称号は神を土下座させた男。

春志乃

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本編 2

第六話 昔を振り返る男

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「パパのお着替えはこれと、これと……これも」

「五日分もあれば私とエディで洗濯が間に合うと思うので……ああ、そうだ。あとこれも」

「父様は基本神父服だからそんなにいらなくない?」

 真尋の寝室の奥にあるウォークインクローゼットの中で我が子たちと護衛騎士が真尋の旅の荷物の仕度をしてくれている。
 面倒くさかったので「アイテムボックスに入れて全部持って行くか」と呟いたら何とも言えない顔をした彼らにクローゼットから追い出された。
 そして、リックがあらかじめ用意してくれていたらしい旅行用の革製のトランクに真尋の荷物がどんどん詰め込まれて行く。足りないものは、これから買出しに行く予定だ。ちなみに一路はデートがてら「甘いものがないと無理だから調達してくる」とティナと共に出かけた。自分も大概あれだと思うがティーンクトゥスに貰ったアイテムボックスを最高のお菓子保管庫だと思っている一路だって大概だ。

「道中は、騎士に変装していくんだよ。だからまあ、いらないっちゃいらないか……」

「でも神父服関連は全部持って行くといいよ。父様が洗っても袖が破れない謎の頑丈さだから」

「パパ、こっちとこっちどっちがいい?」

「黒いほう。それとケープみたいなのは置いて行く」

 ミアが両手にそれぞれもつ靴下の色を選んで、真尋は立ち上がり、彼らの元へと行く。
 
「もともと神父服は特別な守護魔法が掛けられている。このケープなら多少大きいし、可愛くはないがかなりの防御力が期待できるから、サヴィのアイテムボックスに入れておけ。何かあったら着ると良い」

「うん、分かった」

 サヴィラが素直に受け取り、それをこの間、真尋がプレゼントしたネックレス型のアイテムボックスにしまった。

「それはアイテムボックスだったんだね」

「そうだよ。かなり容量があるんだ。王家の秘宝以上に」

 サヴィラがしれっといった言葉にリックが頬を引き攣らせた。真尋はそういえばと思い出し、アイテムボックスから黒い革製のポーチを取り出す。ベルトに通して使うタイプのそれはちょうど、真尋の握りこぶしくらいだ。艶やかな革は縁に、ロザリオに刻まれていた植物の文様をモチーフにして意匠を刻み込んである。銀製のボタンはちょっと拘って雪の結晶の文様を刻んだ。

「リック、これをやる」

「なんですか?」

 出された手のひらにポーチを乗せる。

「最初、サヴィにはこっちをと思ったんだが、ネックレスの方がより強力な守護も兼ねて便利だったんでこっちは没にしたアイテムボックスだ。俺は既に持っているしな」

「こ、こんな高価なものいただけませんよっ」

「大丈夫だ。革は最高級品だが端切れだし、ボタンは銀だから少し高いが……サヴィのものより容量は小さいぞ、八メートル四方だからな。この雪の結晶の真ん中に小さな魔石があるだろ? これにお前の魔力を流し込んで置けば、お前以外は使えない」

 雪の結晶の中央には二ミリに満たないほど小さくカットされた魔石がはめ込まれている。これはなかなか苦労したが綺麗に出来たと思う。

「父様、リックが固まったまま動かなくなっちゃったよ? 俺、この間言ったよね、限度があるって。少しは自重してよ」

 サヴィラの言葉に顔を向ければ、リックは息子の言葉通り、ポーチを手に乗せたまま動かない。ミアが「リックくん?」と首を傾げながら彼の顔の前で手を振るが瞬き一つしない。気絶でもしているのだろうか。

「だってこれはポーチ型だぞ? お前のより珍しくない」

「こんな手のひらサイズで八メートル四方なんて聞いたことないよ。父様のポーチ一つで家が建つよ。俺のは豪邸が建つけど」

 言いながらサヴィラはリックのベルトを引き抜き、勝手にポーチを付けて戻す。はっと我に返ったリックがオロオロしだす。

「サ、サヴィっ」

「貰っときなよ。これから家一軒分くらいの迷惑はかけるから特別報酬だと思って」

「で、でもこんなっ、パン屋の倅には荷が重すぎますっ」

「無駄だよ、リック。父様の金銭感覚はとち狂ってるから」

 淡々と告げたサヴィラが先ほど真尋が選んだ靴下をミアから受け取り鞄に詰め込む。リックは何故か悲愴な顔をしてサヴィラの言葉に同意し「大事にします、ありがとうございます」とお礼を言った。有難く思われている感がまるでない。

「パパ、夜眠れるようにラヴィちゃんもってく?」

 ミアが横に置いてあったラビちゃんを手に取り、首を傾げる。

「気持ちだけでいい。ミアの大事なラビちゃんだから、ミアの傍に居る方がラビちゃんも喜ぶ。それにシルヴィア様と一緒に遊ぶ約束もしているだろう?」

「うん。でも、パパ寂しくない?」

 真尋は愛しい娘を抱き上げて、やわらかな頬にキスをする。

「そりゃあ寂しいが、ミアとサヴィのところに早く帰れるようにパパは頑張らないといけなないからな。ラビちゃんを構ってやれる暇がない」

「早く帰って来てほしいけど、怪我したり、無茶したりしないでね。あのね、リックくんとエディくんは人間だからね」

「……ミア、君のパパも人間なんだが」

 愛娘はにこーっと笑って言葉を濁した。一体、どこでこんな技を覚えて来たのか。だが、可愛いからいいかと瞼にキスを落とす。ミアはくすぐったそうに首を竦めてすりすりと甘えて来る。うちの娘の可愛さは留まるところを知らない。

「ところで大体、終わったか? そろそろ買出しに行きたいんだが……」

「うん、終わったよ。あとは歯ブラシとか石鹸とか買い足せば十分だよ」

 サヴィラが立ち上がり、隣にやって来る。

「ならサヴィ、双子を呼んで来てくれ。あの二人も旅の仕度があるだろうから一緒に連れて行こう」

「分かった。ミアも行く?」

「うん!」

 頷いたミアを降ろせば、サヴィラの差し出した手を取り部屋を出て行く。その背を見送り真尋とリックも廊下へと出た。

「馬車で行きますか?」

「天気も良いし、まだ午後一時だ。徒歩と乗合で充分だろう」

「分かりました。……ところで、結局、レベリオ殿とナルキーサス様は決着がついたのでしょうか?」

 リックの問いかけに真尋は昨夜のアグレッシブな喧嘩を思い出す。
 結局、待てど暮らせど誰が静止しようとあの夫婦は喧嘩を止めず、おかげでダイニングがぼろぼろになった。そして最終的に真尋と一路で実力行使に出て物理的に二人を引き剥がし、恐縮するウィルフレッドがレベリオを担いで帰って行った。碌すっぽ会議は出来なかったが、纏めるべきところだけはまとまっていたので大丈夫だろう。多分。
しかし、今朝、レベリオから届いた「修繕費は私が持ちます」という手紙に我が家に泊まったナルキーサスが「私が払う!」と憤り、彼女は朝飯を食べてすぐに夫の元へ交渉に行った。途中、ウィルフレッドから救援要請が来たが「自力で始末しろ」という言葉を優しくオブラートに包んだ言葉で送り返した。

「よく分からんが、レベリオ殿がこれ幸いとキースを捕まえて、俺たちについて行かないように部屋に閉じ込めたらしいぞ。修理の費用については半分ずつお互いに払うことにしたらしい。とはいえ修理は領主夫妻の夫婦喧嘩が沈静してからだがな。護衛対象が居る以上、早々部外者を俺の留守中、屋敷にいれるわけにはいかん」

「そうですね」

 リックが苦笑交じりに頷いた。

「私の両親も喧嘩する時は、まあ賑やかでしたが……一流の騎士と一流の魔導師ともなると桁違いですね」

「確かにな」

 くくっと喉を鳴らして笑い、階段を降りていく。
 エントランスで待っていると上から賑やかな足音が聞こえて顔を向ければ、双子が嬉しそうに階段を駆け下りて来た。

「神父様! サヴィラ様がお土産買って良いって言ってたけど本当!?」

 弟のフィリアが飛び跳ねるような勢いでエントランスまでやって来た。

「お土産じゃなくて旅の仕度だ!」

 顔を顰めながらサヴィラがやって来る。その後ろには姉のティリアがいて、ミアはティリアと手を繋いでいた。
一路の水色のチュニックを着ているフィリアとティナのお下がりを着ているティリアに服も何日分か買わなければなと心にメモする。無茶苦茶な旅をしてきた二人の服はどれもこれもボロボロだったので使い物にはならない。

「神父様、神父様、母様と友達のヴィステリアにお土産を買ってもいい?」

「俺も友達のダールに!」

「分かった分かった。その代わり、旅に必要なものも揃えるんだぞ」

「はーい!」

 嬉しそうに頷いた双子に流石のサヴィラも毒気を抜かれたのか呆れたように肩を竦めた。
 では行くか、と声を掛けて真尋たちはエントランスから庭へと出て、温かな日差しの下、市場通りへと出かけるのだった。








「イチロさんはどうして太らないんですか? こんなに食べるのに」

 店の外へ出れば、一路が腕に抱えていた会計を済ませたばかりの紙袋の中身を覗き込みながらティナが言った。
 中にはお気に入りのクッキーや新作のマフィンがこれでもかと詰め込まれている。
 ここは真尋が花を売っていたミアを見つけた焼き菓子専門のお菓子屋さんで、焼き菓子においてはブランレトゥで一番気に入っているお店だ。

「昔から太らないからそういう体質なのかも」

 そう返して紙袋ごとアイテムボックスにしまう。一瞬で消えた紙袋の向こうでティナがちょっとむくれている。

「ずるいです。私、ちょっと油断するとすぐに太るのに」

「女の子は男より太りやすいからねぇ。お散歩とか体操とか幾らでも付き合うよ」

 彼女の手を取り引き寄せて、こめかみにキスをすればティナの白い頬が一気に赤く染まる。ロビンの頭の上にいたピオンがすぐに肩に飛び乗り、ティナから落ちる色の濃くなった花弁を何枚か捕まえた。そのままロビンの下に戻って待っていたプリムと半分コして食べ始める。
 ティナが照れたり、喜んだりすると花弁は色を濃くして更に美しくなるのだが、ピオンたちにしてみるとそっちの方が美味しいらしく、更にティナが花そのものを落とした時は我先にと拾いに来る。

「ふふっ、真っ赤だね。リンゴみたい」

「イチロさんのせいですっ、もう」

 柔らかな頬を指先でくすぐれば、サファイアの瞳に睨まれてしまった。でも、そんな彼女も可愛い。
 ごめんごめん、と軽く謝って、次はどこへ行こうかと提案する。ティナは一路と繋いでいる手とは逆の方の手で自分の顔をパタパタと仰ぎながら、辺りを見回した。
 平日の昼間でも市場通りは賑やかで、乗合馬車や道路を行き交い、大勢の人々が店を覗き込んだり、店の人たちの声かけに足を止めたり、世間話に花を咲かせたりと思い思いに過ごしている。見回り中の騎士たちもちらほらといて、一路の姿を見つけると慌てたように繰り出される敬礼に一路は軽く手を振って返していた。
 ふとまだ閉まっている酒場の前に顔を向ける。ほんの数か月前までミアはあそこで花を売っていたのだ。
 貧民街の十歳以下の孤児は殆どが孤児院に保護されて生活しているが、十一歳以上の孤児たち、特に男の子は既に生活の基盤を貧民街で得ているために孤児院の世話になるのを嫌がる。一路たちにしてみれば十一歳なんて幼い子どもに違いないのに、あの貧しい世界で育った彼らは無理矢理大人になってしまっているのだ。
 とはいえ、定期的に行っている炊き出しの際には、朗らかな笑顔を見せてくれるようになったし、彼らの将来の仕事については商業ギルドと話し合いが進んでいる。きちんと働きたい、今の生活を抜け出したいという者に関しては老若男女問わず、面談の上、商業ギルドが職場の斡旋をしてくれている。少しずつ少しずつ、貧民街は改善の兆しを見せてはいるのだ。

「イチロさん、他に必要な物はありませんか? 買い忘れとか……イチロさん?」

「ああ、ごめんごめん。ぼーっとしちゃってた」

「やっぱり疲れているんじゃないですか? もう買うものがないならお家でゆっくりした方が……」

 ティナが心配そうにこちらを見上げて来るのに一路は柔らかな笑みを返して首を横に振る。

「大丈夫だよ。それより、まだお菓子を……」

「うえぇぇぇえええん」

 一路の声を遮るように向かいの通りから空気を切り裂くような幼い泣き声が聞こえて目を瞬かせ、ティナと顔を見合せ二人揃って音源を振り返る。向かいの古着屋の前に見知った顔を見つけて「あれま」と声を漏らした。ティナとロビンに「行ってみよう」と声を掛け、馬車の切れ目を狙って通りを渡り、彼らの元へと駆けよる。

「ふぇぇえええ!」

 泣いていたのはミアだった。
 ミアを抱える真尋は相変わらず無表情だったが一路には、ずいぶんと彼が困っているのが分かる。サヴィラが真尋に抱かれたミアの背を撫でていてリックと彼の両脇にいるエルフの双子は困惑顔で立ち尽くしていた。
 最初に一路たちに気付いたのは、リックだった。

「イチロさん、ティナさん。市場通りに来ていたんですね」

「向かいのお菓子屋さんにいたんですよ。ミアちゃん、どうしたんですか?」

 一路の問いに答えたのは、リックの服の裾を掴んでいた双子の姉のティリアだった。

「神父様が「これで無事に旅立てるな」って言ったらミアちゃんが泣き出しちゃったの」

「我慢していたものが俺の迂闊な一言で溢れてしまったようでな」

 ミアの頭を撫でながら真尋が言った。
 なるほど、と一路とティナは頷く。物分かりの良いミアは昨日も真尋の話を聞いて、困っているであろうエルフ族の為に行ってあげてと言ったらしい。それは間違いなくインサニアという脅威によって最愛の弟を失ったミアの本音であろうし、ミアはそう言えるだけの強く優しい女の子だ。
 だが、なんだかんだと言ってもまだ六歳の幼い女の子で、真尋はミアにとって世界で一番大好きなパパで、パパの腕の中は世界一安心できるミアの居場所だ。一か月も会えない寂しさや不安なんて、我慢しきれるものではないだろう。

「マヒロさん、馬車を捕まえて来るので屋敷に戻ったほうがミアちゃんも落ち着くと思いますが」

 リックの言葉に真尋は、そうだが、と言葉を濁す。

「困ったな、まだ二人の土産が買えてないんだが……」

 真尋の言葉にぐいっと袖を引かれて、振り返ればティナが、柔らかく微笑んで頷いた。優しいなぁ、可愛いなあ、と頬を緩めながら「ありがと」とお礼を言って真尋を見上げる。

「なら僕とティナが付き合うよ。お菓子も八割用意できたから」

「ティリアちゃんとフィリアくんが良ければですけど」

「あたしたちは、イチロくんとティナちゃんでも大丈夫です。ミアちゃん、ゆっくり休めるところのほうがいいと思います」

 ティリアの言葉にフィリアもうんうんと頷いた。

「では、イチロさん、ティナさん。お願いしてよろしいですか?」

 リックが双子の背に手を添えてそっと押せば、双子は長い銀の髪を揺らしながら一路とティナの方にやって来る。
 護衛騎士の言葉が意外だったのか、真尋がリックに顔を向ける。

「お前もこっちでいいだろ?」

「屋敷にあの女がいる以上、私はマヒロさんの傍を離れないと何度も申し上げている筈です」

 にっこりと笑ったリックは有無を言わさない雰囲気を纏っていて、あの真尋が「……根深いな」とため息を零すだけに押し留まった。リックは「では馬車を捕まえて来ますね」と通りの方へと駆けていく。

「父様、リックとダフネは何があったの? あの温厚なリックがあそこまで言うのって凄いよね」

「……まあ、あれだ。リックは職務に真面目で忠実なんだ」

 言葉を濁して返した父親にサヴィラは呆れたような目をして「何したんだか、父様は」と小さく呟いたのが聞こえた。親友の息子は聡い良い子だ。大方の場合、他ならぬ真尋が何かやらかしているということをきちんと理解している。
 それからすぐにリックが辻馬車を連れて来て、真尋たち親子は馬車に乗り込み、しくしくと泣き続けているミアをあやしながら屋敷へと帰って行った。

「……ミアちゃん、大丈夫かな」

 ティリアがぽつりと呟いた。
 ティナがふっと表情を和らげると自分よりも背の高い彼女を見上げながら、ぽんとその背を撫でた。

「大丈夫ですよ。ミアちゃんには大好きなパパも素敵なお兄さんもいるんですから」

 ティリアは、そうかな、と不安そうにティナに顔を向けた。ティナはもう一度、大丈夫ですよ、と繰り返して優しい笑みを返した。ようやく安心したのか、ティリアも表情を和らげた。

「どうして神父様の奥さんは屋敷にいないの? 結婚してるんだろ?」

 フィリアが不思議そうに言った。

「大人の事情ってやつだよ」

「大人の事情?」

 目線の高さは一緒なのにフィリアの浮かべた表情は子どものものだった。ティナの気遣わしげな視線に彼女の手をさりげなく握ることで返事をして、空を見上げた。

「そ、大人の事情。さあ、行こう。お土産には何が欲しいの?」

 ぐしゃぐしゃとその髪を撫でて、一路はティナの手を引き歩き出す。ピオンとプリムを乗せたロビンは、一路の前をのしのしと歩いて行く。ちなみにブランカとロボは屋敷でお留守番だ。馬よりも大きいロボを連れて歩くのはなかなか大変なのだ。本当にあの大きな屋敷と広い庭があるからこそ、ロボが暮らせているのだ。一時はあまりの大きさに管理の大変さもあって持て余し気味だったが、下手に狭い家を買わなくてよかったと今になってしみじみと思う。

「森で遊べるやつがいい!」

「あたしは綺麗で可愛いもの!」

「なら、コキの森がいいかな。あそこ、雑貨屋としては色々と面白い物多いし」

「そうですね。女の子向けも男の子向けもありますから、丁度いいかも知れませんね」

 ティナも太鼓判を押してくれたので、一路たちはコキの森という雑貨屋へと進路を定める。行く場所が決まるとティリアとフィリアは手を繋いで、意気揚々と道案内をするロビンについていく。双子と愛犬たちの背を追うように歩く。

「……マヒロ神父さんのお嫁さんってどんな方なんですか?」

 不意にティナに問いかけられて彼女に顔を向ける。

「前に絵は見せてもらったので、お綺麗な方だっていうのは知ってるんですけど……あのマヒロ神父さんのお嫁さんになれるなんてすごいなぁって思って」

「ふふっ、それは言えてるかもねぇ」

 くすくすと笑って頬に視線を感じながらも顔を前に戻す。

「真尋くんって割と難しい人だからね」

「……私、ミアちゃんとサヴィラくんのパパになるまではマヒロ神父さんって実はちょっと苦手だったんです」

 ティナが申し訳なさそうに言った。目だけを向けると彼女の視線は足元に落ちている。

「男の人っていうのもあったんですけど……あのお顔が作り物みたいに綺麗で、でも表情がないから何を考えているか分からなくて怖かったんです。……イチロさんはそういうことはなかったんですか?」

「んー。僕は五歳の時から一緒にいるから、あの顔にも無表情にも慣れちゃってるからねぇ。ああ、でも故郷に居た頃、忘れもしないよ、六歳の頃。一度だけ、ほんの一週間くらいだけど彼の傍を離れたことがあるよ。旅行とかそういうことじゃなくてね、距離を置いたの。優秀過ぎる真尋くんの傍に居るのが辛くなっちゃって」

 サファイアの瞳が丸くなり、ぱちぱちと驚きに長い睫毛が揺れる。

「イチロさんにもそういうことってあったんですね」

「そりゃあね。僕は平凡な人間だから」

「……イチロさんは本当にニブチンさんですよね」

 ティナが苦笑交じりに言った。どういう意味か尋ねようとしたが丁度、大きな荷馬車が通り過ぎガタガタとうるさい車輪の音に有耶無耶になってしまう。

「距離を置いたにしては一週間って短い、ですよね」

 逸らされてしまった話に、まあいいかと一路は口を開く。

「うん。後からすっごく酷いことを彼にしちゃったんだって気付いたんだ。別に馬鹿とか阿保とか悪口を言った訳でもないし、殴ったり蹴ったりした訳でもないよ。ただ彼からの誘いを断ったり、他の友達と遊んだりしただけだったんだけど……僕はそれまで、真尋くんは完璧な人で、彼は全てを持っていると思ってたんだよ。彼の家は名家の中の名家で、すごくお金持ちで、彼自身も勉強も運動もなんなくこなせる凄い人で皆に尊敬されて慕われて、お人形みたいな綺麗な顔で、その上、雪ちゃんっていう大切な人がいて、だから完璧だって勘違いしてたんだ」

「勘違い、ですか?」

「そ、勘違い。……ロビン、お肉屋さんじゃないよ」

 足を止めて向かいの通りの肉屋に行きそうになったロビンに声を掛ければ、ロビンは慌てて進路を元に戻す。ティリアとフィリアが可笑しそうに笑った。でもティナは、じっと一路を見つめて言葉の続きを待っていた。
 どう言ったものかな、と一路は暫し考え込んで、頭の中を整理する。
 考え込んでいる内に目当ての雑貨屋についてしまい、中へと入る。このお店は、ロビンも入店が出来るのが有難い。
 双子は、キラキラと顔を輝かせて店内を見回している。
 店内は所狭しと大小さまざまな棚やテーブルが置かれて、そこに商品が並べられている。綺麗なガラス細工のアクセサリーやカラフルなリボンにレースの小物入れに可愛いぬいぐるみ、かと思えば安価な水晶といった鉱石やドラゴンやウルフの模型、模擬剣にパチンコ、おもちゃの弓矢なんかもある。他にも底の抜けた鍋や取っ手の取れたカップみたいなガラクタ、変な臭いのする謎の丸い石やよく分からない生き物の瓶詰といったちょっと怪しいものもある。
ウォルフが教えてくれたお店なのだが、初めて来た時は某少年魔法使いのファンタジー小説を思い出してはしゃいだ記憶がある。
 店の奥のカウンターには、店主である梟系の獣人族のおじいさんがいるが今日は、カウンターに山と積まれた石を虫メガネを片手に吟味している最中だった。

「好きなだけ悩んでおいで。折角、苦労してここまで来たんだもの」

「あのね、お母さんの分と友達の分が欲しいの」

「何言ってるの。自分の分も見つけておいでよ」

 くくっと苦笑を零しながら言えば、ますます顔を輝かせた双子は「ありがとう、イチロくん!」と元気よくお礼を言って、それぞれ宝探しに出かけていく。ティリアは綺麗なアクセサリーの並ぶ方に、フィリアは怪しげな物が並ぶ棚に駆けて行く。その際、プリムとピオンはティリアについて行ったので、一路はロビンにフィリアが危ないものに手を出さないように見張っててと言い付けて送り出した。

「ティナちゃんは何か欲しいものはある?」

 ふるふると首を横に振ったティナに、そっか、と返して、店の片隅に置かれた二人掛けのソファへと足を向け、並んで腰かけた。

「じゃあ、話の続きをしようか。どこまで話したっけ」

「えっと、勘違いをしていたってところです」

 貰った答えに、ああ、と頷いて一路はソファに深く腰掛ける。

「……真尋くんはね、なんていうか……そう、とても孤独な人だったんだよ」

 そっと目を伏せ、膝の上にある自分の手を見つめる。当時に比べればずっと大きくなった手だ。
 
「真尋くんのご両親はとても忙しい人たちで家にはいなくて、あの頃は真尋くんの弟たちも生まれてなくて、雪ちゃんも一年のほとんどを治療院で過ごしていて、だから真尋くんは、広いお家にメイドさんと二人きりだった。メイドさんは真尋くんのお父さんの代から仕えていた人だったけど、公私をきっちり分ける人だったからあくまでメイドさんという立場を崩すことはなかったんだよね。……僕たちの故郷では六歳から小学校って呼ばれる教育機関の学校に通うんだけど、勉強が本格的に始まったそこで僕は彼と僕の違いを幼いながらに実感したんだ」

 ぼんやりと自分の手を見ながら口だけを動かす。
 真尋は小学校に入る前には小学校で学ぶことは全て学習し終えていたし、多分、中学生よりも更に難しい勉強をしていたのではないかなと思っている。もしかしたらもっと難しい勉強だったかもしれないが、聞いたこともないので知らない。

「……僕はまだまだ子どもだったから、称賛がぜーんぶ真尋くんに行っちゃうのが悔しかったんだよ。それでなんかもうわーっとなって、嫌になって真尋くんを嫌いになった訳じゃないんだけど、一緒に帰ろうと声を掛けてくれた真尋くんに「用事があるから」って嘘をついて距離を置いたの。真尋くんは「そうか」って言って家からのお迎えで帰ったけど、僕は別の友達と図書館に行って、校庭で遊んでから帰ったんだ。真尋くんが居なかったから彼と比べられることもなくて、幼心に嬉しくて、真尋くんは習い事をたくさんしていたから平日はほとんど遊べなかったしね。そして僕は迎えに来てくれたママと一緒に帰ったんだ。それで次の日からは休み時間も別の友達と図書室に行ったり、学校が終わったあとも一緒に遊んだりしてたんだ。三日目にはもう真尋くんは僕に声を掛けて来なくなった。……でも明日がお休みって日にね、真尋くんが「明日、一路の家に遊びに行っても良いか」って珍しく聞いて来たんだけど、僕、断ったんだ。その日は雅也くんと遊びに行くからって。真尋くんはやっぱり「そうか」って言って帰って行ったよ」

 放り出されていた両手を合わせてぎゅうと握りしめ、力なく膝の上に落とす。ティナが心配そうに一路の顔を覗き込んでくるのに、自分はどんな顔をしているのだろうと逃げるように目を伏せた。

「……考えてみれば、真尋くんが遊びに行って良いかなんて聞いて来たの、あの時が初めてだったんだ。いつも僕が、家においでよとかどこどこ行こうよって言って彼を連れ回していたから。それで僕は彼に言った通り、その日は雅也くんっていう別の友達と遊びに行って真尋くんにお土産を買ったんだよ。パンダっていう僕たちの故郷では大人気の熊の小さなぬいぐるみ。でね、それをママに見せて「真尋くんにあげるんだ」って言ったら、ママがねこう言ったんだ。……「あら、誕生日の贈り物? 素敵ね」って」

「……誕生日」

「そう。珍しく真尋くんが遊びに行って良いかって聞いて来たあの日は、彼の七回目の誕生日だったんだ」

 背もたれに身を預けて、ふーっと前髪に向かって息を吐きだした。ふわふわの癖っ毛は、吐き出した吐息にぴょいと跳ねて額に戻って来る。

「……僕は慌てて彼の家に行ったんだよ。そうしたら、真尋くんはあの広くて大きなお家に一人ぼっちでぽつんといたんだ」

「でも、メイドさんがいたんですよね?」

「うん。いつもはいるんだけど、娘さんに赤ちゃんが産まれるからそっちに行かなきゃ行けなくなって、それでも朝ごはんの仕度はして行ってくれたんだって。それで代わりに夜遅くに真尋くんのお父さんの秘書さんが来たらしいだけど、一泊して真尋くんの昼ご飯と夜ご飯の仕度をしたあと、仕事に戻っちゃって一人で家にいたんだよ」

「お父さんとか、お母さんは……」

「仕事が忙しくて帰って来られなくて、でもお母さんは真尋くんの誕生日を覚えていて、電話って言う通信魔道具でお話もして、プレゼントも贈ってくれたんだけど……お父さんは息子の誕生日、覚えてなかったみたいで音沙汰はなかったんだって。それでね、真尋くん、メイドさんが作ってくれたちょっと特別な誕生日のごはん、一人で食べたんだって」

 まだ六回しか誕生日なんてものを迎えたことのなかった一路にとってもそれはとても衝撃的なことだった。
 一路にとって誕生日は、両親や兄弟、祖父母といった大事な家族、更には友人に囲まれて好物ばかりの御馳走を食べて、彼らから贈られたプレゼントやバースデーカードにはしゃぐ日で、とにかく幸福な日だったからだ。こっちでは祝う文化があるのだろうかとティナの誕生日の探りを入れた時もそう変わりないもので、世界すら違うこのアーテル王国でも、誕生日とはお祝いの言葉を目一杯受け取る幸せな日だった。

「真尋くんが遊びに行ってもいいかって聞いて来た日にはもうメイドさんが娘さんのところに行くのは決まっていたことで、誕生日にひとりぼっちになっちゃうの知ってたんだって、それでメイドさんがあまりに心配するから「午後から一路の家に遊びに行く」って嘘を吐いたんだって、何でか僕が謝られちゃった。……寂しかったでしょ、ごめんねって僕が言ったら、真尋くん、首を傾げたんだよ。心底不思議そうに、何でも知っているあの真尋くんがさっぱり分からないって顔をしてたんだ。真尋くん、寂しいって言葉の意味も知らないくらい、一人ぼっちだったんだ」

 ふわりと柔らかなものが手に重ねられて、そのぬくもりを包み込むように握り返した。

「……もうね、本当、自分勝手だけど罪悪感でいっぱいになっちゃって。でも、あの頃の僕は罪悪感なんて難しい言葉は知らないから、よく分からないその感情にどうしていいか分からなくて、玄関先で大泣きしちゃった。そうしたら真尋くんが抱き締めてあやしてくれたんだよ。彼がいつも雪ちゃんにするみたいに、抱き締めて背中をとんとんってしてくれたんだ。……でも今よりずっと不器用な手つきだった」

 一路はゆっくりとティナに顔を向ける。
 鮮やかなサファイアの大きな瞳は、じっと一路を見つめていて少しだけ心配そうに揺れている。彼女の手を握る手とは反対の手で、白い頬にかかっていたローズピンクの髪を耳に掛けてあげる。そうすればはらり、はらりとまた花びらが落ちた。

「結局、僕は泣き止まなくて途方にくれた真尋くんに手を引かれて、自分の家に帰ったの。それで僕は泣きながらありのままをママに言ったら、ママがその夜、真尋くんの誕生日会を開いてくれたんだ。雪も来られたら良かったなって嬉しそうにしてたよ」

「そこで仲直り、出来たんですか?」

「仲直りって言うか、なんていうかな……喧嘩じゃなかったんだよね。僕が一方的に彼から離れただけだったから」

 喧嘩というものは感情のぶつかり合いだと一路は思っている。昨晩のナルキーサスとレベリオのように感情がぶつかり合うことで喧嘩になるのだと。でも、真尋とそういう感情のぶつけ合いなんてこれまで一度だってしたことはなかった。

「すごく勝手だけど僕、傍に居なきゃって思ったんだよね。真尋くんってさ、本当は誰より傍に居る筈の両親が彼の完璧さを理由に離れてしまっていたから、自分から人が離れることは「しょうがない」って思ってる節があって、僕もその中の一人だったんだろうって無意識のうちに諦めちゃったんだ。それで寂しいがよく分からない真尋くんは手を伸ばすことも知らなくて、だから僕は彼が「寂しい」の意味が分かるように傍に居なきゃって子ども心に思ったんだ。……でもね、数年経って僕は気付いたんだ」

 顔を上げた先、大分離れた店の奥でフィリアがしゃがみこんで何かを覗き込んでいて、ロビンもそれを横から覗いている。
 
「もし、雪ちゃんがいなかったら、きっと真尋くんは、愛なんてものを全く知らない人になっていたんだろうなって、僕なんかじゃ彼に寂しいを教えることは出来なかったよ。あの時、泣く僕を抱き締めてくれた真尋くんだけど、多分、最初にそれを彼にしてあげたのが雪ちゃんだったんじゃないかな。……真尋くんもこの間、風邪で倒れた時に言ってたよ。俺の愛情の根源を作ってくれたのは雪乃だって」

「すごい人なんですね、ユキノさんって」

「うん。彼女は僕が知る限りで一番すごい人だよ。あの真尋くんを丸ごと愛して抱き締めて甘やかせる唯一の人だから。彼女がいたから、真尋くんはああしてミアとサヴィを愛せているんだ」

 もしも雪乃が居なかったら、真尋はティーンクトゥスに呼ばれることはなかっただろうと一路は考えている。呼ばれたとしても彼は神父として愛を説くことはなく、貧民街の人々に心を寄せることもなく、冷酷な為政者として面白半分に国でも乗っ取っていたのではないだろうか。そもそも一路は、彼の傍にいることさえなかっただろうからここへ来ることすらもなかっただろう。
 雪乃が与えて育んだ真尋の愛がティーンクトゥスを救ったのだから、それを持たない彼はここに呼ばれることはなかっただろう。
 だが、皮肉なことに最愛の人から与えられた愛によって真尋は最愛の人から引き離されてしまったのだ。

「僕ね、昔から真尋くんは神様がこの世にある美しいものや素晴らしいものを選りすぐって作ったんじゃないかなって思ってるんだ」

「何だか分かります。宝石箱から一番輝いて、鮮やかで綺麗なのを選んだみたいです」

 ティナがうんうんと頷いた。一路は、分かってくれて嬉しいよと笑みを返す。

「でも、神様は真尋くんを完璧には作れなかった。彼の中には、家事能力と……愛を入れ忘れちゃったんだよ」

 きっとこの世界に来てであった人々は、まさか真尋に欠けている物が「愛」だなんて夢にも思わないだろう。神父として多くの人々の尊敬を集め彼は、とてもとても愛情深い人だ。ミアとサヴィラを心から愛し、無償の愛を溢れる程に注ぐ彼に、どうしてそれが欠けているなんて想像できようか。

「……それを補うのが、ユキノさん?」

「うん。先にこの世に生まれ落ちた真尋くんの忘れ物を届けるために。神様は現世に生きる人間には関われないから、慌てて雪ちゃんを作った。真尋くんに見劣りしない美貌を兼ね備えて、真尋くんに分け与えてもなくなることのない深く温かく柔らかな愛情を携えた彼女を真尋くんの下に遣わせたんだ。自分に足りないものを持つ彼女だからこそ真尋くんにとって彼女は必要不可欠な存在になった。でも、その代わり雪ちゃんは健康な体は与えて貰えなかったんじゃないかなって」

「……でも神様は、マヒロ神父さんからユキノさんを……」

 ティナが躊躇いがちに言った。

「そう、なんだよね。神様って不器用で身勝手なのかも、だけど……優しくて憎めないから、嫌になっちゃう」

 自嘲を込めた笑いが唇から勝手に零れた。ティナの手が一路の頬を慰めるように撫でて、ゆっくりと離れていく。

「……あの風邪の騒動からミアちゃん、マヒロ神父さんがお仕事でいない日、いつもこっそり教会にいるんです」

 不意にティナが話し始めた。
 話の真意が分からず首を傾げるとティナは気まずそうに眉を下げた。

「サヴィラくんかテディと一緒に行っているんですけど……ノアくんとお母さんのことのほかに、どうもユキノさんとマヒロ神父さんがまた会えますようにってお祈りしているみたいで」

 予想外の話に目を瞬かせた。
 ティナには、ティーンクトゥスの石像の足元に供える花の管理を頼んでいる。いつもその季節に相応しい鮮やかな花をティナが花屋で見繕って来てくれ、毎日、手入れをしてくれている。だから、ミアの祈りを知ったのもその時だろう。

「真尋くんは……知ってるのかな」

 ティナは、数瞬、逡巡し首を横に振った。

「ミアちゃんに口止めされたんです。パパには言わないでって……サヴィラくんがミアちゃんとの約束を破る訳もないだろうし、だから神様が真尋さんに伝えない限りは、流石の真尋さんも知らないと思います」

「……そっか」

 ミアは何を想って、そんな途方もない祈りを捧げているのだろうか。

「イチロさんも、マヒロ神父さんには内緒にして下さいね」

「言わないよ、大丈夫」

 一路の返事にティナはほっとしたように表情を緩めた。

「イチロくん! これは? これ!」

「ティナちゃん、こっちとこっちどっちがいいかな?」

 ティナと一路が口を開くより早く双子が同時にそれぞれ見つけたお宝を手にこちらにやって来た。
 言えるわけがない、と一路は笑顔の下に本音をしまい込んで、綺麗な髪飾りを手にするティリアは兎も角、「それなに?」と聞かずにはいられないよく分からないものを握りしめるフィリアに意識を向けたのだった。










「ふぇっ、ぐすっ、ひっく」

 頑張って抑えられた嗚咽が静かな部屋に響く。
 ワイシャツを掴む小さな小さな手には、込められるだけの力が込められていて何とも言えない気持ちになった。あやすように撫でる背もずっと震えたままで、どんな言葉も来たる現実を前に何の意味もなさなかった。
 真尋は、どうしたものかと頭を悩ませながら自室のソファに腰掛けミアを抱き締め、背中をさすり、髪にキスを落としてあやし続けていた。
 きっかけは、大体の買い物が終わって「これで無事に旅立てるな」とぼそりと零した一言だった。
 その一言にミアの耐えていた物が遂に溢れてしまったようで、街中でわんわんと泣き出し、どうなだめすかしても泣き止んでくれず、結局、偶然居合わせた一路とティナに双子を託して、ミアとサヴィラとリックと共に先に帰って来た。そこからかれこれ二時間、こうしてあやし続けている。
 時折、ミアは泣き疲れて眠るのだが十分も経たない内に目を覚ましてぐずり出すというのを繰り返し始めていて、真尋の意思は早々に折れそうだ。いや、寧ろもう完璧に折れている。心の底から行きたくない。

「父様、大人げないこと言ったら怒るからね」

 喉まで出かかった「よし、行くの止めよう」という言葉は隣に座る息子の冷たい牽制に飲み込まざるを得ない。流石は、我が息子だ。真尋のことをよく分かっている。
 サヴィラの手がミアの背を撫でる。

「ミアは良い子だから、父様が行かなきゃいけないのちゃんと分かってるんだよな」

 優しい問いかけにミアがこくりと頷いた。

「でも、寂しいものは寂しいから仕方がないよ。いっぱい泣いて、父様に甘えて良いよ。そうしたら一か月くらい、俺と良い子で待って居られるもんな」

 うん、とか細く消えそうな声が聞こえてきた。
 俺の息子と娘はなんと良い子だろうか、と真尋は感動に胸を震わせる。
 真尋自身幾ら思い返してみても、ミアの年の頃、親が出かけるからとこんな風に泣いたことは一度だってない。
あの頃はまだ真智と真咲も生まれていなかったので、砂漠よりも乾燥して乾ききったドライな親子関係で、辛うじて雪乃や家政婦に言われていたので「行ってらっしゃい」や「おかえり」という言葉を口にしていたくらいだ。母が帰って来た時は、形ばかり迎えに出たが、父に至っては帰って来たとしても本当に興味がなかったので「ああそう」で部屋での読書を優先した記憶がある。父が部屋にわざわざ来ることもなかったし、呼ばれることもなかったので顔を合わせず父が出かけることも間々あった。自分がサヴィラにそんなことをされたらと考えたら、いや、考えただけで死にそうだ。
 親不孝な息子だな、と思ったがそもそも金と住居以外で父親からの愛情をそんなに感じたこともないので罪悪感というものが湧かなかった。母親に対しては先に死んでしまったことに対して罪悪感は、ある。母は父よりもずっと真尋を愛してくれていたし、真尋も母のことは母として愛情を持っていた。きっと、本当に心の底から悲しませてしまっただろう。
 だが、といつも真尋は思うのだ。自分が死んだことで、どうか両親には我が子がどれほど掛け替えのない存在かを強く認識して欲しいと。彼らにはまだあんなにも愛おしい真智と真咲が残されているのだから、どうかあの子らとの日々を何よりも優先にして欲しいと願ってしまう。

「パ、パ」

「どうした、ミア」

 か細い声に呼ばれて、すぐに両親のことは意識の外に放り投げた。
 涙に潤んだ珊瑚色の大きな瞳が真尋を見上げている。

「あの、ね……ミアね、サヴィと、ひっく……ジョンくんと、良い子でまってるから、ね……あんまり、むりしないでね」

 娘の優しさに自然と表情も緩む。ミアの髪にキスを落として、白い頬を濡らす涙を拭う。
 この際は、そこに「ジョンくん」がわざわざ入り込んだことには目を瞑る。多分、言及したらサヴィラに怒られることくらいは真尋だって分かっている。

「もちろん。怪我や病気はしないように気を付ける」

「リックくんは、にんげん、だからね」

 ひっくとしゃくりあげながら釘を刺される。サヴィラが、うんうん、と頷いていて一体どこまで信頼がないのだろうかと微妙に寂しい気持ちになった。普段、そこまでリックを振り回してはいないと思うのだが。

「……分かった。リックが人間だということは分かったから大丈夫だ」

 細い腕が伸びて来て、ぎゅうと首に回された。真尋の腕が有り余る小さな背を抱き締め返す。

「パパのおひざで夜のごはん、食べてもいい?」

「もちろん」

「おふろも、寝るのも一緒? サヴィも一緒?」

「ああ」

「一緒だよ、ミア」

 隣に座るサヴィラがミアの頭に手を伸ばす。

「朝、行くとき、ちゃんと起こしてね」

「約束する。ちゃんと起こしてミアにお見送りをしてもらう」

 片方だけ腕が外されて、ミアが小指を立てた小さな手を差し出す。真尋は自分の小指を娘の細い指に絡めて、指切りの歌を口ずさんだ。
 すると漸くミアの涙が止まったようで、小さな微笑みが落とされた。瞼にキスをすれば白い兎の耳がぴょこぴょこと動いた。
 真尋は、ふと思いついてミアに声を掛けてから抱き締めていた腕を放し、自分の首の裏へと回す。肌身離さずつけている雪乃の写真が入ったロケットのぶら下がるネックレスを外して、きょとんとしているミアの首に掛けた。

「パパ?」

「絶対に帰って来るっていう約束だ。ミアとサヴィも知っている通り、これはパパにとってミアとサヴィの次に大事なものだ。風呂に入れても濡れないし、例え、ドラゴンに踏まれても壊れない魔法が掛けてあるし、このチェーンが切れることは万が一にもないから、ミアがこうして預かっていてくれ」

「でも、なくしちゃったら」

「大丈夫。そうならない魔法もしっかりかけさせたからな。だから、ミアが大事に守っていてくれ」

 ミアが銀色のロケットを小さな手で開いて、雪乃の写真を覗き込む。今日も彼女は優しく微笑んでいてくれる。

「本当に平気?」

 サヴィラまで首を傾げる。

「俺には、ママとお揃いのこの指輪があるし、似顔絵も持っているから大丈夫だ」

 ならいいけど、と言ってサヴィラの視線がミアに向けられる。ミアは暫く雪乃の写真を見つめていたが、ぱちりとロケットを閉じると両手で大事そうに握りしめた。

「パパ、ちゃんと帰ってこないと、返してあげないからね! ミアがもらっちゃうからね!」

 にこっと嬉しそうに笑ったミアに真尋も自然と笑みが浮かんで「それは困ったな」と笑いながら娘の頬を両手でむぎゅっとする。

「なら元気に帰ってこれるように、パパもリックに無理をさせすぎずに頑張るからな」

「うん!」

 ぎゅうと抱き着いて来た娘をほっとしたように見つめて油断していた息子ごと抱き締めた。うわっと驚く声が聞こえた気にせず二人を抱き締める。
そうすれば真尋の腕の中で、愛しい子どもたちは鮮やかに咲く花のように輝く笑顔を零してくれるのだった。

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