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蜂蜜の思い出【2】
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◇
ミルクに溶けた蜂蜜の香りに、ユシウスも当時の記憶を思い起こした。
当時はまだ、レネの体調は冬になってもそこまで悪くはなかった。ただ、いつもより少し元気がないかな、と思う程度のものだった。
ユシウスの勉強の時間にはきっちりと付き合ってくれて、たまに良い答えをすると頭を撫でて褒めてくれる時もあった。この頃は、レネがたまに見せる黒い靄のことも忘れていて、すっかり気分屋だが優しさも垣間見せる彼のことが大好きになっていた。
そしてレネになにか贈り物をしたいと思い始めたのも、この頃だった。
今思うと、獣人の本能で、好きな相手に自分で狩った獲物を贈る大人狼の真似事をしていたのだろう。
とにかくレネに何かあげて喜ばれたい衝動を我慢できなくて、自由時間になると森に入り、必死になって色々と探した。
レネが喜んでくれそうな、綺麗な木の実、穴の開いていない大きな葉っぱ、川底の丸い石……。今思い返すとガラクタ以下のゴミのようなものを、毎日持ち帰ってレネにあげていた。顔から火が出そうだ。よくレネは怒らなかったな、と感心してしまう。さすがにすぐ捨てられていたとは思うが、レネは毎回律儀にそれらを受け取ってくれていた。
◇
その日、崖に群生した低木に蜂の巣があり、獣人の嗅覚が甘い匂いを嗅ぎ取った。
もっと慎重になればよかったものを、最近の「献上品」で一番上等な獲物を見つけた嬉しさが上回て、いそいそと崖を降りていった。
結果、足を滑らせて巣ごと転落し、頭を打ったのか、気付いたら夜になっていた。
足はくじいていなかった。夜目も聞くし、水車小屋の方向も分かる。この時はそこまで大げさに考えていなかった。ただ、レネの夕食の支度をしなくちゃ、と思っていた。
どこかに転がっていってしまった蜂の巣が諦めきれなくて、しばらくウロウロしていると、下草を踏む足音が聞こえてきた。
すぐに気配でレネだと分かった。
(もしかして僕を探しに? ……あ、お腹がすいてらっしゃるんだ!)
とっくに深夜になっているとも知らずに、馬鹿な自分は能天気なことを考えていた。夕食の時間になっても準備をしないユシウスにしびれを切らして、迎えに来てくれたのだと。
急いで駆け寄ろうとして、すぐに立ち止まった。本能的に、レネに近づくのを身体が拒否していた。
夜の闇の中を、ゆっくり足音が近づいてくる。息遣いがすぐそばで聞こえるようだった。
「ユシウス?そこにいるのですか?」
優しい声だった。心配そうな響きも含んでいる。なのに足が動いてくれなかった。
「いるんでしょう?どうして返事をしないのですか?怪我をしたのですか?」
レネの足音が止まる。
「どうして無視するのですか? なぜ、夜になっても帰ってこない……ずっと待っていたのに。お前が戻ってこないから、夕食を作って待っていたのに」
レネに料理をさせてしまった事実に、別の意味で胃が痛くなった。
「ユシウス、聞こえているのでしょう。今出てくれば怒りません。こちらへおいで」
すぐそばまで来ているのに、なぜかレネはそれ以上近寄ってこようとしない。優しく言葉で促すだけだ。
「お前の欲しがっていた料理の本を買ってきましたよ。それに猪の干し肉も。お前の好物でしょう?家に戻ったらあげましょう、だから……わたくしが我慢している内に、はやくこっちへこい」
ユシウスは半歩後ろに下がった。心臓が早鐘を打ち、冷や汗がだらだらと顔に垂れてくる。
レネの様子が変だった。なにがどう、変なのかは説明できない。とにかく怖くて、怖くて、それしか考えられなかった。
(謝らないと、はやく謝らないと!でも、足が、そっちに動かないっ)
もはや泣きたいくらい慌てて、声を出すことも出来なかった。
はあああ、とわざとらしいほど長いため息が聞こえて、身体がビクンと震えた。
「来ませんか……せっかくお前が自分で選べるよう時間をあげたのに。なら、わたくしが行きましょう。そこを動かないでくださいね」
レネが近づくと、ユシウスは慌てて後ろへ下がった。無感情な声が、闇の中から聞こえた。
「うごくなというのに」
瞬間、レネのいる方向と真逆に向かって足をも連れさせながら駆けだした。頭を打っているせいか、ふらふらする。
そして木の根元に回り込んだ瞬間、足首に何かが巻き付いた。
「ひっ、ぅあ」
そのまま物凄い力で地面を引き摺られ、あっという間に元居た場所まで戻ってきてしまった。
さっきと違うのは、木の蔦によって逆さ吊りにされ、目の前にレネの白い顔があることだ。
「……おかえり、ユシウス」
レネの手がそっとユシウスの頭を撫でる。
「瘤ができていますよ。かわいそうに。逃げる途中で転んだんですね」
「にげて、ません。ぼく、違うんです、崖から落ちて」
レネは愉快そうに喉の奥でくつくつと笑った。
「嘘ばかり。お前の目と身のこなしで崖から落ちるなんてありえません。……お仕置きは逃げた分だけにしようと思っていたのに、嘘吐きの分もしなくてはいけませんか?」
ぽろ、と涙がこぼれた。弁解したいのに、レネの静かな剣幕に気圧されてしまってそれもままならない。
「泣く必要はありませんよ。泣いても見逃す気はないですから。……昔だったら、お前を小さくして籠にいれたり、わたくしから離れた途端息ができなくなるようにしてやる事だってできたのに……別の方法を考えなくては」
空中に逆さ吊りのまま、ユシウスは必死で腕に抱えていたものを前に押しやった。
「これっ、これをレネ様にあげたくてっ、崖の途中にあったけど、僕なら取れると思って……心配かけてごめんなさい!」
レネは無言でそれに手を触れた。木の根元で見つけた蜂の巣だ。
地面を引き摺られながらも、必死に抱きしめていた。
「……なんでまた、こんなものを」
「レネ様、甘いものがお好きですよね」
ぴたりとレネの手が止まった。
「別に、そうでもありません」
「え……そう、ですか」
蜂の巣を抱いた手から力が抜けた。地面にごろりと落ちた巣から、甘い匂いが漂ってくる。
「落ちましたよ」
「もういいんです、ごめんなさい。あの、レネ様」
「なんです」
「……頭が、くらくらします」
木の蔦が緩んだかと思うと、地面に落ちる前に、レネの腕に抱きかかえられていた。思いのほか力強い腕に抱えられて、蜂蜜よりも甘い花の香りがユシウスを包み込んだ。
木の蔦は地面に落ちた蜂の巣を拾ってユシウスの腹に乗せると、シュルシュルと森の中へ戻っていった。
「帰ったら夕食の前に手当てをしますよ。今夜は熱が出るかもしれないから、お前が眠るまで付き添います」
ぼうっとしたまま、お腹の上の蜂の巣を見つめた。レネの言っていることが耳を素通りしてしまう。
「……レネ様に喜んで欲しかった」
レネは踵を返して、夜の森を小屋へと歩いていく。その歩みはいつもよりゆっくりだ。
「……いつもみたいに小石や木の実で良かったじゃありませんか。怪我までして。お前は本当に馬鹿な子ですね」
「だって……あんなの誰でも拾ってこれます。レネ様にはもっと珍しくて、貴重なものじゃないと」
「わたくしが何を好むか、お前が勝手に決めてかかるのですか?わたくしに聞きもせずに?」
ぴしゃんと言い放たれて、ユシウスはレネの腕の中で縮こまった。
「……聞いたら、絶対僕には用意できないから」
「なにが」
「宝石とか、毛皮とか……僕にはそんな良いもの、あげられないから」
今度は舌打ちが聞こえた。
「わたくしを守銭奴のように言うのはやめなさい、失礼な。だいたい、もしそうした物が欲しければ、わざわざお前に強請るまでもない。自分で求めます。……というか、まだ根に持っているのですか?」
ユシウスがきょとんと首を傾げると、レネは「何でもありません」と言った。
「帰ったら、それでハニーミルクを淹れてください」
ユシウスはぱっと顔を上げた。下から見上げるレネの顔は表情がよく分からない。不機嫌そうにきゅっと結んだ口許だけはよく見ることが出来た。
「レネ様、甘いものお嫌いなんじゃ……」
「好きではないですが、嫌いでもありません」
◇
(甘党のくせに。昔から素直じゃないんだから)
思い出し笑いを耳にして、レネがぐいっと腕を突き出した。
「おかわり」
あの頃、腰まであったレネの長い髪は、今は胸元までの長さだ。朝、丁寧に梳かしてやるのはユシウスの大事な習慣だった。
「はいはい、今度はちょっと温めにしますね。レネ様はお子様舌ですもんね」
「ふん、子供の頃の方があなたは素直でかわいかった」
ユシウスは驚いてレネを見つめた。
「かわいかったんですか?あんな愚図で文字も読めなくて、やせぎすの汚い毛玉みたいな俺が?」
今度はレネが驚いたように口を小さく開けたが、そのまま何かをこらえるように、揺り椅子を前後に動かした。
やがて、冷え切った声で、ぼそぼそとつぶやく。
「え?なんですか」
「……だから、どうしてあなたは、自分のことをそんな風に見下して語るのですか!わたくしはそりゃ、あなたに優しくないことも散々言ってきましたけれど……だからって、……もういいです。どうせみんな、わたくしが悪いと思ってるんでしょう」
ふんと鼻を鳴らし、毛布をぐいと引っ張ると、頭からかぶってしまう。
ユシウスは何がレネの気分を害したのはさっぱりわからず、困りきって周りをウロウロした。
「レネ様が悪いことなんて一個もないですよ。ね、お顔出してください。せめて怒ってる理由を教えてくれませんか?」
毛布の塊は押し黙ったまま、うんともすんとも言わない。
「レネ様~」
最後の手段で、強気の甘え倒しに出てみる。毛布に縋って揺り椅子ごと揺らすと、苛立ちをあらわにして、レネが顔を出してくれた。
「……悪口を言わないでください」
「誰のですか?」
「だ、か、ら!あなたの!わたくしの所有物に文句をつけるなんて、たとえあなた自身でも許しませんよ。だいたい、昔のあなただって、今と同じくらいふかふかした手触りの良い毛並みだったし、お耳は触るとぴこぴこして可愛かったし、お勉強もわたくしに褒められようと頑張っていたし」
レネはむきになったように、どんどん早口になった。ユシウスはあんぐり口を開けて固まっていたが、次第に顔が熱くなってきた。レネは見えないので、勿論そんな事には気付かない。
「料理が上手いし、狩りも出来るし、手先が器用だし……ええと、他に何かありましたっけ」
「レネ様」
「待ちなさい!まだありますよ」
レネは怒ったように手を突き出した。邪魔するな、と言いたげだ。
「わたくしの髪を梳かすのが上手いし、パン作りが上手いし、ジャムが美味しいし」
だいぶ食に偏ってきた。胃袋を掴んでおいてよかったな、と心底思う。
(ガキの俺、その苦労、ちゃんと報われるから安心しろ)
そしてなんとなく、レネの言わんとしていることを察することもできた。
「レネ様、分かりました。俺が間違ってました。子供の俺も、レネ様のために一生懸命がんばってましたよね」
「……ん」
「それなのに馬鹿にしたら、かわいそうですよね」
「ん、分かればいいのです」
ふんと鼻を鳴らす。ユシウスはだらしなく口元がにやけるのを自覚しながら、我慢できずレネを毛布ごと抱きしめた。
「……鬱陶しい」
言いながら、肩に頭を凭れてくるレネに、胸の奥が甘く疼いた。
「鬱陶しくてごめんなさい。でも俺、レネ様のことが大好きだから、すぐこうしたくなっちゃうんですよね」
「ふん……なら、しょうがないですね」
ユシウスは甘えるように喉の奥で低い唸り声を出しながら、すりすりと毛布越しにレネに頬をこすり付けた。
最近はこうすると、少しだけレネに自分の匂いが染みつくような気がして、やめられない。
秋の夜は深まり、ユシウスは今日もこうして、レネの甘い匂いに満たされてゆく。
ミルクに溶けた蜂蜜の香りに、ユシウスも当時の記憶を思い起こした。
当時はまだ、レネの体調は冬になってもそこまで悪くはなかった。ただ、いつもより少し元気がないかな、と思う程度のものだった。
ユシウスの勉強の時間にはきっちりと付き合ってくれて、たまに良い答えをすると頭を撫でて褒めてくれる時もあった。この頃は、レネがたまに見せる黒い靄のことも忘れていて、すっかり気分屋だが優しさも垣間見せる彼のことが大好きになっていた。
そしてレネになにか贈り物をしたいと思い始めたのも、この頃だった。
今思うと、獣人の本能で、好きな相手に自分で狩った獲物を贈る大人狼の真似事をしていたのだろう。
とにかくレネに何かあげて喜ばれたい衝動を我慢できなくて、自由時間になると森に入り、必死になって色々と探した。
レネが喜んでくれそうな、綺麗な木の実、穴の開いていない大きな葉っぱ、川底の丸い石……。今思い返すとガラクタ以下のゴミのようなものを、毎日持ち帰ってレネにあげていた。顔から火が出そうだ。よくレネは怒らなかったな、と感心してしまう。さすがにすぐ捨てられていたとは思うが、レネは毎回律儀にそれらを受け取ってくれていた。
◇
その日、崖に群生した低木に蜂の巣があり、獣人の嗅覚が甘い匂いを嗅ぎ取った。
もっと慎重になればよかったものを、最近の「献上品」で一番上等な獲物を見つけた嬉しさが上回て、いそいそと崖を降りていった。
結果、足を滑らせて巣ごと転落し、頭を打ったのか、気付いたら夜になっていた。
足はくじいていなかった。夜目も聞くし、水車小屋の方向も分かる。この時はそこまで大げさに考えていなかった。ただ、レネの夕食の支度をしなくちゃ、と思っていた。
どこかに転がっていってしまった蜂の巣が諦めきれなくて、しばらくウロウロしていると、下草を踏む足音が聞こえてきた。
すぐに気配でレネだと分かった。
(もしかして僕を探しに? ……あ、お腹がすいてらっしゃるんだ!)
とっくに深夜になっているとも知らずに、馬鹿な自分は能天気なことを考えていた。夕食の時間になっても準備をしないユシウスにしびれを切らして、迎えに来てくれたのだと。
急いで駆け寄ろうとして、すぐに立ち止まった。本能的に、レネに近づくのを身体が拒否していた。
夜の闇の中を、ゆっくり足音が近づいてくる。息遣いがすぐそばで聞こえるようだった。
「ユシウス?そこにいるのですか?」
優しい声だった。心配そうな響きも含んでいる。なのに足が動いてくれなかった。
「いるんでしょう?どうして返事をしないのですか?怪我をしたのですか?」
レネの足音が止まる。
「どうして無視するのですか? なぜ、夜になっても帰ってこない……ずっと待っていたのに。お前が戻ってこないから、夕食を作って待っていたのに」
レネに料理をさせてしまった事実に、別の意味で胃が痛くなった。
「ユシウス、聞こえているのでしょう。今出てくれば怒りません。こちらへおいで」
すぐそばまで来ているのに、なぜかレネはそれ以上近寄ってこようとしない。優しく言葉で促すだけだ。
「お前の欲しがっていた料理の本を買ってきましたよ。それに猪の干し肉も。お前の好物でしょう?家に戻ったらあげましょう、だから……わたくしが我慢している内に、はやくこっちへこい」
ユシウスは半歩後ろに下がった。心臓が早鐘を打ち、冷や汗がだらだらと顔に垂れてくる。
レネの様子が変だった。なにがどう、変なのかは説明できない。とにかく怖くて、怖くて、それしか考えられなかった。
(謝らないと、はやく謝らないと!でも、足が、そっちに動かないっ)
もはや泣きたいくらい慌てて、声を出すことも出来なかった。
はあああ、とわざとらしいほど長いため息が聞こえて、身体がビクンと震えた。
「来ませんか……せっかくお前が自分で選べるよう時間をあげたのに。なら、わたくしが行きましょう。そこを動かないでくださいね」
レネが近づくと、ユシウスは慌てて後ろへ下がった。無感情な声が、闇の中から聞こえた。
「うごくなというのに」
瞬間、レネのいる方向と真逆に向かって足をも連れさせながら駆けだした。頭を打っているせいか、ふらふらする。
そして木の根元に回り込んだ瞬間、足首に何かが巻き付いた。
「ひっ、ぅあ」
そのまま物凄い力で地面を引き摺られ、あっという間に元居た場所まで戻ってきてしまった。
さっきと違うのは、木の蔦によって逆さ吊りにされ、目の前にレネの白い顔があることだ。
「……おかえり、ユシウス」
レネの手がそっとユシウスの頭を撫でる。
「瘤ができていますよ。かわいそうに。逃げる途中で転んだんですね」
「にげて、ません。ぼく、違うんです、崖から落ちて」
レネは愉快そうに喉の奥でくつくつと笑った。
「嘘ばかり。お前の目と身のこなしで崖から落ちるなんてありえません。……お仕置きは逃げた分だけにしようと思っていたのに、嘘吐きの分もしなくてはいけませんか?」
ぽろ、と涙がこぼれた。弁解したいのに、レネの静かな剣幕に気圧されてしまってそれもままならない。
「泣く必要はありませんよ。泣いても見逃す気はないですから。……昔だったら、お前を小さくして籠にいれたり、わたくしから離れた途端息ができなくなるようにしてやる事だってできたのに……別の方法を考えなくては」
空中に逆さ吊りのまま、ユシウスは必死で腕に抱えていたものを前に押しやった。
「これっ、これをレネ様にあげたくてっ、崖の途中にあったけど、僕なら取れると思って……心配かけてごめんなさい!」
レネは無言でそれに手を触れた。木の根元で見つけた蜂の巣だ。
地面を引き摺られながらも、必死に抱きしめていた。
「……なんでまた、こんなものを」
「レネ様、甘いものがお好きですよね」
ぴたりとレネの手が止まった。
「別に、そうでもありません」
「え……そう、ですか」
蜂の巣を抱いた手から力が抜けた。地面にごろりと落ちた巣から、甘い匂いが漂ってくる。
「落ちましたよ」
「もういいんです、ごめんなさい。あの、レネ様」
「なんです」
「……頭が、くらくらします」
木の蔦が緩んだかと思うと、地面に落ちる前に、レネの腕に抱きかかえられていた。思いのほか力強い腕に抱えられて、蜂蜜よりも甘い花の香りがユシウスを包み込んだ。
木の蔦は地面に落ちた蜂の巣を拾ってユシウスの腹に乗せると、シュルシュルと森の中へ戻っていった。
「帰ったら夕食の前に手当てをしますよ。今夜は熱が出るかもしれないから、お前が眠るまで付き添います」
ぼうっとしたまま、お腹の上の蜂の巣を見つめた。レネの言っていることが耳を素通りしてしまう。
「……レネ様に喜んで欲しかった」
レネは踵を返して、夜の森を小屋へと歩いていく。その歩みはいつもよりゆっくりだ。
「……いつもみたいに小石や木の実で良かったじゃありませんか。怪我までして。お前は本当に馬鹿な子ですね」
「だって……あんなの誰でも拾ってこれます。レネ様にはもっと珍しくて、貴重なものじゃないと」
「わたくしが何を好むか、お前が勝手に決めてかかるのですか?わたくしに聞きもせずに?」
ぴしゃんと言い放たれて、ユシウスはレネの腕の中で縮こまった。
「……聞いたら、絶対僕には用意できないから」
「なにが」
「宝石とか、毛皮とか……僕にはそんな良いもの、あげられないから」
今度は舌打ちが聞こえた。
「わたくしを守銭奴のように言うのはやめなさい、失礼な。だいたい、もしそうした物が欲しければ、わざわざお前に強請るまでもない。自分で求めます。……というか、まだ根に持っているのですか?」
ユシウスがきょとんと首を傾げると、レネは「何でもありません」と言った。
「帰ったら、それでハニーミルクを淹れてください」
ユシウスはぱっと顔を上げた。下から見上げるレネの顔は表情がよく分からない。不機嫌そうにきゅっと結んだ口許だけはよく見ることが出来た。
「レネ様、甘いものお嫌いなんじゃ……」
「好きではないですが、嫌いでもありません」
◇
(甘党のくせに。昔から素直じゃないんだから)
思い出し笑いを耳にして、レネがぐいっと腕を突き出した。
「おかわり」
あの頃、腰まであったレネの長い髪は、今は胸元までの長さだ。朝、丁寧に梳かしてやるのはユシウスの大事な習慣だった。
「はいはい、今度はちょっと温めにしますね。レネ様はお子様舌ですもんね」
「ふん、子供の頃の方があなたは素直でかわいかった」
ユシウスは驚いてレネを見つめた。
「かわいかったんですか?あんな愚図で文字も読めなくて、やせぎすの汚い毛玉みたいな俺が?」
今度はレネが驚いたように口を小さく開けたが、そのまま何かをこらえるように、揺り椅子を前後に動かした。
やがて、冷え切った声で、ぼそぼそとつぶやく。
「え?なんですか」
「……だから、どうしてあなたは、自分のことをそんな風に見下して語るのですか!わたくしはそりゃ、あなたに優しくないことも散々言ってきましたけれど……だからって、……もういいです。どうせみんな、わたくしが悪いと思ってるんでしょう」
ふんと鼻を鳴らし、毛布をぐいと引っ張ると、頭からかぶってしまう。
ユシウスは何がレネの気分を害したのはさっぱりわからず、困りきって周りをウロウロした。
「レネ様が悪いことなんて一個もないですよ。ね、お顔出してください。せめて怒ってる理由を教えてくれませんか?」
毛布の塊は押し黙ったまま、うんともすんとも言わない。
「レネ様~」
最後の手段で、強気の甘え倒しに出てみる。毛布に縋って揺り椅子ごと揺らすと、苛立ちをあらわにして、レネが顔を出してくれた。
「……悪口を言わないでください」
「誰のですか?」
「だ、か、ら!あなたの!わたくしの所有物に文句をつけるなんて、たとえあなた自身でも許しませんよ。だいたい、昔のあなただって、今と同じくらいふかふかした手触りの良い毛並みだったし、お耳は触るとぴこぴこして可愛かったし、お勉強もわたくしに褒められようと頑張っていたし」
レネはむきになったように、どんどん早口になった。ユシウスはあんぐり口を開けて固まっていたが、次第に顔が熱くなってきた。レネは見えないので、勿論そんな事には気付かない。
「料理が上手いし、狩りも出来るし、手先が器用だし……ええと、他に何かありましたっけ」
「レネ様」
「待ちなさい!まだありますよ」
レネは怒ったように手を突き出した。邪魔するな、と言いたげだ。
「わたくしの髪を梳かすのが上手いし、パン作りが上手いし、ジャムが美味しいし」
だいぶ食に偏ってきた。胃袋を掴んでおいてよかったな、と心底思う。
(ガキの俺、その苦労、ちゃんと報われるから安心しろ)
そしてなんとなく、レネの言わんとしていることを察することもできた。
「レネ様、分かりました。俺が間違ってました。子供の俺も、レネ様のために一生懸命がんばってましたよね」
「……ん」
「それなのに馬鹿にしたら、かわいそうですよね」
「ん、分かればいいのです」
ふんと鼻を鳴らす。ユシウスはだらしなく口元がにやけるのを自覚しながら、我慢できずレネを毛布ごと抱きしめた。
「……鬱陶しい」
言いながら、肩に頭を凭れてくるレネに、胸の奥が甘く疼いた。
「鬱陶しくてごめんなさい。でも俺、レネ様のことが大好きだから、すぐこうしたくなっちゃうんですよね」
「ふん……なら、しょうがないですね」
ユシウスは甘えるように喉の奥で低い唸り声を出しながら、すりすりと毛布越しにレネに頬をこすり付けた。
最近はこうすると、少しだけレネに自分の匂いが染みつくような気がして、やめられない。
秋の夜は深まり、ユシウスは今日もこうして、レネの甘い匂いに満たされてゆく。
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