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しおりを挟むとんでもない者たちに目をつけられてしまった――
ジューチの母親はまだ日の昇らない夜明け前に家を出て、港へ向かっていた。
――このままこの地で被験者を続けるより、あの美しい子と番うほうが息子の未来は明るいと思っていた。
会うたびに尻尾をピンとさせて、傍から見てあれほどわかりやすく好いているのだし、多少苦労をしても一緒に生きていくほうが幸せだろう……そう思っていた。
ふたりが望むなら、オス同士で番うことも反対する気はなかった。
けれども……
白珠のお役目はおそらく生殖にある。
息子はその種付け役に選ばれてしまったのだ。
子種の提供者として幽閉される可能性もある。
長寿の体にされ、永遠に子作りをさせられるだなんて。
しかし息子がそれを知って尚も望むのなら、送り出してやるべきだろうか。
意志の弱い息子は快楽に簡単に負けてしまうだろう――
ジューチの母親は体を縮めてぶるりと身震いをする。
――向こうの獣人の話をすべて信じることはできない。
対等に扱ってもらえるなんて本当だろうか。
一度の出産に千より多くの交尾が必要だなんて……
望まれている子供の数もわからない。
こちらには彼らを信用するだけの材料がまるでないのだ。
各地の遺跡で何が行なわれていたのか……
研究所の交配実験だって、彼らの残した物を手探りで使っているに過ぎない。
その技術の真意を推測しながら彼らの跡を追う形での実験なのだ。
下等な種族だからと適当な言葉を連ねていいようにするつもりではないのか。
怪しいと疑えば、何もかもが怪しく思えてしまう。
とくにあのテンジョウボシという種族は本当に怪しかった。
獣人の言葉を信じたいとは思うけれど。
夫は先方を信用するしかないと言う。
あんな力を見せられて、私たちに逃れることはできないと、心から思わされてしまったようだ。
たったひとりの大切な息子なのに――
彼女の種族は多産だ。
けれどもこの土地に来て作ったのはジューチひとりだった。
同じ祖先をもつ夫の一族の郷と隣接した土地に、彼女の一族の郷はあった。
どちらが正しい血統であるか、そんな無益な争いが絶えず、夫の一族とは常に険悪な仲だった。
彼女たちが番うには難しい環境だった。
中立都市を知ったふたりは親の反対を押し切って郷を出た。
大陸へは海を渡る必要があり、いくつかの異種族の土地をまたぐ長旅だった。
情報を集めて地図を作り、路銀が尽きれば労働で稼ぎ、紛争地帯を避けながら進んだが、それでも危険な旅だった。
彼女の夫は二度も鉛の弾を体に受けている。
郷では見たことのない、危険な武器を扱う種族もいた。
大陸に辿り着いたふたりは、外との違いにひどく驚かされた。
古代遺跡や遺物の数が圧倒的で、文明が進んでいる。
住民は異種族に理解があり、良識を持っている。
子供たちは無償で教育を受け、一定の学力があった。
争いに暴力は疎まれ、仲裁をする役人がいた。
そこは確かに彼女たちの求めていた先進的な土地だった。
役所を訪ねると、すぐにでも住める場所が特別区にあることを知る。
その政策に感銘を受けて、ふたりは子供を提供することにしたのだった。
――特別区の被験者である息子のお役目は、交配結果を残すことだ。
けれどもそこに希望はない。
疑わしい実験に息子を差し出すより、自由にしてやりたいと思った。
相手を見つけたのなら尚更。
息子は子種を提供するために生まれて来た。
そのために私は卵を研究所へ提供し、ジューチを授かった。
だからと言って、こんな皮肉な目に遭うなんて――
多産種の彼女だが、提供する被験体はひとつだけにした。
受精した卵は二つ以上あったが、育成槽へ入れたのは一つだった。
自分たちのために、世界のために犠牲になるのはひとりで十分だと思ったのだ。
この地区に住む限りジューチに弟妹は作らず、ジューチだけを大切に育てようと夫と決めたのだった。
湖岸の港には漁から戻った船が並び、ジューチの母親は船主の下で働く仲間たちと一緒に船から下ろした魚の仕分けを行なう。
日が昇り明るくなると競りが始まり、買い手のついた魚の籠に札を立て、頼まれれば競り落とした店へ台車で運ぶのが彼女の仕事だった。
捨てる雑魚を貰い、馴染みの店で食材を買って昼には家に帰る。
夫と息子の好物が安く手に入るこの仕事を、彼女はここに来てからずっと続けていた。
仕事が終わった彼女は貰った雑魚を仲間に分けて、近々特別区を出ることを告げた。
新しい仕事と住居を探していることも。
理由は様々だが、特別区を出た仲間はこれまでにもいた。
彼らが今どこでどうしているのか、そんな情報を集めて回り、午後から訪ねてみることにした。
有料の転移板を使って他地区へと向かう。
特別区のような古代遺跡の建造物は少ないが、大陸の外とは違って近代的な町並みが続いていた。
そこでかつての同僚を訪ねて事情を話した。
――自分と夫はどうにかなるだろう。
転居も転職も思ったほど難しくはなさそうだった。
問題は息子だ。
ジューチには自分で考えさせなければならない――
広場の石段で彼女は一休みした。
日が暮れはじめていた。
――夫には帰りが遅くなるだろうと伝えている。
ジューチは講習所から戻っているだろうか。
ジューチの恋するあの子も、いつもなら家に来ている頃だ。
白珠は私たちの子を大切にしてくれるだろうか。
息子より年上と言うが、精神的な年齢はおそらくジューチと同じかそれよりも若い。
孵化したのはジューチの生まれた後だと聞いた。
あの一族の中で彼の発言はどこまで通るのだろうか。
ふたりはちゃんと自立できるのだろうか。
種付け以外にも役目を与えてもらえるだろうか――
不安に思いを巡らせていると、広場に佇む石像が夕陽を背に輝いていた。
彼女は眩しさに目を細める。
辺り一面が金色の光に包まれていた。
「こんにちは」
「そろそろこんばんは、かしら」
鈴をころがすようなメスの声だった。
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