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第六話:筆一本の喧嘩、その価値
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「海斗…!?」
わっちの唇から、驚きと安堵の入り混じった声が漏れた。
どうして、ここに。なぜ、わっちの名を。
疑問が渦巻く中、蔵之介が不快そうに顔をしかめ、海斗を睨みつけた。
「…貴様、何者だ。ここは、俺が薄雲太夫を身請けするための祝宴の席だぞ。無粋な真似は、命取りになると知れ」
威圧する蔵之介に対し、海斗は一歩も引かなかった。その手には、震える筆が一本握られているだけ。だというのに、彼の全身から放たれる気迫は、屈強な子分たちをたじろがせるほどだった。
「この人を、商品のように言うな」
「…ほう?」
「この人は、あんたのような男に汚されていい人じゃない。俺が…この人を、ここで身請けする」
海斗の言葉に、その場にいた誰もが耳を疑った。
蔵之介は、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 聞いたか、こいつの寝言を! しがない絵師風情が、この俺様と張り合って、薄雲太夫を身請けするだと? 身の程を知れ、青二才が!」
見世の者たちも、くすくすと嘲笑を漏らす。
花魁の身請け金は、家が一軒建つほどの大金だ。絵師が一生かかっても稼げる額ではない。
だが、海斗は動じなかった。
彼は、懐から一枚の摺物――版画を取り出し、蔵之介の眼前に突きつけた。
「これが、俺の手付け金だ」
そこに描かれていたのは、わっちの姿。『黎明の女神』だった。
あまりの美しさに、蔵之介の笑いがぴたりと止まる。
「…見事な絵だ。だが、こんな紙切れ一枚で、薄雲が手に入るとでも思ったか?」
「紙切れ一枚、ではない。これは、江戸中の男たちの“魂”だ」
海斗の言葉の意味が分からず、誰もが戸惑う。
その時、見世の階段を、版元の親父が息を切らしながら駆け上がってきた。
「ぜぇ…ぜぇ…海斗! てめえ、やっぱりここにいやがったか! おい、蔵之介の旦那!」
親父は、懐から金子の詰まった重そうな袋をいくつも取り出し、畳の上にぶちまけた。じゃらり、とけたたましい音が響く。
「こいつは、ほんの一部だ! 海斗の描いたあの美人画は、今、江戸中で飛ぶように売れてやがる! この絵を手に入れるために、武士も商人も、先を争って金を払ってんだ! これが、てめえの言う“紙切れ一枚”の価値だ!」
親父の言葉に、蔵之介の顔色が変わる。
嘲笑していた見世の者たちも、唖然としていた。
海斗は、わっちをまっすぐに見つめた。
その瞳は、初めて会った夜と同じ、情熱的な光を宿していた。
「薄雲。あんたの魂を描いた絵が、あんたの自由を買い戻してくれた。さあ、行こう」
彼は、わっちに手を差し伸べた。
その手は、墨で汚れ、震えていたけれど、世界で一番力強く、温かい手に見えた。
わっちは、もうためらわなかった。
涙で視界が滲む中、その手を掴もうとする。
その瞬間、嫉妬と怒りに顔を歪ませた蔵之介が、懐から短刀を抜き放った。
「ふざけるな…! 俺の“品”に、手を出そうというのか!」
鈍い銀色の光が、海斗の胸元を狙う。
「危ない!」
わっちは、考えるより先に身体が動いていた。
海斗を突き飛ばし、彼の前に立ちはだかる。
ぐさり、という鈍い音と共に、脇腹に焼けるような熱い痛みが走った。
「…っぐ…!」
赤い血が、豪華な打掛をじわりと濡らしていく。
意識が遠のく中、わっちの耳に聞こえたのは、海斗の絶叫だった。
「薄雲ぉぉぉぉっ!!」
ああ、海斗。
あんたが無事で、よかった。
わっちは、あんたの女神に、なれただろうか。
薄れていく意識の中で、わっちはただ、彼の腕の温もりだけを感じていた。
【続く】
わっちの唇から、驚きと安堵の入り混じった声が漏れた。
どうして、ここに。なぜ、わっちの名を。
疑問が渦巻く中、蔵之介が不快そうに顔をしかめ、海斗を睨みつけた。
「…貴様、何者だ。ここは、俺が薄雲太夫を身請けするための祝宴の席だぞ。無粋な真似は、命取りになると知れ」
威圧する蔵之介に対し、海斗は一歩も引かなかった。その手には、震える筆が一本握られているだけ。だというのに、彼の全身から放たれる気迫は、屈強な子分たちをたじろがせるほどだった。
「この人を、商品のように言うな」
「…ほう?」
「この人は、あんたのような男に汚されていい人じゃない。俺が…この人を、ここで身請けする」
海斗の言葉に、その場にいた誰もが耳を疑った。
蔵之介は、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 聞いたか、こいつの寝言を! しがない絵師風情が、この俺様と張り合って、薄雲太夫を身請けするだと? 身の程を知れ、青二才が!」
見世の者たちも、くすくすと嘲笑を漏らす。
花魁の身請け金は、家が一軒建つほどの大金だ。絵師が一生かかっても稼げる額ではない。
だが、海斗は動じなかった。
彼は、懐から一枚の摺物――版画を取り出し、蔵之介の眼前に突きつけた。
「これが、俺の手付け金だ」
そこに描かれていたのは、わっちの姿。『黎明の女神』だった。
あまりの美しさに、蔵之介の笑いがぴたりと止まる。
「…見事な絵だ。だが、こんな紙切れ一枚で、薄雲が手に入るとでも思ったか?」
「紙切れ一枚、ではない。これは、江戸中の男たちの“魂”だ」
海斗の言葉の意味が分からず、誰もが戸惑う。
その時、見世の階段を、版元の親父が息を切らしながら駆け上がってきた。
「ぜぇ…ぜぇ…海斗! てめえ、やっぱりここにいやがったか! おい、蔵之介の旦那!」
親父は、懐から金子の詰まった重そうな袋をいくつも取り出し、畳の上にぶちまけた。じゃらり、とけたたましい音が響く。
「こいつは、ほんの一部だ! 海斗の描いたあの美人画は、今、江戸中で飛ぶように売れてやがる! この絵を手に入れるために、武士も商人も、先を争って金を払ってんだ! これが、てめえの言う“紙切れ一枚”の価値だ!」
親父の言葉に、蔵之介の顔色が変わる。
嘲笑していた見世の者たちも、唖然としていた。
海斗は、わっちをまっすぐに見つめた。
その瞳は、初めて会った夜と同じ、情熱的な光を宿していた。
「薄雲。あんたの魂を描いた絵が、あんたの自由を買い戻してくれた。さあ、行こう」
彼は、わっちに手を差し伸べた。
その手は、墨で汚れ、震えていたけれど、世界で一番力強く、温かい手に見えた。
わっちは、もうためらわなかった。
涙で視界が滲む中、その手を掴もうとする。
その瞬間、嫉妬と怒りに顔を歪ませた蔵之介が、懐から短刀を抜き放った。
「ふざけるな…! 俺の“品”に、手を出そうというのか!」
鈍い銀色の光が、海斗の胸元を狙う。
「危ない!」
わっちは、考えるより先に身体が動いていた。
海斗を突き飛ばし、彼の前に立ちはだかる。
ぐさり、という鈍い音と共に、脇腹に焼けるような熱い痛みが走った。
「…っぐ…!」
赤い血が、豪華な打掛をじわりと濡らしていく。
意識が遠のく中、わっちの耳に聞こえたのは、海斗の絶叫だった。
「薄雲ぉぉぉぉっ!!」
ああ、海斗。
あんたが無事で、よかった。
わっちは、あんたの女神に、なれただろうか。
薄れていく意識の中で、わっちはただ、彼の腕の温もりだけを感じていた。
【続く】
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