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柳河城 黒門の戦い
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五月二十六日、明日はもうこの世にはいない。
隈部親永ら一党十二人と犬房丸が膳を囲んでいた。皆言葉を発せず重たい空気が場を支配していた。元気にする道理もない、親永もかけるべき言葉を見つけられず黙っていた。
そこに、徳利を束でぶら下げて、統虎がふらりと現れた。
「これを皆で召し上がられよ」
「左近殿がいきなり来られるのは、いくら何でもまずいのではないか」
親永は苦笑した。統虎も苦笑した。
酒と酒肴が一同に振る舞われるなか、親永と統虎は別室で酒を酌み交わしていた。
「まことによいのか。この大雨、明日も晴れる見込みはない。日は替えられぬが希望があるなら聞こう。立ち会う上使衆の浅野殿も構わんと申されとるけん」
柳河城には討伐のための上使衆である浅野長吉(のちの長政)がすでに詰めている。
「荒れた方がよか、それこそ本望。われらの血も雨嵐が洗い流してくれる」
「そう言われると思いましたが……まっことばかばい。こげな方法を選ばずともよかったのに」
親永は微笑んだ。
「皆で話し合った末のこと、左近殿がそのわがままをお聞き入れたのは大恩なり。忘れませぬ。また、わしの長か話ば聞いてくれよったことも。言い残したことももうなかよ。思えば貴殿とわしはずっと近くにおったけんが、何の交誼を通じることもなかった。まぁ大友の家臣やったけん仕方なか。それが最後の最後になって、こんな付き合いばすっことになっとは、皮肉なもんたいね」
統虎は目を伏せた。他の皆が別室で歌って踊っているようすが賑やかに伝わってくる。酒が効を奏したようだ。その盛り上がりに反して、統虎の気分は重い。かれには言わねばならないことがいくつもあった。
「隈部式部太輔親泰殿におかれては明日、豊前小倉城にて切腹される。有働兼元殿ほかも同様。本人も異存ないようです。また、犬房殿についてはまだ元服前ゆえ他家の養子になることで助命できぬかと嘆願したが叶わなかった。可哀相だが、明日柳河城にて切腹していただくこととなり申した。また、内空閑鎮房殿、命により二月に立花の手の者が討ちました。この件については申し上げることができず、お詫び申し上げたい」
すべて覚悟していたことながら、改めて聞くとどれもかなり衝撃的な事実であった。親永はしばらくうつむいたまま黙っていた。そして、思い切るように言った。
「承知、よう言うてくだされた。左近殿があまり現れんようになった理由が分かったばい。貴殿は命に従っただけのことやないと。それに、明日にはわしも子らのところにゆくけん」
統虎は辛そうな顔のまま、続けた。
「三歳になる石見丸(いわみまる、親永の末子)殿は他家にて養子の口を見つけ申した。時機を見て隈部姓に戻されたらよろしかろうと」
親永は細い目を大きく見開いた。
「まことか? 石見丸は生きておるのか? これからも生きられっとか? 」
統虎は涙目の親永を見て少し間を空けて、「最後にもう一つ」と言った。
「佐々陸奥守成政殿、さる十四日に尼崎の法圓寺にて自刃された」
間があった。
「そうか……われわれより早かと? なんぞあっけないもんばい。緒戦で効をあげた御仁のはず、首ばすげ替えればそれで済むっちゅうこつか」
親永はつぶやくように言った。
別室の盛り上がりはまだまだ続くようである。統虎は自身の茶碗をつかみ、酒をくいっと飲み干した。飲まなければやりきれない気分を変えられそうになかったからである。
徳利がまた空になった。
統虎は少し酔ったらしい。
「ぎん様にも暇乞いをすべきやったけんが、よくよく礼を伝えてほしか。犬房もぎん様がいてどれほど救いになったか……」
親永は微笑んで言う。統虎も立て板に水のごとく話を続ける。
「ぎんは、貴殿ご一党を助命するよう関白様に言上しろと、この五ヶ月の間ずっと言い続けとったとです。善良の兄はわが家中、そこから何人でも救えんかと。あんたは九州ば裏切るんかとずっとずっと言われちゅう、それは柳河に入ったときから言われようたけんが。立花が捨て身で平山城に兵糧を入れ、田中城を攻めたんは……もう、これ以上九州の人間を討ち死にさせたくなかったとです。やけん、関白の大軍の前に全滅の屍ば晒す前に、たとえ裏切り者と後世に罵られようと、立花がやらんでどうすると、そげん覚悟やったとです。それならたばかることなどせず、正面切って戦わねば意味はなか。そして、われわれが負けることはできんかった。結果、肥後の者ば多く討ち死にすることとなり、恨んでおりましょうが」
「……討ち死にしたこつ、左近殿の兵も同じたいね。武士の名に恥じぬ勇敢な戦いぶりやった。あぁ、由布んとこの大炊助は哀れやっと……やけん、恨みなんぞなかばい。しかし、有働は……ここで死なせるのはまっこと惜しかよ。よか将たい。隈部がここまで持ちこたえられたのはひとえに有働の働きやけん、あれは関白様の将んなっても立派な働きができる。能うことなら助命して他家に仕官させたかった」
「そう、敵将ながら天晴れやった。それだけの働きばしようた……何にしても惜しかこと」
統虎がつぶやくように言うのを聞いた。すでに別室の騒ぎも一段落したようで、代わりに鼾がいくつも聞こえている。親永はそれに気づき、「布団をかけてやらんと。風邪を引くばい」としばし席を外した。統虎は茶碗を握り締めて、ぼんやりと空を見つめていた。
親永はあまった徳利を抱えてまた戻ってきた。
「みんなよう寝ちゅう。それでよか。われらも沈み行く木の葉たい。そいでん、こんな温かな気持ちで最期を迎えられっとは思うとらんかったとよ。まぁ、貴殿はまだまだ若か。いくらでも進んでいける。その果ての有様を見届けられったい」
親永の目に悔恨や無念の色は少しもなかった。
統虎は胸が詰まった。何も言えない。親永は静かにまた語る。
「ぎん様にも伝えてほしか。最期を見届けるんが、他所から来たぼんくらな将やなく、立花左近統虎でよかった。腹ん底からそう思っちゅう。あぁ、一つ吟じてもよかと? わしば辞世の句なぞよう詠めんたい」
統虎はじっと言葉を待った。
親永はすうっと息を吸うと、朗々たる調子で吟じた。
国破れて 山河あり
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙をそそぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書萬金に抵る
白頭掻いて更に短し
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
統虎は目の前の老将を見た。
今吟じたのがかれの作ではなく、中国唐代の詩人のものであることもすぐに分かった。しかし、そんなことは大したことではなかった。
この詩は今や、他の誰でもない、彼だけのものだった。
雨は叩きつけるように降っている。
統虎は深々と礼をして、すっくと立ち上がり座を辞した。
五月二十七日の朝を迎えた。
昨晩ほどではないが、未明からしとしとと雨が続いており、はるか彼方まで重い雲が垂れ下がっている。
親永は日の出とともに目を覚まし、身の回りをきれいに片付けていた。
「何だかんだと、随分長居をしたもんばい」
そして、この半年のことをしみじみと思った。死を待つ日々の、何と静かであったことか。近在の家臣・郎党と話をすることも咎められなかったし、わが子とともに過ごすこともできた。
隈部衆は皆この猶予のときを思い思いに過ごした。それぞれが、今日の朝を、万感の思いを持って迎えた。決着の付け方も皆で話し合って決めた。それぞれに心残りがあるとすれば、それほど遠くない故郷の土を生きて踏むことが叶わないことぐらいだった。阿蘇のみずみずしい緑、山鹿で古くから行われている灯篭祭りのことなどを皆でしみじみと語ることもあった。ただし、家人の話だけは暗黙の了解のように、誰も口にはしなかった。それは皆了解していたし、語り始めると女々しくなるからはなからしない。
それが男の矜持だと固く信じているようでもあった。
→引用「春望」(杜甫) いろいろな書物や教科書に載っていますが、杜甫詩選 (岩波文庫)が一番手に入りやすいと思います。
隈部親永ら一党十二人と犬房丸が膳を囲んでいた。皆言葉を発せず重たい空気が場を支配していた。元気にする道理もない、親永もかけるべき言葉を見つけられず黙っていた。
そこに、徳利を束でぶら下げて、統虎がふらりと現れた。
「これを皆で召し上がられよ」
「左近殿がいきなり来られるのは、いくら何でもまずいのではないか」
親永は苦笑した。統虎も苦笑した。
酒と酒肴が一同に振る舞われるなか、親永と統虎は別室で酒を酌み交わしていた。
「まことによいのか。この大雨、明日も晴れる見込みはない。日は替えられぬが希望があるなら聞こう。立ち会う上使衆の浅野殿も構わんと申されとるけん」
柳河城には討伐のための上使衆である浅野長吉(のちの長政)がすでに詰めている。
「荒れた方がよか、それこそ本望。われらの血も雨嵐が洗い流してくれる」
「そう言われると思いましたが……まっことばかばい。こげな方法を選ばずともよかったのに」
親永は微笑んだ。
「皆で話し合った末のこと、左近殿がそのわがままをお聞き入れたのは大恩なり。忘れませぬ。また、わしの長か話ば聞いてくれよったことも。言い残したことももうなかよ。思えば貴殿とわしはずっと近くにおったけんが、何の交誼を通じることもなかった。まぁ大友の家臣やったけん仕方なか。それが最後の最後になって、こんな付き合いばすっことになっとは、皮肉なもんたいね」
統虎は目を伏せた。他の皆が別室で歌って踊っているようすが賑やかに伝わってくる。酒が効を奏したようだ。その盛り上がりに反して、統虎の気分は重い。かれには言わねばならないことがいくつもあった。
「隈部式部太輔親泰殿におかれては明日、豊前小倉城にて切腹される。有働兼元殿ほかも同様。本人も異存ないようです。また、犬房殿についてはまだ元服前ゆえ他家の養子になることで助命できぬかと嘆願したが叶わなかった。可哀相だが、明日柳河城にて切腹していただくこととなり申した。また、内空閑鎮房殿、命により二月に立花の手の者が討ちました。この件については申し上げることができず、お詫び申し上げたい」
すべて覚悟していたことながら、改めて聞くとどれもかなり衝撃的な事実であった。親永はしばらくうつむいたまま黙っていた。そして、思い切るように言った。
「承知、よう言うてくだされた。左近殿があまり現れんようになった理由が分かったばい。貴殿は命に従っただけのことやないと。それに、明日にはわしも子らのところにゆくけん」
統虎は辛そうな顔のまま、続けた。
「三歳になる石見丸(いわみまる、親永の末子)殿は他家にて養子の口を見つけ申した。時機を見て隈部姓に戻されたらよろしかろうと」
親永は細い目を大きく見開いた。
「まことか? 石見丸は生きておるのか? これからも生きられっとか? 」
統虎は涙目の親永を見て少し間を空けて、「最後にもう一つ」と言った。
「佐々陸奥守成政殿、さる十四日に尼崎の法圓寺にて自刃された」
間があった。
「そうか……われわれより早かと? なんぞあっけないもんばい。緒戦で効をあげた御仁のはず、首ばすげ替えればそれで済むっちゅうこつか」
親永はつぶやくように言った。
別室の盛り上がりはまだまだ続くようである。統虎は自身の茶碗をつかみ、酒をくいっと飲み干した。飲まなければやりきれない気分を変えられそうになかったからである。
徳利がまた空になった。
統虎は少し酔ったらしい。
「ぎん様にも暇乞いをすべきやったけんが、よくよく礼を伝えてほしか。犬房もぎん様がいてどれほど救いになったか……」
親永は微笑んで言う。統虎も立て板に水のごとく話を続ける。
「ぎんは、貴殿ご一党を助命するよう関白様に言上しろと、この五ヶ月の間ずっと言い続けとったとです。善良の兄はわが家中、そこから何人でも救えんかと。あんたは九州ば裏切るんかとずっとずっと言われちゅう、それは柳河に入ったときから言われようたけんが。立花が捨て身で平山城に兵糧を入れ、田中城を攻めたんは……もう、これ以上九州の人間を討ち死にさせたくなかったとです。やけん、関白の大軍の前に全滅の屍ば晒す前に、たとえ裏切り者と後世に罵られようと、立花がやらんでどうすると、そげん覚悟やったとです。それならたばかることなどせず、正面切って戦わねば意味はなか。そして、われわれが負けることはできんかった。結果、肥後の者ば多く討ち死にすることとなり、恨んでおりましょうが」
「……討ち死にしたこつ、左近殿の兵も同じたいね。武士の名に恥じぬ勇敢な戦いぶりやった。あぁ、由布んとこの大炊助は哀れやっと……やけん、恨みなんぞなかばい。しかし、有働は……ここで死なせるのはまっこと惜しかよ。よか将たい。隈部がここまで持ちこたえられたのはひとえに有働の働きやけん、あれは関白様の将んなっても立派な働きができる。能うことなら助命して他家に仕官させたかった」
「そう、敵将ながら天晴れやった。それだけの働きばしようた……何にしても惜しかこと」
統虎がつぶやくように言うのを聞いた。すでに別室の騒ぎも一段落したようで、代わりに鼾がいくつも聞こえている。親永はそれに気づき、「布団をかけてやらんと。風邪を引くばい」としばし席を外した。統虎は茶碗を握り締めて、ぼんやりと空を見つめていた。
親永はあまった徳利を抱えてまた戻ってきた。
「みんなよう寝ちゅう。それでよか。われらも沈み行く木の葉たい。そいでん、こんな温かな気持ちで最期を迎えられっとは思うとらんかったとよ。まぁ、貴殿はまだまだ若か。いくらでも進んでいける。その果ての有様を見届けられったい」
親永の目に悔恨や無念の色は少しもなかった。
統虎は胸が詰まった。何も言えない。親永は静かにまた語る。
「ぎん様にも伝えてほしか。最期を見届けるんが、他所から来たぼんくらな将やなく、立花左近統虎でよかった。腹ん底からそう思っちゅう。あぁ、一つ吟じてもよかと? わしば辞世の句なぞよう詠めんたい」
統虎はじっと言葉を待った。
親永はすうっと息を吸うと、朗々たる調子で吟じた。
国破れて 山河あり
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙をそそぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書萬金に抵る
白頭掻いて更に短し
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
統虎は目の前の老将を見た。
今吟じたのがかれの作ではなく、中国唐代の詩人のものであることもすぐに分かった。しかし、そんなことは大したことではなかった。
この詩は今や、他の誰でもない、彼だけのものだった。
雨は叩きつけるように降っている。
統虎は深々と礼をして、すっくと立ち上がり座を辞した。
五月二十七日の朝を迎えた。
昨晩ほどではないが、未明からしとしとと雨が続いており、はるか彼方まで重い雲が垂れ下がっている。
親永は日の出とともに目を覚まし、身の回りをきれいに片付けていた。
「何だかんだと、随分長居をしたもんばい」
そして、この半年のことをしみじみと思った。死を待つ日々の、何と静かであったことか。近在の家臣・郎党と話をすることも咎められなかったし、わが子とともに過ごすこともできた。
隈部衆は皆この猶予のときを思い思いに過ごした。それぞれが、今日の朝を、万感の思いを持って迎えた。決着の付け方も皆で話し合って決めた。それぞれに心残りがあるとすれば、それほど遠くない故郷の土を生きて踏むことが叶わないことぐらいだった。阿蘇のみずみずしい緑、山鹿で古くから行われている灯篭祭りのことなどを皆でしみじみと語ることもあった。ただし、家人の話だけは暗黙の了解のように、誰も口にはしなかった。それは皆了解していたし、語り始めると女々しくなるからはなからしない。
それが男の矜持だと固く信じているようでもあった。
→引用「春望」(杜甫) いろいろな書物や教科書に載っていますが、杜甫詩選 (岩波文庫)が一番手に入りやすいと思います。
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