恋というものは

須藤慎弥

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◆ 暴露 ◆ ─潤─

第九十七話

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 この社屋のどこかで、天が働いている。

 こっそり見に行ってみようか。 見付かったらどんな反応をされるのか。 通話では一切問わなかった「まだ会えない?」をこの際だから切り出してしまおうか……。

 横になり、瞳を閉じてそんな想いを馳せていると、潤はいつの間にか落ちてしまっていた。


「───やっぱり飲んでたんじゃないか」
「……すみません……」
「ちなみに飲み始めてどれくらい経つ?」
「十日、くらいです」


 ───天くん……と、兄さん?

 潤の耳に大好きな人の落ち込んだ声が届き、唐突に覚醒した。

 ここにはカーテンで区切られているベッドが四つあったが、二人の声は潤が寝ているベッドから斜め向かい側から聞こえてきた。


「医者から言われて飲んでたのか? 違うだろ?」
「…………はい」
「抑制剤は発情期間外で飲むとホルモンバランスが崩れてくって、俺でも知ってるぞ。 どれだけ体に負担かかってるか、吉武が一番分かってんだろーが」
「…………はい……」


 じわりと上体を起こした潤は、二枚のカーテンと少々の距離の向こう側での会話を必死で理解しようとした。

 しょんぼりと項垂れていそうな天の声色に、豊を責めたくなってくる。


 ───僕の天くんを、そんなに怒らないであげて……。


 しかし、寝起きで働かない潤の脳が内容を理解し始めると、やがて眉間に濃い皺が寄っていく。

 ここは医務室だ。

 そして今、天は上司である豊から叱られている。

 おおよその予想通り、潤と同じく自己判断での抑制剤服用で体調が優れず、豊に連れられて天はここへやって来たのだと悟った。


 ───天くん……無理してたんだ……。


「時任さん、すみません……ほんと、いつも迷惑ばっかかけて……」
「俺は心配してるだけなんだ。 怒ってるわけじゃねぇから、そんな顔するな。 てか、アレはまだ先なのになんでそんなに続けて飲んでた?」
「それは……」


 ベッドから起き出し、出て行くタイミングを窺っていた潤の動きが止まる。

 豊は、天をここへ連れてきた際に潤が眠っている事を確認してから彼との会話を始めたようで、何とも明け透けだった。

 カーテンに手を掛け、開く間際。

 朝のようにどこか元気のない、眠たそうな声で天が語る。


「俺……あれだけ自分の性別が嫌だって言ってたじゃないですか。 それなのに、自分から誘ったんです。 フェロモン利用したんです、俺……」
「あ、あぁ、……」
「好きな人がαだって知った時、すごく嬉しかったんです。 番相手かもしれないって分かった時も、めちゃくちゃ嬉しくて……色んな気持ちになりました。 一ヶ月も待たせちゃってるんですけど……」
「何でそんなに会わないでいるんだ。 俺は番の事についてはよく知らないんだが、本能的に相手を欲してるんじゃないのか? だから抑制剤飲んでたんだろ?」


 出て行くタイミングを失った潤は、手を掛けたカーテンを握り締めて俯いた。

 天は本当に、潤を一番に好きで居てくれている。

 一ヶ月以上も前に潤が胸を打たれた、彼の言葉そのままを豊に赤裸々に打ち明けていた。

 天の中の想いが、まだ潤と会えるほどまで育っていないのなら、その気持ちを尊重してやりたい。

 ただ発情期間でもないのに抑制剤を毎日服用するのだけは止めさせなければと、潤はそっとスマホを手に取った。

 すぐそこに愛おしい人が居る切なさに唇を噛みながら、天との何気ないメッセージのやり取りを見返す。

 文面でさえ可愛い人だと顔が綻んだ、その矢先だった。


「……今までの俺が、それでいいのかって頭の中で言ってくるんです。 俺は支配される側だから、いつか捨てられるかもって怖い気持ちもあるし……俺が番関係を望まないって事も相手は分かってくれてるけど、それじゃ俺と付き合う意味なんてないとも思うし……。 会いたいのに会いたくないって、……変、ですよね……」
「………………」


 ───……何……?


 聞き捨てならなかった。 会わない理由のもう一つ先に、天の本心があった。

 それは、潤が最も恐れる言葉だった。

 もはや黙っていられず、すぐさま勢い良くカーテンを開き、声のする方へ歩む。


「僕が天くんを捨てるわけないでしょ! 会いたいなら会えばいいじゃん! 我慢はもうし尽くしたよ!」


 閉ざされた空間で上体を起こしている天と、傍らに立ち竦む豊が同時に潤を見やって目を見開いた。


「……っ、潤くん!?」
「潤! 起きてたのか!」
「何かあったらすぐに言ってねって、僕言ったよね!? どうして一人で我慢してたの! 十日間も抑制剤飲んで! 天くんの体はもう、僕のものでもあるんだよ! 自分の体を壊すような真似しちゃダメじゃない!」
「…………っ」
「潤、落ち着け。 薬に関してはお互い様だろうが」
「そ、そうだけど!」


 潤は怒りに任せて捲し立てた。

 ここに居るはずのない潤の姿に驚き、かつ威圧のオーラと怒声にビクついた天は布団を頭から被った。

 窘めるような瞳を潤に寄越す豊も、こんもりとなった布団を見て静かに語気を強める。


「大体な、お前がもう少しαらしく吉武を引っ張ってやんなきゃダメだろ」
「そんなの分かってるよ! でも天くんの気持ちが最優先でしょ!? 僕はいくらでも待ってあげるつもりだったよ! 抑制剤飲んでるなんて知ってたら無理にでも会いに行ったに決まってる!」
「あのなぁ、お前らの本能的なものはよく分かんねぇけど、番相手だっていうならこうなる事くらい予測出来ただろ? 発情期間じゃなくてもフェロモン抑えなきゃなんねぇくらい、吉武の体は……」
「ちょ、ちょっと待って!」


 ここが医務室である事も忘れ、潤と豊が滅多に無い兄弟喧嘩をしていると、盛り上がった布団がモゾモゾと動いた。

 兄弟揃って声を上げた天の方を向くと、彼らはたちまち冷静さを取り戻す。

 ぴょこん、と布団から顔だけを出し、可愛く首を傾げた天を見て、白熱しかけた二人ともが癒やされてしまったのだ。


「なんでここに潤くんがいるんだ? ていうか、時任さんと潤くんって知り合いだったの?」
「え、…………」
「あっ…………」



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