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レーニア視点

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 あれから、幼馴染とはいえ恋人に女の影があるのは良い気はしないだろうし、彼に会いたくなかったから、領にこもって仕事に没頭した。
 時間があると、つい彼の事を考えてしまう。
  そして、告白できずにモタモタしている間に、完璧にフラれた事実に傷ついて涙がとまらなくなるから、忙しいほうがありがたかった。

 数か月経っても、やっぱり長年の初恋を忘れられずにいた。でも、いい加減諦めて結婚しなければいけない。
  宰相閣下の補佐をしているお父様に、お相手を頼もうかなとようやく思え始めた頃、おばさまから、テーノの様子がおかしいという知らせが届いた。

 わたくしじゃなく、彼女を呼び寄せたらいいのにと思いながらも、彼が心配になった。

  なんだかんだで諦めの悪い私は、最後になるだろうし、ひとめだけでも会いたくて五ヶ月ぶりに彼の家を訪れた。


「まあまあ、久しぶりね! ありがとう、よく来てくれたわ。わたくしじゃどうしようもなくて……。レーニアさん、相変わらず忙しいの? 少し痩せたのではなくて?」

「夏の暑さがずっと続いていたからか、少し疲れたのかもしれません。おばさまこそ、すっかり痩せてしまって……」

 メールのやり取りはしていたものの、久しぶりに会ったおばさまは、一回り小さくなったように思えた。

  わたくしたちチンチラの獣人は精神的に弱いし、すぐに胃腸に来てしまう。食べ物によっては口の中が爛れるし、食事にもかなり気を付けなければならない。

  あまりにショックを受けすぎると天に召される子もいるのだ。

  ストレスがかかりすぎて、何か消化器系の病気でも患っているのかと心配する。

「まあ……相変わらず他人の心配ばかりね。何をしているのか、最近は楽しそうに遊びに行っていたあの子が、仕事以外部屋から出て来ないのよ。誰にも会おうとしてくれず、食事もほとんど食べてくれなくて……そのせいかお腹や胃の辺りが痛くて……。胃腸薬を処方されているから大丈夫よ」

 テーノは、恋人ができた事をおばさまたちに伝えていないのかしら?

 あんなにも嬉しそうだったし、とっくに紹介して婚約でもそろそろするのかと思っていた。
  おばさまの事だから、彼に恋人が出来たのなら、ラッテさんという彼の恋人を呼んでわたくしを呼ばないだろう。彼女と一緒にハーティを支えて、こんなにも心配してやつれる事はないはずだ。


「それは……本当にお大事になさってくださいませね。おばさまにまで会わないなんて、一体何が起こったのでしょう……」

「薬を貰ってからはほとんど痛みも治まって来たから大丈夫よ。ただ、あの子が何を聞いても答えてくれなくて。本当に何が何だかわからないのよ。今までは落ち込んでも、食事だけはとっていたのだけれども。こんなあの子を見るのは、高等部を卒業した頃以来かしら……。あの時は、なんとか自力でほら、あなたのいう事ならなんだかんだで、聞いてくれていたでしょう? もうレーニアさんしか頼れる人はいないの……わたくしったら、本当に情けない母親で……」

「そんな事はありません。おばさまは一生懸命テーノを育てていたじゃないですか。きっと、親には言いにくい事があるのかもしれませんし、応えてくれるかどうかわかりませんが彼に声をかけて来ますわ」

「あ、ごめんなさい。こちらの事情ばっかり話をしてしまって……来たばかりで疲れたでしょう? すこしお茶を飲んで……」

「いえ、おばさまがそんなにも心を痛めるほどですもの。今すぐテーノの所に行ってきます」

 わたくしたちは、立ったまま会話をしていた。いつもなら、しっかりものの子爵夫人としてこんな不手際など起こさない。そんなおばさまが、こんなにも心配しているのだから、思った以上に状況は悪いのかもしれない。

 ドキドキする。彼と会うのが怖い……。でも、会いたいとも思う。こんな気持ちは、高等部卒業後、再びこの家に訪れるようになって彼と再会した時以来だ。

 わたくしは、大きく胸いっぱいに息を吸った。ゆっくり、気持ちを落ち着かせるように、胸に手を当てて吐き出す。

  意を決して扉をノックした。

「テーノ……。わたくしよ」

 返事がない。そっと中の気配を探るけれど、気配なんてわからないし、微かな音すらしなかった。

コンコン

「テーノ、久しぶりね。どうしたの? おばさまがたも心配なさっていらっしゃるわ? わたくしもテーノの様子を聞いてこうして来たの。どうか、ほんの少しでいいから、顔だけでも見せてくれないかしら?」

 何度か声をかけても返事すらない。部屋の中は無人かのように静まり返っているから、ひょっとしたら眠っているのかもと思って、おばさまの所に戻ろうとした時、扉がゆっくり開いた。

「テーノ……」

 あんなにも会いたくなくて、会いたかった人が目の前にいる。わたくしはこうして会えた喜びよりも、げっそりやつれて目の辺りも頬もくぼんだ彼の顔を見て、そんな浮ついた気持ちが吹っ飛んだ。
 彼がこんなにも苦しんでいたというのに、わたくしは自分の気持ちばっかりで、彼の事を全く気遣っていなかったと歯噛みする。

「……レーニアか」

 ひょっとしたら、扉越しだったからラッテさんだと思って顔を見せてくれたのかもしれない。そう思ったら胸が張り裂けそうになる。だけど、そんな事よりも、彼女じゃなくてわたくしが来た事に申し訳ない気持ちになった。

「……」

ラッテさんじゃなくて、悪かったわね

わたくしで残念だった?

ごめんね、わたくしなんかが来て

一体どうしたって言うの?

 心の中で、いろんな言葉が駆け巡る。でも、どれも口から出る事はなかった。
 暫く、部屋と廊下の境界線越しに、お互いにじっと見つめ合っていたところ、テーノがぐらりと倒れそうになる。

「テーノ……!」

「……ごめん、ちょっと人間の姿を保ってられない……」

「こんな時にまで無理しないで。わたくしの事はいいから、早く本性に戻って」

「うん、すまない」

 そのまま床に倒れそうになる大柄な彼は、痩せていてもかなり重い。どちらかというとチンチラの姿に変身してもらえるほうがありがたかった。

 ばさばさと、来ていた服が床に落ちる。上着の中で、チンチラがぐったりしているのを見つけ出し、そっと持ち上げた。

「チゥ……」

「うん、うん……。情けないなんて、親子そろってそんな事言わないで。こんなになるまで閉じこもるなんて……何があったのか知らないけれど、あなたは大馬鹿者よ……」

「チチ」

「謝らなくていいから。テーノ、わたくしでよかったらこのまま側にいるわ。だから眠って。水は? 欲しくない?」

 本当に、一体何があったのだろう。ズタボロの彼が、このまま衰弱して二度と会えなくなりそうな気がして涙がぼろぼろ出て来た。水を欲しがったので、部屋にあったお白湯をゆっくり口元に運んだ。

「チ……チ……」

「泣くなったって。誰が泣かせてると思ってるのよ……おやすみなさい」

 あんなにも艶やかで滑らかだった毛並みが、まるで大病を患っているかのようにぼろぼろになった彼の体をそっと撫でる。すると、うっすら開いていた瞼が徐々に落ちて行き、眠りについたようだった。

「テーノ……テーノ……」

 わたくしが、前のように来ていたらこんな事にはならなかっただろうか、と後悔が私を責め立てる。

「チチ……」

「ええ、レーニアはここにいるわ。ちゃんといるから、小さな頃のように、そのまま夢の中で遊びましょうね……」

「チ……」

 うつらうつら、わたくしの膝の上で夢現を繰り返している彼が、寝言でわたくしの名前を呼んでいる。胸がきゅうって締め付けられるように苦しくて、ラッテさんじゃなくて、おばさまでもなくて、わたくしの名が出た事が嬉しい。今は、そんな事を考えている場合じゃないのに……

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