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五粒目 実現する未来
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夕暮れ時、公園には赤い自転車に乗る少女がいる。彼女は心配そうに園内にある高木へと目をやっている。木の上にいるのは三毛の子猫だ。にゃーにゃーと悲壮な鳴き声が聞こえてくる。
香が馨に見せた〝未来〟は、おおよそこのような内容であった。
他愛のない日常の一幕。たとえこれが〝確定した未来〟だとしても、とくに警戒するべきものではない。それでも馨が今日のバイト中、ふとした時にこの映像を思い出したのは、今日まで自分の信じていた常識がひっくり返されることへの恐怖ゆえだった。
――もし、万が一、あの景色が実現したら、彼女は未来を見ることができる人間というわけだ。そして、そんな存在はきっとひとりとは限らない。十人、百人……いや、もっといるはず。そして彼らは未来視ができる人間だけでコミュニティを築き、普通の人間を影から操っているんだ!
そんな妄想みたいな考えに陥る時があるくらい、馨は気が気でなかった。コーヒーを提供する手はカタカタと震え、オムライス用の薄焼き玉子には殻の破片を混入させ、ナポリタンには規定量の倍近くベーコンを入れてしまった。
やがて定刻の五時半を迎えた。やってきた交代要員とバトンタッチし、キッチン裏での談笑もそこそこに急ぎ『しまうま』を後にした馨は、真っ直ぐ家に帰ろうとしたのだが、やはり先ほどの未来が気にかかる。「試しに近所の公園へ行ってみよう」と決めたのは、自らの恐怖を否定するためだ。
これで公園に赤い自転車の女の子がいなければそれでよし。現実が空想に侵食されることはない。馨は安易にそう考えたのだが、万が一にも女の子がいた時には――つまり、香の見せた未来が現実のものだった時にどうするのか。その点をまったく考えていなかったのは、まだまだ若い高校生だから仕方ないと言える。
馨が目指しているのは、『しまうま』から十分少々のところにある児童公園。滑り台、ブランコ、鉄棒とオーソドックスな遊具を一通り取り揃えており、夏休みは近所の小学生のたまり場になっている。
早足で歩いて公園まで向かい、途中で「やっぱりやめておこうかな」なんて躊躇し、「いやいや負けるな」と自身を鼓舞して再び歩き出し、公園付近まで到着したのがもう六時半過ぎ。空を染めつつある夕焼けは、先ほど見せられた未来と一致しているような気がしなくもない。
緊張で腹の底がぎぅぎぅと鳴る。マスター室藤から貰ったアポロチョコがまだポケットに残っていることを思い出した彼は箱を取り出し、精神安定剤よろしく十粒ほど一気に頬張ると同時に、意を決して園内を確認する、と――いた。あの景色と同じ、赤い自転車の女の子。彼女の視線の先の高木には三毛の子猫。
――未来だ! あの人は本当に、俺に未来の映像を見せたんだ!
信じていた現実はがらがらと音を立てながら脆く崩れ、全身から血の気が引いていく。「マジか」と馨が思わず声に出して呟いたその時、「ほぅら、大当たり」と背後から声がした。見ると、そこにいたのは香である。
「しかし、君もアポロチョコラーだったとはねぇ。名前以外にも共通点があるとはなぁ」
アポロチョコラー。聴き慣れぬ言葉だが、アポロチョコを好む人を指すのだろう。そんな風に香の造語を雑に処理しつつ、「なんでここにいるんですか」と警戒を隠さず馨が訊ねると、彼女は「それがわたしの未来だから」とつまらなさそうに答え、「それじゃ」と背を向け歩いていった。
黄昏の中、にゃーにゃーという子猫の鳴き声が寂しく響いている。
香が馨に見せた〝未来〟は、おおよそこのような内容であった。
他愛のない日常の一幕。たとえこれが〝確定した未来〟だとしても、とくに警戒するべきものではない。それでも馨が今日のバイト中、ふとした時にこの映像を思い出したのは、今日まで自分の信じていた常識がひっくり返されることへの恐怖ゆえだった。
――もし、万が一、あの景色が実現したら、彼女は未来を見ることができる人間というわけだ。そして、そんな存在はきっとひとりとは限らない。十人、百人……いや、もっといるはず。そして彼らは未来視ができる人間だけでコミュニティを築き、普通の人間を影から操っているんだ!
そんな妄想みたいな考えに陥る時があるくらい、馨は気が気でなかった。コーヒーを提供する手はカタカタと震え、オムライス用の薄焼き玉子には殻の破片を混入させ、ナポリタンには規定量の倍近くベーコンを入れてしまった。
やがて定刻の五時半を迎えた。やってきた交代要員とバトンタッチし、キッチン裏での談笑もそこそこに急ぎ『しまうま』を後にした馨は、真っ直ぐ家に帰ろうとしたのだが、やはり先ほどの未来が気にかかる。「試しに近所の公園へ行ってみよう」と決めたのは、自らの恐怖を否定するためだ。
これで公園に赤い自転車の女の子がいなければそれでよし。現実が空想に侵食されることはない。馨は安易にそう考えたのだが、万が一にも女の子がいた時には――つまり、香の見せた未来が現実のものだった時にどうするのか。その点をまったく考えていなかったのは、まだまだ若い高校生だから仕方ないと言える。
馨が目指しているのは、『しまうま』から十分少々のところにある児童公園。滑り台、ブランコ、鉄棒とオーソドックスな遊具を一通り取り揃えており、夏休みは近所の小学生のたまり場になっている。
早足で歩いて公園まで向かい、途中で「やっぱりやめておこうかな」なんて躊躇し、「いやいや負けるな」と自身を鼓舞して再び歩き出し、公園付近まで到着したのがもう六時半過ぎ。空を染めつつある夕焼けは、先ほど見せられた未来と一致しているような気がしなくもない。
緊張で腹の底がぎぅぎぅと鳴る。マスター室藤から貰ったアポロチョコがまだポケットに残っていることを思い出した彼は箱を取り出し、精神安定剤よろしく十粒ほど一気に頬張ると同時に、意を決して園内を確認する、と――いた。あの景色と同じ、赤い自転車の女の子。彼女の視線の先の高木には三毛の子猫。
――未来だ! あの人は本当に、俺に未来の映像を見せたんだ!
信じていた現実はがらがらと音を立てながら脆く崩れ、全身から血の気が引いていく。「マジか」と馨が思わず声に出して呟いたその時、「ほぅら、大当たり」と背後から声がした。見ると、そこにいたのは香である。
「しかし、君もアポロチョコラーだったとはねぇ。名前以外にも共通点があるとはなぁ」
アポロチョコラー。聴き慣れぬ言葉だが、アポロチョコを好む人を指すのだろう。そんな風に香の造語を雑に処理しつつ、「なんでここにいるんですか」と警戒を隠さず馨が訊ねると、彼女は「それがわたしの未来だから」とつまらなさそうに答え、「それじゃ」と背を向け歩いていった。
黄昏の中、にゃーにゃーという子猫の鳴き声が寂しく響いている。
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