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しきたりと願い

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「その女性が私に憑いてるの……?」
「憑いているのだと思っていたが、違う」
「違うって?」

 卯乃さんは私を見つめ、切なげに目を細める。

「奇子様には生涯お仕えしたかった。それが出来なかったのは悔やまれた」
「卯乃さんが仕えたの? あ、それにお仕えしたかったって……」

 卯乃さんには、千年前の前世の記憶があるという。それを信じるならば、卯乃さんが奇子に仕えていたというのか。
 先日の卯乃さんは私に憑く者が誰だかわからない様子だったが、わからないというより、確信が得られなかったということだったのだろう。

「奇子様は若くして亡くなられた」
「亡くなった……?」

 病気だったのだろうか。でも、なぜその女性の霊が私に……。
 浮かぶ疑問の答えを、卯乃さんは教えてくれる。

「奇子様はある男と恋に落ちたのだ。男は言葉巧みに奇子様をたぶらかし、人目を忍んで睦み合うようになった。私が気づいた時にはもう遅かった。男は奇子様に飽きると姿を消し、絶望した奇子様はある日……、奇子様は男の名を体に刻み、自ら火を付け焼け死んだ……」

 卯乃さんの目に涙が浮かぶ。記憶にしか過ぎない前世の出来事だが、本当に卯乃さんは奇子を慕っていたのだろう。強い絆が二人の間にはあったのかもしれない。だからこそ、痛烈な記憶は生まれ変わった今でも卯乃さんに残っている。

「ひどい……」

 その光景を思い浮かべたら、胸が締め付けられる。身勝手な男に心を寄せてしまった奇子は、どれほどの無念を抱えていたのだろう。

「今でも自分を裏切った男を好いておるとは……、奇子様も変わりないようだ」

 卯乃さんはうっすらと唇に笑みを浮かべるが、すぐに嘆息する。懐かしさと悲しみの両方が溢れてくるのだろう。

「卯乃さん、奇子さんはどうして私に憑いて?」
「さっきも言うたが、憑いておるのではない。お嬢さんは奇子様の来世の姿……」
「つまり、美鈴の前世が奇子?」

 彩斗美は身を乗り出してそう言い、それを思い出してつぶやく。

「だから、おばあちゃんは美鈴を見て、懐かしいって……」
「魂は変わらぬ。その気配も。しかし……、自ら命を絶ったものが生まれ変わるのは、未練や悲しみなどの思いが解けた時。男に未練を残しておるのは不思議よ」
「都合良く考えるとしたら、その男のことは一旦忘れたけど、生まれ変わって出逢ったら再熱したってことかな?」

 彩斗美の突飛な話に、卯乃さんも苦く笑う。

「豊かな想像力よの。しかし憎しみもあったはずだ。己を捨てた男を簡単に許せるものであったならば、あのような死を選ぶことはなかったはず」
「……まだ憎んでるかもしれないわ」

 私はぽつりと言葉をこぼす。
 そう考えたら辻褄が合うのではないか。もし奇子の愛する人が彼だったら。

「ねぇ、おばあちゃん、その男の名前はわからないの? 美鈴が夜中に出歩いたりするのは、その男に会いに行ってるからだよね? もちろん、その男が前世と同じ名前でいるとは限らないけど。もし名を刻んで奇子が自ら命を絶ったのだとしたら……、参考になるかもしれない。それがわかれば、なんとかできるんじゃないかと思って」

 彩斗美はあくまでも私を思ってそう言う。
 男の名を白日のもとにさらすことが、果たしていいことかどうかわからない。聞いたところで名も変わっていれば、男にたどり着くことさえ叶わないかもしれない。だが、私は知らなければならないのだ。そうしなければ、苦しみは続いていく。

「……あの男か」

 卯乃さんは苦しげに天井を仰ぐ。
 その様子で察する。知っているのだ。卯乃さんはその名を。

 私は固唾を飲んで卯乃さんを見守る。その名でなければいい。そう願いながら。なぜそう願うのかも自分では理解できていない。それでも願わずにはいられない。そして、私の願いは見事に打ち砕かれ、新たな別の苦しみを生む。

「あの男は、奇子様のはとこにあたる男だった。名を、びゃくや……」

 私の隣で彩斗美が息を飲む。

「忘れもせぬ、……あの男の名は、橘白夜」
「たちばな……、びゃくや?」

 私と彩斗美は同時にその名を繰り返していた。

 堀内白夜ではなく、橘白夜?
 橘というのは……。

「あの男には関わらぬことだ。また同じ目に遭う」

 卯乃さんのその言葉は奇子に向けられたものだっただろうか。
 私の中にいる奇子という名の私は、どんな想いでこの言葉を聞いただろう。

 全身から力が抜けていくのを感じる。それは、奇子が悲しみに打ちひしがれている証拠ではないか。そんな気がしてならなかった。
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