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4章 生意気な中学生
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「ああ、そう言えば」
よく覚えていたなと感心した。十羽にとってはきのうのことだが、蓮也にとっては五年も前のことだ。
「俺、鼻くそをほじって食べればいいって言っただろ」
「ふふ、そうだった」
突拍子もない発想に驚いたものである。
「あれ、マジでやったのか気になってたんだ。まさか十羽さん……」
十羽は胸の前で慌てて両手を振った。
「や、やってないよ! さすがにそれはできなかった」
「良かった……。ていうかやっぱり、誰かに好かれて困ってたんだな。あの頃の俺はガキだったからよくわかんなかったけど、しばらく考えてるうちにそうだったのかなって、思ったんだ。その人には諦めてもらえたのか?」
「それが……なかなか」
肩を落とす十羽を見て、蓮也が「そっか。女って結構しつこいもんな」と共感するように頷いた。
「女……?」
彼は十羽が、女性に言い寄られて困っていると思っているのだ。相手が男性だとは思いも寄らないのだろう。
「そ、そうなんだよ! 女の人って結構ね」
あはは、と笑って誤魔化した。
「蓮也君も困ってるの? モテそうだし」
「別にモテないよ。サッカー部ってだけで、キャーキャー騒ぐ女がいるだけで」
「その子のこと、好きじゃないの?」
蓮也は眉間に皺を寄せ「別に」とぶっきらぼうに言った。
一見怖そうな雰囲気があるけれど、容姿端麗、中身は面倒見が良くて優しい。その上サッカーが上手いとなれば、かなりモテるだろうなと容易に想像がつく。
この時代はJリーグが開幕してまだ一年ほどで、ちょうどサッカーブームが到来していた。未来のJリーガーになれるのではと期待されている彼が、モテないはずがない。
図書館の横の公園は2021年と同じく、青々とした芝生が敷き詰められていた。二人はなだらかな丘をいくつか越えて、公園の奥へと向かった。
イチョウの巨木は空を覆うほど枝葉を広げている。樹齢800年、霊樹と呼ばれる大木は、見上げるたびに十羽を圧倒させた。
「僕ね、このイチョウの葉を押し葉にして、お守りとして部屋に飾ってるんだよ。実は今でも、この木には神様がいるような気がしてて」
木の幹に優しく触れると、蓮也も大きな手で幹に触れた。
「なんか、わかる。この木はすごく神秘的な感じがする。この町の守り神っていうか」
「そうだね。遠い昔から町を見守ってるみたいだ」
怖い思い出もあるけれど、この木の下にいるといつも心が安らぐ。十羽は清々しい若葉の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
瞬間、脳内で記憶がカチッと結びつく。
思わず「あっ!」と大きな声を発した。
「なんだ? どうしたんだ?」
「この香り! タイムスリップしたときの香りだ!」
イチョウの実である『ギンナン』ほど独特な香りはしないけれど、若葉にもほんのりと香りがある。少しだけ甘い、爽やかな香りが。
「てことは、やっぱりイチョウがタイムスリップに関係してるのか!? この木に宿ってる神様の仕業!?」
「かもしれない! すごいな、ドキドキする!」
興奮で胸がいっぱいになった。5歳のとき、男に襲われそうになった十羽を助けてくれた青年が、本当にイチョウの神様だった気がしてくる。
「でもなんで、十羽さんを過去へ飛ばすんだ?」
「それは……」
なぜだろう。逃げたいと思うほど嫌な出来事があったとき、十羽はタイムスリップする。神様が『別の世界へ逃げなさい』と過去へ導いているのだとしたら……。
十羽の推測を聞いた蓮也が眉根を寄せた。
「十羽さん、未来でそんなに嫌なことがあるのか」
「それは、その……僕がもっと上手く立ち回れたらいいんだけど、できないから……。神様が見かねて逃げ場所を用意してくれたんじゃないかなって」
情けない十羽のために、神様がタイムスリップさせてくれた、と考えた。
「なるほど……。ま、おかげで俺は未来人に会えるっていう、おもしろい体験をしてるんだけど」
十羽は思わず苦笑する。
「蓮也君は気楽でいいなぁ!」
「へへ、まあね。だけど……」
涼しい風が吹き、イチョウが葉擦れの音を鳴らす。
蓮也の黒髪が風になびいた。
「未来で嫌なことがあったら、また過去にタイムスリップして来いよ。俺が守ってやる」
低い声音は優しく、眼差しは力強い。
十羽の鼓動が小さく跳ねた。照れてついそっぽを向いてしまう。
「な、何言ってんだか」
「神様が十羽さんをタイムスリップさせて、嫌なことから避難させてるなら、その後は俺が引き受ける。過去の世界では俺が絶対に十羽さんを守る。だから遠慮せずに飛んで来いよ」
純粋に、嬉しい。
一人でなんとかしなければと、張り詰めていた気持ちが緩みそうになる。
「ち、中学生のくせに、生意気」
照れを隠したくて茶化すように言うと「そっちこそ、大人のくせに頼りないよな」と返され「うう、言い返せない」と項垂れた。
よく覚えていたなと感心した。十羽にとってはきのうのことだが、蓮也にとっては五年も前のことだ。
「俺、鼻くそをほじって食べればいいって言っただろ」
「ふふ、そうだった」
突拍子もない発想に驚いたものである。
「あれ、マジでやったのか気になってたんだ。まさか十羽さん……」
十羽は胸の前で慌てて両手を振った。
「や、やってないよ! さすがにそれはできなかった」
「良かった……。ていうかやっぱり、誰かに好かれて困ってたんだな。あの頃の俺はガキだったからよくわかんなかったけど、しばらく考えてるうちにそうだったのかなって、思ったんだ。その人には諦めてもらえたのか?」
「それが……なかなか」
肩を落とす十羽を見て、蓮也が「そっか。女って結構しつこいもんな」と共感するように頷いた。
「女……?」
彼は十羽が、女性に言い寄られて困っていると思っているのだ。相手が男性だとは思いも寄らないのだろう。
「そ、そうなんだよ! 女の人って結構ね」
あはは、と笑って誤魔化した。
「蓮也君も困ってるの? モテそうだし」
「別にモテないよ。サッカー部ってだけで、キャーキャー騒ぐ女がいるだけで」
「その子のこと、好きじゃないの?」
蓮也は眉間に皺を寄せ「別に」とぶっきらぼうに言った。
一見怖そうな雰囲気があるけれど、容姿端麗、中身は面倒見が良くて優しい。その上サッカーが上手いとなれば、かなりモテるだろうなと容易に想像がつく。
この時代はJリーグが開幕してまだ一年ほどで、ちょうどサッカーブームが到来していた。未来のJリーガーになれるのではと期待されている彼が、モテないはずがない。
図書館の横の公園は2021年と同じく、青々とした芝生が敷き詰められていた。二人はなだらかな丘をいくつか越えて、公園の奥へと向かった。
イチョウの巨木は空を覆うほど枝葉を広げている。樹齢800年、霊樹と呼ばれる大木は、見上げるたびに十羽を圧倒させた。
「僕ね、このイチョウの葉を押し葉にして、お守りとして部屋に飾ってるんだよ。実は今でも、この木には神様がいるような気がしてて」
木の幹に優しく触れると、蓮也も大きな手で幹に触れた。
「なんか、わかる。この木はすごく神秘的な感じがする。この町の守り神っていうか」
「そうだね。遠い昔から町を見守ってるみたいだ」
怖い思い出もあるけれど、この木の下にいるといつも心が安らぐ。十羽は清々しい若葉の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
瞬間、脳内で記憶がカチッと結びつく。
思わず「あっ!」と大きな声を発した。
「なんだ? どうしたんだ?」
「この香り! タイムスリップしたときの香りだ!」
イチョウの実である『ギンナン』ほど独特な香りはしないけれど、若葉にもほんのりと香りがある。少しだけ甘い、爽やかな香りが。
「てことは、やっぱりイチョウがタイムスリップに関係してるのか!? この木に宿ってる神様の仕業!?」
「かもしれない! すごいな、ドキドキする!」
興奮で胸がいっぱいになった。5歳のとき、男に襲われそうになった十羽を助けてくれた青年が、本当にイチョウの神様だった気がしてくる。
「でもなんで、十羽さんを過去へ飛ばすんだ?」
「それは……」
なぜだろう。逃げたいと思うほど嫌な出来事があったとき、十羽はタイムスリップする。神様が『別の世界へ逃げなさい』と過去へ導いているのだとしたら……。
十羽の推測を聞いた蓮也が眉根を寄せた。
「十羽さん、未来でそんなに嫌なことがあるのか」
「それは、その……僕がもっと上手く立ち回れたらいいんだけど、できないから……。神様が見かねて逃げ場所を用意してくれたんじゃないかなって」
情けない十羽のために、神様がタイムスリップさせてくれた、と考えた。
「なるほど……。ま、おかげで俺は未来人に会えるっていう、おもしろい体験をしてるんだけど」
十羽は思わず苦笑する。
「蓮也君は気楽でいいなぁ!」
「へへ、まあね。だけど……」
涼しい風が吹き、イチョウが葉擦れの音を鳴らす。
蓮也の黒髪が風になびいた。
「未来で嫌なことがあったら、また過去にタイムスリップして来いよ。俺が守ってやる」
低い声音は優しく、眼差しは力強い。
十羽の鼓動が小さく跳ねた。照れてついそっぽを向いてしまう。
「な、何言ってんだか」
「神様が十羽さんをタイムスリップさせて、嫌なことから避難させてるなら、その後は俺が引き受ける。過去の世界では俺が絶対に十羽さんを守る。だから遠慮せずに飛んで来いよ」
純粋に、嬉しい。
一人でなんとかしなければと、張り詰めていた気持ちが緩みそうになる。
「ち、中学生のくせに、生意気」
照れを隠したくて茶化すように言うと「そっちこそ、大人のくせに頼りないよな」と返され「うう、言い返せない」と項垂れた。
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