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35 困った雇い主
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カインは、うつむいてレモン水を見続けているフェルミの白い首筋を見下ろした。思った以上に無防備な彼女に気づかれないように、小さなため息を吐く。
(いくらなんでも、この落ち込みようは、おかしくないか? 参ったな……)
カインは、この世の終わりだと言わんばかりのフェルミを見て首を傾げた。言ってしまえば、たかが酔っぱらったために醜態をさらしてしまっただけだ。恥じ入ってもすぐに気を取りなおすだろうと思っていたのに、彼女の目からは涙が流れ続けたまま止まりそうにない。
(どうも調子が狂う……)
カインにとっての女性像というのは、やはり自国にいる令嬢たちだ。一番よく知る彼の母は、艶やかで火の化身のようだ。家を継いだ兄の嫁も、母に似て煌びやかで、はっきり意見を言う。考えるよりも先に手が出ることも多い。
フレイム国の女性は、基本的に感情の起伏が激しい。喜んでいる時は、ぱあっと花火が打ち上がり、悲しい時は、その感情を数倍にして相手にぶつけてくる。怒った時など、噴火のようで迂闊に近寄れないほどだ。
男性にアプローチをするのもあからさまで、今回のようなケースだと、言葉に甘えてベッドで寝ようものなら、間違いなくカインに女性が襲ってきただろう。下手をすれば、飲み物にアルコールを追加で混入されて、酔い潰されていたのはカインのほうだったかもしれない。
フレイム国以外で出会った女性たちも、その国の気質を持つ人が多い。グリーン国では、穏やかで微笑んでいる女性が多いと感じていた。
今回の任務中も、幾度となく女性からそれとなくアプローチをされたことがある。
カインは、騎士として鍛えている。均整の取れた、ともすれば色気のあるその肉体は、騎士服を着ていても魅力的だ。ラフな服装なら、努力に見合った胸板や、締まった腰回りが浮き彫りになる。行く先々で女性の注目を浴びてきたし、夜の女神と称される、美しい闇の国の王女から求婚されたこともあった。
カインにとって、化粧や香水で飾られた女性という存在は、煩わしいものでしかない。女性と過ごすくらいなら、仕事をしていたほうがマシだと思っていた。
だが、フェルミのように、カインを男として全く意識せず、純粋に護衛として接してきたり、自分の感情を押し殺そうとして耐えている女性と出会ったのは初めてだった。
(おいおい、女性からの相談など、男と上手くいっていないとかしか聞いたことがないぞ)
カインは神父や医者でもなんでもない。出会ったばかりの護衛ごときに、本気の心の悩み相談や人生相談をしてくるフェルミが、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
(こういう時、どうすればいいんだ?)
カインは、途方に暮れた。フェルミは、今回の雇い主でもある。それに、今まで出会ってきた女性のように、適当にあしらう気にはなれなかった。
どこにでもあるような、思いつく限りの当たり障りのない言葉で慰めようとしたが、しばらくの間フェルミの目から涙がなくなることはなかった。
話が尽きてしまい、ほとほと困り果てた。カインは、優しく頭を撫で続けながらも、19歳の女性にこれは失礼なんじゃないかと思ったり、そもそも、同じベッドで腰をかけるなど、自分のほうがフェルミに対していかがわしい下心満載のようではないかと焦ったり、内心は迷子のようにうろたえ続けていたのである。
その時、フェルミのお腹から、かわいらしい音がした。時計を見ると、もうすぐ昼食の時間になる。
「きゃぁ! あ、あの。あの……」
恥ずかしさのあまり、フェルミは涙がひっこんだようだ。耳から白い首筋まで真っ赤になっている。慌ててシーツで顔を隠された。
それと同時に、頭を撫でていたカインの手が彼女から離れる。手のひらの柔らかい感触が消えてしまい、残念に思った。
(やっと泣き止んでくれたか。それにしても……)
かわいいな
思わず、口の中でそんなことをつぶやきそうになった。
(馬鹿なことを。彼女は護衛対象なんだぞ。有り得ん!)
出会ってから、まだトータル24時間も経っていない。フレイム国につけば契約が終わる。カインは心に住み始めた彼女の面影を振り払った。
シーツに隠されていない髪が、太陽の光を浴びて薔薇色に輝いている。美しい髪に、先ほどまで触れていたのかと、自分の手のひらを感慨深く眺めた。
ふと、手が寂しく思えて、無意識に彼女の髪に指先が伸びていく。シーツに落ちた、長い毛先を人差し指でくるりと巻き付けて遊ぶ。
くぅ~
再び、かわいらしい音がシーツの中から聞こえてきた。はっと我に返って手を引っ込めた。
「フェルミさん、落ち着いたのなら、食事に行かないか? 実は、腹がぺこぺこで」
実際はあまり空いていない。だが、こう言ったほうが彼女が動きやすいだろう。おずおずと、シーツから顔を出した彼女の目は赤くなっていたが、にこっと小さく笑ってくれた。
「ふふ、ありがとうございます。身支度しますね」
何に対しての「ありがとう」なのか。酔っぱらったことへの介抱なのか、彼女の話に、役に立たなさそうな言葉を綴ったことなのか、それとも、お腹の音を聞かなかったふりをしたことなのか。
相変わらず、彼女の瞳には、自分に対する信頼と尊敬しかない。そのことが誇らしくもじれったくもあった。ちりっとする胸の一部に気づかぬふりをして、寝室から出た。
扉を背にして、顔に手を当てる。どうにもコントロールできない自らの心の一部をなんとかしようとすればするほど、背後からかすかに聞こえる衣擦れの音や、顔を洗う水の音がやけに大きく聞こえてきた。
手に残る、柔らかな髪の感触を思い出す。香水ではないというのに、髪の色の花のような柔らかな香りが、長い時間側にいたためか、体にまとわりついて離れないようだ。
「本当に、まいった……」
これまでのどの任務よりも、今回の雇い主が、一番やっかいで困った存在であることは、確かだった。
(いくらなんでも、この落ち込みようは、おかしくないか? 参ったな……)
カインは、この世の終わりだと言わんばかりのフェルミを見て首を傾げた。言ってしまえば、たかが酔っぱらったために醜態をさらしてしまっただけだ。恥じ入ってもすぐに気を取りなおすだろうと思っていたのに、彼女の目からは涙が流れ続けたまま止まりそうにない。
(どうも調子が狂う……)
カインにとっての女性像というのは、やはり自国にいる令嬢たちだ。一番よく知る彼の母は、艶やかで火の化身のようだ。家を継いだ兄の嫁も、母に似て煌びやかで、はっきり意見を言う。考えるよりも先に手が出ることも多い。
フレイム国の女性は、基本的に感情の起伏が激しい。喜んでいる時は、ぱあっと花火が打ち上がり、悲しい時は、その感情を数倍にして相手にぶつけてくる。怒った時など、噴火のようで迂闊に近寄れないほどだ。
男性にアプローチをするのもあからさまで、今回のようなケースだと、言葉に甘えてベッドで寝ようものなら、間違いなくカインに女性が襲ってきただろう。下手をすれば、飲み物にアルコールを追加で混入されて、酔い潰されていたのはカインのほうだったかもしれない。
フレイム国以外で出会った女性たちも、その国の気質を持つ人が多い。グリーン国では、穏やかで微笑んでいる女性が多いと感じていた。
今回の任務中も、幾度となく女性からそれとなくアプローチをされたことがある。
カインは、騎士として鍛えている。均整の取れた、ともすれば色気のあるその肉体は、騎士服を着ていても魅力的だ。ラフな服装なら、努力に見合った胸板や、締まった腰回りが浮き彫りになる。行く先々で女性の注目を浴びてきたし、夜の女神と称される、美しい闇の国の王女から求婚されたこともあった。
カインにとって、化粧や香水で飾られた女性という存在は、煩わしいものでしかない。女性と過ごすくらいなら、仕事をしていたほうがマシだと思っていた。
だが、フェルミのように、カインを男として全く意識せず、純粋に護衛として接してきたり、自分の感情を押し殺そうとして耐えている女性と出会ったのは初めてだった。
(おいおい、女性からの相談など、男と上手くいっていないとかしか聞いたことがないぞ)
カインは神父や医者でもなんでもない。出会ったばかりの護衛ごときに、本気の心の悩み相談や人生相談をしてくるフェルミが、何を考えているのかさっぱりわからなかった。
(こういう時、どうすればいいんだ?)
カインは、途方に暮れた。フェルミは、今回の雇い主でもある。それに、今まで出会ってきた女性のように、適当にあしらう気にはなれなかった。
どこにでもあるような、思いつく限りの当たり障りのない言葉で慰めようとしたが、しばらくの間フェルミの目から涙がなくなることはなかった。
話が尽きてしまい、ほとほと困り果てた。カインは、優しく頭を撫で続けながらも、19歳の女性にこれは失礼なんじゃないかと思ったり、そもそも、同じベッドで腰をかけるなど、自分のほうがフェルミに対していかがわしい下心満載のようではないかと焦ったり、内心は迷子のようにうろたえ続けていたのである。
その時、フェルミのお腹から、かわいらしい音がした。時計を見ると、もうすぐ昼食の時間になる。
「きゃぁ! あ、あの。あの……」
恥ずかしさのあまり、フェルミは涙がひっこんだようだ。耳から白い首筋まで真っ赤になっている。慌ててシーツで顔を隠された。
それと同時に、頭を撫でていたカインの手が彼女から離れる。手のひらの柔らかい感触が消えてしまい、残念に思った。
(やっと泣き止んでくれたか。それにしても……)
かわいいな
思わず、口の中でそんなことをつぶやきそうになった。
(馬鹿なことを。彼女は護衛対象なんだぞ。有り得ん!)
出会ってから、まだトータル24時間も経っていない。フレイム国につけば契約が終わる。カインは心に住み始めた彼女の面影を振り払った。
シーツに隠されていない髪が、太陽の光を浴びて薔薇色に輝いている。美しい髪に、先ほどまで触れていたのかと、自分の手のひらを感慨深く眺めた。
ふと、手が寂しく思えて、無意識に彼女の髪に指先が伸びていく。シーツに落ちた、長い毛先を人差し指でくるりと巻き付けて遊ぶ。
くぅ~
再び、かわいらしい音がシーツの中から聞こえてきた。はっと我に返って手を引っ込めた。
「フェルミさん、落ち着いたのなら、食事に行かないか? 実は、腹がぺこぺこで」
実際はあまり空いていない。だが、こう言ったほうが彼女が動きやすいだろう。おずおずと、シーツから顔を出した彼女の目は赤くなっていたが、にこっと小さく笑ってくれた。
「ふふ、ありがとうございます。身支度しますね」
何に対しての「ありがとう」なのか。酔っぱらったことへの介抱なのか、彼女の話に、役に立たなさそうな言葉を綴ったことなのか、それとも、お腹の音を聞かなかったふりをしたことなのか。
相変わらず、彼女の瞳には、自分に対する信頼と尊敬しかない。そのことが誇らしくもじれったくもあった。ちりっとする胸の一部に気づかぬふりをして、寝室から出た。
扉を背にして、顔に手を当てる。どうにもコントロールできない自らの心の一部をなんとかしようとすればするほど、背後からかすかに聞こえる衣擦れの音や、顔を洗う水の音がやけに大きく聞こえてきた。
手に残る、柔らかな髪の感触を思い出す。香水ではないというのに、髪の色の花のような柔らかな香りが、長い時間側にいたためか、体にまとわりついて離れないようだ。
「本当に、まいった……」
これまでのどの任務よりも、今回の雇い主が、一番やっかいで困った存在であることは、確かだった。
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