母を訪ねて十万里

サクラ近衛将監

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第三章 ニオルカンのマルコ

3ー12 9歳のマルコ

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 マルコがニオルカンにやってきて2年近くになる。
 その間、色々あったものの、周囲の配慮もあって大過なく過ごせたと言ってよいであろう。

 第一学院に入って一年と半ばが過ぎ、入った当初は学院でも何かと騒ぎになったが、今はすっかり落ち着いている。
 今のところ心配していた領都や王都からの問い合わせ等もないようだ。

 但し、おそらくは、マルコ及びその周辺での内偵調査が密かに続けられている様子である。
 又聞きまたぎきではあるものの、王国の魔法師団の中で情報を取り扱う部局があり、そこには「草」と呼ばれる密偵が居て、相当数が各地に配置されているらしい。

 マルコの気配察知にも敵意を持った者は認められないけれど、何らかの意図を持った者が頻繁に察知圏内に入るので、何とはなしに怪しげな人物がいるとわかる。
 しかも一人ではなく複数だ。

 皆が同じ組織なのか、それとも別組織なのかの判別はマルコにはつかない。
 お互いに接触がほとんどないのだ。

 予め連絡場所を決めておいて、そこにメモなどを残す方法で連絡を取り合う手法もあるから直接の接触が無いこともあり得る。
 一人は、学院の近くで野菜屋を営んでいるクルブス爺さん。

 もう40年以上もこの地に住んでいる人だから、よほどのことが無いと密偵とは思えない人物なのだが、60歳近いのに独り身である。
 近隣には、家族も、親族も居ないようだ。

 今一人、名前がわかっているのはアメリヤ夫人。
 学院のある街区の隣の区に刺繍の店を開いている50歳超えの寡婦かふだ。

 少なくとも周囲の人の認識では30年近く前からそうである。
 学院とはほとんどつながりが無いのだが、刺繍店につどうご婦人方から雑多な情報集めをしている様だ。

 この二人については虫型ゴーレムを配置して、こちらも情報収集をしているが、表面上は密偵としての仕事を何もしていないように見える。
 但し、日記帳に近いモノには色々な覚書が記されており、一部の情報は暗号文字で記載されているところが怪しいと言えるが、それだけで疑うのは根拠がやや薄弱ではあるかもしれない。

 他にも三人程怪しげな人物が居るのだが、こちらは気配だけで名前も素性も知れてはいない。
 いずれにしろ、虫型ゴーレム等による監視を引き続き継続するつもりのマルコである。

 ニオルカンに来た当時は身体も小さかったマルコであるが、ここにきて成長期に入ったのかもしれないが、身長が結構伸びた。
 尤も、ハーフエルフの子供の成長がいかなるものかは教えられていないのでよくわからないのだが、ニオルカンの図書館にある文献資料によれば、エルフの子は15・6歳ころまでは普通に成長し、その後数年で成長と老化がほぼ止まるらしい。

 その老化が止まった状況が概ね数百年続いたのちに緩やかな老化が始まるらしい。
 残念ながらハーフエルフの成長については、記載されてはいないのだが、ヒト族とエルフ族のハーフであるならば、概ねその中間程度の特徴があるのではないかと思う。

 マルコの幼い頃の記憶にある母の耳は少し長く、とがっていた。
 父は普通のヒト族に見えた。

 そうして自分の耳は、うん、今のところは特段他の人と変わってはいないのでこのままヒト族で押し通せそうな気がする。
 身体的にはひょろっとしたせ型である。

 同級生の中では一番ののっぽになってしまったけれど、それでも少し背の高い普通の子だと言える範囲だろう。
 養父であるカラガンダ老に対するお礼として、ここに来たばかりの時に手動のポンプを造って、カラガンダ老に提供した。

 カラガンダ老は、そのポンプを商業ギルドに登録し、井戸堀とともにポンプを設置する事業を新たに始めた。
 マルコ程の腕を有する錬金術師は居ないものの、ポンプの構造を知るとそれを真似して製造できる者も居るので、カラガンダ老はそうした錬金術師を数人雇い、ポンプを製造して売り出したのだ。

 このポンプはたちまちにして大陸中を席巻し、商業ギルドにおける特許使用料を含めてカラガンダ老の元に大金をもたらしたのである。
 マルコは、第二弾の製品を生み出して、カラガンダ老に提供したし、三段目も現在準備しているところである。

 数あるアイデアの中でマルコが二番目に選んだのは、鏡であった。
 この世界にも鏡はあるのだけれど、きれいに姿が映る鏡は無い。

 昔ながらの銅鏡が主流であり、ごく少数のお金持ちが歪みの多いガラス製の鏡を持っている。
 板ガラスの裏面に錫と銀の合金を用いて反射面を作る技術が開発されたのはおよそ百年前であり、リーベンのガラス職人が生み出したのだ。

 但し、板ガラスの表面を滑らかにし、また裏面に塗布するスズと銀の合金を薄く均一に伸ばす技術が未熟のために、どうしても歪みの多い鏡になってしまうのである。
 しかしながら、銅鏡と違って鮮やかな色彩を映し出せる板ガラスの鏡は、特に女性たちの垂涎の的なのである。

 マルコは、フロート法を採用して、歪みの少ない均一な板ガラスを造る工程を立案し、なおかつ鏡の裏面に蒸着法で薄い金属箔を付着する方法を採用して、鏡の製造法を確立した。
 その所為で、カラミガランダ老は、またまた商業ギルドに登録を為し、ガラス職人と錬金術師の双方を集める羽目になった。

 後年、この鏡はきれいな装飾を施され「ニオルカンの鏡」として大陸中に知られることになる。
 だが、このことが原因で余計な詮索を招くことにもなった。

 ニオルカンが存在するマイジロン大陸西部を治めるのは、マーモット王国であるが、その王国の大蔵卿を務めるパッサード侯爵が、ポンプと鏡の二つの画期的な製品をわずかな期間に生み出したニオルカンのモンテネグロ商会に興味を抱いたのである。
 この結果、パッサード侯爵は商業ギルドに圧力をかけて、誰がこれを生み出したのかを秘密裏に探れと指示を出したのであった。

 商業ギルドは国家間をまたまたぐ組織であり、本来的には一つの国家になびくものではないのだが、所詮は商人の集まりであって、利に聡い組織であり、マーモット王国の金融経済を牛耳る侯爵に靡いて愚直にもカラガンダ老の名を教え、なおかつその工房をも探ったのである。
 そうした内密の調査の結果、工房で働く者はいずれもカラガンダ老に雇われた者達であり、カラガンダ老に指示された製法で製品を生み出していることがパッサード侯爵の元にもたらされた。

 パッサード侯爵はそれなりに聡明な人物である。
 複数の大陸を渡り歩くモンテネグロ商会の長であるカラガンダ老がそれなりの優秀な商人であろうことは認めた上で、年老いたカラガンダ老が生み出した製品ということに疑念を抱いたのである。

 カラガンダ老が、商人ではなくてモノづくりの生産者であったなら不思議には思わなかったであろう。
 しかしながら、生産者と商人の両立は個人では難しいのだ。

 単純な話、生産者は拠点を動かずに生産をする。
 だが、カラガンダ老は、若い時から40年以上の長きにわたって隊商を率いて交易を為した人物なのである。

 経験則から言うと、その人物と生産者はどうしても似つかわしくないのである。
 無論交易の途中で知り得た技術という可能性はあるのだが、生憎と他国から当該製品を生み出した話は来ていないのであり、発祥の地はニオルカンらしいのである。

 そうした情報については商業ギルドが詳しい。
 ガラス製の鏡を生み出したのは、百年ほど前のリーベンのガラス職人であるが、歪みの無い板ガラスの製造法を編み出したことになっているのはカラガンダ老なのである。

 もう一つのポンプに至っては、いずれの商業ギルドでも初めて登録がなされた製品であり、未だに学者の間で、この構造で何ゆえに水を吸い上げるのかその理屈について揉めているそうである。
 賢人と言われる学者をして迷わせるほどのモノを大手の行商人に過ぎないカラガンダ老が生み出すのは明らかにおかしいのである。

 彼の周囲にそうした製品を生み出す人物がいるのではないかと推測し、侯爵は当該人物の存在について調査するように腹心の手の者をニオルカンに赴かせたのである。

 ◇◇◇◇

 マルコは、「草」らしき人物の存在を把握してから、色々なところに虫型ゴーレムを配置して警戒をしていた。
 そのために、周辺でモンテネグロ商会のことを探っている者や、マルコのことを探っている者については常時自動更新がなされ、同時に追跡できるようになっていた。

 ファルコスと呼ばれる男の存在に気付いたのはマルコが9歳になった頃であった。
 第一学院での一連の騒動の結果、学院をクビになったペシャワルとワルダーに接触し、二人からマルコの能力について探っている者がいることが分かったのである。

 本来であれば、学院で起きたことは外部に漏らしてはならないはずであったが、ペシャワルにしろ、ワルダーにしろ、そもそもそんなモラルを持っている人物ではなかったので、金貨一枚を代償に、簡単に知り得た情報を初見の人物にペラペラとしゃべったのである。
 ファルコスは、マルコが魔法師としての能力が高いことを察知した。

 その一方で、モノ作りは錬金術を極めたものであるはずであり、マルコのように年端の行かない者が画期的な製品を生み出すことができるとは信じられなかったので、マルコは秘密の生産者の候補からは除外されたのだった。
 然しながら、ファルコスからの一応の報告を受けて、規格外の魔法能力を有する者であればあるいは錬金術の分野においても相応の成果を上げることができるやもしれぬとパッサード侯爵は考えた。

 その上でパッサード侯爵は、マルコを王都に呼び寄せる方策を練り始めたのである。
 マルコは、王都にファルコスの雇い主もしくは上司がいるとみて、その連絡先を探し当て、パッサード侯爵等マーモット王国の要人の周囲にも虫型ゴーレムを配置した。

 その過程で秘密裏に王都にもマルコ自身が出没し、いつでもニオルカンから王都に転移が可能にはなっていたのである。
 周囲に認識疎外の魔法をかけながら街道沿いに短距離転移を繰り返すことで王都にまで到達できていたのである。

 馬車で概ね一月以上もかかる距離を延べにして七日で踏破したマルコである。
 マルコが、短時間自室にこもっても誰も不思議には思わない。

 マルコがそうした遠出をするために使った時間は1日に二回、早朝と日が暮れてからの四半時に限っていたので家人は勿論、周囲にいる密偵もその動きには気づかなかった。
 マルコが一旦王都に達した以上、いつでも王都に転移が可能であり、警備の厳しい王宮の中にも入り込んで、あちらこちらに虫型ゴーレムや盗聴器を仕掛けることのできたマルコであった。

 処理する情報が一気に増えたのであるけれど、マルコは錬金術師としての能力、魔法師としての能力、更には先進のIT産業に勤務した経験を有効に活用し、魔石を動力源とする魔導具の情報処理装置を新たに生み出したのであった。
 マルコが生身の身体で種々の情報処理をすることもできないわけではないが、この情報処理装置のお陰で随分と作業が楽になったのは確かである。

 そうしてマルコ若しくはカラガンダ老の家族に難儀が及びそうな場合には、この情報処理装置が警報を発するように設定しておいた。
 この魔道具を製造して三か月は何事もなく過ごせたが、ついにその魔導具が警報を発した。

 状況は切迫してはいないのだが、パッサード侯爵が強権を発動して、マルコの能力を精査するために王都へ召喚することを決めたのだった。
 そのためにパッサード侯爵は奇計を編み出し、ニオルカン公爵をだまして、マルコという魔法に長けた子供を学院の長期休暇に合わせて王都に招請し、魔法師教会でその能力を調べてもらうことに同意させたのであった。

 調査の理由は、将来的に王宮魔法師団の幹部にもなれる素質を有する可能性をマルコが秘めているようなので事前に調べておきたいともっともらしい理屈は着けている。
 パッサード侯爵は、仮に錬金術師としても優秀であれば、無理押ししてでも養子にして自らの手元に置く算段であった。

 無論、子供とは言え、王都に招請するとなれば相応の経費が掛かるのだが、パッサード侯爵はマルコの王都招請に必要な経費はその全てを賄うとニオルカン公爵に申し出たのだった。
 ニオルカン公爵も自領から久方ぶりに王宮魔法師団に入るかも知れない逸材が育っていると知って喜び、パッサード侯爵の企みを疑うことなく了承を与えたのだった。

 そうして王都からマルコ招請のための使者が発ったのは、学院の秋休みに入る一月前のことであった。

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