食べると未来が見えるようになるアポロチョコを長瀬香が手放した理由

シラサキケージロウ

文字の大きさ
21 / 35

二十一粒目 ゴーストバスターズ

しおりを挟む
 午後四時五十分の『しまうま』には客がいない。食器の片づけもシンクの掃除も全て終えた馨は、カウンター席で頬杖を突いてこっくりこっくりうたた寝をするマスター室藤を眺めながら、時間が過ぎるのだけをぼぅっと待っている。

 コーヒーの香りは眠気覚ましになるとは言うが、眠いものは眠い。思わずあくびをこぼした馨が、「欠伸してもひとり」と尾崎放哉的自由律俳句を謳ったその時、店の扉が勢いよく開き、真鍮製のベルがキンキンと高い声を上げ、驚いたマスター室藤が体勢を崩してカウンターにあごをぶつけ、「ぬぅぅ」と悶絶した。

 店に現れたのは香である。「お疲れお疲れ」とやや適当に馨を労う彼女の恰好は、薄汚れたねずみ色のツナギという熟練の配管工的ファッション。昼間に彼女が述べていた〝用意〟とは、どうやらこれのことらしい。

 お洒落にしては上級者向けすぎると思った馨が、「なんです、その格好は」と呆れつつ訊ねれば、香は「なんだと思いますぅ?」とクイズ番組の司会者風に返す。

「いや、そういうのいいですから」
「まったく。せっかく用意したのに、カオルくんたら遊び心が無いねぇ」

 香は残念なものを見る眼を馨へ向ける。

「ゴーストバスターズだよ、ゴーストバスターズ。知らないの?」

『ゴーストバスターズ』とは、一九八〇年代に公開されたハリウッド映画である。四人の冴えない中年男性が街にはびこる幽霊を退治するという内容で、当時一大ヒットを飛ばした作品だ。

 世代ではない馨とて、この名作を知らないわけではない。まだ小学生の頃、父親が借りてきたBlu-rayを共に観た記憶すらある。しかし、それゆえに彼女の言葉を聞いて余計に混乱した。

「……あの、今から俺達は幽霊を探しに行くわけですよね? 退治(バスター)しに行くわけじゃないんですよね?」
「当たり前でしょ。それとも、退治したいわけ?」
「いえ。退治しないんだったら、その恰好にはなんの意味があるのかなと思いまして」

 その問いを聞いた香は、あまりに不出来な生徒を前にした教師のように肩を落として息を吐いた。

「カオルくん、いい? わたしたちは幽霊を探さなくちゃいけないの。普通の人が『幽霊について知りませんか?』なんて訊いて周ったら、頭がおかしい人に思われるでしょ?
「まあ、そりゃそうでしょうね。俺なら逃げます」
「でしょ? でも……ゴーストバスターズの恰好をしてれば?」
「……もっと頭のおかしい人に思われる、とか?」
「違う。テレビかなんかの撮影だと思われて、おかしい人だと思われなくなるの」

 馨は至って冷静に、「いやそんなことは無いと思うんですが」と正直な意見を述べたが、香は「いやそんなことあるよ」と自身の理論を信じて疑わない。決して意見を曲げぬ彼女に、馨はある種の感心すら覚えるほどであった。

「ほら。さっさと準備する。わたし、外で待ってるからね」と彼の背中を叩いた香は、探検家の如き足取りで店の外へと歩み出していく。店内には途端に静寂が戻り、なんだか嵐が過ぎ去ったような静けさすらあった。

「窪塚くん、大変だね」とマスター室藤は呟き、「もう慣れました」と返した馨はエプロンを外した。





『しまうま』を出たふたりは最寄りの駅まで向かって歩く。コンクリートの道路は昼過ぎに降った豪雨の影響でテラテラと輝いている。見る分にはわりと綺麗だが、高い湿度のせいでいつもに比べてなお空気が重苦しい。必然、馨の足は靴の裏に強力な粘着テープでも貼ってあるかのように重くなった。

 一方、水溜りをぴょんと飛んで避けるなど軽やかな足取りの香は、今日の未来の詳細を説明した。

 曰く、幽霊を見たのは池袋駅周辺にある神社仏閣の境内。場所の詳細はわからないが、大まかな住所はこれで間違いないとのこと。それで、肝心の幽霊の見た目は――。

「全身びしょ濡れで、おまけに泥だらけで、髪はべたーっと顔にくっついた、ボロボロの格好した女の人の幽霊。間違いなく地縛霊ってヤツだね、アレは」

 香の目撃証言に首を傾げた馨は、「ですかねぇ」と怪しんでいるのを隠さずに返す。

「なに。その不満そうな顔」
「いやそもそも、それって本当に幽霊なんですかね? たとえば、ただ全身びしょ濡れで、泥だらけになった、生きてる女の人だったりしません?」
「あのさあ……全身びしょ濡れで泥だらけになった女の人が、その恰好のまま外歩いていると思う?」
「それを言うなら、幽霊が本当にいると思いますか?」

「思う」と即答されてしまえば、馨としてはもう何も言えない。

「……わかりました。じゃ、捜しましょう」
「最初からそう言えばいいの。カオルくんは、わたしの〝道連れ〟なんだから」

 そう言うと彼女は馨の手を引いた。予期せぬ行動に脈拍が高まり、心臓が跳ね上がるような衝撃を覚えながら、彼はされるがまま引っ張られた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

小さなパン屋の恋物語

あさの紅茶
ライト文芸
住宅地にひっそりと佇む小さなパン屋さん。 毎日美味しいパンを心を込めて焼いている。 一人でお店を切り盛りしてがむしゃらに働いている、そんな毎日に何の疑問も感じていなかった。 いつもの日常。 いつものルーチンワーク。 ◆小さなパン屋minamiのオーナー◆ 南部琴葉(ナンブコトハ) 25 早瀬設計事務所の御曹司にして若き副社長。 自分の仕事に誇りを持ち、建築士としてもバリバリ働く。 この先もずっと仕事人間なんだろう。 別にそれで構わない。 そんな風に思っていた。 ◆早瀬設計事務所 副社長◆ 早瀬雄大(ハヤセユウダイ) 27 二人の出会いはたったひとつのパンだった。 ********** 作中に出てきます三浦杏奈のスピンオフ【そんな恋もありかなって。】もどうぞよろしくお願い致します。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

君のために僕は歌う

なめめ
青春
六歳の頃から芸能界で生きてきた麻倉律仁。 子役のころは持てはやされていた彼も成長ともに仕事が激減する。アイドル育成に力を入れた事務所に言われるままにダンスや歌のレッスンをするものの将来に不安を抱いていた律仁は全てに反抗的だった。 そんな夏のある日、公園の路上でギターを手に歌ってる雪城鈴菜と出会う。律仁の二つ上でシンガーソングライター志望。大好きな歌で裕福ではない家族を支えるために上京してきたという。そんな彼女と過ごすうちに歌うことへの楽しさ、魅力を知ると同時に律仁は彼女に惹かれていった……… 恋愛、友情など芸能界にもまれながらも成長していく一人のアイドルの物語です。

【完結】『左遷女官は風花の離宮で自分らしく咲く』 〜田舎育ちのおっとり女官は、氷の貴公子の心を溶かす〜

天音蝶子(あまねちょうこ)
キャラ文芸
宮中の桜が散るころ、梓乃は“帝に媚びた”という濡れ衣を着せられ、都を追われた。 行き先は、誰も訪れぬ〈風花の離宮〉。 けれど梓乃は、静かな時間の中で花を愛で、香を焚き、己の心を見つめなおしていく。 そんなある日、離宮の監察(監視)を命じられた、冷徹な青年・宗雅が現れる。 氷のように無表情な彼に、梓乃はいつも通りの微笑みを向けた。 「茶をお持ちいたしましょう」 それは、春の陽だまりのように柔らかい誘いだった——。 冷たい孤独を抱く男と、誰よりも穏やかに生きる女。 遠ざけられた地で、ふたりの心は少しずつ寄り添いはじめる。 そして、帝をめぐる陰謀の影がふたたび都から伸びてきたとき、 梓乃は自分の選んだ“幸せの形”を見つけることになる——。 香と花が彩る、しっとりとした雅な恋愛譚。 濡れ衣で左遷された女官の、静かで強い再生の物語。

田舎暮らしの貧乏令嬢、幽閉王子のお世話係になりました〜七年後の殿下が甘すぎるのですが!〜

侑子
恋愛
「リーシャ。僕がどれだけ君に会いたかったかわかる? 一人前と認められるまで魔塔から出られないのは知っていたけど、まさか七年もかかるなんて思っていなくて、リーシャに会いたくて死ぬかと思ったよ」  十五歳の時、父が作った借金のために、いつ魔力暴走を起こすかわからない危険な第二王子のお世話係をしていたリーシャ。  弟と同じ四つ年下の彼は、とても賢くて優しく、可愛らしい王子様だった。  お世話をする内に仲良くなれたと思っていたのに、彼はある日突然、世界最高の魔法使いたちが集うという魔塔へと旅立ってしまう。  七年後、二十二歳になったリーシャの前に現れたのは、成長し、十八歳になって成人した彼だった!  以前とは全く違う姿に戸惑うリーシャ。  その上、七年も音沙汰がなかったのに、彼は昔のことを忘れていないどころか、とんでもなく甘々な態度で接してくる。  一方、自分の息子ではない第二王子を疎んで幽閉状態に追い込んでいた王妃は、戻ってきた彼のことが気に入らないようで……。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処理中です...