闇に飛ぶ鳥

トウリン

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トビ

執着

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 対象は、ごく普通の少女だった。まだ幼い、子どもといってもいいほどの。
 カワセミのように人を惑わすような美女でもない。
 トビはつい今しがた目の前にいた少女のことを思い返し、眉をひそめた。そうして、何故、カラスはあんな子どもの為に追われる身になったのだろうかと首をかしげる。
 トビには、彼の行動が常軌を逸したものとしか思えなかった。
 確か、モズも彼女に会った筈だ。カラスが手を下そうとしないから、代わりにモズにめいが下されたのだと聞いた。彼は己の優越性を実感する為に殺しをするから、何のためらいもなく彼女に刃を向けたに違いない。結局カラスの返り討ちにあって、目的を果たせぬまま戻ってきたけれど。
 トビも、彼女を殺せる。
 彼が殺したくないと思うのは、自分と同じ年恰好の、男だ。そういう相手はまるで自分自身が殺されたかのように感じてしまうから、イヤだ。その点、女や子どもは、むしろやり易い。モズのように楽しむことはできないが、かといって、躊躇することも無い。
 カワセミだって、他の鳥達だって、皆難なく職務を全うするだろう。

 では、カラスがそうしなかった理由は何なのか。殺すどころか、新たに差し向けられた追っ手を阻止し、彼女の身を護りさえしたその理由は、何なのか。
 何故、彼は獲物を仕留めなかったのだろう。
 何故、命に背いたのか。

 トビにはさっぱり解からない。頭の中にあるのは、疑問符ばかりだった。だから、当の少女に会ってみたのだ。そうすれば、カラスと同じように何かを感じるのかもしれないと思って。
 けれども、やっぱり、トビの中では何も変わらない。
 確かに、真っ直ぐに彼を見つめてきた大きな琥珀の瞳は印象深かった。仔犬とか、そういったモノを目にした時と同じものを感じたかもしれない。
 しかし、だからといって、命に背くほどの何かがあったわけではない。

 鳥たちにとって、八咫から下される命は絶対だった。
『トビ』の名を授けられ、『伏せ籠』の外の世界を目にして初めて、彼はヒトの命を奪うことは『罪』なのだと知った。人を殺せば捕らえられ、『死罪』になるのだと。
 しかし、それを知ったところで今さら何も変わらない。
 ずっと殺しを是として生きてきたのだから。
 言葉を話すようになるよりも先に、命を奪うことを教え込まれてきたのだから。
 確かにトビは殺しを恐れる。だがそれは、斃れた相手に自分の姿を見るからだ。そこに、殺しそのものに対する嫌悪感はない。

 きっと、カラスも同じだろう。
 出奔したところで、根っこのところは変わらない――変わりようがない。『伏せ籠』の教えは、そう簡単には頭の中から拭い去れやしない。
 だから、あの少女を失えば、彼も正気に戻る筈だ。
 そうなれば、もしかしたらカラスは、目を覚まさせたトビに感謝すら覚えるかもしれない。
 今まで、トビがカラスの視界に入れたことはなかった。トビという存在がカラスの中で意味を持っていたことはなかったのだ。

 それが、変わるかもしれない。

 少女を殺すことで、カラスの中に何かを刻むことができる。
 カラスの中で、自分が特別な存在になることができる。

 そう思って。

 トビはゾクリと身体を震わせる。
 標的に小さな鉛の弾を撃ち込むその時が待ち遠しく思えたのは、初めての事だった。
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