上 下
92 / 206
究明

しおりを挟む



 うるさい鼓動が和彦に伝わってませんように。

 俺は、ギュッと締め付けられる胸の痛みに顔を歪めて和彦を見上げた。


「うん。食堂行ったら居たよ。九条君と三人で昼ごはん食べた。一緒に食べよって約束してたのに、和彦は居なかった」


 ……余計な事を言ってる自覚は、あった。

 遠回しに罪の意識を感じさせようとするなんて、俺はなんて意地悪で意気地無しなんだ。

 でも、和彦が気付いてくれなきゃ自分で言わないといけなくなるだろ。

 〝寂しかった〟

 この一言を受け入れて口に出すには、俺は経験値が無さ過ぎるんだよ。

 和彦に限ってそんな事はないと思うけど、万が一にも「何言ってるんですか」なんて言いながら鼻で笑われたら、……どうしたらいい?


「あ、えっ? それは、……ごめんなさい。明日は必ず……」
「居なかった。俺をほったらかして、和彦、どっか行った」


 顔を覗き込まれて視線が合っても、俺は逸らさなかった。

 意思を持って見詰めていると、色素の薄い茶色い瞳に吸い込まれそうになる。

 際立つ甘い匂いにクラクラしてきて、目眩まで起こしそうだ。

 こんなに俺の胸を息苦しくさせてるくせに、ほっぺたを包む和彦の手のひらは温かくて落ち着くなんて、体と心が忙しいよ。


「え? あ、あの……ごめんなさい……。その事についてはちゃんと説明を……」
「楽しみにしてたのに。何も知らない世間知らずの和彦と食堂で一緒にごはん食べるの、すっごく楽しみにしてたのに」
「……な、七海さん……?」


 俺は、言い出せない一言を心に宿らせているからか、和彦が狼狽するような事をポロポロと口走ってしまう。

 ──やばい。自分の中の冷たくなり始めた部分から、感情が迫り上がってくる。

 出会ってすぐから俺の事を気にしてたんなら、なんで今日、俺を一人にしたんだよ。

 風邪薬入れたのなんか、翌日ほんとに具合悪かったしちょうど良かったじゃん。

 あの後も特に体調の変化は見られなかったんだから、過去のやらかしよりも今日のほったらかしの方が最低だ。

 俺に「寂しい」って感情を抱かせた、和彦が悪い。


「和彦も同じ気持ちだって信じてたのに。俺をひとりぼっちにした。こんな時間まで連絡もしてこなかった」
「ご、ごめんなさい。……そんなに……寂しかったんですか?」
「──へっ!? ……あっ、いや、違う! 何言ってんだろ、俺……! はは……っ」


 俺の愛想笑いを見た和彦の目尻が、少しずつ下がっていく。

 穏やかな手のひらでゆっくりと頭を撫でてくれた和彦は、何もかも知ったような顔でふわりと俺を抱き締めた。


 どうしよう……。俺、止まらなかった……。


 分かって。気付いて。この思いに囚われて、必死で和彦に詰め寄っていた。

 思惑通り気付いてくれたのはいいけど、それはそれで羞恥しかない。

 なんだ……?

 なんでこんなに、どうしようもない気持ちになるんだ……?


「可愛い……」


 やっぱり、気付いてくれなくて良かった。

 和彦の呟きと抱擁に、上手かったはずの愛想笑いも見事に引き攣って身の置き場がない。

 溢れ出しそうだった「寂しかった」の気持ちが和彦に届いたと分かるや、俺はこの部屋から一目散に逃げ去りたくなった。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 顔が熱くてしょうがなくて、実際に逃げようとした俺の体を抱き上げた和彦は、ほっぺたを擦り合わせてずっと「可愛い」を連呼している。

 再び抱っこされて行き着いた、続き部屋の扉の向こうにベッドが見えた瞬間──もっと顔が熱くなった。


「わわわ……っ、ちょ、どこ行くんだよ!」
「ベッドです」
「何でだよ! 嫌だって言ったろ! そ、それに俺が怒ってた理由まだ言ってな……」
「もう聞きました」
「え!? 言ってないけど! ……ん!」


 和彦に抱かれたままベッド脇に腰掛けると、すぐに唇を奪われる。

 舌は入れてこなかったけど、和彦の両手が俺の服を脱がそうといやらしい画策をしていて、うるさかった鼓動すら耳に入らなくなった。

 些細な抵抗もむなしく、やすやすと上半身を裸に剥かれて押し倒された俺は、ふっと優しげな笑みを向けられて生唾を飲み込んだ。


「たった今言ってたじゃないですか。僕の風邪薬の話がどこかへ飛んでいっちゃいましたね。七海さんが拗ねていたおかげで命拾いしちゃった」
「そ、その件に関しては怒ってるぞ!」
「ふふっ……僕はもう七海さんを手に入れちゃいましたから、どれだけ怒られても正当化する事が出来ます。言い訳なんかしない。僕は七海さんの事が欲しかった。それだけなんです」
「ちょ、っ……和彦! 下を……っ、ぬ、脱がそうとするな!」
「七海さんがプンプン怒っていた理由が可愛くてたまらないので、初めての続きをさせてください」
「……っ!? そんな……心の準備させてよ! いきなりは無理……っ……んぁっ……っ!」


 寂しかった──。それが和彦に伝わったからって、どうしてすぐにこういう事になるのか分からない。

 肌を撫でられるだけで、そこから体温の混ざり合いが始まる。……声が出てしまう。

 絶対的に経験値が低いんだよ、俺は。

 頭の中は整理が追い付かないし、胸はずっと苦しいし、心は羞恥にまみれている。



 だから、和彦が盛った風邪薬、効き目が薄くてもいいから今の俺にちょうだい。

 この動悸と含羞が少しでも治まるのなら、今、それを俺に盛って──。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:24,040pt お気に入り:1,349

異常性癖者たちー三人で交わる愛のカタチー

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:163pt お気に入り:264

悪役令嬢の中身が私になった。

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:617pt お気に入り:2,628

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,039pt お気に入り:2,474

言いたいことはそれだけですか。では始めましょう

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,183pt お気に入り:3,569

悪役令嬢になったようなので、婚約者の為に身を引きます!!!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:1,057pt お気に入り:3,276

冒険旅行でハッピーライフ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:370pt お気に入り:17

処理中です...