恋というものは

須藤慎弥

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◆ 年下の理解者 ◆

第六十七話

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 野菜を切っている潤をチラと見上げると、説明に足りないところは無かったようでニコッと笑顔を向けられた。

 ただし逆に、やけに落ち着き払っていた電話口が途端にうるさくなる。


『大変な事になってるじゃないか! 今どこに居る? あぁ、家か! で、困った事はないのかっ?』
「いえ、それは大丈夫なんですけど、突発的な発情期だからいつ頃終わりますっていう確証がなくて、……でも性別を隠してるから仕事は休めないし、……」
『んなもん会社には俺がうまく言っといてやる! マジで必要なものとかはないのか? 俺ちょっとだけ顔見に行っていい?』
「えっ!? 結構ですよっ、奥様にまた誤解されたら……っ」
『それなんだが、申し訳ないけど吉武の素性をすべて話して、ようやく納得してもらえたんだ』
「え!? 本当ですか!?」
『あぁ、本当だ。 年明け早々、嫁がスマホを見せろとうるさくてな。 履歴を見られたんだが、気になるのは吉武の名前だけだって問い詰められて。 ……すまない』
「そんな、いいんですよ! 良かったぁ……ほんとに良かったです!」


 声を弾ませた天にとっては、思わぬ朗報だった。

 クリスマスプレゼントを渡せたのかどうか、豊の夫婦仲はどうなったのかが分からないままだったので、自身がこんな状態で無ければ休みの間中そればかりを気にしていたに違いないほど、天は気を揉んでいた。

 豊が妻と仲直り出来るのなら、素性などいくらバラされたっていい。 会った事はないが、彼の妻ともなればきっと人格者であろう。

 天の性別を聞き、豊が何度も励まし助けてくれた経緯さえ話せば分かってもらえると信じていた。

 迂闊に天が出しゃばる前に仲直り出来たようで、心底安心した。


『怒らないのか? 吉武、自分の性別を嫌がってるだろ』
「怒るわけないですよ! 奥様と仲直り出来たって事ですよねっ?」
『あぁ、今も妻が隣で聞いてる』
「そうですか! あぁ、良かったぁ……誤解が解けて良かった……」
『吉武、困った事があったらいつでも連絡して来い。 お前はいつも事後報告だから心配だ』
「……そんな、……大丈夫です。 ご心配お掛けしてすみません。 仕事の事も……」
『気にするな。 ところで吉武の住所は……』
「いやマジで来なくて……あっ、……!」


 いくら妻に納得してもらえたからと、平気で天の自宅へ来る気満々だった豊に断りを入れようとした次の瞬間。

 頭上から潤の腕が降ってきて、スマホをさらりと奪われた。


「あなたは来なくて結構です。 天くんの看病なら僕が付きっきりで手取り足取りやらせてもらっています。 それでは」


 言いたい事だけ言い、ツンとした表情で天にスマホを返した潤は、ポケットから何かを取り出しながらガスコンロの火を止めた。

 返されたスマホの画面を誤ってタップしてしまい、豊との通話が良くない形で終了した事に唖然となる。

 ポケットから取り出した何かを水で流し込んだ潤を見上げて、さすがの天も息巻いた。


「ちょっ、潤くん! 何してんだ!」
「……天くん、憧れの上司と話せて嬉しかったの? フェロモン出てるけど」
「えっ、うそっ!?」
「ほんと。 まだ明るいのに発情しちゃったの? ……さっきの人の声聞いただけで?」
「いや違っ……てか失礼だろ! あんな言い方! 謝らなきゃ……っ」
「いい。 謝らなくていい。 電話越しで上司にそのフェロモン伝えるつもり?」
「そんな事出来るはずないだろ! もうっ、スマホ返してよ! 潤くんっ」


 天が怒れば怒るほど、潤から冷気が伝わってくる。

 理不尽な難癖を付けられている気になり、豊に謝罪はするなと再び奪われたスマホを奪い返そうとするも、そうはさせまいと潤はそれを天井に掲げた。

 しかもあろう事か、ぴょんぴょん跳ねていた天の腰を抱いて首筋に口付けてくる。


「あっ……、潤くん、ダメだって……っ、そんな……!」
「……キスしたい」
「へっ!?」
「天くんと、キス、したい」
「な、何を……」


 頭の中がショートした。

 固まった天と潤の鼻頭は、すでにくっついている。

 真剣な瞳と目が合い続け、「キスって何だっけ」と完全に理解能力を失った天はその時、あまりの事に呼吸さえ忘れていた。

 じわ、と潤が動く。

 抱かれた腰をグッと支えられ、何も考えられなくなっていたその一秒後には互いの唇が触れていた。


「────ッッ!」


 ぴくんっと体を弾けさせはしたが、触れ合った唇があまりに柔らかで温かく、ショートした頭の片隅で「これが恋しかった」とあり得ない信号が届いた。

 嫌ではなかった。 それどころか、ニ、三回角度を変えて啄まれた事で気恥ずかしい思いを抱いた。

 初めてのキスは何の味もせず、ただ唇がやわくぶつかる音だけは鮮明に聞こえた。


「……フェロモン濃くなったよ。 嬉しいの? 天くん」
「ち、ち、違う……っ」
「うそつき」
「…………っ!?」


 なぜ。 どうして。

 誰にも打ち明けられなかった片思いの人が居ると、天に恥ずかしそうに語っていたあれは何だったのだ。

 性処理のみならず、こんな事までさせてしまったすべての諸悪の根源……それは分かっている。

 純粋な潤をここまで狂わせてしまったのは、他ならぬ天だ。


「な、なぁ、潤くん、もう帰った方がいいよ! 何日も俺のフェロモン嗅いでおかしくなってるんだ!」
「僕ならとっくにおかしくなってるよ」
「ほらっ、自覚あるなら俺と一緒に居ちゃダメだ! 潤くんには好きな人が居るんだろっ? その人の事思い出してみろよ! 叶わないかもしれないけど、そんなの分かんないじゃん! 奪っちゃえって俺言っただろ!」


 腰を抱かれたままではあったが、天はのけ反りながら捲し立てた。

 性欲が脳に直結する、Ωのフェロモン。

 すべては自身の放つそれが原因で潤の恋心を踏み躙っているような気がして、どうにか離れてほしいと悲しい懇願をした。


「そんなに必死で何を守ろうとしてるの? 僕は天くんのフェロモン嗅いでおかしくなっちゃダメなの?」
「ダメ!」
「…………そう。 でももう、手遅れ」
「あっ……ちょちょちょちょ……っ、待って! 潤くん! す、す、スマホ! 潤くんのスマホ鳴ってる!」


 天を軽々と抱き上げた潤は、少しも顔色を変えない。

 意中の人を思い出してみろと言っても、天が拒絶を示しても、瞳の熱はただの少しもうつろわなかった。

 彼のポケットから鳴り響くスマホに救われたが、その最中にも布団を敷いた潤がその瞳で天を制する。


「ここに居てね。 絶対だよ」
「…………っっ」


 射抜かれた天は、またしても体の自由を奪われた。

 実際にはそんな事はされていないけれど、何故だか全身の力が抜けて布団にへたり込んだのである。

 まるでそれは、天が恐れるαの者から送られる、Ωへの支配欲を帯びた特殊なフェロモンのようだった。




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