー
2020年時点で、世界における信者数(キリスト教徒)は23億8200万人程で、世界人口に占める比率は約31%であり全ての宗教の中で最も多いと言えます。
イスラム教、仏教と並ぶ世界三大宗教の一つです。
キリスト教、イエスを救い主と信じる宗教であり、自らをキリスト教徒と呼ぶすべての人々を包含するものです。キリスト教には、その歴史的経緯から様々な教派、教団、組織、信条が存在しています。
キリスト教は普遍的な宗教であり、特定の民族や人種あるいは限定された身分や社会階層の為のものではなく、すべての人に向けられたものです。
実際、キリスト教は、異なる文化・多くの民族の様々な人々に広く受け入れられ、政治構造や社会状況および科学知識や哲学思想、世界観の歴史的な変化や移り変わりがあった各地域で何世紀にもわたって教会・教団や組織を維持してきました。
ただし、カトリック教会の場合、或いはプロテスタントの宗教改革がドイツやスイスを舞台としていたのです。
また『聖書』は主に地中海世界から中東を舞台にしたものです。
日本でも多く使用される西暦が、救世主とされるナザレのイエスの生まれたとされた年を元年(紀元)としているようにキリスト教は中世とりわけ近代から推移してきた西洋文明の根幹の形成に関与しているのです。
中世に国教化されたキリスト教は宗教の自由を認めなかったため、異教との戦いや宣教によって支配域を拡大し、土着の宗教に代えてキリスト教を説いたのです。
異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立していること、ナザレのイエスの生涯と死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立していること等が規定されているのです。
そうしたキリスト信仰に加え、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として絶対的に受け止めることもあるのです。
また、異教との対話時にもキリスト本人に、聖霊による神の言葉が具体的に顕現することが言われている福音書もあるのです。
福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされているのです。
聖霊現象と深い係りのあるイエス派運動成立の上で、黙示思想はその重要な背景として存在していたのです。
キリスト教は、「旧約聖書」を聖典としていることから、天の父による天地創造から始まり、原罪とその救済が教義の中心にある。「旧約聖書」という呼び方はキリスト教において「新約聖書」と対応して名付けたもので、ユダヤ教のヘブライ語聖書の名称を旧い約束の意味に変えて用いているものと言えるでしょう。
ー(キリスト教の歴史について)ー
キリスト教はユダヤ教の預言と律法を引き継ぐ教えです。
イエスの死後、弟子たちはイエスの教えを当時のローマ世界へと広めて行きました。
紀元前6年から紀元前4年頃ナザレのイエスがベツレヘムに生まれます。
ナザレのイエスが磔により刑死する3年ほど前、ナザレのイエスはガリラヤで宣教を開始しました。これを神の国運動と言います。
山上の垂訓の中核に位置するものとして、主の祈りがあると、しました。
紀元後30年ごろナザレのイエスが磔により刑死しました。イエス33歳の時です。
その時イエスは三のことを天に向かって叫びます。
「主なる父よ。私のやるべき事をスプで成就しました。吾世に勝てり。彼らは何もしらないのです。全人類のすべての罪を私が一身に背負います。主の元に帰ります。」
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し生ける真の神によって、死んだ筈のナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明したのです。
テサロニケの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めるようになります。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明したのです。
コリントの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めました。
70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記しナザレのイエスの死後女性信者たちに何らかの事象が起きたことを表明しました。
空になった墓を見たという記述以降は、後代の加筆であるとされています。
南シリアの信者はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなったのです。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明しました。
西シリアの信者は、死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めるようになります。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。この時イエスの復活信仰が確立したのです。
これはナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立と言えるでしょう。
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明しました。
テサロニケの信者は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めます。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明しました。
コリントの信者はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めました。
また、パウロはコリント人への第一の手紙を記し、アダムに於いてすべての者が死ぬように、そのようにキリストに於いてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明しました。
コリントの信者はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めます。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記しイエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明しました。
そして彼の民を諸々の罪から救うことを表明したのです。
西シリアの信者は イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であるという信仰を始めます。
そして彼の民を諸々の罪から救うという信仰を始めました。また、山上の垂訓の中に主の祈りを記したのです。
これにより西シリアの信者は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなったのです。
信者は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなったのです。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。この時イエスの死を通しての贖罪信仰が確立したのです。
ー(主イエス・キリスト信仰の確立)ー
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明しました。
テサロニケの信者はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めました。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは「私たちの主なるキリストである」ということを表明しました。
コリントの信者はイエスは「私たちの主なるイエス・キリストである」というキリスト信仰を始めました。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記しナザレのイエスの父ヨセフは、アブラハム、ダビデの子孫であり、ヨセフの子であるナザレのイエスは予言されていたキリストであることを表明しました。
西シリアの信者は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めます。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。
90年代、無名の著者は使徒行伝を記し、ステファノが死の直前に聖霊に満たされてイエスが神の右に立っているのを見たことを表明しました。
信者は神の右にイエスが立っているという信仰を始めました。
この時ユダヤ教に伝承されてきたキリストが主イエスであるという信仰が確立したのです。
ー(キリスト教の終末信仰の確立)ー
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明しました。
この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされているのです。テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めました。
「パウロが生きているうちに主の来臨が起きる。」
「パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。」
「パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初に甦る。」
「パウロが生きているうちに甦った死人や眠っていた人たちが天に上げられる。」
「パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる」
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明しました。
コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めるようになります。
95年から96年ごろ、著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配が始まったという終末観が表明されたのです。
パウロの死んだ年は60年頃とされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為されました。
小アジアの信者は天にてキリストの支配が始まったという終末信仰を始めました。この時キリスト教的な終末信仰が確立したのです。
ー(ユダヤ教からのキリスト教の自立)ー
60年代、イエスの十二使徒であるヤコブ、ペトロ、パウロが相次いで死にます。
66年から70年、第一次ユダヤ戦争の結果としてエルサレム神殿が崩壊した頃ユダヤ教からキリスト教が自立しました。
4世紀以降神学論争が激しくなり、教会が分裂をするようになります。
暴力を用いる過激な教派が生まれて来ました。
301年、アルメニア王国が初めてキリスト教を国教化します。
325年、キリスト教徒の暴力抗争を解決するため、ローマ皇帝コンスタンティヌスはニカイア公会議を開催しました。
それとともに、キリスト教の勢力を利用してローマ帝国の求心力低下の課題解決を図ることもコンスタンティヌスは意図していたのです。
325年、キリスト教徒の暴力抗争を解決するため、アリウス派は異端の教派とされ追放されました。
380年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しました。
381年、コンスタンティノープルで第1コンスタンティノポリス公会議がニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択しました。
392年、国教となったキリスト教以外の宗教、およびキリスト教の異端教派の信仰活動が帝国内において禁止されました。
405年頃、ヒエロニムスが聖書のラテン語訳である『ウルガタ』を完成させました。
5世紀前半、アウグスティヌスが『神の国』を著述します。
431年、エフェソス公会議に於いてネストリウス派が異端の教派とされて追放されました。
451年、カルケドン公会議に於いてカルケドン信条が採択されました。
また、単性論が異端の教義とされますがエジプト、シリアやアルメニアを中心に合性論(正統派とされた側からは単性論の一種と見なされたが、合性論派はその見解を否定した)を支持する教会が多くあった為に各教会で対立主教が立つほどの分裂が生じました。(非カルケドン派正教会の分立)。
このように国教となったキリスト教は、キリスト教以外の宗教及びキリスト教の異端教派の説を切り捨てることにより、キリスト教に於ける一神教的世界観での正統派信仰を確立したのです。
ー(中世に於けるキリスト教)ー
6世紀前半、ユスティニアヌス1世が『ローマ法大全』を編纂させました。
800年、カール大帝はローマ教皇のレオ3世から戴冠され、以てキリスト教の守護者を自認しました。
927年、ブルガリア正教会に五大総主教庁以外で初めて総主教位が認められました。
1054年の東西教会の分裂により、カトリック教会と正教会の分断が決定的となりました。
13世紀後半、トマス・アクィナスが『神学大全』を著述します。
1415年、コンスタンツでコンスタンツ公会議がジョン・ウィクリフを異端宣告し、またヤン・フスが火刑に処されました。
1448年、ロシア正教会がコンスタンティノープル総主教庁から事実上独立。
1453年、コンスタンティノープルの陥落により、東ローマ帝国が名実ともに消滅しました。
ー(近世のキリスト教)ー
16世紀初頭、マルティン・ルターによるカトリック教会批判により、宗教改革の時代が始まります。
1519年、チューリッヒでフルドリッヒ・ツヴィングリが説教の活動を開始。
1521年、セブ島にフェルディナンド・マゼランが上陸し、ラジャ・フマボンが洗礼を受けました。
1534年、イングランド国教会がカトリック教会から分離。
1536年、バーゼルでジャン・カルヴァンが『キリスト教綱要』を出版しました。
1545年~1563年、トリエント公会議が開催され、対抗宗教改革が始まります。
1565年、ポーランドでポーランド兄弟団が分派しました。
1618年~1619年、ドルトレヒトで『建白書』(Five Articles of Remonstrance)などを議題にドルト会議が開催されました。
1620年、メイフラワー号が現マサチューセッツ州プリマスに到着し、「ピルグリム・ファーザーズ」が入植を開始しました。
現在ではピューリタンによる信教の自由のためのプリマス植民地建設開始に位置付けられています。
1646年、ロンドンでウェストミンスター会議が『ウェストミンスター信仰告白』を作成。
1738年、ロンドンでジョン・ウェスレーが救いの確信を得ました。
1741年、13植民地でジョナサン・エドワーズが『怒れる神の御手の中にある罪人』を出版。
1789年、フランス王国でフランス革命が勃発し、大弾圧が開始されます。
1791年、アメリカ合衆国憲法修正第1条で信教の自由が明記された。
ー(近代のキリスト教)ー
1830年、ニューヨーク州でジョセフ・スミス・ジュニアが『モルモン書』を出版。
1833年、ギリシア正教会がギリシャ独立戦争を経てコンスタンティノープル総主教庁から事実上独立。
1843年、ウィリアム・ミラー(William Miller)が予告した再臨の時を迎えた(再臨待望運動)。
1905年、フランスで政教分離法成立。
1906年、ロサンゼルスでアズサ・ストリート・リバイバル(伝道集会(英語版))が開始されました。
1917年、ロシア革命によりロシアで宗教、特にロシア正教会に対する大弾圧が開始されました。
このようにキリストの教えは全世界に拡大しましたが、その間に幾多の争いがあり、宗教戦争があり、宗教革命があり、尊い多くの人々の犠牲があったのです。
さて、日月神示の原文にはこのキリスト教を始め、その他の宗教を完全否定しているのです。
日月神示の教えは一貫して『道』だけを信仰せよ!
と、教えているのです。
旧約聖書、新訳聖書、四冊の福音書を読み漁りました。
そうして、イエス•キリストの『神の国運動』を知ったのです。
今回はこのキリスト教にスポットライトをあてました。
キリスト教または耶蘇教はイエスを|救い主(キリスト、メシア》として信仰する宗教です。
キリスト教では、イエスが神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じられています。
殆どのキリスト教派は『父なる神』と『その子キリスト』と『聖霊』を唯一の神(『三位一体』として信仰しているのです。また、基督教とも表記されます。
さて、このキリスト教について、ご紹介しましょう。
先ず最初はキリスト教を信仰する国・地域です。世界的に信仰されています。
その信者数は、2024年現在23億8202万人 です。
成立年は、1世紀。
創始者は、ナザレのイエス。
信仰対象は、唯一神(ヤハウェ)。
聖典は、旧約聖書、ヘブライ語聖書、
新約聖書。
母体はユダヤ教。
聖地はエルサレム ナザレ ベツレヘムなど。
発祥地はパレスチナ。
世界三大宗教のひとつ。
ー(キリスト教の深読み)ー
2020年時点で、世界における信者数(キリスト教徒)は23億8200万人程で、世界人口に占める比率は約31%であり全ての宗教の中で最も多いと言えます。
イスラム教、仏教と並ぶ世界三大宗教の一つです。
キリスト教、イエスを救い主と信じる宗教であり、自らをキリスト教徒と呼ぶすべての人々を包含するものです。キリスト教には、その歴史的経緯から様々な教派、教団、組織、信条が存在しています。
キリスト教は普遍的な宗教であり、特定の民族や人種あるいは限定された身分や社会階層の為のものではなく、すべての人に向けられたものです。
実際、キリスト教は、異なる文化・多くの民族の様々な人々に広く受け入れられ、政治構造や社会状況および科学知識や哲学思想、世界観の歴史的な変化や移り変わりがあった各地域で何世紀にもわたって教会・教団や組織を維持してきました。
ただし、カトリック教会の場合、或いはプロテスタントの宗教改革がドイツやスイスを舞台としていたのです。
また『聖書』は主に地中海世界から中東を舞台にしたものです。
日本でも多く使用される西暦が、救世主とされるナザレのイエスの生まれたとされた年を元年(紀元)としているようにキリスト教は中世とりわけ近代から推移してきた西洋文明の根幹の形成に関与しているのです。
中世に国教化されたキリスト教は宗教の自由を認めなかったため、異教との戦いや宣教によって支配域を拡大し、土着の宗教に代えてキリスト教を説いたのです。
異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立していること、ナザレのイエスの生涯と死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立していること等が規定されているのです。
そうしたキリスト信仰に加え、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として絶対的に受け止めることもあるのです。
また、異教との対話時にもキリスト本人に、聖霊による神の言葉が具体的に顕現することが言われている福音書もあるのです。
福音書が作られた当時、聖霊は世の終わりに神から与えられると信じられていた救いの霊とされているのです。
聖霊現象と深い係りのあるイエス派運動成立の上で、黙示思想はその重要な背景として存在していたのです。
キリスト教は、「旧約聖書」を聖典としていることから、天の父による天地創造から始まり、原罪とその救済が教義の中心にある。「旧約聖書」という呼び方はキリスト教において「新約聖書」と対応して名付けたもので、ユダヤ教のヘブライ語聖書の名称を旧い約束の意味に変えて用いているものと言えるでしょう。
ー(キリスト教の歴史について)ー
キリスト教はユダヤ教の預言と律法を引き継ぐ教えです。
イエスの死後、弟子たちはイエスの教えを当時のローマ世界へと広めて行きました。
紀元前6年から紀元前4年頃ナザレのイエスがベツレヘムに生まれます。
ナザレのイエスが磔により刑死する3年ほど前、ナザレのイエスはガリラヤで宣教を開始しました。これを神の国運動と言います。
山上の垂訓の中核に位置するものとして、主の祈りがあると、しました。
紀元後30年ごろナザレのイエスが磔により刑死しました。イエス33歳の時です。
その時イエスは三のことを天に向かって叫びます。
「主なる父よ。私のやるべき事をスプで成就しました。吾世に勝てり。彼らは何もしらないのです。全人類のすべての罪を私が一身に背負います。主の元に帰ります。」
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し生ける真の神によって、死んだ筈のナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明したのです。
テサロニケの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めるようになります。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明したのです。
コリントの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めました。
70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記しナザレのイエスの死後女性信者たちに何らかの事象が起きたことを表明しました。
空になった墓を見たという記述以降は、後代の加筆であるとされています。
南シリアの信者はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなったのです。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明しました。
西シリアの信者は、死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めるようになります。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。この時イエスの復活信仰が確立したのです。
これはナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立と言えるでしょう。
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明しました。
テサロニケの信者は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めます。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明しました。
コリントの信者はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めました。
また、パウロはコリント人への第一の手紙を記し、アダムに於いてすべての者が死ぬように、そのようにキリストに於いてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明しました。
コリントの信者はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めます。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記しイエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明しました。
そして彼の民を諸々の罪から救うことを表明したのです。
西シリアの信者は イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であるという信仰を始めます。
そして彼の民を諸々の罪から救うという信仰を始めました。また、山上の垂訓の中に主の祈りを記したのです。
これにより西シリアの信者は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなったのです。
信者は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなったのです。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。この時イエスの死を通しての贖罪信仰が確立したのです。
ー(主イエス・キリスト信仰の確立)ー
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明しました。
テサロニケの信者はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めました。
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは「私たちの主なるキリストである」ということを表明しました。
コリントの信者はイエスは「私たちの主なるイエス・キリストである」というキリスト信仰を始めました。
80年代、無名の著者はマタイ福音書を記しナザレのイエスの父ヨセフは、アブラハム、ダビデの子孫であり、ヨセフの子であるナザレのイエスは予言されていたキリストであることを表明しました。
西シリアの信者は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めます。
80年代、無名の著者はルカ福音書を記す。
90年代、無名の著者は使徒行伝を記し、ステファノが死の直前に聖霊に満たされてイエスが神の右に立っているのを見たことを表明しました。
信者は神の右にイエスが立っているという信仰を始めました。
この時ユダヤ教に伝承されてきたキリストが主イエスであるという信仰が確立したのです。
ー(キリスト教の終末信仰の確立)ー
50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明しました。
この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされているのです。テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めました。
「パウロが生きているうちに主の来臨が起きる。」
「パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。」
「パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初に甦る。」
「パウロが生きているうちに甦った死人や眠っていた人たちが天に上げられる。」
「パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる」
54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明しました。
コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めるようになります。
95年から96年ごろ、著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配が始まったという終末観が表明されたのです。
パウロの死んだ年は60年頃とされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為されました。
小アジアの信者は天にてキリストの支配が始まったという終末信仰を始めました。この時キリスト教的な終末信仰が確立したのです。
ー(ユダヤ教からのキリスト教の自立)ー
60年代、イエスの十二使徒であるヤコブ、ペトロ、パウロが相次いで死にます。
66年から70年、第一次ユダヤ戦争の結果としてエルサレム神殿が崩壊した頃ユダヤ教からキリスト教が自立しました。
4世紀以降神学論争が激しくなり、教会が分裂をするようになります。
暴力を用いる過激な教派が生まれて来ました。
301年、アルメニア王国が初めてキリスト教を国教化します。
325年、キリスト教徒の暴力抗争を解決するため、ローマ皇帝コンスタンティヌスはニカイア公会議を開催しました。
それとともに、キリスト教の勢力を利用してローマ帝国の求心力低下の課題解決を図ることもコンスタンティヌスは意図していたのです。
325年、キリスト教徒の暴力抗争を解決するため、アリウス派は異端の教派とされ追放されました。
380年、テオドシウス帝はキリスト教をローマ帝国の国教と宣言しました。
381年、コンスタンティノープルで第1コンスタンティノポリス公会議がニカイア・コンスタンティノポリス信条を採択しました。
392年、国教となったキリスト教以外の宗教、およびキリスト教の異端教派の信仰活動が帝国内において禁止されました。
405年頃、ヒエロニムスが聖書のラテン語訳である『ウルガタ』を完成させました。
5世紀前半、アウグスティヌスが『神の国』を著述します。
431年、エフェソス公会議に於いてネストリウス派が異端の教派とされて追放されました。
451年、カルケドン公会議に於いてカルケドン信条が採択されました。
また、単性論が異端の教義とされますがエジプト、シリアやアルメニアを中心に合性論(正統派とされた側からは単性論の一種と見なされたが、合性論派はその見解を否定した)を支持する教会が多くあった為に各教会で対立主教が立つほどの分裂が生じました。(非カルケドン派正教会の分立)。
このように国教となったキリスト教は、キリスト教以外の宗教及びキリスト教の異端教派の説を切り捨てることにより、キリスト教に於ける一神教的世界観での正統派信仰を確立したのです。
ー(中世に於けるキリスト教)ー
6世紀前半、ユスティニアヌス1世が『ローマ法大全』を編纂させました。
800年、カール大帝はローマ教皇のレオ3世から戴冠され、以てキリスト教の守護者を自認しました。
927年、ブルガリア正教会に五大総主教庁以外で初めて総主教位が認められました。
1054年の東西教会の分裂により、カトリック教会と正教会の分断が決定的となりました。
13世紀後半、トマス・アクィナスが『神学大全』を著述します。
1415年、コンスタンツでコンスタンツ公会議がジョン・ウィクリフを異端宣告し、またヤン・フスが火刑に処されました。
1448年、ロシア正教会がコンスタンティノープル総主教庁から事実上独立。
1453年、コンスタンティノープルの陥落により、東ローマ帝国が名実ともに消滅しました。
ー(近世のキリスト教)ー
16世紀初頭、マルティン・ルターによるカトリック教会批判により、宗教改革の時代が始まります。
1519年、チューリッヒでフルドリッヒ・ツヴィングリが説教の活動を開始。
1521年、セブ島にフェルディナンド・マゼランが上陸し、ラジャ・フマボンが洗礼を受けました。
1534年、イングランド国教会がカトリック教会から分離。
1536年、バーゼルでジャン・カルヴァンが『キリスト教綱要』を出版しました。
1545年~1563年、トリエント公会議が開催され、対抗宗教改革が始まります。
1565年、ポーランドでポーランド兄弟団が分派しました。
1618年~1619年、ドルトレヒトで『建白書』(Five Articles of Remonstrance)などを議題にドルト会議が開催されました。
1620年、メイフラワー号が現マサチューセッツ州プリマスに到着し、「ピルグリム・ファーザーズ」が入植を開始しました。
現在ではピューリタンによる信教の自由のためのプリマス植民地建設開始に位置付けられています。
1646年、ロンドンでウェストミンスター会議が『ウェストミンスター信仰告白』を作成。
1738年、ロンドンでジョン・ウェスレーが救いの確信を得ました。
1741年、13植民地でジョナサン・エドワーズが『怒れる神の御手の中にある罪人』を出版。
1789年、フランス王国でフランス革命が勃発し、大弾圧が開始されます。
1791年、アメリカ合衆国憲法修正第1条で信教の自由が明記された。
ー(近代のキリスト教)ー
1830年、ニューヨーク州でジョセフ・スミス・ジュニアが『モルモン書』を出版。
1833年、ギリシア正教会がギリシャ独立戦争を経てコンスタンティノープル総主教庁から事実上独立。
1843年、ウィリアム・ミラー(William Miller)が予告した再臨の時を迎えた(再臨待望運動)。
1905年、フランスで政教分離法成立。
1906年、ロサンゼルスでアズサ・ストリート・リバイバル(伝道集会(英語版))が開始されました。
1917年、ロシア革命によりロシアで宗教、特にロシア正教会に対する大弾圧が開始されました。
このようにキリストの教えは全世界に拡大しましたが、その間に幾多の争いがあり、宗教戦争があり、宗教革命があり、尊い多くの人々の犠牲があったのです。
さて、日月神示の原文にはこのキリスト教を始め、その他の宗教を完全否定しているのです。
日月神示の教えは一貫して『道』だけを信仰せよ!
と、教えているのです。
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