32 / 43
ロザンナからの手紙
しおりを挟む
ザァーザァーと、大粒の雨が窓ガラスを叩いている。しばらくして雨脚は弱まったが、しとしとと夜通し降り続いた。
(レネ様が言ってた『濁り雨』だな)
獣人の鼻なら気付くことが出来る。雨の中にかすかに混じる、動物の肉が腐ったような匂い。大地に恵みをもたらす雨ではなく、異質な、よくないものが混じった雨……レネが言うには、それが濁り雨だそうだ。
「なんでそんな雨が降るんです?聖女様の御力で、恵みの雨しか降らないはずでは?」
「……何事も、良いことばかりが続くわけではありません。ましてや天候など、一人の人間が制御できる力の範囲を超えています。ユシウス、あなたは鼻が利くから分かるでしょう。濁り雨の降る日はなるべく外に出ないようにしなさい」
くん、と匂いを嗅ぐ。レネの甘い花のような香りとは別の、かすかな濁り雨の匂い。こういう日は決まって、レネの頭痛も酷くなる。
レオニールと町で再会したのは半月前。あの時はまだ暖かく、レネの体調も良かった。坂道を下るように、レネが倦怠感と頭痛、熱っぽさに弱り始めると、冬の足音を感じる。年々、症状が重くなっている気がして、不安を打ち消すように、レネの前では殊更明るく振舞うのが癖になった。
(大丈夫、春になればレネ様は元気になる。毎年そうだったんだから)
雪が積もる前に、冬ごもりに必要なものが揃っているか確認しておこう。
明け方、ユシウスは名残惜しさを感じつつレネから離れて、一階に降りた。
食料貯蔵室の備蓄を確認して、裏手に積んだ薪の束をざっと数える。毎年のことなので慣れたものだ。
白い息を吐いて手を揉んでいると、生け垣の上にバサッとミミズクが舞い降りた。
つぶらな目がユシウスをじっと見つめる。
「やあ、ドロテア。久しぶり」
気さくに笑いかけると、ミミズクは首を傾げた。
「あれ、ドロテアだよね?……もしかしてミミズク違い?」
ミミズクがけたけたと笑い声をあげた。傍から見ると不気味だが、ユシウスはもう慣れているので苦笑したのみだった。
「ううん、あたしよ。結界の様子を見にこっちまで飛んできたの。そしたら森の入り口で女の子がうろうろしていたから、報せといたほうがいいかしらと思って」
「女の子?薬を買いにきたのかな。でもそれなら、森の結界が中に入れてくれるはずだろ」
トエリ村の一件以来、ドロテアが結界を強化してくれたため、どうしてもレネの薬を必要とする人間以外は森に入ることが出来なくなっている。ユシウスも弱っているレネの代わりに、そういう客の応対を何度かしてきたから、確かだ。
彼らの中には、レネリウス・ザラと知って薬を買い求める者もいる。
「赤いマントを羽織った金髪の可愛らしい子だったわよ。困ってるかと思って、私、傍に降りて行って」
「まさか話しかけた?」
「いけなかった?」
ユシウスは眉をひそめた。多分ロザンナのことだろう。実は何度か森の入り口まで来ているのを見かけたが、今までのように中に入ってこれないからと放っておいたのだった。悪い娘ではないが、如何せん、彼女と関わったために起きた諸々の苦い思いが消えることはない。とくにレネの怪我を思い出すと、いまだはらわたが煮えくり返る。
「ちゃんと人間の姿で話しかけたから安心して。君に会いたくてずっと通ってたみたい。手紙を預かったわ」
羽根の下から嘴で小さな紙切れを取り出す。
手に取って見ると、小さな文字が走り書きされていた。
『親愛なるユシウスへ
お元気ですか。あれから森に入れなくて、あなたが無事でいるかずっと心配でした。
村の人たちが大きな狼を毒矢で射ったと聞いて、もしかしてユシウスではないかと思うと涙が止まりませんでした。
どうしても話したいことがあります。次の満月の晩に森の入り口で待っています。魔法使いには言わないで。一人で来て。
ロザンナ』
ユシウスは読み終わると無表情になり、手の中の紙を細かく千切って捨てた。あらら、とミミズクが羽をばたつかせる。
「レネ様を襲ったことも、前に村人が石を投げたことも書いてない」
「あいつは嫌われてるからねぇ……行ってやらないの?」
「どこに?……ああ、行かないよ。レネ様の体調が心配だし、彼女と話すことはないから。それより、昼頃レネ様が起きるだろうから、それまでお茶でもどう?ケーキを出すよ」
「林檎抜き?」
「林檎抜き。さあどうぞ」
ドロテアを腕に乗せて家の中に招き入れると、ロザンナも手紙のことも、すっかり意識の外に忘れ去られていった。
(レネ様が言ってた『濁り雨』だな)
獣人の鼻なら気付くことが出来る。雨の中にかすかに混じる、動物の肉が腐ったような匂い。大地に恵みをもたらす雨ではなく、異質な、よくないものが混じった雨……レネが言うには、それが濁り雨だそうだ。
「なんでそんな雨が降るんです?聖女様の御力で、恵みの雨しか降らないはずでは?」
「……何事も、良いことばかりが続くわけではありません。ましてや天候など、一人の人間が制御できる力の範囲を超えています。ユシウス、あなたは鼻が利くから分かるでしょう。濁り雨の降る日はなるべく外に出ないようにしなさい」
くん、と匂いを嗅ぐ。レネの甘い花のような香りとは別の、かすかな濁り雨の匂い。こういう日は決まって、レネの頭痛も酷くなる。
レオニールと町で再会したのは半月前。あの時はまだ暖かく、レネの体調も良かった。坂道を下るように、レネが倦怠感と頭痛、熱っぽさに弱り始めると、冬の足音を感じる。年々、症状が重くなっている気がして、不安を打ち消すように、レネの前では殊更明るく振舞うのが癖になった。
(大丈夫、春になればレネ様は元気になる。毎年そうだったんだから)
雪が積もる前に、冬ごもりに必要なものが揃っているか確認しておこう。
明け方、ユシウスは名残惜しさを感じつつレネから離れて、一階に降りた。
食料貯蔵室の備蓄を確認して、裏手に積んだ薪の束をざっと数える。毎年のことなので慣れたものだ。
白い息を吐いて手を揉んでいると、生け垣の上にバサッとミミズクが舞い降りた。
つぶらな目がユシウスをじっと見つめる。
「やあ、ドロテア。久しぶり」
気さくに笑いかけると、ミミズクは首を傾げた。
「あれ、ドロテアだよね?……もしかしてミミズク違い?」
ミミズクがけたけたと笑い声をあげた。傍から見ると不気味だが、ユシウスはもう慣れているので苦笑したのみだった。
「ううん、あたしよ。結界の様子を見にこっちまで飛んできたの。そしたら森の入り口で女の子がうろうろしていたから、報せといたほうがいいかしらと思って」
「女の子?薬を買いにきたのかな。でもそれなら、森の結界が中に入れてくれるはずだろ」
トエリ村の一件以来、ドロテアが結界を強化してくれたため、どうしてもレネの薬を必要とする人間以外は森に入ることが出来なくなっている。ユシウスも弱っているレネの代わりに、そういう客の応対を何度かしてきたから、確かだ。
彼らの中には、レネリウス・ザラと知って薬を買い求める者もいる。
「赤いマントを羽織った金髪の可愛らしい子だったわよ。困ってるかと思って、私、傍に降りて行って」
「まさか話しかけた?」
「いけなかった?」
ユシウスは眉をひそめた。多分ロザンナのことだろう。実は何度か森の入り口まで来ているのを見かけたが、今までのように中に入ってこれないからと放っておいたのだった。悪い娘ではないが、如何せん、彼女と関わったために起きた諸々の苦い思いが消えることはない。とくにレネの怪我を思い出すと、いまだはらわたが煮えくり返る。
「ちゃんと人間の姿で話しかけたから安心して。君に会いたくてずっと通ってたみたい。手紙を預かったわ」
羽根の下から嘴で小さな紙切れを取り出す。
手に取って見ると、小さな文字が走り書きされていた。
『親愛なるユシウスへ
お元気ですか。あれから森に入れなくて、あなたが無事でいるかずっと心配でした。
村の人たちが大きな狼を毒矢で射ったと聞いて、もしかしてユシウスではないかと思うと涙が止まりませんでした。
どうしても話したいことがあります。次の満月の晩に森の入り口で待っています。魔法使いには言わないで。一人で来て。
ロザンナ』
ユシウスは読み終わると無表情になり、手の中の紙を細かく千切って捨てた。あらら、とミミズクが羽をばたつかせる。
「レネ様を襲ったことも、前に村人が石を投げたことも書いてない」
「あいつは嫌われてるからねぇ……行ってやらないの?」
「どこに?……ああ、行かないよ。レネ様の体調が心配だし、彼女と話すことはないから。それより、昼頃レネ様が起きるだろうから、それまでお茶でもどう?ケーキを出すよ」
「林檎抜き?」
「林檎抜き。さあどうぞ」
ドロテアを腕に乗せて家の中に招き入れると、ロザンナも手紙のことも、すっかり意識の外に忘れ去られていった。
145
あなたにおすすめの小説
もう一度君に会えたなら、愛してると言わせてくれるだろうか
まんまる
BL
王太子であるテオバルトは、婚約者の公爵家三男のリアンを蔑ろにして、男爵令嬢のミランジュと常に行動を共にしている。
そんな時、ミランジュがリアンの差し金で酷い目にあったと泣きついて来た。
テオバルトはリアンの弁解も聞かず、一方的に責めてしまう。
そしてその日の夜、テオバルトの元に訃報が届く。
大人になりきれない王太子テオバルト×無口で一途な公爵家三男リアン
ハッピーエンドかどうかは読んでからのお楽しみという事で。
テオバルドとリアンの息子の第一王子のお話を《もう一度君に会えたなら~2》として上げました。
※画像は男の子メーカーpicrewさんよりお借りしました。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました
2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。
様々な形での応援ありがとうございます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる