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「18になったそうね」

 美しく儚げな伯爵夫人は、ソファに寄りかかりながら、フェルミを見ようともせず口を開いた。フェルミには見えないが、扇で隠されている口元が歪んでいる。

「はい、慈悲深い伯爵様ご夫妻のおかげでございます」

 フェルミは、歓迎されていないと瞬時に悟った。そして、頭を下げてお礼を言う。その声ですら聞きたくないと言わんばかりに、伯爵夫人は不快さを露わにしていた。

「お前に特別な嫁ぎ先を用意してあるの。その身ひとつで良いと言ってくださってるから、今すぐ行きなさい」
「え? どういうことでしょうか?」

 フェルミは、この挨拶が終わり次第、小さなトランクに荷物をまとめて世界に旅立とうとしていた。

 ファーリはごまかそうとしていたけれど、日ごろの言動から、伯爵夫人に相当嫌われているのは知っていた。今日まで生きて来れたのは、窮地を救ってくれた伯爵のおかげであることもわかっており、伯爵にはお礼を言いたいと思っていたがそれどころではなさそうだ。
 
(結婚? このまますぐに嫁ぐって?)

「誰が質問をしていいと言ったの。全く、なんて生意気で身の程知らずな……。しかも、頭まで悪いなんて、どうしようもないわね。メイド長、さっさとソレをバスタ子爵家に連れて行きなさい」
「かしこまりました、奥様」

 フェルミは二の句も告げる間もなかった。メイドたちに腕を取られて、引きずられるように部屋から追い出される。

「あの、あの、あの……。私、結婚なんてそんな。すぐに、ここを出ていきますから……」
「お嬢様、良かったですわねぇ。ラート様は、次期子爵で、とてもご立派な方なんですってぇ。夫君のお名前くらい、道中で覚えてくださいねぇ? まさかとは思いますが、結婚という言葉をご存じなかったり?」

 結婚という単語は知っている。フェルミだって、愛する男性との家庭を夢見ていたりもした。不相応で大それた願いだとしても。
 でも、自分のあずかり知らぬところで勝手に決められて、しかもすぐに嫁げとはどういうわけなのか。

 ぐいぐい引っ張られる腕も肩も、キシキシ音が鳴りそうなほど痛い。それよりも、理不尽な対応を強いられる心のほうがもっと痛かった。

「待ってください! このこと、伯爵様はご存じなの? お嬢様の全権を任されている執事さんもいない日に、いきなり嫁げだなんて、こんなのおかしすぎます!」
「ファーリ、お前も一緒に行くんだよ。全く、お前が、料理長や男の人たちをだまして金品をまきあげていたのはわかってるの。平民は、やることが野蛮で恐ろしいわね。前メイド長も、さぞ苦労なさったでしょうね」
「前のメイド長たちは、やってはならないことをしていたからでしょう?」
「奥様のご命令を粛々とされていただけよ? だから言ったでしょう? もっと周りを見ろって。ここでは奥様が絶対なの」
「そんな……!」

 フェルミの後ろで、ファーリが意見を言ってくれている。だが、ここでは平民であるファーリに、発言権はほとんどない。必死に止めようと頑張っているがどうすることもできなかった。

どんっ!

 背中を押されるように馬車の床に投げ出された。倒れたフェルミの上に、無理やり連れて来られたファーリも乗せられる。

「ま、待って……!」
「何すんのよ! お嬢様、大丈夫ですか?」

 ファーリが、狭い場所で立ち上がらせようとしたが、がたんと馬車が動き出した。激しい揺れのために、うまく体が動かせない。体に、堅いソファの土台が当たり息がつまる。

 呆然自失で動けないフェルミと違い、ファーリは窓をどんどん叩いて叫んだ。

「あ、あたしの貯めていた全財産がああああ! ちょ、退職金は? 無一文で放り出すとか、この、泥棒! 詐欺師ーっ! 悪徳伯爵家めー! かーえーせー!」

 こだましそうなほどのファーリの魂の叫びは、すさまじい速度で走り抜ける馬車の轟音にかき消されてしまった。

 どうにもできない現状に、やっとの思いでソファに腰をかける。対面で座った双方は、一方は無気力で表情が抜け落ちており、一方はいらいらと爪を噛んでいた。

「くそ、やっと結婚できると思ってたのに……! お嬢様だって、牢獄のようなあの場所から、世界に旅立とうとしていたんだから、見送りはなくても、そっと送り出してくれれば良かったのに!」

 フェルミは、ファーリが涙ぐみながら悔しそうに言うのをぼうっと聞いていた。そして、契約違反をしたのはあっちなんだからと、出自を知らされたのである。

「私が、伯爵様の子供? しかも、さっきの伯爵夫人がお母様だなんて、そんな……。うそ……」
「嘘じゃありません。伯爵様は、お嬢様の髪の色も瞳の色も受け入れなさったそうです。お嬢様のスキルのことも、先代伯爵様と奥様の決定がなかったら、きっと娘としてきちんと育ててくれてたと思うんです。ただ先代伯爵様と奥様が……」

 ファーリは、怒りのあまり、フェルミの気持ちを考えずにうっ憤を吐き出すように真実を伝えていった。ところが、静かに頬を涙で濡らすフェルミを見て、彼女を傷つけるだけの失言に気づいて唇を閉じる。

「私は、孤児じゃなかったのね……」
「……」
「おかしいと、思っていたの。だって、お嬢様ってファーリが言ってくれているけど、貴族のご令嬢なら、たとえ孤児であっても、どこの家の子かくらいわかるはずなのに、私は天涯孤独みたいな扱いだったでしょ……」

 フェルミの視線が、ファーリから自身の膝に落ちた。スカートに雫がぽろりと落ちて染みを作る。

「もしかしたら、伯爵様と、その、日陰の身の女性との間に出来た、許されない子供なのかなって、思ったり。ほら、本であったでしょう? 私と同じように、隠されて育つ愛人の子が、本妻やそのご令嬢にいじめられながらも懸命に生きて、王子様に見初められて幸せになったりするお話」
「……」


 独り言のようなフェルミの言葉は、これまで彼女が疑問に思い、考えあぐねても口に出さなかったものだ。フェルミは、ファーリの無言が肯定の返事だと思った。

「そっか、そっかぁ……。わた、し……。あの家の、こども、だったんだね……。おとうさま、も、お、かあ、さまも、いて。さっき会った、のは、い、いもうと、と、おとうと、かな?」
「お嬢様……。あの、あたし……あたし、余計な事を言って、申し訳……」
「謝らないで……。ファーリは、何もわるくない、よ? なんにも……。わるいのは、うまれてきた、わ、わたしだから……」
「そんなことありませんから……」
「いいの……。もう、いいの……」

 これまで、どれほど家族と言うものを切望しただろう。それは、自分を受け入れて抱きしめてくれる温かい場所であって、家という「冷たい箱」ではない。
 本当なら、どこの誰よりも愛してくれるはずの彼らにとって、自分という存在は、一秒でも会いたくないほど否定したいものだったのだろうか。

 不思議と、体を引き裂かれそうなほどの悲しみや苦しみはない。

 ふたりを乗せて無情にも進む馬車は、暗闇という明日に向かっているかのようだ。

 フェルミは、ただただ、なぜか流れる涙で頬を濡らしながらも、嗚咽ひとつ零さなかった。

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