男装子爵と王弟殿下

夢月 なぞる

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 近衛騎士たちはそれぞれ、カディス=ジャニスンとルーカス=ケテルと名乗った。
 ケテルは伯爵の名前だったと記憶していたが、ジャニスンがどこの家かエリアスはわからなかった。カディスの持つ色合いからかなり高位の家出身だと思ったが、ベルファストの上位貴族にその家名は存在しなかった。
 そんな自己紹介を受けながら、連れて行かれた先はなぜか、騎士学校の裏門だった。
 そこには見慣れない黒塗りの馬車が止まっていた。
 近衛騎士が乗ってきたものなのか、それに近付いていこうとする。
 その背にエリアスは嫌な予感がして声をかけた。

「あの、ところで、お話というのは、どういう……」
「ああ、それはね。あれに乗ってから説明するよ」

 ルーカスが馬車を指差したため、エリアスはその場に足を止めてしまう。

「えっと、お話なら馬車でなくとも」
「移動しながらのほうが時間が無駄にならないでしょ?」
「移動しながらとは? 一体どこへ……」
「それも中で話すから。さあ、どうぞ」

 ルーカスは馬車の側まで寄り、御者に手をあげ、扉を開けさせた。
 しかしエリアスはルーカスに促されるまま、馬車に乗り込む気にはなれない。

「えっと、行き先もわからないまま馬車に乗れないというか……」
「つべこべいわず、乗れ!」

 突然背後から襟を捕まれたかと思うと、そのままエリアスは宙吊りにされた。
 そのまま勢いで、猫の様に馬車に放り込まれてしまう。
 幸い、馬車の中は衝撃吸収用にクッション材の張られた内装で、座席の上に落とされたエリアスが怪我をすることはなかった。
 馬車の内部は簡素な外観とは裏腹に、美しい布地で飾られ、壁には簡易の棚まで設置されている。張られた壁紙も、座席の布地も美しい。一見しただけで、高貴な人間が使う馬車だとわかって、エリアスは思わず見とれてしまった。

「もう、カディスはいつも乱暴なんだから」

 ルーカスの声に馬車の入り口を見ると、近衛騎士たちが馬車に乗り込んでくる。
 内装は豪勢だが、馬車の内部は広いとは言えず、体格の大きな近衛騎士たちが入ってくると途端窮屈になった。

「ゴネるやつには力づくが一番なんだよ。殿下をおまたせするわけにはいかんからな」

 カディスの一言で、エアリスは自分が馬車に放り込まれたことを思い出した。
 エリアスは慌てて出口に向かおうとするが、体格の大きな二人に阻まれ、降りられない。

「え、ちょっ、あの。下ろしてください!」

 しかし、エリアスの訴えは無視され、御者が扉を締めてしまう。
 そして馬車は無情にも走り出してしまった。
 呆然としてしまうエリアスにカディスが馬鹿にしたような目を向ける。

「もう走り出したわ、あきらめろ」
「いや、停めてください」

 諦めきれずにエリアスは訴えるが、ルーカスが困った笑みを浮かべた。

「そう警戒しなくても、遠くまでは行かないよ。なにせ、行く先は王宮だから」

 エリアスは馬車の扉に近づこうとしていた動きをピタリと止めた。
 王宮。それは当然読んで字のごとく、ベルファスト国王が居住し、政治を行う場所だ。
 騎士学校のある区画から馬車で二十分ほどの場所にあり、たしかに遠くはない。だがしかし。

「王宮だなんて……嫌です、行きたくありません」
「なぜだ? お前の身分では一生足を踏み入れられん場所だぞ?」

 カディスの言うことは正しい。
 確かにエリアスの子爵という地位は、王宮への出仕義務がないかわりに、王への謁見も認められていない。

「別に一生王宮なんて入れなくて構いません。だから降ろしてくださいってば!」

 エリアスは再び出口に向かおうとするが、近衛騎士たちを搔きわけることも乗り越えることも出来ない。

「うう、肉壁……」
「だれが肉壁だ!」

 エリアスが思わず漏らした本音をカディスに聞き咎めるが、それに対してルーカスが「まあまあ」と仲裁に入る。

「なんで、行きたくないか知らないけど、僕たちは仕事で君を連れていかなきゃならない。それにこの話は君にとって悪い話ではないと思うよ」
「そういわれて本当に良い話であった試しはない気がするんですが」

 不信を露わにするエリアスに、ルーカスはへラリと笑った。

「そんなことないよ。エリアス=フォスター子爵。 君は王弟殿下の補佐官に任ぜられたんだよ」

 ルーカスの言葉にエリアスの意識は一瞬遠のきかけた。

「だ、だれがだれの、なにと?」

 現実逃避したくて、聞き返す言葉にカディスが眦を釣り上げた。

「おまえの耳は飾りか? おい、ルーカス。本当にこんなやつが王弟殿下直々に指名されたのか?」
「僕はそう聞いているけどね。もう一度いうと、フォスター子爵、君が、ハウエル王弟殿下の補佐官に指名された。そして今はその顔合わせに王宮に行くところだよ」

 二度言われて、聞かなかったことにはできず、エリアスは頭を抱えた。

「な、なんでよりにもよって私なんですか?」
「え? それは君のほうが知っているんじゃないの?」

 不思議そうなルーカスにエリアスは首を横に振った。

「知りませんよ。私は王弟殿下をほとんど存じ上げませんし、直接お会いしたこともない」
「そうなの? じゃあ、なんで君が指名されたのかな?」
「そんなことはこちらが聞きたいです。理由を何か聞いていませんか?」

 せめて会う前に呼び出される原因を知っておきたいと思ったのだが、褐色の髪の騎士は無情にも首を横に振る。

「申し訳ないけど、そこまでは聞いてないんだ。でも、いいじゃない。こんな機会めったにないよ?」

 通りすがりでも王族に寵愛を受ければ、出世は約束されたようなもの。
 そんな慰めをかけてくるルーカスに恨めし気な視線を向ける。

「別に王宮で出世したいわけではありませんし、困ります。卒業後の進路はすでに決まっています」

 エリアスは卒業後には故郷に戻って、現在は母親が行っている領地経営を引き継がなければならない。さらに兄の忘れ形見である甥への教育も任されている。

「私には私の都合があります。勝手に徴用されても、従えません」
「でも、本当に子爵でこんな待遇望めないよ」
「だからといって、王族に誰もが、仕えたいと思ったら大間違いです」

 エリアスの言葉にルーカスは値踏みするような視線を向けてくる。おそらく自分の言っていることが本心なのか疑われているのだろう。
しかしこれはまごうことなき本心だ。
エリアスは自分の気持ちがしっかりと伝わるようにまっすぐルーカスを見つめ返す。
 そこへエリアスとルーカスの会話を聞いていたカディスが、口を挟んでくる。

「おい、ルーカス。さっきの話は何だ?」
「さっきのって?」
「お前はここに来る前に、俺に王弟殿下から直々に命令を賜ったって言ってたな。それなのに先程、又聞きのようなことを口にしなかったか?」
「それは……」
「本当にこれは殿下からの直々の命令なのか?」

 ルーカスにカディスが疑惑の目を向ける。二人の様子をハラハラして見つめるエリアスの前で、ルーカスが観念したように懐から何かを取り出した。

「確かに、僕が聞いたのは、王弟直々じゃない。でも、命令書があるし、指示は本物だから!」

 彼が広げてみせたものは王家の紋章の入った羊皮紙だ。
 細かい字で色々書かれているが、その中には確かにエリアスの名前と王宮につれてくるよう指示がかかれている。
 エリアスはよくわからないが、おそらく本物なのだろう。
 王室の紋の入った命令書は偽造すると犯罪になる。
 しかし、カディスの追求は緩まない。

「これは、誰に渡された?」
「メイベル様に、だけど?」
「っ、あの方に渡されたのに、殿下直々だと俺に嘘をついたのか?」
「だって、メイベル様は殿下からの指示で持ってきたって言ってたし。殿下の署名も、印章も入ってたから、ほとんど殿下直々の命令でしょ」
「そんなわけがあるか! 殿下がご自身で出された命令書をあの方を介して渡すわけがないだろう?」

 カディスはルーカスを怒鳴りつけ、エリアスに視線を向けてくる。

「フォスター子爵。お前は本当に殿下に仕える気はないんだな?」

 突然話を振られて、驚いたが、エリアスは即座に頷いた。

「もちろんです。私では補佐官など到底務まりません」

 正直に言えば、仕えたくない最大の理由は、王族が嫌いだからだ。
 だが、王弟に忠誠を誓っているらしいカディスに言うとややこしそうなので、下手に出たら彼は鷹揚に頷いた。

「そうだな。自分がわかっていることはよいことだ。殿下の補佐官など知識、教養、容姿。全てにおいて優れたものでなくては務まらないからな」
「カディスはそれ毎度言うけど、僕らだって、揃ってないよね」

 ルーカスが冷やかしのように突っ込むが、カディスは全く聞こえなかったかのようにきれいに無視した。

「その上でだ。お前には王弟殿下に会ってもらう」
「......だからそれは」
「でなければ、お前はこのままなし崩しに、補佐官になることになるぞ?」

 カディスの言葉に、エリアスの頭は疑問符だらけになってしまう。
 
「フォスター子爵を補佐官に任命しようとしてるのはあの方自身ではない」
「では、誰が?」
「それははっきりとはわからん。わかったとしてもお前は教えない」

 そう言いながら、難しい顔をするカディスに厄介ごとの匂いをかぎとり、エリアスは追求しようとする口を閉じた。
 君子危うきに近寄らず。貴族の世界は得てして好奇心は猫を殺すということで、エリアスは自分の疑問から目を逸らした。

「ですが、王弟殿下にお会いしたとしてどうしたら? 私はあくまでも補佐官を辞退したく……」
「それをそのまま王弟殿下にお伝えすればいい」

 カディスに言わせると、王弟は相手の意向を無視して、命令に従わせるようなことはないらしい。

「お前がちゃんとそれを伝えれば、殿下はわかってくださる。そういうお方だ」

 カディスの言葉には揺るぎない信頼がにじみ出ていた。
 だが、ある事情から王族に不信感を抱いているエリアスはどうにも信用ならない。
 それに言動から王弟に心酔しているらしいカディスの言葉にエリアスは不信感を拭えない。
 迷うエリアスの肩を誰かが叩く。

「心配しなくても、カディスの言っていることは本当だよ」

 ルーカスが、安心させるように笑みを浮かべる。しかし、ルーカスもカディスとは別の意味で信用できなかった。その視線に気づいたのか、ルーカスが肩をすくめる。

「あれ、なにその目? もしかして信用されてない?」
「お前のどこをとって信用されると言うんだ?」

二人のやり取りにエリアスは深くため息をついた。
 どうせ、ここで信用出来ないと駄々をこねて逃げることも出来ない。
エリアスは腹を括った。

「本当に、王弟にお会いしても無理強いされないんですね?」
「それは保証できるかな。殿下は優しい人だよ」
「ただ、優しいからと言って、補佐官を辞退する以外の下手な野望を抱くことは許さんぞ」

 カディスは物騒にも腰に下げたサーベルの柄に手をかける。
 ルーカスはそれに苦笑いを浮かべつつ、エリアスの座る奥に手を伸ばした。

「まあ、何はともあれ、ここまできたら、もう選択肢は一つじゃない?」

 ルーカスは伸ばした手で馬車の小窓にかかったカーテンを開いた。
 そこから見えたのはレンガ造りの高い壁に囲まれた無骨な建物だった。
 物見用に作られた尖塔こそあれど、その威容は宮殿と言うより砦に近い。
 だが、そこは間違いなくベルファストの政治の中心、王宮が目と鼻の先に見えていた。

 エリアスは、そのまま馬車が王宮の門をくぐると思っていたが、馬車はその前を通り過ぎ、ある建物の前に止まった。

 エリアスは近衛騎士たちに促され、そこで馬車を降りる。
 そこは宿屋らしく、四階建ての立派な建物の入り口はたくさんの人で賑わっていた。

「王城のそばに宿屋などあるんですね」
「あれ、知らなかった? 出来たのは最近だけど、結構有名なお宿だよ」

 ルーカスが説明するには、ここは、ベルファストにおける観光の拠点と各国に紹介される程の場所だとか。
 かつて、ベルファスト王のみが使用していた王都の地下に湧き出す温かい泉の水を貯めて、その中に体を浸すという湯浴みが売りの宿ということだった。

「それは、『温泉』でしょうか」
「ああ、確かそんな名前だったね。よく知っているね」
「故郷にも温かい水が湧く泉があるのです。子供の頃は良くそこに遊びに行っては泳いでいました」
「へえ、僕は入ったことがないけど、それは楽しそうだね」
「はい。気持ちがいいですよ?」

 幼い頃の楽しかった思い出が蘇り、顔がほころぶ。
 しかし、二度と戻らない人のことも同時に思い出してしまい、苦い気持ちが残った。

「でも王のみが使用できるお湯を引くなんてよくできましたね」
「それは現王の采配らしいよ」

 それまでのベルファスト国王は王のみがゆるされる特権時なものを守ることに終止していたが、現王はむしろそれらを民間に提供することにより、王都の産業を活性化させようと働きかけているらしい。

「えっと、それで、ここにはなぜ立ち寄ったのですか? 王宮に行くのでは」
「お前は、その姿のまま王弟殿下にお会いするつもりなのか?」

 なにやらエリアスが降りた後、馬車で何かをしていたカディスが、戻ってきた。
 その手には大きな箱が抱えられている。

「それは……?」
「開ければわかる。さっさと着替えてこい」
「え? 着替えてこいって……うわ、押さないでくださいよ」

 カディスに箱を押し付けられ、訳がわからないまま、宿屋の中に押し込まれた。すると、中で待ち構えていたらしい従業員に案内された先は、個室だった。

「何かありましたらお声がけください」

 深々と頭を下げて従業員が去っていく。
 おそらく呼べば近くにいるのだろうが、わけがわからない。
 とりあえず、着替えてこいって言われたから、これに着替えろってことだろうか。
 エリアスは恐る恐る、カディスに渡された箱の中を開いた。

「っ、これって、騎士正装?」

 箱の中身はエリアスの騎士学校における正装が入っていた。

 一週間後に迫った卒業式の為に自室の壁にかけていたものだ。
 どうしてここに、と考えるも勝手に自室から持ちだされたとしか思えなかった。

「部屋に勝手に入るなんて。……見られて困るようなものは出していなかったよね?」

 一応片付けを終えてから、部屋を後にしていたから大丈夫だ、とエリアスは自分に言い聞かせた。
 それから、正装を箱から取り出す。
 一週間後の式典用にクローゼットから出したばかりだったのに、シャツから上着、下履きに至るまできれいにアイロンが当てられている。

 おそらく、王城に行くのにこれに着替えろと言うのだろう。
 今のエリアスの服装は確かに、王宮に入るのには不向きであると言わざるをえない。
 とはいえもともと、食堂に行くだけのつもりだったのだ。
 その点でだらしのない姿であると言われるのは納得がいかない。
 白シャツにベストをつけ下履きに編み上げブーツという、そのまま近所であれば外にも出ていける服装だ。
 だが、王宮に入るにはやや砕けすぎなのは認める。

「でも、着替え……か」

 エリアスは、そっと先程従業員が出ていった扉を見た。
 そこは閉じられ、個室内はエリアス一人であるように見えたが、それでも誰かに見られているような気がしてすぐに服を脱ぐことが出来ない。

 エリアスは、そっと自分の胸元を押さえる。
 そこは一見シャツだけで、そのすぐ下は平たい胸があるだけのようにしか見えないだろう。
 しかし、エリアスは年中、その下に厚手のチョッキを着用しており、その下の男にはありえない膨らみを隠していた。
 そう、エリアスは女だった。
 彼女は性別を隠して、騎士学校に通わなければならない事情があった。

 エリアスは子爵家の三番目の子として生を受け、生まれたときは女児として教育されていた。
 しかし、八年前、自領を襲った伝染病で、父親と兄たちが相次いで死去。
 子爵領で男といえば、当時まだ二歳であった、兄の子どもだけになってしまった。
 しかし、ベルファスト王国では十歳に満たない男子は家督を継げず、跡継ぎのいない家は取り潰しと決まっていた。
 そこで彼女の母親が一計を案じ、エリアスの二番目の兄が生きていると見せかけ、甥が家督を継げる年齢になるまで、兄の死を偽ることにした。
 しかし、そこで問題になるのは、ベルファスト王国の貴族の子息に対する義務だった。
 貴族の子息はどんな理由、階級であろうと十三歳から十八歳までの間は、王都で騎士学校に通うように定められていた。
 これを拒否すれば、貴族の義務違反ということで家が取り潰ぶされるので避けられなかった。
 そのため、母親は末娘を兄の身代わりに仕立て、騎士学校に通わせることで、この期間をやり過ごす事とした。
 当初、あまりに無謀な話だとは思った。
 幼いうちはともかく、長じるに連れて、男女の体格差は目に見える形になる。体力の差も激しくなり、最高学年では到底見過ごすことが出来ないほどの差になるだろう。

 だが、それでも取り潰しを避けなければならない理由が子爵家にはあった。
 それは領民の思いだ。
 子爵家が取り潰されれば、その土地は王の直轄地になる。

 フォスター地方で、王家は忌み嫌われる存在だった。
 かつてはそんなことはなかったのだが、八年前にすべてが変わってしまった。
 当時、フォスター地方で流行った伝染病は致死率、感染率、ともに高く、自領だけでは到底対処できないと悟ったエリアスの父は、まだ病に感染していなかった二番目の兄を使者として王都に送り、医師団の派遣を求めた。
 しかし、王は伝染病の広がりを恐れ、使者を送り返しただけでなく、フォスター地方に通じる関所と街道すべてを封じてしまった。
 そのため、医師の派遣もされず、逃げ場を失った領民は次々と伝染病に倒れて死んでいった。
 幸い、旅の医師を名乗る人物がフォスター地方に立ち寄り、その人が原因を究明、薬の開発をしてくれたおかげで、領民は救われた。
 しかし、それ以来、フォスター地方での王家への信頼は地に落ち、伝染病もフォスター地方を直轄領に欲した王家の陰謀だと信じている領民もいる状態となってしまった。
 彼らは、心からフォスター子爵家の存続を願い、その期待に子爵家に生まれたものとして、答えないわけにはいかなかった。
 甥が成長するまでの間さえしのげればいい。
 そんな思いの元、母親は厳しくエリアスを男児として躾け、エリアスもその思いに応えてきた。
 性別を隠すため、過去に病気を患ったときに肌が変色してしまいそれを見られたくないからという理由をつけて、更衣室を使った着替えや、肌を晒す講義の受講の一切を拒否した。
 実際、エリアスもかつて伝染病にかかった経験があり、その後が体にも残っているのでそれは嘘ではない。
 さらに、成績優秀さにのみ許される個室を一年の時からキープし続け、女であることを隠すために、極力他人との接触を拒否し続けた。
 その甲斐あって、騎士学校でも性別を隠すことに成功し、あと一週間で卒業というところまでこぎつけた。
 そうであるのに、なぜぎりぎりになって、こんな面倒ごとに巻き込まれることになるのか。

 自分の不運を嘆きつつ、この危機をなんとか乗り越えなければと思う。
 そのためにも、やはり近衛騎士たちの言う通り、王弟に直訴するより他に方法はないのだろう。
 エリアスは改めて、制服を見た。

 騎士学校では正式な式典などで着るよう定められている制服で、白シャツ、ネクタイの上に、紺色のジャケットはダブルボタンで襟の縁に金と赤色のラインが入っている。下履きの指定はややゆるく、華美ではなければ許されるのでここで個性を出すものが多い。近年では、白くピッタリとした足のラインを強調するものが流行とされているが、エリアスはすこし厚めの麻地のものに、太ももまである編み上げブーツを着用するようにしていた。
 基本それは王宮の騎士たちと同じデザインだったが、色と素材が異なり、マントはつけず、これに騎士学校の学生を示す黄色のサッシュをするのが習いだ。

 着替えの手順を考えながらも、エリアスは着替えをためらった。
 この制服は自分の物であり、着ることに関してはさほど手こずるようなものではない。
 ただ、制服はすべて硬い布地で出来ており、体のラインをかくすことが出来る反面、肌と間に余裕がなく、現在つけている下着の上から着れないのだ。

 そのため、現在着ているすべての衣服を、下着すら一度脱がなければならない。
 個室を用意されたとは言え、自室以外で着替えることにためらいを覚えた。

 だが、それでも着替えなければなにも進まない。
 エリアスは部屋のカーテンを閉め、扉に鍵をし、室内に誰もいないことを確かめた。
 そこまでして周囲に人がいないことを確かめ、覚悟を決めて、着ていた服を脱ぎ捨てた。
 胸を抑えていたチョッキを取り払うと圧迫されていた胸が解放され、少しホッとする。
 その時、ふいに小さな音が聞こえた気がした。
 だが、聞いたことのない音は何であるかわからなかった。
 気になったものの、身になにもつけていない状態に気を取られ、それを忘れてしまった。
 それから式典用の制服に着替えたエリアスが、ロビーに戻ると、ルーカスとカディスが待っていた。

「おお、制服、似合ってるね。いやあ、懐かしいな」
「遅い!」

 それぞれが、違いのわかる感想を漏らし、エリアスはそれに「お待たせしました」と返す。
 着替えた洋服は宿が寮に届けてくれると言うので、箱ごと渡す。
 そして、再び宿の前に止められた馬車に乗り込みエリアスたちは今度こそ王宮の門をくぐったのだった。
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