菩提樹の猫

無一物

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12章 伯爵令息の夏休暇

27 助太刀

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◆◆◆◆◆


(なんだっ!?)

 デニスは、アンドレイたちを見送った後に庭を歩いていると、背後に人の気配を感じて振り返る。

「御機嫌よう騎士殿」

 そこには薄茶の髪を綺麗に結い上げて、黒地に白百合を大胆にあしらった絹のローブを纏う青年が立っていた。
 日頃から鍛練を怠らないデニスだが、容易に背後を取られ背中に冷たい汗が流れる。

(いったい何者だ!?)

 ここ数日、美青年といるので目が慣れてきていたが、目の前の青年もレネとは違う妖しい美しさを持っていた。
 静かに微笑むその表情が、得体が知れない人間離れした不気味さを醸し出している。

「……あなたは?」

「吟遊詩人のルカと申します」

 膝を折って優雅に挨拶する。

「じゃあ、あなたがアンドレイの言っていたショールの持ち主……」

 マリアナ嬢への贈り物を選んでいたので、てっきりレネの姉が編んだショールを持っていたのは女性かと思っていた。
 だが、この容姿と服装なら頷ける。

「ええ——それより騎士殿、右足に怪我をなさっているでしょう? 日が沈む頃に『虹鱒亭』を訪ねて下さい。そこにボリスがいますから。アンドレイ坊ちゃまに危険が迫っています。貴殿の力が必要です」

『虹鱒亭』とは以前、アンドレイが熱を出した時に、駆け込んだ宿だ。

(——だがどうして、この男はボリスを知っている?)

 リーパに所属する癒し手の名前を出されデニスは混乱する。
 それにアンドレイに危険が迫っているとは聞き捨てならない。

「……どういうことです?」

「このことは内密にしたいので、詳しい話は向こうで」

 そう言い残すと、ルカはサッとヴルビツキー男爵の庭の方へと消えてゆき、その場にはベルガモットと甘いクローブの香りだけが残された。
 
 突如として現れた吟遊詩人に告げられた言葉を、デニスはまだ反芻できないでいた。

(いったいなにが起こっているんだ!?)
 

 西の空が綺麗な茜色に染まり、東の空からは濃い青が迫って来ようとしていた。
 デニスはまだ痛む右足を庇いながら、ジェゼロの鈴蘭通にある『虹鱒亭』へと急いだ。
 
 虹鱒の木彫りが付いた赤い扉を開け、受付にいる宿の親仁にボリスの名前を出すと、二階の緑色の扉の部屋に行けと告げられる。
 ギイギイと音を鳴らして木の階段を上がり、一番奥にある部屋の扉をノックする。

「はい、どうぞ」

 扉を開けたのは、久しぶりに見るボリスだった。

「デニスさん。久しぶりだね、さっそく足の治療をはじめよう」

「……俺の足を治療してくれるのか?」

 癒し手の治療を受けることができるのは、高額な金を神殿に寄付できる貴族か、聖地シエトを訪れたものだけだ。
 騎士団にも癒し手は所属しているが、外部の者を治療したりはしない。
 それだけ癒し手は貴重な存在だ。

「それじゃあ坊っちゃんを助けに行けないだろう?」

「助けに?」

 デニスはなにが起こっているのわからないまま、自分だけが取り残されている様な気持ちになった。

「ボリス、まだ騎士殿には詳しく事情を話していないんだ。治療しながら話をしましょう」

「……!?」

 声がして初めて、奥の椅子に男が一人煙草の煙を燻らせていることに気付いた。
 その聞き覚えのあるクローブの香りに、先ほどダルシー伯爵家の庭で会った吟遊詩人と同一人物だと認識する。

 ゆったりとしたローブを纏った性別の曖昧な印象とは打って変わって、無造作に後ろで髪を括り、ピッタリとした黒い服装で、ぞんざいに足を組んで座る姿は、まるで別人のようだ。
 殺伐とした空気を纏うその男は、歴戦の戦士のような貫禄さえ感じさせる。

「傷を見せてもらうよ」

 ボリスから促されてズボンを脱いでいると、後ろから少し掠れたような悩ましい声で吟遊詩人が説明をはじめる。先ほどからころころと受ける印象が変わるので、デニスの中で人物像が定まらない。

「ここ数日、ヴルビツキーのお屋敷でお世話になっていたのですが、今夜オストロフ島になにやら良からぬ連中を集めるような情報を耳にしました」

「なんだとっ!?」

 だがオストロフ島にアンドレイを誘ったのはベルナルトだ。
 ヴルビツキー家は事前にその情報を掴んでいたのだろうか?

「今朝アンドレイ坊ちゃまたちがオストロフ島に向かうと知り、これはただごとではないと思い情報を集めていたのです。メストから商隊の護衛で来ていたボリスに聞いたら、どうやら山賊たちが続々とジェゼロに集結しているというものですから、貴方にお知らせしたのです」

「じゃあ、賊たちはアンドレイを襲撃するために集められたと!?」

 あんな狭い島で襲撃を受けたら、どこにも逃げ場はない。
 早くアンドレイの所に行かなければ、とんでもないことになる。

 治療を受けながら今にでも動き出したい衝動に駆られていると、下半身になにやら熱い視線を感じ、デニスは身構える。

「……っ!?」

「ご立派なモノをお持ちで」

 そう言うと、視線の主は悪びれなくニッコリと微笑む。

「副……ルカ、こんな所で物色している場合じゃないでしょ」

 コホンという咳払いと共に、ボリスは強い視線でルカを牽制する。

(おいおい、物色ってなんだ……)

 なにやらサラッと恐ろしいことを言われた気がするが、それどころではないのでデニスは服を整え、すっかり元通りになった足を動かす。

「わざわざ治療までしてもらってかたじけない」

 デニスはボリスに頭を下げた。

「いやいや、リーパの関わっている案件だし気にしないで」

「さあ、行きましょうか」

 声の主は黒いマントとハットを被りすっかり外出の準備を整えると楽器の入れ物だろうか、大きな黒い長方形の箱を背負い部屋を出て行く。

「ボリス、もしかしたらまた後で寄るかもしれない」

「そうならないよう願いますよ」

(治療のことか?)

「これからどこへ?」

 行き先さえも告げられぬまま、黒ずくめの青年の後をついて行く。
 ルカは振り返ると、口元に人差し指をあて『静かに』と唇を動かした。

 前から松葉色のサ-コートを着た男たちが歩いてくる。

(あれはリーパの団員たち!?)
 
「聞いたかよ、いま猫もジェゼロにいるんだってさ。なんでもお貴族様相手の護衛らしいぜ」

 熊みたいに大きな男が、すぐ後ろを歩く小男に振り返ってなにやら話している。

「あ~だからカレルが綺麗に髪を切り揃えてたのか。そういや、来るとき副団長も見かけなかったな……」

「あの人たま~に居なくなったりして、いまいちよくわかんないよな……裏でコソコソなにしてんだろ」

 もしかして、今の会話からいくと『猫』と呼ばれているのはレネのことだろうか?
 今思い出してみると、カレルやロランドもレネのことを『猫』と呼んでいた。
 そう言えば、今の会話に出てきていた副団長が、レネの剣の師匠だと聞いたが、いったいどんな人物なのかかまったく想像がつかない。
 
 デニスは、前を歩く青年が、含みのある笑みを浮かべていることにもちろん気付いていない。


 橋を渡って湖畔沿いの道へ出た時には、前を歩く男がどこに向かっているのか見当が付いてきた。

「もしかして、編物工房で舟を借りるんですか?」

 レネが、もしなにかあったらあそこで舟を借りろと言っていた。

「借りるのは舟だけじゃありません」

「どういうことです?」

「着けばわかります」

 吟遊詩人は思わせぶりに微笑む。


 数日前に来たばかりのレンガ造りの建物の前に来ると、ルカは手慣れた様子で建物の脇へ行き、庭に繋がる小道を通り抜ける。

「なにか動きはあったか?」

 暗闇の中、庭から繋がる桟橋に舟を着け、オストロフ島の方を見遣る一人の男に、ルカは声をかけた。

「まだよ。でももう完全に陽が沈んだからいつ動き出してもおかしくないわ。こっちもコソコソ暗闇でしか動けないのが歯がゆいわっ」

 街灯もない場所なので男の顔がよく見えなかったが、その口調で声の主が誰だかわかってしまった。

「……ゲルトさん?」

「騎士殿、この前はどうも」

 暗闇に目が慣れ、改めて目の前の人物と見ると、間違いなくプレニテ編物工房の代表の顔がそこにある。
 恭しくお辞儀するその手には、使い込まれた槍が握られていた。
 よく見ると、革でできた肩当てと胸当てを装着している。
 
「まさか……」

「ルカちゃんと一緒に助太刀させていただくわ」

「えっ!? 二人とも?」

 この前見た時、編物工房ということもあり、ゲルトのことをそういった目で見ていなかったが、改めて見ると鍛え上げられ引き締まった肉体に、まったく隙きのない動きは武人のものだった。

(だがルカは……)

 こんな細腕でなにができるのだろうか?
 思わず側にいる吟遊詩人を振り返る。

 ルカは黒いハットとマントを取って、背負っていた箱を下ろし蓋を開けると、楽器ではなく二本の剣と、得体の知れない武器がジャラジャラと顔を出す。

「なっ……!?」

 楽器が入っているとばかり思っていたのに、物騒な凶器の出現にデニスは開いた口が塞がらない。

 そうしている間にも、ルカは特殊な帯刀ベルトを細い腰に巻きつけ、二本の剣を腰の両サイドに差した。

(コジャーツカ族の剣、それも二本!?)

「ルカさんあなたはいったい!?」

 虹鱒亭で話を聞いている時は、まさかこの細身の吟遊詩人まで一緒に行くとは思ってもいなかったが、最初に出会った時からデニスは背後を取られ、宿の部屋ではデニスに気を取られ存在さえも気付いていなかったほど気配を消すのに長けていた。
 
 得体の知れない武器を身体のあちこちに隠しながら、ルカはデニスの方に視線を向けると、ふわっと花のように笑った。
 ある答えに行き着こうとしていたが、ルカの一言で思考停止する。

「このことは一切他言無用でお願いします。そうしないとあなたまで消えてもらわないといけなくなる」

 笑っているのだが、その目には有無を言わせぬ強さがあった。
 

「……決して誰にも言ったりしません」
 
 最初に見た時はルカのことを同年代だと思っていたが、実際はもっと年上かもしれない。静かな迫力に気圧されながらデニスは思った。
 

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