10 / 44
日月神示第十巻 チェック✅済み
しおりを挟む
【日月神示第十巻】
この章では霊界について、私の知る限りのことをお話したい。
日月神示の霊界に関する記述もそうでおるが、私の尊敬する出口王仁三郎しかり、岡田茂吉しかりである。
出口王仁三郎は彼の著書『霊界物語』に霊界に関する記述があるし、岡田茂吉は彼の著書『御神書(天国の福音)』に霊界について詳しく記述している。
それでは、最初に日月神示の記述内容から引用してご説明しよう。
ー(日月神示に於ける霊界と現界との関係)ー
日月神示には霊界についての記述も多く見られるが、特に「二日んの巻」(ジシンの巻)や「龍音之巻」は、殆どがこれらについての記述である。そのなかでも、我々が住んでいるこの現界と関係が深いと思われるもので主なものを以下に箇条書きで記す。
「広く霊界といっても神界と幽界に大別され、神界は天国と霊国に分けられ、幽界はそれぞれ、陽界と陰界に分けられる。」
「天国には天人が、霊国には天使が住み、幽界は陽界には陽霊人が、陰界には陰霊人が住んでいる。」
「幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の神懸かりの殆どはこの幽界からの感応によるものであるから注意が必要である。」
「幽界は本来は無いものであるが、人間の地獄的想念が生み出したものである。」
「高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない。」
「(参1 )目に見えぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的なものになる。」
「下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいるため、その感応は極めて強く人間の目にはいかにも、もっともらしく映るのでこれも注意が必要である。」
「高度なものはその人間の心(精神)に応じてそれと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現される。」
「下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらはよく見極めればわかる。」
「特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て人間に特別な通信をしたり、指示したりすることがある。」
「また天使の霊が母体(母胎)に宿り人間として生まれて来ることもある。末世にはこの種の降誕人がたくさんある。」
「特別の使命を持つ天使は別として、人間霊以外の霊で人間に憑依するのは、日本を例にとれば神、天狗、仙人、狐、狸、猫などが大部分である。」
「先祖霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意を要する。動物霊が祖先のことを知っているのは、その憑依の対象となる人間の肉体霊(その人間の想念や考えていること)の知っていることを、直ちに知り得るからである。」
「動物霊が人間の言葉を使うのは不可解にも思えるが、それは例えれば、他人の家に入り込んでそこにある道具類をそのまま使うのと同じ道理である。動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、ある程度その人間の持つ言葉を使いこなせる。日本人に感応すれば日本語を、米国人ならば英語を語ることが出来る。」
「基本的に下級霊や動物霊は人間に感応はするが肉体の内部までは入り込めない。しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える場合がある。」
「例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっていることもある。こうした場合は肉体に入り込んだと考えて良い。例えばそれが狐なら狐の様相を露呈するから、すぐ判るが悪行を積んだ霊などの場合は、その時代時代に合わせて化けているので見破ることがなかなか難しい。」
「人間霊の場合でもある種の霊は、自分自身が高度な神界に住んでいると誤信しているものがいるが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。人間の知らぬ世界のことを自信を以って強く告げてくるので、判別は困難で多くの場合、審神者は参ってしまう。」
「仙人というのはどんなに高度に見えるものでも、幽界に属す。なぜなら、仙人界には戒律があるからである。」
「神界には戒律はない。真の宗教に戒律はないのである。」
「戒律がある宗教は亡びる。しかし、神界にも仙人的な存在はある。」
「竜体(竜神と思われる)を持つ霊は神界にも幽界にもある。竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである。」
「先祖霊が出る場合は、何か頼みたいことがある場合が多い。浄化した高級霊ともなれば、人間の肉体に判るような感応はほとんどない。」
「先祖は現界に住んでいる肉体人を土台として修業するものである。また、同様に霊界に於ける自分は先祖との交流や交渉は深いものである。その先祖は神界に属する場合と幽界に属する場合とがある。神界に属するものは正流を通じて、幽界に属する場合は外流を通じて、肉体人の子孫にそれぞれ感応してくる。」
「下級霊や動物霊の場合は「酔いどれ」のように箸にも棒にもかからないことを言ってくる。霊の要求だからといって、そのまま受け入れるのではなく、よく判断した上で処理しなければならない。」
「霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。また、霊人と語るのは非常に危険である。」
「(参2 )物を見るのは額で見ることが重要である。額の目に見の誤りはなく、額の判断に間違いはない。また、正神からの感応は額から入り、顔面全体に及び、やがては身体全身に及んでいくものである。」
「逆に、悪の霊が懸かった場合は肉体の背後や首すじなどから感応し、肉体の「みぞおち」あたりに集まり、そこで頑張るものである。」
「霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくいて、一般人はそれに騙されることがよくある。これらは、いずれも下級霊の仕業である。」
「正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である。」
「どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはならない。馬鹿にすると反射的に審神者を馬鹿にして始末に負えないことになるので思慮が必要である。」
「特にその霊が病気に関連をもっている場合は微妙である。」
「霊には常に愛を持って接し、柔らかく持ち掛け良い方向に導いて行こうとする努力が大切である。」
「霊の邪道的要求を受けて一時的に病気を治すと、それに倍になってぶり返すものである。」
「悪霊自身は自身を悪だとは思っていない。」
「霊的良識は神示や神典類によって、また体験によって養われる。さらには高度の科学書も参考になる。」
「人間界のことを良く知っている霊は人間界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでいた動物霊か、人間に憑依していた霊である。」
「神の守護というのは人間からは全然わからないものである。」
「判る様な守護は低い神や悪神の守護である。」
「悪神でも大将ともなればその守護は人間にはわからない。」
「日本には日本の守護の神、中国には中国の、外国には外国のそれぞれの守護の神がいる。」
「今の人間は9分9厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。」
「霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の9分9厘は邪霊である。今後はさらに激しくなる。」
「少しでも、怪しいと思った場合はそれが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神することが重要である。」
「悪神が懸かった時は自分では偉い神様が乗り移ったと信じ込む場合が多い。それは自分の天狗のような高慢な心が原因である。」
「我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。」
「幽界霊も時によっては正しく善なることを言うが、それはただ言うだけである。例えるなら悪人が口先だけで善を語るようなものである。」
「良い言葉ならば、たとえ悪神が語ってもいいのでは?とも思えるが、それは理屈である。」
「真の善言や真言は心、言葉、行ないが一致しているから直ちに力を持つが、それらが一致していないと力は出ないのである。」
「言葉の上のみ同一であっても例えば、同じ「はい」という返事でも喜びの時と不満の時とでは違うように、偽りの言葉は落ち着いて聞けば判るものである。」
「その人間の心に相応した神しか拝めない。」
「悪い心で拝めば、どんなに立派な神前でも悪神が感応する。」
「逆に悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり、善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。」
「2重3重人格というのは2重3重の憑き物の転換によるものであり、群集心理とはその時の一時的な憑依霊達の仕業である。」
「また、流行病のほとんどが邪霊集団の作用や仕業によるものである。」
「霊人には何でも判っているとか神懸りで世界のことが何でも分かると思うのは大きな間違いである。」
「人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。この世を天国として暮らしていた人は天国へ、地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。」
「神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。」
「神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である。
偶然の真理を覚ることが大切である。この世に偶然というものは、ひとつも存在しない。高い所(神界、天界)から来るから人間には偶然や奇跡と見えるのである。」
「神からの現われであり、その手順が現界の人間には全く分からないためにそう見えるだけである。これが判れば大安心、立命である。」
「人間の肉体は最底部をなすものであるから、肉体的動きの以前に於いて必ず霊的動きが有る。また、肉体的には小さな行為であつても霊的には大きな意味や働きをしている場合が多い。」
「天界で起こった出来事は必ず現界にも起こる。しかし、その時の現界の状況にもある程度左右され、早くなったり逆に遅くなったりする場合がある。また、時によっては順序が違う場合もある。」
「天人や天使の行為が人間にうつるのであるが、逆に人間の自由や能力の如何によっての行為も天界や霊界に反映する。日本や外国では土地が違うように天界へのうつり方も違うのである。」
「悪いこと(天災や戦争や世の中の騒動や混乱など)を待つ心は魔の心である。いつどこにそれらが来たり、起ったりするのかと待ち望んでいるような心は悪魔に使われているのである。」
以上の記述内容が霊界と現界について記述されている内容である。
私達人間は生きている間は常に日月神示に記述されている内容を意識して実践しいつも神様に感謝して善一筋で生きることである。
ー(霊能者・岡田茂吉の説く霊界と現界の関係)ー
抑々、宗教に関心を持つ場合、先ず徹底的に理解するにはどうしても霊界と現界の関係をしらねばならない。
何となれば宗教信仰の対象は神仏であり神仏とは霊であるからで肉眼で見る能わざる以上、理論のみによって実態を把握せんとしても、それは木によって魚を求むるの愚である。
しかしながらこの世界には神も仏も立派に実在している以上、否定し去ることも無論不可能である。丁度野蛮人に向かって空気の存在を認識させようとしても頗る困難であると同様、現代人の大多数に霊の実在を認識させることの困難さは無論である。岡田茂吉は上記のように言い放っている。
そして彼はまた、次のように言ったのである。
霊界の構成、霊界人の生活等にわたってなるべく深く説明してみよう。
抑々人間とは肉体と霊体とのニ元素から成り立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが離脱の場合極善者は額から、極悪者は足の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺りから霊は離脱するのであって仏教に於いては死ぬ事を往生と言うがこれは霊界から見れば生まれ住くからである。
又、死ぬ前を生前と言い、神道や仏教に於いては帰幽と言い転帰というのも同様の理である。
そうして霊界人となるや昔から言われている通り、先ず三途の川を渡り閻魔の庁に行くのであるが、これは事実であって、岡田茂吉本人は霊能者であった為に多数の霊から聞いたそれはすべて一致していた、というのだ。
閻魔の庁とは現界に於ける裁判所と同じである。しかし罪を裁くのは閻魔大王だけである。人間界のように弁護士のような霊はいないのだ。
しかも三途の川を渡り終わるや屍衣の色が変化するというのだ。
即ち罪穢の最も少なきものは白、次は各薄色、黄色、赤色、青色、黒色というように、罪穢の軽量に従い上記の如き色彩になるのである。つまり原色にすると⚪️◯🟡🔴🔵⚫️ということになる。
只紫🟣だけは神衣としてある。閻魔の庁に於いては祓戸の神が主任となり各冥官が審問に当たり、其々相応の賞罰を決めるのであるがその際、極善人は天国又は極楽に、極悪人は地獄へ堕ちるのであって、普通人は中有界、神道にては 八衢、仏教にては六道の辻と称する所に行くのであるが、大多数はこの中有界に行き此処で修行するのである。
修行を受ける第一は教誨師の講和を聴くので、それによって改心の出来たものは天国へ住き、然らざるものは地獄住きとなるのである。
上記の修養期間は大体三十年を限度とし行先が決まるのである。
教誨師は各宗派の教師が当たることになっている、と岡田茂吉は言っている。
さて、大本の聖師・出口王仁三郎の霊界については彼の著書『霊界物語』に詳しく記述されている。
大体は岡田茂吉と同じであるが、中有界の改心の為の修行については、それぞれグループ化されていて、そのグループの長が講師として教えるのだという、のだ。
そしてそのグループの人数であるが50人程度から10万人程度までのグループであるらしい。
つまり、小さいグループは50人程度。大きなグループは10万人程度ということだ。
私は岡田茂吉も出口王仁三郎も間違った事は言っていないと思っている。
このことは日月神示の内容から霊界については想像が出来るのである。
そして霊界に於ける霊層界であるが161段ある。
最奥天国が1段。
第一天国が20段。
第二天国が20段。
第三天国が20段。
中有界(上)が20段。
中有界(中)が20段。
中有界(下)が20段。
地獄界(上)が20段。
地獄界(中)が20段。
地獄界(下)が20段。
合計 181段である。
上記の霊層界を人間界で役目を終えた霊魂は上にいったり、下にいったりと移動しているのである。
人間は人間界にいる時に神様の実在を信じ、また、毎日の生き方は「善一筋」で生きたいものである。
いや、「善一筋」で生きなければならないのだ!
(参考文献)
日月神示
御神書
(関連人物)
岡本天明
岡田茂吉
この章では霊界について、私の知る限りのことをお話したい。
日月神示の霊界に関する記述もそうでおるが、私の尊敬する出口王仁三郎しかり、岡田茂吉しかりである。
出口王仁三郎は彼の著書『霊界物語』に霊界に関する記述があるし、岡田茂吉は彼の著書『御神書(天国の福音)』に霊界について詳しく記述している。
それでは、最初に日月神示の記述内容から引用してご説明しよう。
ー(日月神示に於ける霊界と現界との関係)ー
日月神示には霊界についての記述も多く見られるが、特に「二日んの巻」(ジシンの巻)や「龍音之巻」は、殆どがこれらについての記述である。そのなかでも、我々が住んでいるこの現界と関係が深いと思われるもので主なものを以下に箇条書きで記す。
「広く霊界といっても神界と幽界に大別され、神界は天国と霊国に分けられ、幽界はそれぞれ、陽界と陰界に分けられる。」
「天国には天人が、霊国には天使が住み、幽界は陽界には陽霊人が、陰界には陰霊人が住んでいる。」
「幽界は人間界と最も深い関係にあり、初期の神懸かりの殆どはこの幽界からの感応によるものであるから注意が必要である。」
「幽界は本来は無いものであるが、人間の地獄的想念が生み出したものである。」
「高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するものであることを忘れてはならない。」
「(参1 )目に見えぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的なものになる。」
「下級霊は現実界と紙一重の所に住んでいるため、その感応は極めて強く人間の目にはいかにも、もっともらしく映るのでこれも注意が必要である。」
「高度なものはその人間の心(精神)に応じてそれと同一波長の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現される。」
「下級霊が懸かった霊媒の態度や所作、動作、言動は高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、高度の神名を名乗ったりするものであるがこれらはよく見極めればわかる。」
「特別の使命を持つ天使は、最下級の霊界まで降って来て人間に特別な通信をしたり、指示したりすることがある。」
「また天使の霊が母体(母胎)に宿り人間として生まれて来ることもある。末世にはこの種の降誕人がたくさんある。」
「特別の使命を持つ天使は別として、人間霊以外の霊で人間に憑依するのは、日本を例にとれば神、天狗、仙人、狐、狸、猫などが大部分である。」
「先祖霊に化けて何かを企てる動物霊が多いから注意を要する。動物霊が祖先のことを知っているのは、その憑依の対象となる人間の肉体霊(その人間の想念や考えていること)の知っていることを、直ちに知り得るからである。」
「動物霊が人間の言葉を使うのは不可解にも思えるが、それは例えれば、他人の家に入り込んでそこにある道具類をそのまま使うのと同じ道理である。動物霊でも他の霊でも人間に感応したならば、ある程度その人間の持つ言葉を使いこなせる。日本人に感応すれば日本語を、米国人ならば英語を語ることが出来る。」
「基本的に下級霊や動物霊は人間に感応はするが肉体の内部までは入り込めない。しかし、感応の度が強ければ入ったと同様に見える場合がある。」
「例外として人間の魂と動物の魂が入れ替わっていることもある。こうした場合は肉体に入り込んだと考えて良い。例えばそれが狐なら狐の様相を露呈するから、すぐ判るが悪行を積んだ霊などの場合は、その時代時代に合わせて化けているので見破ることがなかなか難しい。」
「人間霊の場合でもある種の霊は、自分自身が高度な神界に住んでいると誤信しているものがいるが、こうした霊が感応した場合は自信をもって断言する場合が多い。人間の知らぬ世界のことを自信を以って強く告げてくるので、判別は困難で多くの場合、審神者は参ってしまう。」
「仙人というのはどんなに高度に見えるものでも、幽界に属す。なぜなら、仙人界には戒律があるからである。」
「神界には戒律はない。真の宗教に戒律はないのである。」
「戒律がある宗教は亡びる。しかし、神界にも仙人的な存在はある。」
「竜体(竜神と思われる)を持つ霊は神界にも幽界にもある。竜体だからといってそれらが全て神界に属すると思うのは誤りである。」
「先祖霊が出る場合は、何か頼みたいことがある場合が多い。浄化した高級霊ともなれば、人間の肉体に判るような感応はほとんどない。」
「先祖は現界に住んでいる肉体人を土台として修業するものである。また、同様に霊界に於ける自分は先祖との交流や交渉は深いものである。その先祖は神界に属する場合と幽界に属する場合とがある。神界に属するものは正流を通じて、幽界に属する場合は外流を通じて、肉体人の子孫にそれぞれ感応してくる。」
「下級霊や動物霊の場合は「酔いどれ」のように箸にも棒にもかからないことを言ってくる。霊の要求だからといって、そのまま受け入れるのではなく、よく判断した上で処理しなければならない。」
「霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違いが多い。霊耳は耳をふさいでも内から聞こえてくる。また、霊人と語るのは非常に危険である。」
「(参2 )物を見るのは額で見ることが重要である。額の目に見の誤りはなく、額の判断に間違いはない。また、正神からの感応は額から入り、顔面全体に及び、やがては身体全身に及んでいくものである。」
「逆に、悪の霊が懸かった場合は肉体の背後や首すじなどから感応し、肉体の「みぞおち」あたりに集まり、そこで頑張るものである。」
「霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくいて、一般人はそれに騙されることがよくある。これらは、いずれも下級霊の仕業である。」
「正神には奇跡はない。高級霊は態度が立派である。」
「どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはならない。馬鹿にすると反射的に審神者を馬鹿にして始末に負えないことになるので思慮が必要である。」
「特にその霊が病気に関連をもっている場合は微妙である。」
「霊には常に愛を持って接し、柔らかく持ち掛け良い方向に導いて行こうとする努力が大切である。」
「霊の邪道的要求を受けて一時的に病気を治すと、それに倍になってぶり返すものである。」
「悪霊自身は自身を悪だとは思っていない。」
「霊的良識は神示や神典類によって、また体験によって養われる。さらには高度の科学書も参考になる。」
「人間界のことを良く知っている霊は人間界を去って間もない霊か地上世界に長く住んでいた動物霊か、人間に憑依していた霊である。」
「神の守護というのは人間からは全然わからないものである。」
「判る様な守護は低い神や悪神の守護である。」
「悪神でも大将ともなればその守護は人間にはわからない。」
「日本には日本の守護の神、中国には中国の、外国には外国のそれぞれの守護の神がいる。」
「今の人間は9分9厘は幽界との繋がりを持つから、よくよく自分自身を審神し反省する必要がある。」
「霊媒を通じてこの世に呼びかける霊の9分9厘は邪霊である。今後はさらに激しくなる。」
「少しでも、怪しいと思った場合はそれが神の言葉でも裏表の見境もなく闇雲に信じてはならない。例え神の言葉でも自分で一応考えて、審神することが重要である。」
「悪神が懸かった時は自分では偉い神様が乗り移ったと信じ込む場合が多い。それは自分の天狗のような高慢な心が原因である。」
「我は「天照大御神」などと名乗る霊にろくなものはいない。こうした霊に憑かれた人間は例外なく大言壮語するものであり、眉唾ものである。」
「幽界霊も時によっては正しく善なることを言うが、それはただ言うだけである。例えるなら悪人が口先だけで善を語るようなものである。」
「良い言葉ならば、たとえ悪神が語ってもいいのでは?とも思えるが、それは理屈である。」
「真の善言や真言は心、言葉、行ないが一致しているから直ちに力を持つが、それらが一致していないと力は出ないのである。」
「言葉の上のみ同一であっても例えば、同じ「はい」という返事でも喜びの時と不満の時とでは違うように、偽りの言葉は落ち着いて聞けば判るものである。」
「その人間の心に相応した神しか拝めない。」
「悪い心で拝めば、どんなに立派な神前でも悪神が感応する。」
「逆に悪神を拝んでも正しい愛や喜びがあり、善い念が通じるならば悪神は引っ込んでそれぞれの善い神が現れる。」
「2重3重人格というのは2重3重の憑き物の転換によるものであり、群集心理とはその時の一時的な憑依霊達の仕業である。」
「また、流行病のほとんどが邪霊集団の作用や仕業によるものである。」
「霊人には何でも判っているとか神懸りで世界のことが何でも分かると思うのは大きな間違いである。」
「人は死ぬ時の想念がそのまま続くので、その想念に応じた世界に住むことになるのである。この世を天国として暮らしていた人は天国へ、地獄と感じて生きていた人は自ら地獄的な想念を作り出してそのような世界に住むことになる。」
「神界より真っ直ぐに感応する想念が正流である。幽界からや幽界を経て流れてくる想念が外流である。」
「神的自分が本守護神であり、霊的自分が正守護神である。また、幽界的自分が副守護神である。本守護神は大神の歓喜である。
偶然の真理を覚ることが大切である。この世に偶然というものは、ひとつも存在しない。高い所(神界、天界)から来るから人間には偶然や奇跡と見えるのである。」
「神からの現われであり、その手順が現界の人間には全く分からないためにそう見えるだけである。これが判れば大安心、立命である。」
「人間の肉体は最底部をなすものであるから、肉体的動きの以前に於いて必ず霊的動きが有る。また、肉体的には小さな行為であつても霊的には大きな意味や働きをしている場合が多い。」
「天界で起こった出来事は必ず現界にも起こる。しかし、その時の現界の状況にもある程度左右され、早くなったり逆に遅くなったりする場合がある。また、時によっては順序が違う場合もある。」
「天人や天使の行為が人間にうつるのであるが、逆に人間の自由や能力の如何によっての行為も天界や霊界に反映する。日本や外国では土地が違うように天界へのうつり方も違うのである。」
「悪いこと(天災や戦争や世の中の騒動や混乱など)を待つ心は魔の心である。いつどこにそれらが来たり、起ったりするのかと待ち望んでいるような心は悪魔に使われているのである。」
以上の記述内容が霊界と現界について記述されている内容である。
私達人間は生きている間は常に日月神示に記述されている内容を意識して実践しいつも神様に感謝して善一筋で生きることである。
ー(霊能者・岡田茂吉の説く霊界と現界の関係)ー
抑々、宗教に関心を持つ場合、先ず徹底的に理解するにはどうしても霊界と現界の関係をしらねばならない。
何となれば宗教信仰の対象は神仏であり神仏とは霊であるからで肉眼で見る能わざる以上、理論のみによって実態を把握せんとしても、それは木によって魚を求むるの愚である。
しかしながらこの世界には神も仏も立派に実在している以上、否定し去ることも無論不可能である。丁度野蛮人に向かって空気の存在を認識させようとしても頗る困難であると同様、現代人の大多数に霊の実在を認識させることの困難さは無論である。岡田茂吉は上記のように言い放っている。
そして彼はまた、次のように言ったのである。
霊界の構成、霊界人の生活等にわたってなるべく深く説明してみよう。
抑々人間とは肉体と霊体とのニ元素から成り立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが離脱の場合極善者は額から、極悪者は足の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺りから霊は離脱するのであって仏教に於いては死ぬ事を往生と言うがこれは霊界から見れば生まれ住くからである。
又、死ぬ前を生前と言い、神道や仏教に於いては帰幽と言い転帰というのも同様の理である。
そうして霊界人となるや昔から言われている通り、先ず三途の川を渡り閻魔の庁に行くのであるが、これは事実であって、岡田茂吉本人は霊能者であった為に多数の霊から聞いたそれはすべて一致していた、というのだ。
閻魔の庁とは現界に於ける裁判所と同じである。しかし罪を裁くのは閻魔大王だけである。人間界のように弁護士のような霊はいないのだ。
しかも三途の川を渡り終わるや屍衣の色が変化するというのだ。
即ち罪穢の最も少なきものは白、次は各薄色、黄色、赤色、青色、黒色というように、罪穢の軽量に従い上記の如き色彩になるのである。つまり原色にすると⚪️◯🟡🔴🔵⚫️ということになる。
只紫🟣だけは神衣としてある。閻魔の庁に於いては祓戸の神が主任となり各冥官が審問に当たり、其々相応の賞罰を決めるのであるがその際、極善人は天国又は極楽に、極悪人は地獄へ堕ちるのであって、普通人は中有界、神道にては 八衢、仏教にては六道の辻と称する所に行くのであるが、大多数はこの中有界に行き此処で修行するのである。
修行を受ける第一は教誨師の講和を聴くので、それによって改心の出来たものは天国へ住き、然らざるものは地獄住きとなるのである。
上記の修養期間は大体三十年を限度とし行先が決まるのである。
教誨師は各宗派の教師が当たることになっている、と岡田茂吉は言っている。
さて、大本の聖師・出口王仁三郎の霊界については彼の著書『霊界物語』に詳しく記述されている。
大体は岡田茂吉と同じであるが、中有界の改心の為の修行については、それぞれグループ化されていて、そのグループの長が講師として教えるのだという、のだ。
そしてそのグループの人数であるが50人程度から10万人程度までのグループであるらしい。
つまり、小さいグループは50人程度。大きなグループは10万人程度ということだ。
私は岡田茂吉も出口王仁三郎も間違った事は言っていないと思っている。
このことは日月神示の内容から霊界については想像が出来るのである。
そして霊界に於ける霊層界であるが161段ある。
最奥天国が1段。
第一天国が20段。
第二天国が20段。
第三天国が20段。
中有界(上)が20段。
中有界(中)が20段。
中有界(下)が20段。
地獄界(上)が20段。
地獄界(中)が20段。
地獄界(下)が20段。
合計 181段である。
上記の霊層界を人間界で役目を終えた霊魂は上にいったり、下にいったりと移動しているのである。
人間は人間界にいる時に神様の実在を信じ、また、毎日の生き方は「善一筋」で生きたいものである。
いや、「善一筋」で生きなければならないのだ!
(参考文献)
日月神示
御神書
(関連人物)
岡本天明
岡田茂吉
20
あなたにおすすめの小説
ノストラダムスの大予言とひふみ神示
蔵屋
ミステリー
私が高校三年生の時、ある書籍を読んだことがある。
その書籍とは『ノストラダムスの大予言』である。
1973年に祥伝社から発行された五島勉氏の著書。
「ノストラダムスの大予言
迫りくる1999年7の月人類滅亡の日」
今回、このノストラダムスの大予言について考えて見たい。
そして聖典とも言える『ひふみ神示』について分かりやすく解説していきたい。
この小説が読者の皆様の何かのお役にたてれば幸いです。
令和八年二月吉日
小説家 蔵屋日唱
【最新版】 日月神示
蔵屋
ミステリー
私は思想と言論の自由のもと、此処に岡本天明氏が最高級神霊の神憑りにあい神の意志により自動書記さされた日月神示の内容を編集し今回『【最新版】日月神示』として小説を執筆致しました。
この日月神示は第二次世界大戦中に自動書記されたものであるにも関らず今尚斬新なものであり、その多くは現代社会の通説、また、価値観と著しく異なるものだからです。
この日月神示を読み解いていきますと
次のようなことがわかったのです。
即ち『悪は滅び善は必ず栄えるのだ』と。
そして既に始まっている三千世界の大洗濯によりこの世の最後の審判でこの世の偽悪醜に満ちた世界を綺麗にする浄化作用により罪深き者は滅びる一方でひたすら善一筋で質素に生きた人は幸せな人生を歩んでいる、ということも分かったのです。
さて、最近日月神示の予言本に不安を抱いている方もあると思うがまったく心配いらない。
何故なら日月神示では「取り越し苦労や過ぎ越し苦労はするな!」
「今に生きよ!」
「善一筋で生きよ!」
「身魂磨きをせよ!」
「人間の正しい生き方」
「人間の正しい食生活」
「人間の正しい夫婦のあり方」
「身も心も神さまからお借りしているのじゃから夜になって寝る前に神さまに一旦お返しするのじゃ。そうしたら身と心をどのようにしたらよいか、分かるじゃろ!」
たったのこれだけを守れば良いということだ。
根拠のない書籍や情報源等に惑わされてはダメだ。
日月神示も出口王仁三郎もそのようなことは一切言っていない。
これらの書籍や情報源は「日月神示」が警告する「臣民を惑わすものが出てくるから気をつけよ!」
という言葉に注目して欲しい。
今回、私は読者の皆さんに間違った解釈をされている日月神示を分かりやすく解説していくことにしました。
どうか、最後までお読み下さい。
日月神示の予言については、私が執筆中の「神典日月神示の真実」をお読み下さい。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
【ミステリー小説】 大奥無頼帳
蔵屋
ミステリー
この物語は歴史上の人物を登場人物としていますが、私が脚色を加えたフィクションです。
この物語の登場人物、団体等の名称等が実在していても一切関係ありません。
それでは私が執筆を開始しましたミステリー小説『大奥無頼帳』を最後までお楽しみ下さい。
時は徳川家綱の時代。しかしこの四代将軍の幕府に反旗を翻した化け者達がいた。
豊臣秀頼、徳川忠長、天草四郎、二代将軍正室・お江与の方達だ。既にこの世を去っていたが魔界から蘇り怨霊となって徳川幕府打倒の為結束した。
魔界の頂点に君臨するのは細川ガラシャであった。
大奥という魔物の世界へ今怨霊達が立ち向かう。
この物語の始まりです。
世にも奇妙な世界 弥勒の世
蔵屋
キャラ文芸
私は、日本神道の家に生まれ、長年、神さまの教えに触れ、神さまとともに生きてきました。するとどうでしょう。神さまのことがよくわかるようになりました。また、私の家は、真言密教を信仰する家でもありました。しかし、私は日月神示の教えに出会い、私の日本神道と仏教についての考え方は一変しました。何故なら、日月神示の教えこそが、私達人類が暮らしている大宇宙の真理であると隠ししたからです。そして、出口なおという人物の『お筆先』、出口王仁三郎の『霊界物語』、岡田茂吉の『御神書(六冊)』、『旧約聖書』、『新訳聖書』、『イエス・キリストの福音書(四冊)』、『法華経』などを学問として、研究し早いもので、もう26年になります。だからこそ、この『奇妙な世界 弥勒の世』という小説を執筆することが出来るのです。
私が執筆した小説は、思想と言論の自由に基づいています。また、特定の人物、団体、機関を否定し、批判し、攻撃するものではありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる