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卒業
76話 MV制作②
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「はい、ダンスシーンはオッケーですね。皆さんよく頑張ってくれました」
ようやく監督からのオッケーが出た。
休憩明けから2時間ほどずっとダンスシーンの撮影をしていた。
何度テイクを重ねても監督は「良いですねぇ!でももう一度やったらきっとさらに良くなりますよ!」と言うばかりだった。
明確なダメ出しのポイントがあればそこを修正するのだが、監督は何も具体的なポイントを言わないのだ。途中からはメンバーもヤケクソになって踊っていた。
でも誰も疲れただとか弱音は吐かなかった。流石はWISHの選抜メンバーだと客観的に見て私は思った。一流のアイドルは皆タフなものだ。
「あの、監督……今後のために一つ質問させていただいても良いでしょうか?」
監督に話し掛けにいったのは舞奈だった。
(……マジか、舞奈!)
大津監督は終始微笑みながら柔らかな雰囲気を纏っていたが、独特のオーラがありメンバーが気軽に雑談出来るような距離感ではなかった。
それをあえて踏み込んでいった舞奈は流石だ。
「もちろんです、何でも聞いて下さい。えっと……桜木舞奈さんでしたね」
監督はダンスシーンをモニターで確認しているところだった。
その顔を上げると、今までと変わらぬにこやかな表情で舞奈に向き直った。
「ありがとうございます。……今のオッケーが出たテイクは何が今までとは違っていたんでしょうか?踊っている私たちからすると違いが分からなかったのですが」
舞奈の質問は私たち全員の総意とも言えるものだった。舞奈の質問に合わせて頷いているメンバーもいた。
「ああ、それは皆さんの表情ですよ」
監督はにこやかに即答した。
「表情、ですか……」
「この曲は『PHANTOM CALLINNG』ですからねぇ……皆さんに幽霊のような鬼気迫る表情が必要だったんですよ。しかし皆さん体力も根性も私の想像を遥かに超えていらっしゃった。ですから皆さんの限界に近い表情を引き出すにはこれだけ時間が掛かってしまったのですよ」
「なるほど!そうだったのですね、勉強になりました!ありがとうございました!」
完璧なアイドルスマイルを振りまいて、舞奈は監督の前から私たちのもとに戻って来た。
……が、振り向いた瞬間に舞奈の表情はジトーッと歪んでいた。
「……あの人ドSも良い加減にした方が良いですよね、絶対性癖とかもヤバい人ですよ」
ぷりぷりと怒った舞奈の一言に、思わず私たちは笑いそうになったが、監督は依然としてこちらを向いて微笑んでいたため我慢せざるを得なかった。
「こっちだって子供じゃないんだから、事前に言っておいてくれればそれなりに表情くらい作りますよ!何年やってると思ってるんですかね……まったく」
「まあまあ。それではダメだと思ったからこういうやり方したんでしょ」
私も監督に一杯食わされた感はあったが、真剣な表情を引き出すために採った監督のやり方も分かるような気がした。
「……ま、済んだことは仕方ないですけどね。にしても……あの子、大丈夫ですかね?」
舞奈が見つめた先では、もらわれてきて初日の子犬のような不安気な表情の藍が監督を見ていた。
「では一度テストでやってみましょうか」
藍のドラマパートの撮影が始まった。
監督の口調は朝と一切変わることのない穏やかなものだった。高齢でありながら長時間の撮影中一切疲れや乱れを見せないこの人が少し怖かった。
藍は打ち合わせの後によく演技のプランを考えていたのだろう。動きには淀みがなく、表情の見せ方もとてもスムーズだた。曲ともとても調和しており、生で見た藍の演技に私は正直言って鳥肌が立った。
「うん、良いですね。このまま本番行ってみましょうか」
監督もニコリと微笑んだ。
「は、はい。ありがとうございます」
藍の演技が始まった。
(スゴイ!凄いよ、藍!)
事前の心配は何だったんだろう……というくらい藍は数々のドラマシーンの撮影をこなしていった。もちろん何度かやり直すシーンもあったが、二、三度のリテイクでどんどんとオッケーが出ていった。
事前のイメージビデオを撮った際と藍が別人である……というのは私の取り越し苦労だったようだ。まあ、私だけというよりかは本人もかなり心配している様子だったが。
「藍、スゴイね!」
私は隣にいた舞奈に同意を求めた。
「……どうなんですかね、スケジュール的に余裕がないのを見越して、監督も仕方なくオッケー出してるんじゃないですか?」
舞奈は相変わらず意地の悪い返事をした。
だが冷静に考えればそれも有り得る話ではあった。時刻はすでに21時を回っていた。スタジオがいつまで使えるのかは知らないが、どんな完成度にしろ今日中に撮り終えなければならないことは確かなのだ。
ドラマパートに出演する予定のないメンバーたちは既に帰ってしまっていた。ほとんどのメンバーが明日も仕事なのだ。
舞奈も私も撮影に参加する予定はないのだが撮影の様子を見守っていた。私はもちろん藍の様子が心配だし、保護者のような責任感によってだ。……舞奈の場合は純粋な野次馬根性によってだろう。……うん、間違いない。
「小平さん、ではクライマックスのシーンの撮影に入ります。ここは実際に水に入って小平さんや衣装を濡らすわけにはいかないので、入念にテストを行ってからです」
大体のシーンをすでに撮り終えたのか、藍が水中に沈んでもがいているシーンに入るようだった。たしかに事前のイメージビデオでもそのシーンはクライマックスだったはずだ。
動きが多く比較的遠くからの視点の他のシーンに比べ、ここは表情がアップになりシーンとしても長尺のようだ。演技力が一番問われるシーンなのは間違いない。もしかしたらここの出来次第でMV全体の評価が変わってしまうかもしれない。
スタジオには透明なアクリルで出来た小さなプールに水が張られていた。本番では藍が実際にそこに入るのだろう。
そしてその手前で監督と藍はマンツーマンでリハーサルを始めた。
何もない所で溺れる真似をしている藍、そしてそれを真剣に見守る監督……という画は傍から見ればとてもシュールなものだったが、見守っているうちにこちらも不思議と熱を感じ始めていた。
(お、いよいよ本番だ!)
水の張られたプールの方に藍が移動し、カメラなどもそちらに集中していった。
2~30分くらい藍と監督は何もない所で練習を繰り返していた。これで行ける……と監督は判断したのだろう。
「では、本番入ります!!!3,2……」
助監督のキューが響きスタジオの空気は最高潮に張り詰める。
リハでは流れていた『PHANTOM CALLINNG』の音もここでは消され、無音の中で藍は演技を始めた。もちろんMVだから実際の映像になった際には音が重ねられるのかもしれないが。
何かに追われるように湖畔に来た藍が意を決して湖に飛び込む……というシーンだった。藍は事前の練習通りの表情を見せて水の中に飛び込んだ。カメラは水中での藍の表情を引き続き追っている。もがき苦しみ出した藍がやがて水面に上がり、苦しみ出す……。
「はい、カット!!」
監督の大きな声を初めて聞いたように思う。
(どう……だったんだ?)
監督を始め何人もがモニターを食い入るように見つめていた。
藍はすでに水から出て、何枚ものバスタオルに包まれているところだった。
「小平さん、残念ですがもう一度です。衣装は予備がありますが、髪が乾くまで待ちましょう」
「……はい、すみません」
遠目にも分かるくらい藍は明らかに落ち込んでいた。
ようやく監督からのオッケーが出た。
休憩明けから2時間ほどずっとダンスシーンの撮影をしていた。
何度テイクを重ねても監督は「良いですねぇ!でももう一度やったらきっとさらに良くなりますよ!」と言うばかりだった。
明確なダメ出しのポイントがあればそこを修正するのだが、監督は何も具体的なポイントを言わないのだ。途中からはメンバーもヤケクソになって踊っていた。
でも誰も疲れただとか弱音は吐かなかった。流石はWISHの選抜メンバーだと客観的に見て私は思った。一流のアイドルは皆タフなものだ。
「あの、監督……今後のために一つ質問させていただいても良いでしょうか?」
監督に話し掛けにいったのは舞奈だった。
(……マジか、舞奈!)
大津監督は終始微笑みながら柔らかな雰囲気を纏っていたが、独特のオーラがありメンバーが気軽に雑談出来るような距離感ではなかった。
それをあえて踏み込んでいった舞奈は流石だ。
「もちろんです、何でも聞いて下さい。えっと……桜木舞奈さんでしたね」
監督はダンスシーンをモニターで確認しているところだった。
その顔を上げると、今までと変わらぬにこやかな表情で舞奈に向き直った。
「ありがとうございます。……今のオッケーが出たテイクは何が今までとは違っていたんでしょうか?踊っている私たちからすると違いが分からなかったのですが」
舞奈の質問は私たち全員の総意とも言えるものだった。舞奈の質問に合わせて頷いているメンバーもいた。
「ああ、それは皆さんの表情ですよ」
監督はにこやかに即答した。
「表情、ですか……」
「この曲は『PHANTOM CALLINNG』ですからねぇ……皆さんに幽霊のような鬼気迫る表情が必要だったんですよ。しかし皆さん体力も根性も私の想像を遥かに超えていらっしゃった。ですから皆さんの限界に近い表情を引き出すにはこれだけ時間が掛かってしまったのですよ」
「なるほど!そうだったのですね、勉強になりました!ありがとうございました!」
完璧なアイドルスマイルを振りまいて、舞奈は監督の前から私たちのもとに戻って来た。
……が、振り向いた瞬間に舞奈の表情はジトーッと歪んでいた。
「……あの人ドSも良い加減にした方が良いですよね、絶対性癖とかもヤバい人ですよ」
ぷりぷりと怒った舞奈の一言に、思わず私たちは笑いそうになったが、監督は依然としてこちらを向いて微笑んでいたため我慢せざるを得なかった。
「こっちだって子供じゃないんだから、事前に言っておいてくれればそれなりに表情くらい作りますよ!何年やってると思ってるんですかね……まったく」
「まあまあ。それではダメだと思ったからこういうやり方したんでしょ」
私も監督に一杯食わされた感はあったが、真剣な表情を引き出すために採った監督のやり方も分かるような気がした。
「……ま、済んだことは仕方ないですけどね。にしても……あの子、大丈夫ですかね?」
舞奈が見つめた先では、もらわれてきて初日の子犬のような不安気な表情の藍が監督を見ていた。
「では一度テストでやってみましょうか」
藍のドラマパートの撮影が始まった。
監督の口調は朝と一切変わることのない穏やかなものだった。高齢でありながら長時間の撮影中一切疲れや乱れを見せないこの人が少し怖かった。
藍は打ち合わせの後によく演技のプランを考えていたのだろう。動きには淀みがなく、表情の見せ方もとてもスムーズだた。曲ともとても調和しており、生で見た藍の演技に私は正直言って鳥肌が立った。
「うん、良いですね。このまま本番行ってみましょうか」
監督もニコリと微笑んだ。
「は、はい。ありがとうございます」
藍の演技が始まった。
(スゴイ!凄いよ、藍!)
事前の心配は何だったんだろう……というくらい藍は数々のドラマシーンの撮影をこなしていった。もちろん何度かやり直すシーンもあったが、二、三度のリテイクでどんどんとオッケーが出ていった。
事前のイメージビデオを撮った際と藍が別人である……というのは私の取り越し苦労だったようだ。まあ、私だけというよりかは本人もかなり心配している様子だったが。
「藍、スゴイね!」
私は隣にいた舞奈に同意を求めた。
「……どうなんですかね、スケジュール的に余裕がないのを見越して、監督も仕方なくオッケー出してるんじゃないですか?」
舞奈は相変わらず意地の悪い返事をした。
だが冷静に考えればそれも有り得る話ではあった。時刻はすでに21時を回っていた。スタジオがいつまで使えるのかは知らないが、どんな完成度にしろ今日中に撮り終えなければならないことは確かなのだ。
ドラマパートに出演する予定のないメンバーたちは既に帰ってしまっていた。ほとんどのメンバーが明日も仕事なのだ。
舞奈も私も撮影に参加する予定はないのだが撮影の様子を見守っていた。私はもちろん藍の様子が心配だし、保護者のような責任感によってだ。……舞奈の場合は純粋な野次馬根性によってだろう。……うん、間違いない。
「小平さん、ではクライマックスのシーンの撮影に入ります。ここは実際に水に入って小平さんや衣装を濡らすわけにはいかないので、入念にテストを行ってからです」
大体のシーンをすでに撮り終えたのか、藍が水中に沈んでもがいているシーンに入るようだった。たしかに事前のイメージビデオでもそのシーンはクライマックスだったはずだ。
動きが多く比較的遠くからの視点の他のシーンに比べ、ここは表情がアップになりシーンとしても長尺のようだ。演技力が一番問われるシーンなのは間違いない。もしかしたらここの出来次第でMV全体の評価が変わってしまうかもしれない。
スタジオには透明なアクリルで出来た小さなプールに水が張られていた。本番では藍が実際にそこに入るのだろう。
そしてその手前で監督と藍はマンツーマンでリハーサルを始めた。
何もない所で溺れる真似をしている藍、そしてそれを真剣に見守る監督……という画は傍から見ればとてもシュールなものだったが、見守っているうちにこちらも不思議と熱を感じ始めていた。
(お、いよいよ本番だ!)
水の張られたプールの方に藍が移動し、カメラなどもそちらに集中していった。
2~30分くらい藍と監督は何もない所で練習を繰り返していた。これで行ける……と監督は判断したのだろう。
「では、本番入ります!!!3,2……」
助監督のキューが響きスタジオの空気は最高潮に張り詰める。
リハでは流れていた『PHANTOM CALLINNG』の音もここでは消され、無音の中で藍は演技を始めた。もちろんMVだから実際の映像になった際には音が重ねられるのかもしれないが。
何かに追われるように湖畔に来た藍が意を決して湖に飛び込む……というシーンだった。藍は事前の練習通りの表情を見せて水の中に飛び込んだ。カメラは水中での藍の表情を引き続き追っている。もがき苦しみ出した藍がやがて水面に上がり、苦しみ出す……。
「はい、カット!!」
監督の大きな声を初めて聞いたように思う。
(どう……だったんだ?)
監督を始め何人もがモニターを食い入るように見つめていた。
藍はすでに水から出て、何枚ものバスタオルに包まれているところだった。
「小平さん、残念ですがもう一度です。衣装は予備がありますが、髪が乾くまで待ちましょう」
「……はい、すみません」
遠目にも分かるくらい藍は明らかに落ち込んでいた。
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