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172.幽世の白い2人
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「朔月····」
ファルがぼそりとその名を口にした。
いつの間に隣に来たんだ?
「レンちゃんはどないなったん····」
最悪の事態を想定したのか、トビの顔色は明らかに悪い。
「朔月ぅ、まだ寝てるぅ?」
そんな俺達などおかまいなしに相変わらずゼノリア神は呑気な口調でまだぼうっとしている朔月に呼びかけた。
朔月はゆっくりと立ち上がる。
深い紫色の衣の上に透け感のある紫地に金糸で刺繍が施された衣を羽織り、革靴だけは黒色だ。
親之の記憶の中にある神官と衣服の形は似ているが、色合いは神官が身につけるものではなかったように思う。
長い髪はハーフアップにして棒状で装飾のついた飾りを数本刺して纏められていた。
動くとシャラリと小さく澄んだ音がする。
まだ覚醒しきっていないのか、朧気に周りを見回して少しだけ歩を進めるが、木々の影から踏み出そうとして止まる。
「大丈夫だよぉ。
ここは幽世の一部に僕が作った箱庭なんだぁ。
太陽の光も作り物だしぃ、眩しくならないしぃ、夜じゃなくても橋の上で好きな蓮を見ても火傷しないよぉ」
火傷?
どういう事だ?
華奢な白い手を影から出し、日に当てて何かを確認すると橋の中程まで歩いて行く。
その後ろをゼノリア神がぴたりとくっついて歩く。
中程までで止まると、今度は空を見上げた。
「ほら、眩しくないでしょ?」
レンより少しだけ小さな背の朔月をゼノリア神が上からのぞき込むと、朔月が腕を伸ばして白い頬を両手で包む。
「ゼノ?」
鈴が鳴るような耳に馴染む雄にはない声音だ。
「そうだよぉ。
目が覚めたぁ?」
頬にある手に自らの手を優しい手つきで添える。
「なにゆえ?」
「蓮香の策に乗ってあげようかなってねぇ、思ったんだぁ」
「蓮、香····」
「そうだよぉ。
僕の世界の困ったちゃんが呪物を呼び込んだのもあるんだけどねぇ。
それにぃ、朔月にも会いたかったんだぁ」
まだ夢現のような幼げな口調が蓮香の名前に反応して少し覚醒する。
ゼノリア神はそっと上から形の良い額に唇を落とすと、頬から手を離させ、その手にも交互に唇を落とした。
そのまま後ろから小さな体を抱きしめる。
と、ザワリとファルが殺気立つ。
それに反応したのは朔月だ。
こちらに初めて血色の目を向けた。
「····鷹親?」
「そうだよぉ。
ほら、もう1人ぃ」
「親之?」
「ふふふ、僕、頑張ったでしょぉ?」
ゼノリア神は褒めて、とばかりに後ろから朔月をぎゅうぎゅう抱きしめる。
そんな神の頭に朔月はこちらを見ながら後ろ手に手を伸ばして撫でながら話すが、その様子にファルは殺気を出していて正直息苦しい。
しかも黒竜の殺気なんて獣の性を持つ獣人には危機感しか与えないが、状況的には生温かい目で見てしまうという違和感付きだ。
レンという番の体のはずだが、俺が今感じている朔月への感情は恐らく親之だった時の郷愁のような感覚で、現実味がない。
「礼を申します。
もう、あの方の呪いの影響はあの方々には無いのですね」
「うん、朔月の寿ぎのおかげだよぉ。
ただぁ、それとは別で呪いがこっちの世界に来ちゃったんだぁ」
「····因果、でございましょうね」
「やっぱり気づいたぁ?」
「レンは無論でございましょうし、しかし今の蓮香だけでは雪火の助けがあっても····」
言いながら何かに気づいたように1度口を閉ざす。
「誠に、蓮香は苦労性でございますね」
やがてくすくすと笑いながら、神から手を下ろした。
「蓮香は腹黒いけどぉ、結局優しいからぁ」
「左様でござりますね。
今世の今上も絆されてしまったほどに」
楽しげにころころと笑いながら話を弾ませる。
「あー、記憶を見てるぅ?」
「所詮は消え去る自我と思うて敢えて見てはおりませなんだが、何も解らぬままに呪力を奮う事も、ましてや彼の御柱より賜った神刀を手にする事もできますまい」
「そうだねぇ。
あの神は僕よりよっぽど格が上で、面倒だものぉ」
「左様でございましょう?
ふふふ、そのような御柱に····ふ、その他の御柱方に····ふふ、千年かけた自身の寿ぎと魂をかけてこのような啖呵を切る、とは····くっ、ふふふ、改めて記憶を見ると、ふくっ、蓮香は自我を持ってから死するまで長きに渡ってよく、怒りを継続しておりました事····ふふふふふ」
笑いを堪える事は出来なかったのか、上品だが声を出して笑い始める。
静観している俺達は朔月の反応に正直困惑する。
朔月も蓮香も、悲惨な人生だった。
なのに当人の1人があんな風に楽しそうに笑う意味がわからない。
見えない壁を隔てた白い2人の世界を固唾を飲んで見守る。
「えぇ、笑っちゃうぅ?
蓮香の人生もぉ、朔月と同じで悲惨だよぉ?」
「千年分の生と死の記憶を持って生きていたのですから、同じような人生を辿っても蓮香の方が私よりも悲惨でござりましょうし、レンは幼き精神で更に間近の生であった蓮香の記憶を持ってしまったのですから、穏やかな生を生きてはいても死を意識する程には悲惨でござりましょうね」
同情するような話とは裏腹に、口調は楽しげだ。
「しかし、だからこそ蓮香には怒りが生じて人生を苛烈に、御柱方にすらそれをぶつけられる程に心おきなく生を謳歌したのでしょう。
事象だけを見れば悲劇でございましょうが、当人の心情は全くの別物」
そこまで楽しげに話して、ふと苦笑した。
「もちろん娘に加え、絆し絆された他者が在った事で心残りはございましょうが、あのような数々の憂き目にあっても後悔なく生き抜いた生を本人は誇らしく思うております。
ならば始まりという罪を犯した私は、ようやったと笑うて私が本来の最期の転生体である蓮香にできる事を潔う引き受ける事のみではありせぬか」
そうして朔月はゼノリア神からすっと体を離して向き合い、深く頭を下げる。
「御柱におかれましてはこの朔月のみならず、同じ御魂を持った蓮香の願いを叶え賜られました事、心より御礼を申し上げまする」
「改まって朔月からそうされるとぉ、照れるぅ。
頭を上げてよぅ」
慌てるゼノリア神にゆっくりと頭を上げて微笑む。
「これでも略式で御座いますのに」
「だってぇ、僕達が小さくて堕ちそうになったのを助けてくれたのが朔月と蓮香だよぉ。
僕だけじゃなくてぇ、他の神だってたくさん感謝してるのいっぱいいるんだからねぇ。
蓮香なんてぇ、他の世界の神々との争奪戦だったんだよぉ」
「まあ、それは何とも有難い事で御座いましたね」
更に慌てて身振り手振りを始めた神を温かい目で見つめる。
「んおっほん。
とにかくぅ、そういう事だからぁ、僕のお願いも聞いてよねぇ」
「勿論で御座います。
本来無いはずの呪物は私が滅しましょう」
わざとらしい咳払いをしてお願いをする神に快く了承し、後ろを見送る神を背にして朔月がこちらに向かって歩き始めた。
ファルがぼそりとその名を口にした。
いつの間に隣に来たんだ?
「レンちゃんはどないなったん····」
最悪の事態を想定したのか、トビの顔色は明らかに悪い。
「朔月ぅ、まだ寝てるぅ?」
そんな俺達などおかまいなしに相変わらずゼノリア神は呑気な口調でまだぼうっとしている朔月に呼びかけた。
朔月はゆっくりと立ち上がる。
深い紫色の衣の上に透け感のある紫地に金糸で刺繍が施された衣を羽織り、革靴だけは黒色だ。
親之の記憶の中にある神官と衣服の形は似ているが、色合いは神官が身につけるものではなかったように思う。
長い髪はハーフアップにして棒状で装飾のついた飾りを数本刺して纏められていた。
動くとシャラリと小さく澄んだ音がする。
まだ覚醒しきっていないのか、朧気に周りを見回して少しだけ歩を進めるが、木々の影から踏み出そうとして止まる。
「大丈夫だよぉ。
ここは幽世の一部に僕が作った箱庭なんだぁ。
太陽の光も作り物だしぃ、眩しくならないしぃ、夜じゃなくても橋の上で好きな蓮を見ても火傷しないよぉ」
火傷?
どういう事だ?
華奢な白い手を影から出し、日に当てて何かを確認すると橋の中程まで歩いて行く。
その後ろをゼノリア神がぴたりとくっついて歩く。
中程までで止まると、今度は空を見上げた。
「ほら、眩しくないでしょ?」
レンより少しだけ小さな背の朔月をゼノリア神が上からのぞき込むと、朔月が腕を伸ばして白い頬を両手で包む。
「ゼノ?」
鈴が鳴るような耳に馴染む雄にはない声音だ。
「そうだよぉ。
目が覚めたぁ?」
頬にある手に自らの手を優しい手つきで添える。
「なにゆえ?」
「蓮香の策に乗ってあげようかなってねぇ、思ったんだぁ」
「蓮、香····」
「そうだよぉ。
僕の世界の困ったちゃんが呪物を呼び込んだのもあるんだけどねぇ。
それにぃ、朔月にも会いたかったんだぁ」
まだ夢現のような幼げな口調が蓮香の名前に反応して少し覚醒する。
ゼノリア神はそっと上から形の良い額に唇を落とすと、頬から手を離させ、その手にも交互に唇を落とした。
そのまま後ろから小さな体を抱きしめる。
と、ザワリとファルが殺気立つ。
それに反応したのは朔月だ。
こちらに初めて血色の目を向けた。
「····鷹親?」
「そうだよぉ。
ほら、もう1人ぃ」
「親之?」
「ふふふ、僕、頑張ったでしょぉ?」
ゼノリア神は褒めて、とばかりに後ろから朔月をぎゅうぎゅう抱きしめる。
そんな神の頭に朔月はこちらを見ながら後ろ手に手を伸ばして撫でながら話すが、その様子にファルは殺気を出していて正直息苦しい。
しかも黒竜の殺気なんて獣の性を持つ獣人には危機感しか与えないが、状況的には生温かい目で見てしまうという違和感付きだ。
レンという番の体のはずだが、俺が今感じている朔月への感情は恐らく親之だった時の郷愁のような感覚で、現実味がない。
「礼を申します。
もう、あの方の呪いの影響はあの方々には無いのですね」
「うん、朔月の寿ぎのおかげだよぉ。
ただぁ、それとは別で呪いがこっちの世界に来ちゃったんだぁ」
「····因果、でございましょうね」
「やっぱり気づいたぁ?」
「レンは無論でございましょうし、しかし今の蓮香だけでは雪火の助けがあっても····」
言いながら何かに気づいたように1度口を閉ざす。
「誠に、蓮香は苦労性でございますね」
やがてくすくすと笑いながら、神から手を下ろした。
「蓮香は腹黒いけどぉ、結局優しいからぁ」
「左様でござりますね。
今世の今上も絆されてしまったほどに」
楽しげにころころと笑いながら話を弾ませる。
「あー、記憶を見てるぅ?」
「所詮は消え去る自我と思うて敢えて見てはおりませなんだが、何も解らぬままに呪力を奮う事も、ましてや彼の御柱より賜った神刀を手にする事もできますまい」
「そうだねぇ。
あの神は僕よりよっぽど格が上で、面倒だものぉ」
「左様でございましょう?
ふふふ、そのような御柱に····ふ、その他の御柱方に····ふふ、千年かけた自身の寿ぎと魂をかけてこのような啖呵を切る、とは····くっ、ふふふ、改めて記憶を見ると、ふくっ、蓮香は自我を持ってから死するまで長きに渡ってよく、怒りを継続しておりました事····ふふふふふ」
笑いを堪える事は出来なかったのか、上品だが声を出して笑い始める。
静観している俺達は朔月の反応に正直困惑する。
朔月も蓮香も、悲惨な人生だった。
なのに当人の1人があんな風に楽しそうに笑う意味がわからない。
見えない壁を隔てた白い2人の世界を固唾を飲んで見守る。
「えぇ、笑っちゃうぅ?
蓮香の人生もぉ、朔月と同じで悲惨だよぉ?」
「千年分の生と死の記憶を持って生きていたのですから、同じような人生を辿っても蓮香の方が私よりも悲惨でござりましょうし、レンは幼き精神で更に間近の生であった蓮香の記憶を持ってしまったのですから、穏やかな生を生きてはいても死を意識する程には悲惨でござりましょうね」
同情するような話とは裏腹に、口調は楽しげだ。
「しかし、だからこそ蓮香には怒りが生じて人生を苛烈に、御柱方にすらそれをぶつけられる程に心おきなく生を謳歌したのでしょう。
事象だけを見れば悲劇でございましょうが、当人の心情は全くの別物」
そこまで楽しげに話して、ふと苦笑した。
「もちろん娘に加え、絆し絆された他者が在った事で心残りはございましょうが、あのような数々の憂き目にあっても後悔なく生き抜いた生を本人は誇らしく思うております。
ならば始まりという罪を犯した私は、ようやったと笑うて私が本来の最期の転生体である蓮香にできる事を潔う引き受ける事のみではありせぬか」
そうして朔月はゼノリア神からすっと体を離して向き合い、深く頭を下げる。
「御柱におかれましてはこの朔月のみならず、同じ御魂を持った蓮香の願いを叶え賜られました事、心より御礼を申し上げまする」
「改まって朔月からそうされるとぉ、照れるぅ。
頭を上げてよぅ」
慌てるゼノリア神にゆっくりと頭を上げて微笑む。
「これでも略式で御座いますのに」
「だってぇ、僕達が小さくて堕ちそうになったのを助けてくれたのが朔月と蓮香だよぉ。
僕だけじゃなくてぇ、他の神だってたくさん感謝してるのいっぱいいるんだからねぇ。
蓮香なんてぇ、他の世界の神々との争奪戦だったんだよぉ」
「まあ、それは何とも有難い事で御座いましたね」
更に慌てて身振り手振りを始めた神を温かい目で見つめる。
「んおっほん。
とにかくぅ、そういう事だからぁ、僕のお願いも聞いてよねぇ」
「勿論で御座います。
本来無いはずの呪物は私が滅しましょう」
わざとらしい咳払いをしてお願いをする神に快く了承し、後ろを見送る神を背にして朔月がこちらに向かって歩き始めた。
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