黄昏時の街

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第5話

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盆を迎えた都心は相変わらず暑い。
暑さ寒さも彼岸までという言葉もあるが、それはもう遠い昔の話だろう。
目に痛いほど眩しい日差しが街に降り注ぐ。日傘を差して歩く人は多く、最近は男性の使用者も見かけるようになってきた。
盆だからか、スーツ姿の人はかなり少ない気がする。
ガラスを隔てて通りを見ながら柳は思った。
灼熱と表現されるような外気から逃れて柳はカフェチェーン店の窓際でアイスカフェラテを飲んでいた。
厳密にいえばカフェラテはとっくに飲み干しているので、今はストローを咥えて弄んでいる。
賑わう店内の隅で、柳は特に目的もなくスマホを操り時間をひたすら潰す。
ようやく1時間経過した。早ければあと30分で動きがあるだろう。
スマホの時計を見て柳はふいに大きなあくびをした。
「だるい…」
前からわかっていたことではあるが、感情を抑えることは出来なかった。
「浮気調査かよ…」
眉を顰め、心の底から柳は嫌そうな声を出した。
黒井が差し出した用紙を受け取ろうともしない柳。黒井は椅子から立ち上がると、柳の手首をつかんで無理やり用紙を握らせる。
「大事な主力の業務なんだ。嫌がってもやってもらうぞ」
眼鏡の奥から鋭い視線を向ける黒井に柳は舌打ちをしつつも、用紙を受け取った。そして、手首をつかむ手を振り払う。
探偵というと推理小説や漫画の世界をイメージする人もまだいるだろう。しかし、実態は調査業務が主力だ。刑事事件は警察が行うので、探偵の出る幕なんて無い。
最近は探偵事務所と名乗るより、調査会社や興信所と言う事の方が多いかもしれない。時代の流れなのだろうか。
そんな中でも黒井が「探偵」と言う言葉を選んだのは「探す」と言う文字がある方が良いと思ったからだそうだ。
「知りたい」黒井にとっては縁起が良いのかもしれない。
柳には到底理解できることではなかった。
そして、そんな探偵事務所に持ち込まれる依頼で多いのが調査関係。素行、素性、浮気などなど。本当に信頼できるのか、隠していることがあるのなら暴きたい、真実を突き止めたいなどなど、理由はいろいろある。
長い溜息を吐きながら柳は自分のデスクに座って用紙を斜め読みをする。
依頼主はとある家庭の妻。
共働きの夫の帰りがここ3か月遅くなった。残業とは言うものの、部署も業績も変わっていないから怪しいと疑っていた。
そして、今年の盆の帰省をしないと言い出して、クロだと確信したそうだ。
子供を連れて妻は帰省し、旦那を泳がすことにした。
子供は父親が好きなので、毎晩テレビ電話をする約束をしているので本当に浮気をしているのなら昼間か深夜になるだろうと言う見立てだ。
妻と子供が帰省している3泊4日の間、旦那を見張り、浮気現場の証拠を押さえるというわけだ。
ありきたりな内容に再び柳はため息を吐いてしまう。
代り映えのない話。ありきたりとも言える。
期間が決まっているだけ、まだ楽ではあるが。
「これ、相手も調査するんだろうなぁ」
面倒くさい仕事が増える未来が見えて柳がぼやく。
「当然だろう。まとめて頼むぞ」
ぼやきを黒井に肯定されて柳は苦笑するしかなかった。
「お前なら簡単だろう」
「待つのが面倒くさいんだよ…」
黒井の言う通り、柳なら他の所では出来ない手をいくらでも使えるので、業務に関する難易度はかなり下がる。
だが、柳の性格とは合わないという話だ。
「楽なのを振ってやってるんだから、感謝してもいいくらいだぞ」
黒井も今、別件の浮気調査を抱えているので柳にこっちを振ったのだった。
「はぁ…」
視線を外に向けて柳は露骨にため息を吐いた。
おぜん立ては黒井が済ませているので、すぐに仕事に入れる状態なのは感謝すべきだろうか。
今日の午後から妻と子供は帰省するというので準備はした方が良いだろう。
頭の中でこれからすることを整理している柳に黒井が声をかけてきた。
「ちょうど、迷い猫探しの依頼が来たぞ。こっちはやるよな」
「これの後でやる」
柳は即答した。
そんなことがあったのが5時間前だった。
紙人形を作成して、様子を伺える柳にとって生き物を対象とした調査業務は正直に言えば楽だ。その気になればどんな動向も筒抜けである。
普通の調査会社なら家の出入りがわかるところで待機して、ばれないように慎重に後をつけて、見失わないように証拠を撮る。どこかに調査対象が留まれば動き出すまでその場で待機だ。
まさに張り込みだ。
ただ、柳の場合はもう少し楽ができる。
本来ならホテルの出入り口が確認できる場所にいるべきなのだが、一番近いカフェで動きがあるまで待機できる。
調査対象の夫が女を連れてホテルに入っていく写真は撮れた。出てくる写真も撮って、その後は女を尾行して身元を調べる。正直、そっちの方が面倒事にはなるだろう。
まぁ、出来なくはないが。
あまり先を考えると憂鬱にしかならないので、柳は1枚の写真を取り出した。
女の尾行が終わったら捜索する迷い猫の写真である。飼い主から送られてきたのは茶色のキジトラの猫が愛くるしい姿で寝ころび腹を見せている写真だった。
柳は猫が特に好きというわけではないが、人間よりは動物の方が好きなのは確かだった。彼らは誰かを陥れようとしない。純粋に本能に忠実で、嘘が無い。小手先の誤魔化しや取り繕いもない。
だから、柳にとっては楽だった。
動物嫌いには言葉が話せないことが不満という人間もいるらしい。
言葉が必要ないから楽だと柳は思う。
言葉が無いから、言葉で傷つく心配が無い存在たちだ。
猫の写真をぼうっと見つめていたが、紙人形が反応をみせたので柳は我に返った。
ホテルの一番短いプランでもまだ時間には余裕があるのに、大分早いと思ったが向かうしかない。
ようやく殺人的な日差しは和らいできたが、吸うのにためらう程の熱気の中、柳は足早に現場に向かう。
5分もかからない所だったので、シャッターチャンスには十分間に合った。むしろ、到着してから10分近く待った。
出入り口から直接見えない位置で待っていると、一組の男女が通り過ぎて行った。こんな所に1人で佇む柳はパッと見怪しいはずだが、盛り上がっている2人の視界には入っていないようだった。
ターゲットが入る時は特に接触せずに並んで入る写真だったが、出てくる時は女の方から腕を絡めたいかにもな絡み方をしていたので、言い逃れできない良い1枚が撮れた。
柳はくだらないと思うのと、仕事としては良い成果が出来たと自負する気持ちが半々だった。
路地から通りに出るまでは腕を組んだ2人だったが、通りに出ると短い会話をして左右に別れた。そこまでの写真も撮っていたが、別れ間際にキスの1つでもしてくれれば証拠としてはもっと良いのにと思いつつ女の方を追った。
女はかなり足早に歩ていてる。急いでいるという印象もあった。
歩道の端を歩いていくと、女は最初の角を曲がって路地に入った。
その行動に柳は違和感を覚えたが、少しだけ時間をおいて自分も路地に入る。
女はまたホテル街に戻ってきた。
「ん?」
いくつかの可能性を頭によぎらせながら、柳はばれないように後を追う。
そして、女は別のホテルの前で男と合流した。親しげに会話を交わした後、男が女の腰に手をまわしてホテルに入っていく。
そんな様子を写真を撮りながら見届けた柳は強い脱力感に襲われた。
「マジか…」
これはただの愛人ではなく、水商売の女の可能性がある。デリバリーヘルスの人間なら浮気というか、まぁ、それを嫌がる女性は世間的に少なくないので、そこの判断は依頼人に任せることになるだろう。
しかし、柳が脱力したのはその点ではない。
女の素性を知るために後、何回の待機をしなければならないのかと思ってうんざりしたのだった。
しかも、紙人形は使えないので外で待つことになる。
額の汗を拭うと、長い前髪が邪魔だと強く思った。
「っつ、だから人間は嫌いだ…」
そう毒づいても状況は変わらないが、毒づかずには居られなかった。
そらっとぼけて帰ってしまうことも出来なくはないが、黒井にばれた後チクチク言われる方が面倒なので柳は職務をまっとうすることにした。
夕立が無かっただけ、マシだったと後で自分に言い聞かせるのだった。
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