悪役令嬢の策略と誤算

冬野月子

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『王太子が平民上がりの子爵令嬢と親しくしている』
そんな噂が流れ始めたのは夏季休暇が明けた頃だった。


漫画ではもっと早く———編入初日に互いに一目で惹かれ合い、すぐに親しくなったのだが。
殿下は学園に行く暇がないほど忙しくなってしまったのだ。
やはり現実は漫画の世界そのままではないようだ。

忙しくなったのは国王代行である公爵が視察中に落馬し大怪我をしたためで、殿下が代わりに公務を務める事が多かったせいだ。


私は王妃様の病が治ってからも相変わらず王宮で暮らしており、夕食はいつも殿下と共に取っていた。
そしてその時に学園での出来事を報告するのだが、殿下が気にしていたのはガーネットの様子だった。

「…彼女、虐められているようですの」
「虐め?」
「元平民なのに自分達より成績がいいのが気に入らないらしくて、一部の女生徒達から色々と言われているようですわ」

私は漫画のようにガーネットに嫌がらせはしていない。
まだ殿下と親しくなっていないからというのもあるが———私以外の女生徒達が彼女に嫌がらせをしているのだ。

虐めというのは何がきっかけになるか分からない。
ガーネットの場合は平民から子爵家に養子に引き取られたという事自体が虐めの種になりやすいのだが、彼女の優秀さが仇となったようだ。
テストの成績で上位に入った事から目をつけられてしまったらしい。


「君はそれに対して何かしたのか?」
「その場に居合わせた時に注意した事はありますけれど。私があまり庇うのも虐めの種になりますから…」
「そういうものなのか」
「嫉妬というのは恐ろしいものですわ。ですから今ガーネット嬢は孤立しておりますの。…もしも優しくしてくれる方が現れたら絆されてしまうかもしれませんわね」
私の言葉に、殿下の眉がぴくりと動いた。

「———恐ろしいのは君だろう」
私の手の上に殿下の手が重なった。


「サファイア。私にとっての一番は君だ」
「…私は殿下の望みを叶える事はできませんわ」
「分かっている…それでもだ。どうかそれだけは忘れないで欲しい」

「ええ。分かっていますわ」
私は殿下に笑顔を向けると、殿下の手に空いていた手を重ねた。
「分かっていますから…どうぞ殿下のお心のままに」

「サファイア…」
幼い子供のように、殿下の顔がくしゃりと歪む。
「…最初の子供は君が産むのだからな」
「まあ…気が早いですわ。それに子供は授かりもの、いつ出来るかは分かりませんのに」
「それでも…私の跡を継ぐのは君の子だ」

「ふふ、ありがとうございます。とても嬉しいですわ」
私の企みを知りながらも、それを否定せず私を一番と言ってくれる殿下。
そんな殿下を守るためなら、私も与えられた役目をしっかり努めましょう。




国王代理の怪我も治り、殿下が学園へ復帰したのは夏季休暇明けだった。
殿下はすぐにガーネットと接触した。
二人が親しいという噂が流れ出すのに時間はかからなかった。

それでも私はガーネットを虐める事はしなかった。
漫画でサファイアが破滅したのはガーネットに危害を加えたからだ。
私が望んでいるのは彼女を排除する事ではなく、愛妾として後宮へ召し上げる事。
虐める理由は私にはない。

それに私が手を出さなくとも、他の女生徒達からの虐めは続いていた。
最初は口で罵るだけだったが、殿下と親しくなるにつれ、その虐めもエスカレートしていった。

教科書や持ち物を隠す、壊す。
制服を汚されたり水をかけられるなど…それらは漫画の中でもヒロインが受けていた事だ。
ガーネットは孤立し、そんな彼女を庇うように殿下が寄り添い、ますます虐められる。

やがて、その虐めは私が指示しているのだという噂が流れ始めた。



「サファイア」
学園では殿下と過ごす時間は少なくなったけれど、王宮の中では相変わらず共にいる。
寝室に入るなり私は殿下に抱きしめられた。

「すまない…私のせいで君の評判が…」
「大丈夫ですわ」
私はそっと殿下の背中に手を回した。
「殿下はあの噂が嘘だと分かってくださるのでしょう」
「もちろんだ」
「それで十分ですわ」
「だが…」
殿下は腕を緩めると私の顔を覗き込んだ。

「サファイア。学園を休むか」
「え?」
「これ以上悪い噂が増えたら叶わない。学園など行かずともずっと王宮に…」
「殿下」
その瞳に暗いものが見えて私は慌てて声を上げた。
———この流れはまずい。

「…それでは、学園で私と過ごす時間を増やして下さい」
「君と?」
「私たちの仲が良い事が判れば噂など消えますわ」
「…そうなのか」
「ええ、噂なんてそんなものです。ですから心配しないで下さい」
笑顔でそう言うと、私は爪先立ちで背を伸ばして殿下の唇に自分のそれをそっと重ねた。

軽く触れるだけの口づけをして離れると、殿下の瞳が怪しい光を帯びていた。
「殿…」
言いかけた口が塞がれると、するりと舌が滑り込む。

深く長い口づけに徐々に力が抜けていく。
殿下はそんな私の身体を抱き上げると、ベッドの上へと横たえた。
そのまま覆いかぶさろうとするのを何とか制して、私はベッドサイドへと手を伸ばすと置かれていた小瓶へと手を伸ばした。

「…約束は守らないと…」
私がその小瓶の中身を一粒口に入れるのをむっとしながら見つめる殿下の、その顔が子供のようで思わず笑みがもれる。

「———分かっている」
不服そうな顔のまま、殿下はそう言って水差しの中身を側のグラスへ注ぎ、口へ含むと私の口を塞いだ。
口移しで飲まされる水を受け止めきれずに、口端から溢れる感触。
殿下はしばらく私を見つめると、ようやくその顔に蕩けそうな笑みを浮かべて私の夜着に手をかけた。



私が殿下の後宮へ入る者を探すと言った時、その代わりにそれまで客間を使っていた私を王太子妃の部屋へ移動させると殿下は言った。
その部屋は夫婦の寝室を挟んで王太子の部屋と並んでおり、三つの部屋は鍵のない扉で繋がっている。
———つまり私がこの部屋に入るという事は、殿下と夜を共に過ごす事になるという事だ。

婚姻前であるから当然周囲は反対したが、ならば愛妾は娶らないと宣言した殿下に王妃様が折れた。
その代わり子供だけは絶対に作らないと約束させて。

殿下は私が避妊薬を飲む事に不服そうだったが、結婚前に子供を作ってしまえばそれは記録に残り、後の世まで私の不名誉になると言われ渋々受け入れたのだ。



「———そんなに子供が欲しいのですか?」
気怠さの残る情事の後で私を腕に抱き、空いた手で私の腹を撫でる殿下に尋ねた。
まだ私達は十六歳。
結婚まであと一年なのだから、そこまで待ってもいいだろうに。

「…私は怖いのだ」
「え?」
「父上のようにならないかと」
腹を撫でる手が止まる。
「だから私は、自分の子を愛せる事を…君から奪わない事を早く証明したいのだ」
「殿下…」
「———だが…その一方で思ってしまうのだ。君を私だけのものにできたらと…」

王妃様を愛するあまり、息子を遠ざけてしまった亡き陛下。
殿下は父の愛を、そして母の愛も知らない。
愛に飢える殿下の秘めた願望を…それらを叶える。
それが私の役目だ。

「大丈夫です」
私は殿下の首に腕を回した。
「そうならないように、王妃様も心をかけて下さっているのですから」
「…私に愛妾をあてがう事がそうだと?」
「ええ。愛する相手は一人ではないと分かって欲しいのです」

「…それでも私の一番は君だ」
「ありがとうございます」
「君の一番も私なのか?」
「当然ですわ」
唯一ではないけれど、最優先するのは殿下だから。

「愛しています、殿下」

息がかかるほどの距離で見つめ合い。
私達はゆっくりと唇を重ねた。
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