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第七話 娼館にて
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アストリアが新しい場所へ連れて来られたのは、翌日だった。そこは、王都から離れた田舎の宿屋街の娼館。奴隷オークションでアストリアを落札したヒゲ面の巨漢は、この娼館の主だったのだ。
古びた建物の扉と薄暗い窓の隙間から、かすかな笑い声や話し声が漏れ聞こえてくる。娼館の主とアストリアを出迎えたのは、中年の女性で、娼館の管理者であるリサだった。
「おい、新入りを仕入れて来たぞ」
娼館の主が短く紹介すると、リサはアストリアを値踏みするようにじっくりと見た。
「ふーん。まあ美人といえば美人だけど、ひどくやせ細ってるじゃないのさ」
「こういうのが好きな男も、いるんじゃないか?」
「そうやってパッと見で人を判断してるから、あんたはいつも失敗するんだよ。ここの仕事は、健康が第一さ。絶対、使いものにはならないね」
安く買い付けた新入りをリサにダメ出しされ、娼館の主は不機嫌な顔を見せた。だが、店の切り盛りを任せているリサがそこまで言い切るからには、いったん引き下がるしかなかった。
「分かった、分かった。まあ、飯を食わせて、せいぜい太らせとけよ。それから客を取らせて、回収するからな」
そう言って主人は立ち去った。リサは、冷たい目でアストリアを見下ろす。アストリアは圧倒されて、小さく身を縮めた。
「おい、新人さん、名前は?」
「ア、アスト……ええっと……その……」
彼女は記憶をたぐり寄せながら、必死に自分の名前を思い出そうとした。
「じゃあ、今日からはアスタでいいね。ここに住むからには、少しは役に立ってもらうよ」
リサがしびれを切らして、名前を「アスタ」に決めると、アストリアはかすかに震えながらうなづいた。
「その……私は、何をすれば……」
「ここがどういう店か、分かんないのかい? 客は高い金を払って来てるんだ。その金に見合ったことをしてもらわないと、ここには住めないよ」
リサがそう言うと、部屋の奥から別の声が響いた。
「リサさん、その子、ほんとにここに住まわせるの?」
顔をのぞかせたのは、二十代くらいの女性だった。金髪を緩くまとめ、どこか陽気な雰囲気の彼女は、アストリアに向かって手を振った。
「私の家は、ここじゃないと思います……」
アストリアが生気のない表情でそうつぶやくと、ナタリーが手を上げて止めた。
「あのね、お嬢ちゃん。あんたがどこの家の誰だか知らないし、知りたくもない。あんたはアスタ。私はナタリー。それだけでいいのよ。大丈夫、最初はみんな慣れてないのが当たり前よ。リサさんも口は悪いけど、そんなに怖くないからさ」
ナタリーが明るい声でそう言うと、リサが少しだけ眉を上げて振り返った。
「なんだい、ナタリー。あんたが新人の教育係をやってくれるのかい?」
「まあ、暇な時にね。でも、アスタは、こんな細い体じゃ客受けはしないだろうし。とりあえず掃除とか洗濯とか、無理ない雑用をさせておいたら?」
リサはしばらく考え込んでから、こう言った。
「好きにしな。こっちも面倒は抱えたくないからね」
そう言ってリサが立ち去ると、ナタリーはアストリアに近づき、肩に軽く手を置いた。
「心配しないで、アスタ。私が少しずつ教えてあげるから。まずは掃除を覚えるところから始めましょ」
「ありがとうございます」
アストリアは、ホッとした表情で礼を言った。
しばらくして、掃除道具を持ってきたナタリーは、アストリアに掃除の手順を教え始めた。
「ここが厨房、向こうが客室ね」
ナタリーが指さしながら説明する。アストリアは真剣な表情でそれを聞いていた。
「わかりました。それで、私はいつから働けば?」
「もう働いてるじゃない。掃除も立派な仕事よ。それに、お客さんたちが来るのは夕方以降だから、それまでに部屋を整えればいいの」
「そうですか……」
アストリアは小さく頷いた。自分がいる場所の性質はわからなくても、目の前の仕事に集中するしかないと思った。
ナタリーはアストリアの肩を軽く叩いて、笑顔を見せた。
「でもアスタ、あんた、意外と根性あるね。普通の子なら、初日はわんわん泣いて、何もできなくなっちゃうけど」
「泣いたって、どうにもならないですからね……」
アストリアはかすれた声で答えながら、かすかに笑った。ここに連れて来られるまでに泣きすぎて、もう、涙は枯れ果てたような気がしていた。
「そう、その通りなのよ。でも、だからって、あきらめないで。少しずつでいいから、前を向いて進むの。ここにいると辛いことが多くて、私だって、明日が来るのが怖くてイヤになる。それでも、明日は何をしようかなって、楽しみに考えるのをやめちゃダメなのよ」
ナタリーに手助けされながら娼館の掃除を終えたアストリアは、長椅子に腰を下ろしていた。窓の外には夜空が広がり、遠くからは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「今日はよく頑張ったね」
ナタリーがすぐそばに座ってきて言った。
「ありがとうございます。ナタリーさんがいなかったら、私はきっと何もできませんでした」
アストリアは正直に答えた。ナタリーは笑いながら、アストリアの髪をなでる。
「ここにいるみんな、最初は誰かに助けてもらったのよ。だから次は、アスタが誰かを助けてあげればいいだけ」
「私が、誰かを助ける……」
「そうよ。いつかあんたが少し元気になったら、きっとそういう時が来る」
アストリアはナタリーの言葉に耳を傾けながら、初めて心の中に小さな希望の芽が生まれるのを感じた。
今はまだ、暗闇の中にいるような気がしても、働きながら人との交流を重ねるうちに、何か自分にできることを、見つけられるかもしれない。
「少し、眠ってもいいですか?」
アストリアが尋ねると、ナタリーは黙ってうなづき、立ち去った。
その夜、アストリアは初めて少しだけ穏やかな眠りについた。会ったばかりのナタリーとの温かい交流が、傷ついた彼女の心を少しだけ癒してくれたのだった。
古びた建物の扉と薄暗い窓の隙間から、かすかな笑い声や話し声が漏れ聞こえてくる。娼館の主とアストリアを出迎えたのは、中年の女性で、娼館の管理者であるリサだった。
「おい、新入りを仕入れて来たぞ」
娼館の主が短く紹介すると、リサはアストリアを値踏みするようにじっくりと見た。
「ふーん。まあ美人といえば美人だけど、ひどくやせ細ってるじゃないのさ」
「こういうのが好きな男も、いるんじゃないか?」
「そうやってパッと見で人を判断してるから、あんたはいつも失敗するんだよ。ここの仕事は、健康が第一さ。絶対、使いものにはならないね」
安く買い付けた新入りをリサにダメ出しされ、娼館の主は不機嫌な顔を見せた。だが、店の切り盛りを任せているリサがそこまで言い切るからには、いったん引き下がるしかなかった。
「分かった、分かった。まあ、飯を食わせて、せいぜい太らせとけよ。それから客を取らせて、回収するからな」
そう言って主人は立ち去った。リサは、冷たい目でアストリアを見下ろす。アストリアは圧倒されて、小さく身を縮めた。
「おい、新人さん、名前は?」
「ア、アスト……ええっと……その……」
彼女は記憶をたぐり寄せながら、必死に自分の名前を思い出そうとした。
「じゃあ、今日からはアスタでいいね。ここに住むからには、少しは役に立ってもらうよ」
リサがしびれを切らして、名前を「アスタ」に決めると、アストリアはかすかに震えながらうなづいた。
「その……私は、何をすれば……」
「ここがどういう店か、分かんないのかい? 客は高い金を払って来てるんだ。その金に見合ったことをしてもらわないと、ここには住めないよ」
リサがそう言うと、部屋の奥から別の声が響いた。
「リサさん、その子、ほんとにここに住まわせるの?」
顔をのぞかせたのは、二十代くらいの女性だった。金髪を緩くまとめ、どこか陽気な雰囲気の彼女は、アストリアに向かって手を振った。
「私の家は、ここじゃないと思います……」
アストリアが生気のない表情でそうつぶやくと、ナタリーが手を上げて止めた。
「あのね、お嬢ちゃん。あんたがどこの家の誰だか知らないし、知りたくもない。あんたはアスタ。私はナタリー。それだけでいいのよ。大丈夫、最初はみんな慣れてないのが当たり前よ。リサさんも口は悪いけど、そんなに怖くないからさ」
ナタリーが明るい声でそう言うと、リサが少しだけ眉を上げて振り返った。
「なんだい、ナタリー。あんたが新人の教育係をやってくれるのかい?」
「まあ、暇な時にね。でも、アスタは、こんな細い体じゃ客受けはしないだろうし。とりあえず掃除とか洗濯とか、無理ない雑用をさせておいたら?」
リサはしばらく考え込んでから、こう言った。
「好きにしな。こっちも面倒は抱えたくないからね」
そう言ってリサが立ち去ると、ナタリーはアストリアに近づき、肩に軽く手を置いた。
「心配しないで、アスタ。私が少しずつ教えてあげるから。まずは掃除を覚えるところから始めましょ」
「ありがとうございます」
アストリアは、ホッとした表情で礼を言った。
しばらくして、掃除道具を持ってきたナタリーは、アストリアに掃除の手順を教え始めた。
「ここが厨房、向こうが客室ね」
ナタリーが指さしながら説明する。アストリアは真剣な表情でそれを聞いていた。
「わかりました。それで、私はいつから働けば?」
「もう働いてるじゃない。掃除も立派な仕事よ。それに、お客さんたちが来るのは夕方以降だから、それまでに部屋を整えればいいの」
「そうですか……」
アストリアは小さく頷いた。自分がいる場所の性質はわからなくても、目の前の仕事に集中するしかないと思った。
ナタリーはアストリアの肩を軽く叩いて、笑顔を見せた。
「でもアスタ、あんた、意外と根性あるね。普通の子なら、初日はわんわん泣いて、何もできなくなっちゃうけど」
「泣いたって、どうにもならないですからね……」
アストリアはかすれた声で答えながら、かすかに笑った。ここに連れて来られるまでに泣きすぎて、もう、涙は枯れ果てたような気がしていた。
「そう、その通りなのよ。でも、だからって、あきらめないで。少しずつでいいから、前を向いて進むの。ここにいると辛いことが多くて、私だって、明日が来るのが怖くてイヤになる。それでも、明日は何をしようかなって、楽しみに考えるのをやめちゃダメなのよ」
ナタリーに手助けされながら娼館の掃除を終えたアストリアは、長椅子に腰を下ろしていた。窓の外には夜空が広がり、遠くからは賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「今日はよく頑張ったね」
ナタリーがすぐそばに座ってきて言った。
「ありがとうございます。ナタリーさんがいなかったら、私はきっと何もできませんでした」
アストリアは正直に答えた。ナタリーは笑いながら、アストリアの髪をなでる。
「ここにいるみんな、最初は誰かに助けてもらったのよ。だから次は、アスタが誰かを助けてあげればいいだけ」
「私が、誰かを助ける……」
「そうよ。いつかあんたが少し元気になったら、きっとそういう時が来る」
アストリアはナタリーの言葉に耳を傾けながら、初めて心の中に小さな希望の芽が生まれるのを感じた。
今はまだ、暗闇の中にいるような気がしても、働きながら人との交流を重ねるうちに、何か自分にできることを、見つけられるかもしれない。
「少し、眠ってもいいですか?」
アストリアが尋ねると、ナタリーは黙ってうなづき、立ち去った。
その夜、アストリアは初めて少しだけ穏やかな眠りについた。会ったばかりのナタリーとの温かい交流が、傷ついた彼女の心を少しだけ癒してくれたのだった。
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