16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第3章 フィガロは広場に行く1 ニコラス・コレーリャ

フェラーラのパーリオ(競馬) 1509年 フェラーラ

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<ソッラ、ニコラス・コレーリャ、エルコレ・デステ、ルクレツィア・ボルジア、アルフォンソ・デステ、ミケーレ・ダ・コレーリア、チェーザレ・ボルジア、ニッコロ・マキアヴェッリ>

 1508年8月15日、ソッラは男の子を産み落とした。お産は初産にも関わらず軽くて済んだこと、取り上げた子が外に出たとたん火がついたように泣き出したことなどを、産婆はルクレツィアに感心して報告している。ルクレツィアは4ヶ月前に男の子を産んでいて、ようやく体調も落ち着いてきたところだ。
「ソッラは若いし、子どもを何人産んでもびくともしなさそうね。ミケロット(ミケーレ)がいたら、きっと大喜びで抱いたことでしょうに」とルクレツィアは少し涙ぐんだ。
 ルクレツィアの言葉通り、ソッラは一晩休んだだけで、すぐにルクレツィアのもとを訪れた。夫ミケーレを亡くして茫然自失(ぼうぜんじしつ)となっていた自分を、快く受け入れてもらった上に安心して子どもを出産できる環境を用意してくれたことにお礼を言いたかったのである。

「ルクレツィアさま、おかげさまで無事に子どもを産むことができました。デステ家の皆様のおかげです。本当にお礼の言いようもありません。早く体調を元に戻して、お仕事を務めさせていただきたいと存じます」とソッラが胸を張って言う。ルクレツィアはその元気のよさに苦笑して、なだめるように返す。
「くれぐれも無理はしないで。産後はしばらく出血も続くのよ。でもあなたはそれでは引き下がらないでしょうから……お乳はどうかしら? やってみた?」
「はい、もうパンパンに張っていて、さきほど赤ちゃんに吸わせてみました。食いついてきましたよ」とソッラは笑う。ルクレツィアも笑う。
「そんな気がしたわ。それじゃあ、今のエルコレの乳母と交替してもらいましょう。最初からそういう話をしていたので、あなたが気にする必要はないわ」

 乳母ははじめから決まっていたはずだ。ソッラはそれを思うと申し訳ない気持ちになる。きっと乳母にはきちんと退職金を支払うのだろう。自分が新たに入ることで、そのように変えなければならないことがあったはず。でもルクレツィアさまはそんなことをひとつもおっしゃらない。ソッラはルクレツィアのやさしさに涙ぐんでいた。

 ルクレツィアは首をかしげてソッラを見ている。
「そうそう、赤ちゃんの名前は決めているの? 洗礼を受けさせなければいけないし、決まっているなら教えて」
 ソッラはすでにそのことを決めていたようで、静かにルクレツィアに告げた。
「ニコラス・コレーリャにしようと思っています」
「そう、どうして?」とルクレツィアが不思議そうな顔をしている。
「はい、コレーリャなのですが……私は正式にミケーレと結婚していません。赤ちゃんは間違いなくミケーレの子です。だけど、コレーリアと言う苗字を使うことは、私にはためらいがあって……」とソッラがおずおずと言う。考えをまとめられないようだ。
 ルクレツィアにはソッラの言いたいことがよく理解できた。

 ミケーレ・ダ・コレーリアという名前はイタリア半島の隅々にまで知れ渡っている。もし子どもがそれを名乗ったら、「ドン・ミケロット」の子がフェラーラの後ろ盾を得て成長していくと知られたら、どうなるだろう。ローマはどう思うだろう。他のイタリア半島の諸国にしても、何がしか利用価値があるのではないかと考えるかもしれない。あるいは、ミケーレに手を下したおおもとの国なり貴族が刺客を放つことだって考えられる。ダンボワーズ伯がソッラを保護したのも、そのような事情があったからなのである。

 そして、ルクレツィアはソッラよりスペイン語に馴染んでいる。コレーリャという名がミケロットの父祖の出身地、スペインの地名であることがわかっていた。要するに、読み方をスペイン語に置き換えたのだ。ルクレツィアはうなずきながら、さらにたずねた。

「じゃあ、ニコラスは? それもスペイン語の読み方だと思うけれど……」
 ソッラはうなずいて言った。
「はい、チェーザレさまがスペインに追放になったあと、ミケーレがいちばん世話になった方のお名前をいただきたいと思いました。ニッコロ・マキアヴェッリさまです」




 ルクレツィアはニッコロ・マキアヴェッリに会ったことはない。ただ、ローマのカスタル・サンタンジェロに閉じ込められて、拷問も受けていたミケロットをフィレンツェ軍の司令官に招聘(しょうへい)したのがその人であることは聞いていた。ニッコロをスペイン読みでニコラスと……ルクレツィアは納得したように言った。

「そう、いい名前ね。それではいつかはフィレンツェに行って、彼にこどもを見せてあげなければいけないわ。そのときは、ぜひご両親にも会っていらっしゃい」


 ニッコロ・マキアヴェッリはこの頃まだフィレンツェにいる。正式にはフィレンツェ共和国第二書記局書記官という肩書である。メディチ家がフィレンツェの政治から離れて、ピエロ・ソデリーニが治めている。マキアヴェリの奔走もあって現実になった、市民軍(フィレンツェ共和国軍)はミケーレ解任のあとも継続している。

 この独立国は1492年にメディチ家の最盛期を現出したロレンツォ・デ・メディチが没して以降、または1494年のイタリア戦争が始まった頃にフランス軍の侵攻を受けて以降、常に不安定な立場にある。修道僧ジローラモ・サヴォナローラが現れたのもこの頃である。フランスの大軍に加えて、サヴォナローラの激越な批判が相乗効果となり、メディチ家はフィレンツェを追放された。サヴォナローラは結局1498年に火刑になるのだが、その場所はシニョリーア広場だった。
 その後、1502年にソデリーニが終身ゴンファロニエーレ制(元首と同じ、元は旗手の意)のもとフィレンツェを治めることになる。その後にすぐ、チェーザレ・ボルジアのフィレンツェ包囲が起こったのだった。このときの様子については前述の通りだが、何かが起こるとそれに対処するという、一時しのぎの手段ばかり選んでいたために、共和国としての基盤は次第に脆くなってきていた。マキアヴェッリが市民軍の創設に奔走したのも、それを何とかしなければという強い意思があったからである。しかし、共和国の方向は基本的に変わらなかった。

 マキアヴェッリの臍を噛む(ほぞをかむ)ような心情は後年の文章でも十分に伺い知ることができる。

<優柔不断の共和国は、外から押し付けられない限り思い切った施策は打ち出せないものだ。国家が弱体な場合、少しでも疑わしい点があると、その施策を断行する気力を失ってしまうからである。そして、このような優柔不断な態度が、何か強力な圧力で押しつぶされない限り、その国家はいつまでも宙ぶらりんで右往左往し続けることであろう。>
(引用:ディスコルシ「ローマ史」論/ニッコロ・マキアヴェッリ著 永井三明 訳 ちくま学芸文庫)

 ルクレツィア以上にマキアヴェッリに興味を持つ人間がエステンセ城にもうひとりいた。
 当主のアルフォンソ・デステである。彼は大砲の設計をするのが趣味だったと伝えられているが、軍事というものにたいへんな興味を持っていた。それはもちろんフェラーラがヴェネツィアという大国に隣接していること、フランスや神聖ローマ帝国がローマに進攻してくる際には、アドリア海側における半島の要衝(ようしょう)となることなど、地理的な事情が大きいだろう。しかしアルフォンソにとって武器や軍の編成について考えることは、趣味ともいって差し支えないほど好ましいものだった。大砲はどれぐらいの大きさがいちばん効果的か、扱う人間にとってよい重さや仕様はどのぐらいか、アルケブス(銃)と槍、剣の割合はどれほどが効果的か――そのようなことをしじゅう考えていたのである。

 チェーザレ・ボルジアについての話の中でも述べてきたが、この頃の軍隊の兵は大半が傭兵だった。傭兵については別に述べるが、それに頼らずに自前の軍で戦争をまかなえる為政者はほとんどいなかった。そこに疑問を持ったのが、チェーザレ・ボルジア、ニッコロ・マキアヴェッリだった。チェーザレ・ボルジアはロマーニャ地方を手中におさめたとき、領民を徴兵する形で独自の軍隊を編成した。それはイタリア半島にとっては画期的な出来事だったのだ。ニッコロ・マキアヴェッリの市民軍にしても、市民を徴兵して編成されたものでチェーザレと発想は同じだった。アルフォンソはこの二人のやり方には大いに見習うべき点があると考えていた。

 そこでアルフォンソはフィレンツェの鍛冶屋の娘によく話を聞きにきた。すなわちソッラのことなのだが、彼女はたいていの時間、エルコレかニコラスに授乳しているため、なかなか近寄れない。ときにはふたつの乳がふさがっているが、その様子を見るわけにもいかない。それでも、鍛冶屋の娘は二人の赤ちゃんが寝つくと、アルフォンソに話をしに出向くようになった。もちろん、ルクレツィアに許可は得てある。

「そうですね、うちでは槍の扱いが多かったかしら、それからアルケブス。剣はやっぱり少なかったですね。大砲を作る仕事は回ってきていたみたいですけど、あまり使っていなかったんじゃないかしら。大きいものだから扱う鍛冶屋が決まっていたのかもしれません。看板娘なだけでしたので、あまり仕事の配分には詳しくないんです。うちはもっぱら手で扱えるものでした。お城を攻めるような戦争がなかったからかもしれませんが。甲冑もあまり見ませんでした。槍を持って歩く人がほとんどだということでしょうか」などとソッラはすらすらと述べる。

 アルフォンソは面白そうな顔をして言う。
「いやいや、女性でこれだけ武器のことを話せるとは、まったく感激だね。私も鍛冶屋の娘を妻にしたほうがよかったかもしれないな」
「ええ、アルフォンソさまのお部屋を拝見しますと、鍛冶屋に作り替えてもいいぐらいです。そのほうが奥さまを退屈させないかもしれませんね」とソッラがニコリとする。アルフォンソは苦笑する。もともと口数が多くないこともあるが、ルクレツィアとは好みがだいぶ違うことは認めざるを得ない。

 ルクレツィアは詩や絵画が好きで、城によくその関係の芸術家を招いている。華やかで女性らしい趣味だ。ただ、高い金を払って芸術家のパトロンになるようなことはなかった。ローマにずっと住んでいたのだから、素晴らしい絵画に囲まれていただろうことは想像に難くない。ただ、詩について、アルフォンソはうさん臭さを感じずにはいられなかった。それなりに著名なのだろうが、そのうち一様にルクレツィアを讃える詩を書きはじめるのだ。夫としてそれはあまり嬉しいものではない。実際に彼女と恋仲になった詩人もいたのだ。その上、その詩人はルクレツィアともう一人の恋人の橋渡し役までしていたことが分かった。もう一人の恋人とは、アルフォンソの義兄、フランチェスコ・ゴンザーガだった。フェラーラの西にあるマントヴァを治めている。アルフォンソの姉であるイザベッラ・デステも夫フランチェスコの不行状に対して見て見ぬふりをしている。

 しかしさすがに、そこまでは許せるものではない。アルフォンソはその詩人を呼び、「今すぐ不実な関係に楔(くさび)を打たないのであれば、然るべき方法を取らせてもらう」と単刀直入に言った。その一言で詩人はフェラーラを去った。

 アルフォンソは軍事に楽しみを見出していたが、同様に音楽もこよなく好んでいた。エステンセ城には宮廷付きの聖歌隊の長としてアントワーヌ・ブリュメルが就いていた。彼はフランス人でたいへんな美声の持ち主だった。そのほかにも何人かの音楽家が城に招かれている。この音楽好きはアルフォンソの父、エルコレ1世からの伝統だ。それはアルフォンソの子、今は赤ん坊のエルコレ(2世)にも引き継がれることになる。ソッラも城にある小さな聖堂で赤ん坊を抱きながら、聖歌隊の美しい歌声を聴いていた。そのときは赤ん坊も本来の仕事(泣くこと)を放棄して、母の腕の中ですやすやと休んでいた。

 ソッラにとって激しい変化が起こった1508年は美しい合唱の声の中、流れるように過ぎていった。

 年も明けた冬の朝、ルクレツィアは食事を自分の部屋で取っている。彼女は朝の目ざめに時間がかかるのだ。アルフォンソが早くからあちらこちらと動いているのと好対照をなしている。ソッラは配膳をしながらルクレツィアに言う。
「お食事より先に御髪を梳きましょうか」

「食べてからでいいわ……ソッラ、4月でエルコレが1歳になるでしょう。ニコラスはまだ少し小さいけれど、5月のパーリオ(競馬)に連れていこうと思っているの。どうかしら。もちろん、長い時間いるのは赤ちゃんにはつらいことだし、途中で連れて帰ってもらうよう人を頼んでもいいわ」とルクレツィアが提案した。

 ソッラは「パーリオ」という言葉に少し動揺した。ミケーレがシエナのパーリオで優勝したことを照れながら話していたからだ。ルクレツィアは微笑みながら言う。

「ソッラ、あなたはフェラーラに来てから、サン・ジョルジュ聖堂とエステンセ城にしか足を向けていないのではないかしら。それでは籠の鳥よ。パーリオはほこりっぽいし、女性に対して優しい祭事ではないと思うんだけど、私はあなたを外に連れ出してみたいのよ」

 ソッラは満面の笑みで、「ありがとうございます。ぜひ」と答えた。


 フェラーラのパーリオは毎年5月に行われている。この頃、戦争時など特別な場合を除いて中止されることはない。エステンセ城から数キロ離れたアリオステア広場がその会場だ。市民もたいへん楽しみにしていて、当日は見物するのも困難なほどになる。この催しは1259年から開かれていて、イタリア半島の中でもっとも古い歴史を持っている。

 アルフォンソ・デステとルクレツィア、そして赤ん坊のエルコレが貴賓席(きひんせき)に腰かける。すぐ後ろにソッラらが座る。ルクレツィアはまた懐妊しており、もうお腹が目立つようになっている。そして、ソッラに小さな声でこぼす。
「私本当はパーリオが面白いとは思えないの。だってほこりっぽいし……今はまたこのお腹だもの……公妃じゃなきゃ絶対にこないわ」
 ソッラはくすくすと笑ってニコラスを見つめる。ニコラスは目を覚ましているが、少し落ち着かない様子だ。そわそわした感じというのだろうか。ニコラスはお座りができるようになって、今は伝い歩きに挑戦しているがなかなか芳しい結果が残せない。
「あ、ミケロットからパーリオの話を聞いたのかしら?」とルクレツィアが聞く。
「はい」とソッラがうなずく。
「ミケロットは勝ったのよ」とルクレツィアはつぶやく。ソッラは身を乗り出す。
 ルクレツィアは思い出話を一人語りするように、淡々と話し続ける。

「あれは兄が出るはずだったんだけど、私たちの父親が教皇になった知らせが来て、結局兄は自分の馬をミケロット(ミケーレ)に預けたの。代理ってこと。だから、ミケロットは何ひとつ練習していないのよ。本当にぶっつけ本番。でも、彼はトップでゴール付近まで通過した。そのときに嫌がらせがあったの。誰かが何かを破裂させて、ミケロットの馬は驚いて跳ね上がり、騎手は落馬してしまった。それで誰が一番でゴールしたか曖昧になってしまったの。そのときに二番手だったのが、ゴンザーガ家、マントヴァのゴンザーガ家の縁者よ。今は私の義理の兄ね。マントヴァは良馬の産地だから、負けたくなかったの、きっと。それで、自分が一着だったと主催者に申し立てた。
 ミケロットは一切抗議しなかった。それをするのは恥ずかしいことだと思っていただろうし、何より兄の名誉に傷をつけたくなかったのね」

 ソッラはルクレツィアの話にただただ驚いていた。
 ミケーレがそんなに大きな勝負の場にいたなんて、彼は大したことでないかのように話していたのに。
 ルクレツィアは微笑む。

 そろそろパーリオ前のセレモニーである、エステ家の旗手団が登場してくる。白いシャツに黒の長いチョッキ、黒のズボンに赤い脛あてという服装で現れた旗手団は大旗を手に次々と広場に入ってくる。歓声が上がっている。ルクレツィアはお腹を撫でながら、ソッラを脇に呼んで話し続けた。

「私はローマで兄と一緒にいたわ。父の教皇就任をお祝いするためにね。パーリオの知らせはすぐに兄に届いたの。兄は早馬で知らせろと命じていたのよ。知らせを聞いて、兄はものすごく怒っていたわ。だってこめかみに青筋を立てていたもの。何度も言うけど、教皇の就任の、お祝いの時によ。そして、スペイン人の側近に抗議書を書くように命じたわ。事の次第をとにかく詳細に書け、あとは俺が署名するって。
 後で聞いたわ。ミケロットの優勝が確定したって。兄が私にそれをどう伝えたと思う? 
 <これで彼の名誉は守られた>って。
 ミケロットの名誉を守りたくてそうしたのね。
 ああ、長くなってしまってごめんなさい。でも、この話はミケロットの大切な人にしなきゃなって、ずっと思っていたの」

 アリオステア広場に馬と騎手たちが集まる。
 パーリオの開始が告げられる。

「ありがとうございます。ルクレツィアさま……」
 涙声になるソッラの目の前を馬たちがさっそうと駆け抜けていく。
 かつてのドン・ミケロットのように。
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