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2巻
2-1
しおりを挟む第一話 地方騎士のお仕事
馬車がガタガタと揺れる。
軍用の無骨な馬車だから、貴人の乗るような物とは違う。よく揺れるし、その揺れに身を任せれば尻が痛くなるので、友人達は荷物の中から厚手の服やコートを取り出して尻の下に敷いている。
私、ルゼが故郷の領主様の次男である病弱なルーフェス・デュサ・オブゼーク様の身代わりとして男装し、ランネル王国の騎士団に入り込んで早半年。今のところ、私の正体はまだバレていないが、何の因果か、王子様に見込まれて『火矢の会』なる騎士達の集まりに入れられることに。そして騎士としての初の異動にかこつけて、不正が行われているラグロアへの潜入捜査と、共に潜入する王子様の護衛をさせられることになってしまった。
ラグロアの詳しい状況はまだ分かっていないが、魔物を手引きして商人の荷を襲わせる人間がいるらしい。私の実家の周辺にいる魔物達は、大きな計画を立てる知恵もなければ団結力もなく、統率できる指揮官もいないので、せいぜい人々が寝静まった夜半に畑を荒らしたり、町の外に出た人や旅人を襲ったり、人間の盗賊並の強奪をするぐらいだった。しかしラグロアの魔物は、それ以上のことをしている。ラグロアは物流の拠点であり、商人にとって避けて通ることのできない場所なので、国としても大きな問題である。
火矢の会とは、このような不正を正す騎士達の集まりである。天使のような翼を持つ聖女、ノイリが魔物に誘拐された六年前の事件の犯人と今回のラグロアでの一連の騒動の犯人は、繋がっているのではないかと火矢の会は睨んだらしく、ノイリを信奉する私が勧誘されたようだ。
私達が乗った馬車は都を出発し、ラグロアへ向かっているところだ。途中、他の町へ異動するべく相乗りしていた他の騎士達は全員前の町で降りてしまったので、私達は気楽な一時を楽しんでいる。次の村で、同じくラグロアへ向かう別の騎士達と合流することになっている。
窓の外には長閑な春の田園風景が続き、見回りの騎士が同僚である私達に手を振れば、ゼクセンが手を振り返す。ゼクセンは私の相棒であり、私が女だとばれないための囮でもある。金髪碧眼の美少女のごとき麗しい顔立ちと輝く微笑みのゼクセンを見て、見回りの騎士はだらしなく鼻の下を伸ばした。彼らが相手は男だと思い直すのはいつのことになるだろう。この可愛いゼクセンがいるおかげで、私はまだ誰にも女だと見破られていない。女としては少し情けない話だが。
私は出発間際に、お友達になった下働きの女性達からもらった餞別のお菓子を膝の上に広げた。これでもけっこう女性にモテるのだ。私はそのお菓子を向かい側に座るギルに見せた。
「ギル、クッキーいらない? 人が増えると食べにくくなるよ」
「いらない」
友達だから分けてあげようと思って言ったのに、ギルはこちらを見もせずに断った。食べると口の中が渇くからだろうか。私は甘い物が苦手なので菓子はまだ三袋、つまり三人分も餞別が残っているのに。
「じゃあ、ギル、お水いる?」
「自分のがある」
食べ物はいらないし、喉が渇いているのでもない。じゃあ……
「ギル、飴」
「鬱陶しい」
無駄に名前を呼びまくって遊んでいたら、ついにギルが切れた。
「ギルって呼ぶ練習してるだけなのに。ゼクセンも遊んでないで練習しないと、いつか口を滑らせるよ」
「そっか、練習か」
クッキーを食べながら景色を見ていたゼクセンは、我らが王子様、ギルネスト殿下を振り返ってじっと見上げた。ギルネスト殿下は、私とゼクセンをラグロアへの潜入捜査に巻き込んでくれた張本人で、この国の第四王子である。現在は身分を隠してギル=カートルと名乗り、商家の次男坊に扮している。だから間違っても、「殿下」、「王子様」などとは呼んではならない。
「ぎ……ギル」
ゼクセンが恥ずかしそうに指をすり合わせながら名を呼ぶと、王子様……ではなく、ギルは不愉快そうに目を逸らした。
いつも気障ったらしく目にかかっていた、癖のある黒い前髪を後ろに撫で付け、妙に色っぽい泣き黒子を隠すために、度の入っていない眼鏡を掛けている。相変わらずサディストっぽさは抜けていないが、雰囲気がずいぶん違うのでぱっと見は別人に見える。まさかこんな所に王子様が潜入捜査をしに来るとは誰も思わない。よしんば「ギルネスト殿下」の顔を知る人がいても、王族にあやかってギルなどと名を付けられたそっくりさんだと思うだろう。
ギルはつい半年前まで、青盾の騎士団に所属していたし、私達が所属する白鎧の騎士団の中で親しく接したことがあるのは、私と同期の新人達の他は、騎士団長など、位の高い人達だけなので、まず大丈夫だとギルは言う。どうやらラグロアにはそういった人達はいないらしい。
「王子様を名前で呼ぶのってやっぱり緊張するね! 僕まだすっごくドキドキするよ」
「これからは仲良し三人組なんだから、こんなことで緊張してたらダメだぞ、ゼクセン」
「そうだね! お友達なんだもんねっ!」
ちょっぴり本気の私と、完全に本気のゼクセンを尻目に、ギルは外の景色を眺めるふりをしている。
「おーい。そろそろ待ち合わせの村に着くから、普通にしてろよ」
御者台のダールさんに言われて、私達は口を閉じた。もしもゼクセンが「王子様」と口走りそうになったら、私が傀儡術を使って口を開かなくしてやろう。私が得意とする傀儡術は、物はもちろん、文字通り人の身体も操り人形のごとく操ることができるのだ。私は幼い頃に足を傷めて以来、自身の身体をそのように操って生活している。
「ああ、そうそう。忘れるところだった。ルー、お前、これを持っていろ」
ギルから指輪を渡された。彼と、彼の親友であり、強すぎて顔が知れ渡っているために留守番をさせられているニース様が手袋の下にしているのと同じデザインの指輪だ。男同士でペアリング、キモっ、と心の奥底で思っていたのだけど……
「まさか親しくなった人みんなに配っているんですか?」
人は意外な趣味を持っていることもあるので、恐る恐る尋ねた。
「気色の悪いことを言うな。ただの魔導具だよ。これはニースが付けていたものだ」
「それは良かった。でもサイズが大きすぎます」
ギルは女性用の小さな指輪を小指にしているが、ニース様のは普通に男性用で、私ではどの指にも合わない。サイズ的に男女のペアリングだから不気味さは増すばかり。
「お前、指も細いな」
「放っといて下さい」
「じゃあ僕のしている方をしろ。女用を無理矢理小指にはめていたものだから、お前にはちょうどいいだろう」
ややブカブカしているが、薬指にはまった。余計に指が細く見えて女っぽく見られそうだけど、まあ、男の人でも女性みたいに指の細い人がたまにいるから問題ないだろう。
「この指輪ってどんな効果があるんですか? 恥を忍んで身につけているぐらいだから、よっぽどなんでしょう?」
「恥を……まあいい。見れば一目瞭然だから、腕を前に伸ばして手の平を上に向けろ」
言われた通りにすると、私は何もしていないのに手の平から炎が出た。私は火の魔術とは相性が悪いから、炎を作るのはけっこう苦労するのに。
「魔力の発動地点を他人の手元に移すための魔導具だ。今ニースがしていても意味がないから持ってきた。遠距離にいる人間と念話ができるお前なら、相性は抜群にいいはずだ」
潜入先のラグロア騎士隊ではギルは魔術が使えないことになっており、私だけが魔術師として登録されているらしい。私が傀儡術師であることが前提で立てられた作戦なのだろう。
「その指輪でフォローしてやるから、お前は何としてでも傀儡術を隠せ。あれはさすがに便利すぎて無用な警戒をされかねない」
「分かりました」
言われずとも、ホイホイ見せたりなどしない。
私はおう……ではなく、ギルとおそろいの指輪を見た。信頼の証なのだろうが、少し気になることがある。
「サイズ的に、これエンゲージリングなんじゃないですか? しかもめちゃくちゃ凝った造りで高そう。こんなの作れる職人、ほとんどいませんよ?」
材料さえあれば作れそうな職人が実家の近所にはいるけど、彼が作るのとはまた違う繊細さだ。魔導具としての技術も素晴らしいが、魔導具であることが一見分からないのも素晴らしい。
「高いというか、値段は付けられない物だ。宝物庫に眠っていたのを、ただの地味なペアリングぐらいにしか思ってない父から了解を得てもらってきた」
一目でその価値が分かるような大きな宝石がついているわけではないから、王様がそう思ったのは無理もない。ほとんど騙し取ったに近い気がするのだが……まあ、それもギルが王子様だから許されるのだろう。
しかし、まさか生まれて初めてのペアリングが、王子様とのものになるとは……
ギルは私のことを男だと思っているから、このペアリングに「気色悪い」以上の感情を持っていないようだが、誰にも気付かれたことがないとはいえ私は本当は女なので、少し複雑な気持ちだ。
まあ、これもいい思い出として胸にしまっておこう。私がこうして男装しているのも、身代わりを引き受けているルーフェス様が生きている間だけなのだから。余命二年もないと言われて、半年が過ぎた。たぶん、生きていられるとしてもあと一年だろう。
「変な噂を立てられると嫌ですから、この指輪、手袋の下に隠しておきましょうか」
「そうしておけ」
男同士でペアリングを付けていると思われるのは嫌だし、ルーフェス様にも悪いと思うから。
だからニース様も普段は手袋をしていたんだと思う。直情的な人だから、決闘を申し込んできた時は私の前で外してたけど。
私は馬車から降り、伸びをする。
目的地であるラグロアに着いたのは、出発して一週間目のことだ。寄り道さえしなければもっと早く着いたはずなのだが、今回は異動させる騎士を各地に運ぶことが目的だったから仕方がない。国境に最も近いこの地の砦に配属される私達は、一番最後の降車となるため、全ての寄り道に付き合わされることとなった。それでも北部や南部などのもっと遠い所に行くのに比べればマシ。
「あううっ、まだ身体が揺れてるみたい。お尻痛いし」
ゼクセンが馬車の振動の名残でふらふらしながら尻をさすっている。ギルも似たような様子で、げんなりした表情だ。私達よりも異動に慣れているとはいえ、身体が順応しているとは限らない。途中で御者を解放されたダールさんは、さすがベテランだけあって平気そう。私は途中から傀儡術で微妙に浮いていたから、身体がちょっと固まっているぐらいだ。
同じ馬車に乗ってきてここに降りたのは、私達の他に五人で、計九人。他の馬車にも同僚がいるだろうから、二十人以上に増えるはずだ。一つの都市に二十人以上を『補充』するのだから、どれだけここで騎士が死んでいるのかと嫌な気持ちになる。普通こういった人数が足りていない場所での引退や異動は、魔物が大人しくなる秋にするものなのだから。
「ルーフェスが一番ピンピンしているな」
「ひたすらじっとしているのに慣れてるんですよ」
ダールさんの言葉に肩をすくめて、荷物を手に城壁を見上げる。
ここラグロアは大規模な城郭都市で、東南に向かうと大きな森を抜ける街道、森を抜けたところが国境だ。交通の要所であり、この地方一帯では商人も騎士も、ラグロアを中心にものを考え、動いている。
人の住んでいる土地は、地下から穴を掘られないように結界を張ってあり、魔物は下からは侵入できない。空にはラグロア全域を覆う警報結界が張られ、万が一、空の飛べる魔物――闇族が侵入した際にはラグロア中の人間がそれを知ることになる。下からは入れず、上から入ると即警報が鳴る。
つまりこのラグロアの中は、とても安全だということだ。しかしいくら堅牢な都市であっても、肉眼で見えるほどの距離に、魔物が多く出没する森がある。隣国のカテロアへ渡るには、命がけでこの森を抜けて国境を越えなければならない。だから行商人達は隊商を作って越境することとなり、彼らに雇ってもらおうと傭兵も多く集まる。対魔物で考えれば安全性は増すが、傭兵が暴れることもあるので治安が良いとは言えないという矛盾をはらんでいた。それでも騎士の身はいたって安全だろう。騎士を殺せば極刑になることが多いから、傭兵達が手を出す恐れはまずもってない。
「やっぱ物々しいなぁ」
「るーちゃんの実家のあたりは農地が多いから長閑だもんね」
そう言うゼクセンの実家があるのは大きな商業都市らしい。ゼクセンのお姉様夫婦が仕切っているゼルバ商会の本部があるから、必然的に商業の要地となったのだ。
ダールさんが入城の手続きを手早く済ませてくれたので、私達は名乗るだけでよかった。頼れる先輩がいると楽で良い。
城壁の門をくぐり、入城すると少しばかり興奮した。私は田舎者なので、見知らぬ都会に来るとドキドキする。気の弱い人なら、こういうのがストレスになるんだろう。苛められたりしないかなぁとか。
ああ、なんだか苛められそうな予感。
そう思うと、俄然やる気が湧いてくる。
「るーちゃん、部屋はどんなんだろうね」
ゼクセンは荷物を持って浮かれた調子で言う。その疑問にギルが答えた。
「新人は四人部屋だろ。同じ班の人間が同室になる。僕らは同じ班の新人同士だから離されることはないだろう。上の者を一人付けられて、まとめて教育される」
ばらけることはないらしいが、ゼクセンやギルはともかく、もう一人の存在によって着替えとかしにくくなるな。ギルは私の『病弱すぎて身体を見せるのを嫌がってる』という設定を信じてるから、多少のことでは何も言わないだろうけど、人の嫌がることをするのが好きな、意地悪な人と同室になったら困るよなぁ。
などと思っていると、
「おーい、ぎ・るぅぅぅう」
浮かれた調子で、ギルの名を呼ぶ男の大声。他の人達の頭の向こうから、元気に振られる手が見える。その声を聞いただけで、ギルは苦虫をかみ潰したように顔を歪めた。
事前にこちらの到着を知っていたということは、おそらく協力者の一人だろう。殿下を呼び捨てにできると知って、これ幸いと名を呼んでみたくなったのだ。私にも覚えのある衝動である。その男とは気が合うか全く合わないか、どちらかだろうと考えながら、集団の入城が進むのを待った。狭い廊下だから、大荷物を持って行き違うのは大変だ。
ギルの名を呼んだ男の顔が見えてきた。中肉中背、茶髪に茶色の瞳。その笑顔から陽気な印象を受けるが、顔立ちはあまり目立つタイプではない。
彼はギルが到達すると、がばっと抱擁した。王子様相手になんて大胆な男だ。私なんかはそろそろギル呼ばわりするのにも慣れてきて、王子様なんて呼んでやっていたのが遠い昔のようなのに。
「よぉ、ギル。久しぶりだな。元気だったか。しかし相変わらず嫌味なインテリっぽいなぁ」
彼はギルの背をバンバン叩く。相変わらずということは、この変装をしているギルに会うのは初めてではない、ということか? 二人はすごく親しげで、こっちはなんだか負けた気分だ。仲良し三人組だったはずなのに、ほんの少し悔しい。
「ああ、元気だ」
「テンション低いなぁ。ああ、そうそう。今日から俺が教育係だからよろしく!」
「…………」
「同じ部屋だからな!」
「さ、最悪だ……」
ギルは肩を落とす。どうやら苦手なタイプらしい。その様子を見て、ダールさんが笑った。
「ははっ、お前が教育係か。よく許されたなぁ」
「面倒くさい新人教育を押し付けるチャンスとか思ってたんでしょ。しっかし、何この可愛いの!」
彼は小柄で可愛いゼクセンを見て、子供にするように頭を撫でまくる。綺麗にといた髪がくしゃくしゃになる。
「かっわいいなぁ。いいのかなぁ、こんなチビがこんな所にいて」
「問題はないだろ、しっかり指導しろ教育係」
「いやだなぁ、ギル。俺がいい加減な男だってのは知ってるだろ」
……きっと、このキャラの何割かは演技で、実はものすごく優秀な人材なんだろう。私はそうだと信じている。きっとそうなのだ。だってギルは使えない人材をこんな風につけ上がらせるタイプじゃないから。使える人材だからこそ、無礼をされてもぐっとこらえて、寛容に受け流しているのだ。
「あ、俺、こいつら部屋に連れていきますんで」
彼は後ろにいた上司らしき人物に気さくに声をかけてゼクセンの背を押す。そのゼクセンは引きつった笑みを浮かべていた。ここまで気さくな人間は初めてなので、どう対応していいか困っているのだろう。何せ王子様相手にあの態度だし。
「ほれほれ、こっちこっち。じゃダールさん、また後で」
ダールさんと別れて、早速案内された部屋の中は、全体的に生活感があった。
「く……臭い」
予想していたが、やはり臭い。住環境を考慮しない古い建物だからか、通風口がない。窓もなく、換気ができない。いかにも新人向けの部屋だった。
私はドアを開いたまま魔術で風を起こして換気し、荷物の中から取り出した消臭グッズを随所に置きまくった。消臭グッズ、用意しておいて本当に良かった。
「まずやることがそれかよっ!」
「今一番大切なことだろ。臭い場所に長くいると気が滅入るし、よく眠れない」
ギルが賛同してくれた。彼も臭いの嫌いだし、いつも清潔にしている男性だ。春も半ばを過ぎ暖かくなってきたから、最悪でも持ってきたコートを羽織れば、既に部屋に用意されている臭そうな毛布などなくても寝られるし、まずはこの臭いが一番の敵なのだ。
臭いは完全には取れていないが、これ以上やっても徒労のようなのでドアを閉めた。
「さて、とりあえずやるべきことは終えたので、自己紹介でもした方がいいんでしょうか」
「普通はまずそれだろ。まあいーや。俺はネイド。ギルに雇われてここにいる、お抱え私兵だな。ギルとはガキの頃からの付き合いだから、一番の腹心って奴だ」
やっぱり付き合いが長いらしく、かなり楽しんでいる様子だ。ギルの頬はぴくぴくと引きつっているが、一応事実らしいので何も言わない。
「私はルーフェス・オブゼーク」
「僕はゼクセン・ホライストです」
ネイドさんは私達二人を見比べる。
「でん……いや、ギル。この二人のどっちが魔術師ですか? わざわざ新人を伴って来たってことは、他の連中よりもよっぽど使えるんでしょう」
「背の高い方が、傀儡術師のルーフェスだ。手を触れずに物を動かせるし、相手の人間を気絶させるか、あるいは気付かれるのを覚悟の上なら、意識を保ったまま身体を操ることができる。視界の共有も可能だ。あと、治癒術も少しできる」
「めちゃ便利じゃないですか」
「お前じゃ頼りないと不安がった奴らを説得できたくらいだからな。ただし、虚弱体質なのが欠点だ。医者には、あと二年も生きられないと言われているらしい。でも今のところ、寝込んだのは普通の風邪をひいた時の一回だけだから、何とか使えるだろう」
もう少し発作らしきものを演じておいた方が良かっただろうか。でもあまりやり過ぎると、自己管理もできないダメ人間、使えない奴という印象を植え付けてしまうし。
「そんなのがなんでまた……あ、オブゼークか」
ネイドさんは納得した様子で私を見た。私の雇い主である領主様はギルの関係者の間では有名らしい。
領主、アーレル・デュサ・オブゼーク様は病弱な息子、ルーフェス様のために、癒しの聖女ノイリを自分の領地で育てるべく、ふさわしい神殿を用意し、まだ幼い彼女に他人と接触する機会を持たせるためだけに孤児を集め、さらに多額の資金を提供した。ルーフェスの身代わりとしての私ではなく、ルゼとしての私はその孤児の一人である。
ノイリは背中に翼のある天族という種族で人目に立つため、関係者以外は出入りのない場所、つまりノイリ専用の神殿に極秘に住まわされたが、それが災いして、多数の魔物に一気に攻め入られ、奪われてしまった。警備に問題があったわけではない。神殿のあった森では全ての地面に結界が張られていた上に、常に国から派遣された聖騎士達が警備に当たっていた。聖女がいると知って狙うのでなければ、十分過ぎるほどの護衛だったらしい。魔物達も聖女がそこにいると知っていなければ、わざわざ結界の張られていないギリギリのポイントを探し出して地下から穴を掘ったり、徒党を組んで押し入ったりするはずがない。そのやり方に何者かの明白な強い意図を感じたため、ギルは火矢の会を作り調べ始めたのだ。
だから、ネイドさんはオブゼーク家のことを知っていたと思われる。ここラグロアで頻発している事件は魔物を使うという手口が似通っており、また、当時の容疑者である大貴族、バルデス家の罪を暴ける可能性もあるため、オブゼークの息子がここにいるのは自然なことである、と納得してくれたのだろう。ルーフェスではなく、ルゼとしての私にとってもノイリは大切な女の子であり、バルデスは憎き仇なのだけど。
「そういうことだ。こいつは天使に相当惚れているらしい。しかもまだ諦めていない。ここにいる動機は誰よりも強いし、使えるから安心しろ」
「女のためか。見た目によらず男らしい動機だな。気に入った」
こういう時、恋愛抜きで好きになることもあるのだとは、誰も思わないらしい。その方がかえって都合が良いから、勘違いされても構わないけど、私の純粋な思慕と崇拝を歪められているかと思うと少し悔しい。
「あと、癖になるから丁寧語も敬語も無しで普通に話せ。そういう切り替えはすぐにできると思うが、咄嗟の時に出てきては困る。こいつらがつられる可能性もあるからな」
ギルはゼクセンを指差して言う。ネイドさんは小さく笑いながら頷く。
「はいよ。異動者の挨拶は夕飯の時にするらしいから、日が暮れるまで寝ててもいいぜ」
ネイドさんはそう言うが、そんなわけにはいかない。換気しかしてないし。こんな……ぶっちゃけ汚い部屋に王子様とゼクセンを住まわせられない。
「そういえば、ベッドに物が置いてありますけど、誰のです?」
「あ、あれはお前らが来る前にいた奴らの荷物の残り」
「残り?」
「俺以外は死んだから」
「…………」
誰かが異動したか死んだか引退したから補充されるんだし、理解はできるけど、ちょっと重い。
「故郷に送る規則だろう」
「ご丁寧に私物の枕やシャツなんか送ってどうするんだ。形見になりそうな物だけ送って、残りはそのまんま。自分のベッドは自分で片付けてくれ」
私は部屋を片付ける前に、自分の荷からアロマポットを取り出した。臭いを完全に消してから香り付けするのが一番なのだけど、臭いの根元っぽいベッドに近づくのは怖い。今置いてある消臭効果のあるハーブ程度じゃ追いつかないだろう。
「香りは何がいい?」
「僕、いつもの奴がいい。あれ、すごくほんわりするから」
「ゼクセン、その言い方だと、なんか麻薬みたいだろ。リラックスするとか、もう少し大人の表現をしてくれ」
微かに香る程度に香油を垂らす。少しはマシになるだろう。
意を決して、片付けをしようと部屋を見回す。二段ベッドが二つあり、部屋の中央に部屋を二分するかのように紐が通っていて、ネイドさんの服っぽいのが乱雑に干してある。
「私、上の段がいいです」
「好きにしろ」
ギルに許可をもらい、比較的荷物が少ない方のベッドを覗くと、案の定カビ臭くて顔を背けた。
ベッド用のカーテンは備え付けのものがあったから、用意していたものを使う必要はなさそうだ。ネイドさんも嫌がっているのにイタズラで覗いたりはしないだろう。ここにはシャワーなんてないらしいから、基本的に布で身体を拭くことになる。もう暑くなる時期なので、外で頭から水を浴びてもおかしくないから助かる。私は都にいた時、服を着たまま水を浴びて、魔術で服を乾かしていたのだ。
「で、これどうするんですか? 枕とか、臭いの原因っぽいんですけど」
「捨てるしかない。もしくは誰かにやるか……」
ギルの言葉が終わらぬうちに、部屋のドアがノックされる。
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