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馬車に乗せられてから、どれほど時間が経ったのだろう。お昼はとっくに過ぎ、太陽は西に沈み始めている。
いくら、腰やお尻が痛いと申し出ても、それは止まることがなかった。
ガタンと大きな音ともに、体が前方に引っ張られる。いつの間にか眠っていたファーリが、フェルミに向かって倒れそうになった。
「い……たたたっ。首がいたーい……。ようやく止まったのね。あ、お嬢様、大丈夫ですか」
フェルミは、座りながら熟睡していたファーリのあり得ない首の傾きを何度も戻していたが、効果はなかったようだ。自分に巻き込まれただけの、首に手を当てて辛そうにしている彼女に、申し訳なくなった。
「ええ。ファーリ、私と一緒にいただけで、あなたまでこんなところまで連れて来られちゃったね。ごめんなさい。あのね、事情を説明すれば、ファーリだけでも帰れると思うの。だから、このまま馬車に乗っていて」
「ええ? そんな……」
「来る途中に、ファーリが言ってくれてたじゃない。ひょっとしたら、行く先では親切にしてくれるかもしれないって。今まで以上に悪くなることなんてないって」
フェルミは、彼女がこれからの自分を心配してくれていると思い、なんとか前向きな言葉で心配かけまいとした。だが、ファーリにはそんなフェルミの心などお見通しだ。それに、今までよりもひどい目に合う可能性も高く、とてもフェルミひとりにはさせられないと考えていた。
しかも、自分もあの家では相当嫌われている。戻ったところで未来はないだろう。
「いいえ! 絶対に、意地悪な御者が乗せてくれませんって。このまま帰ったところで、伯爵家に着いた途端、不審者として捕まるのがオチですよ。こうなったら、ここでもお嬢様と一緒にいます!」
ファーリの言葉は、とても心強い。本音を言えば、彼女に側にいてもらいたかった。しかし、自分も成人したからには、いつまでも甘えてばかりはいられない。
「ファーリ……ありがとう。でも、料理長さんは? もうすぐ結婚するんでしょ? ひょっとしたら、迎えに来てくれるかも。そうしたら、私のことよりも、ふたりの新生活のことを考えてね」
「あー、無理無理。あいつもお貴族様のおぼっちゃまですもん。上のお貴族様不興を買ってまで独立なんてしませんよ。独立するお店の下準備も終わってるし、こんな遠く離れた場所になんか来やしませんって。そんな頼りがいのある男なら、とっくにあたしを連れて開業しています。しばらくしたら、そこそこいいところのお嬢さんと結婚しちゃいますって」
ファーリの目が、一瞬宙を泳ぐ。そして、肩をすくめてフェルミに言った言葉は、自分に言い聞かせるようだと思った。
「……ファーリはいいの? 本当に?」
「うーん。なんというか、これはこれで、それまでの縁だったってやつなのかなって。どっちにしても、迎えに来てくれるかどうかわからない王子様を待つより、あたしが王子様を迎えに行きます。それこそ、お嬢様と、世界中を旅してでも」
「そっか」
「はい。ですから、中からお迎えが来ているようですし、行きましょうか!」
フェルミは、ファーリのようにはとてもなれないと思った。彼女の前向きな気持や行動力の半分、十分の一でもあれば、今頃はどうなっていたのだろう。
(ファーリだって、明るく振る舞っているけれど、とても辛いはず。なのに、こうして、私のために笑ってくれるのね……)
フェルミは、ファーリのその気持ちに応えるためにも立ち上がった。
ふたりが馬車を降りると、そこには黒の燕尾服を着た執事がいた。30代半ばのその執事は、目元に優しさがあるように見えた。フェルミとファーリに、うやうやしく頭を下げたのは、彼が初めての人だった。
「ようこそお越しくださいました。長旅でお疲れでしょう。どうぞ、こちらへ」
執事の言動に、フェルミは驚愕した。ファーリは、面白そうに唇を尖らせて口笛を吹くマネをしている。初めてフェルミを見る人は、必ずと言っていいほど眉をしかめた。それは、料理長たちだって例外ではない。
(私のことを、聞いていないのかな?)
ファーリが言うには、髪や瞳の色は、異質ではあるものの、それほど珍しくはないらしい。ということは、フェルミが嫌われる最大の原因であるスキルのことを知らないのだろう。
(知ったら、この人も……)
フェルミがこれまで会った人は、伯爵夫人のように、一瞬会った人物を含めても20人に満たない。それが、彼女にとって世界の全てだった。
その彼らのように、自分たちを気遣って案内する彼もまた、冷たい視線と言葉を投げかけてくるだろうと、そう確信していたのである。
いくら、腰やお尻が痛いと申し出ても、それは止まることがなかった。
ガタンと大きな音ともに、体が前方に引っ張られる。いつの間にか眠っていたファーリが、フェルミに向かって倒れそうになった。
「い……たたたっ。首がいたーい……。ようやく止まったのね。あ、お嬢様、大丈夫ですか」
フェルミは、座りながら熟睡していたファーリのあり得ない首の傾きを何度も戻していたが、効果はなかったようだ。自分に巻き込まれただけの、首に手を当てて辛そうにしている彼女に、申し訳なくなった。
「ええ。ファーリ、私と一緒にいただけで、あなたまでこんなところまで連れて来られちゃったね。ごめんなさい。あのね、事情を説明すれば、ファーリだけでも帰れると思うの。だから、このまま馬車に乗っていて」
「ええ? そんな……」
「来る途中に、ファーリが言ってくれてたじゃない。ひょっとしたら、行く先では親切にしてくれるかもしれないって。今まで以上に悪くなることなんてないって」
フェルミは、彼女がこれからの自分を心配してくれていると思い、なんとか前向きな言葉で心配かけまいとした。だが、ファーリにはそんなフェルミの心などお見通しだ。それに、今までよりもひどい目に合う可能性も高く、とてもフェルミひとりにはさせられないと考えていた。
しかも、自分もあの家では相当嫌われている。戻ったところで未来はないだろう。
「いいえ! 絶対に、意地悪な御者が乗せてくれませんって。このまま帰ったところで、伯爵家に着いた途端、不審者として捕まるのがオチですよ。こうなったら、ここでもお嬢様と一緒にいます!」
ファーリの言葉は、とても心強い。本音を言えば、彼女に側にいてもらいたかった。しかし、自分も成人したからには、いつまでも甘えてばかりはいられない。
「ファーリ……ありがとう。でも、料理長さんは? もうすぐ結婚するんでしょ? ひょっとしたら、迎えに来てくれるかも。そうしたら、私のことよりも、ふたりの新生活のことを考えてね」
「あー、無理無理。あいつもお貴族様のおぼっちゃまですもん。上のお貴族様不興を買ってまで独立なんてしませんよ。独立するお店の下準備も終わってるし、こんな遠く離れた場所になんか来やしませんって。そんな頼りがいのある男なら、とっくにあたしを連れて開業しています。しばらくしたら、そこそこいいところのお嬢さんと結婚しちゃいますって」
ファーリの目が、一瞬宙を泳ぐ。そして、肩をすくめてフェルミに言った言葉は、自分に言い聞かせるようだと思った。
「……ファーリはいいの? 本当に?」
「うーん。なんというか、これはこれで、それまでの縁だったってやつなのかなって。どっちにしても、迎えに来てくれるかどうかわからない王子様を待つより、あたしが王子様を迎えに行きます。それこそ、お嬢様と、世界中を旅してでも」
「そっか」
「はい。ですから、中からお迎えが来ているようですし、行きましょうか!」
フェルミは、ファーリのようにはとてもなれないと思った。彼女の前向きな気持や行動力の半分、十分の一でもあれば、今頃はどうなっていたのだろう。
(ファーリだって、明るく振る舞っているけれど、とても辛いはず。なのに、こうして、私のために笑ってくれるのね……)
フェルミは、ファーリのその気持ちに応えるためにも立ち上がった。
ふたりが馬車を降りると、そこには黒の燕尾服を着た執事がいた。30代半ばのその執事は、目元に優しさがあるように見えた。フェルミとファーリに、うやうやしく頭を下げたのは、彼が初めての人だった。
「ようこそお越しくださいました。長旅でお疲れでしょう。どうぞ、こちらへ」
執事の言動に、フェルミは驚愕した。ファーリは、面白そうに唇を尖らせて口笛を吹くマネをしている。初めてフェルミを見る人は、必ずと言っていいほど眉をしかめた。それは、料理長たちだって例外ではない。
(私のことを、聞いていないのかな?)
ファーリが言うには、髪や瞳の色は、異質ではあるものの、それほど珍しくはないらしい。ということは、フェルミが嫌われる最大の原因であるスキルのことを知らないのだろう。
(知ったら、この人も……)
フェルミがこれまで会った人は、伯爵夫人のように、一瞬会った人物を含めても20人に満たない。それが、彼女にとって世界の全てだった。
その彼らのように、自分たちを気遣って案内する彼もまた、冷たい視線と言葉を投げかけてくるだろうと、そう確信していたのである。
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