恋というものは

須藤慎弥

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◆ しるし ◆ ─潤─

第九十二話

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 時任家での家族揃っての朝食時間は、大体六時頃。

 まだ夜と紛う暗い朝空を飽きることなく眺めていた潤は、結局一睡もしないままだった。

 つい三時間ほど前の天との逢瀬でニヤつきが止まらない潤の頬が、頑張っても頑張っても締まりなく緩んでくる。

 とはいえ無表情でいなければ、両親や兄夫婦からニヤニヤの原因を根掘り葉掘り聞かれて面倒くさい。

 本宅の玄関先に置かれた姿見鏡で、潤は無表情の練習をしてみた。


 ───だめだ。 どれだけほっぺたに力入れてもニヤけちゃうな。


  "好き" という魔法の言葉。

 フェロモンをぶつけ合うようにして吐き出した興奮の証。

 非常に危険ではあったが、潤が欲しいと可愛くいやらしく誘われると、悪い気はしないどころか幸せな気分で理性を殺せた。

 この子のためならいくらでも、自身の体を犠牲にする。 これまで性別の "せい" だったすべての事が、これからはこの性別の "おかげ" だと前向きに考えられるようになる。

 天のそばに居るためにはどうすればいいのか、どうする事が最善なのか、道筋が見えた潤の言い知れぬ寂しさは消えた。

 鏡に映る自身の表情が、喜びを隠しきれていない。

 一つだけ不安が残るとするならば、天のうなじにある桃色のしるしだ。

 根拠は未だ薄いらしいが、往々にして運命の番と出会っている証拠だと医師が言うので気にはなる。

 それが潤である事の根拠こそが無いため、完全には浮かれられない。

 天の一番になったからにはもはや誰にも彼を譲る事は出来ない。 確かめる術はないものかと新たな悩みの種を思い出した潤の表情が、次第に無へと戻っていった。


「───あ、潤! 昨日あれからどうなった? 吉武は無事だったのかっ?」


 いつまでも玄関先に佇んでいたせいで、本宅と彼らの自宅を繋ぐ扉が開かれて豊が顔を出し、潤の姿を見つけるや小声で詰め寄ってきた。

 すかさず湧いた潤の幼稚な嫉妬が、豊をさり気なく牽制する。


「……おはよ、兄さん」
「待てよ潤! おい!」


 問いには答えず靴を脱いだ潤の腕を取った豊からは、これまで同様ただの後輩に対するものでは無さそうな必死さが窺える。


 ───僕の天くんなのに。


  "一番" は貰ったものの、天の淡いフェロモンを嗅いだ事のある豊にはどうしたって嫉妬心が湧いた。

 豊を尊敬し、憧れていると躊躇なく語った天の表情までも思い出すと、胸がジリジリと焦げて痛い。

 勝手な想像に他ならないが、潤と豊が兄弟だという事を伝えてしまうと、天が手放しに喜びそうでイラついた。

 豊に天を気にかけてほしくない。

 職場が同じで毎日顔を合わせているというだけで、すでに負けた気になっているのだ。

 わすがに目線が下にある豊と睨み合っていると、今度はノーメイクの美咲が扉から出てきた。


「どうしたの? そんなに大声出して」
「い、いやな、吉武のとこに居たのはやっぱ潤だったんだ」
「えっ? そうなの!? でも潤は……」
「緊急抑制剤と漢方薬でフェロモンの影響受けねぇようにしてたらしい」
「えぇぇ!? 何それっ、純愛じゃん! 潤はあの子の事好きなのっ?」
「うん」
「キャーーッ! 即答ーーッ! 素敵ーーッ!」
「美咲、叫ぶな!」


 甲高い女性の声は、朝一番だと余計にうるさい。

 迷い無く頷いた潤に対し、玄関先で金切り声を上げた美咲の口を豊が慌てて塞いだ。

 浮気の誤解を解くため、豊は美咲へ天の事情を洗いざらい話したらしいが、当初から潤はその事についてもあまりよく思っていなかった。

 今も考えは変わらずで、疑われるような行動を取るほうが悪い。 とにかく豊は、性別を知ってからというもの天を構い過ぎなのである。


「ねぇねぇねぇねぇ! 聞きたいんだけど、αとΩって番相手と出会うと色んな前兆があるって言うじゃない? それはあった?」
「……前兆?」
「いや待てよ。 そもそも潤と吉武が番になるかどうかはまだ分かんねぇだろ。 吉武はΩ性が嫌だっつってたんだぞ? 番どころか恋人も一生要らねぇって言ってたし。 なぁ、潤? そうだろ?」


 美咲の言う前兆を思い起こす前に、豊の知ったような口振りに再度不機嫌を顕にする。

 緩んでいた口元は現在、しっかりと無を保っていた。

 豊は、天の性別の葛藤とα性に対する嫌悪まで知っている。

 この分では、潤と天の付き合いを反対する口やかましい小姑のような否定をされてしまいそうで、潤は目元を細めてマウントを取った。


「でも……僕との赤ちゃんは欲しいって昨日言ってたけど」
「はっ!?」
「えっ!?」


 『潤くんとの赤ちゃんならいいかも』


 積極的に誘惑してきた昨夜の天の発言を、潤はかなり誇張した。

 実際に「欲しい」とは言われていないものの、性別の葛藤を越えたこの台詞にα性の本能をくすぐられた事も事実なので、嘘ではない。

 絶句する兄夫婦を見下ろす潤は、腕を組んだ。


「その前兆っていうのはよく分かんないけど……天くんのうなじの一部がピンク色なんだ。 まだ医学的根拠はないけど、運命の番に出会ってる証拠だって、お医者さんは言ってた」
「ピンク色かぁ。 ちなみに潤の体には何も異変はないの?」
「異変……あ、鎖骨に赤い点が三つ出来てるけど、これは関係ないよね」
「え、そうなの!? 関係大アリよ!」




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