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 馬車でのカインの様子は、その日一日続いた。彼は平常通りだと言わんばかりにフェルミを甘やかしてくる。

 カインに連れられて入ったカフェで、二階の個室に案内される。小さな個室には、景色を楽しめるよう大きな窓があった。小さな二人がけのソファがあり、2時間貸し切りでオススメのデザートをいただくスタイルだ。

 夜だと、夜景がとても美しいらしい。カインに、手を取られて、夜にも来ようと言われて、好奇心に負けて頷いたものの、夜にこの場にくるのは恋人同士や夫婦だ。これはどういう意味なのかと、目を白黒させた。

 周囲と隔絶された狭い空間では、カインしかいない。見上げると、やっぱりカインはごくごく普通の様子で、自分だけが意識しているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 イチゴフェアをしていたので、甘酸っぱいイチゴのケーキとシェイクを頼む。

 カインは、出てきたスイーツを、当然のようにフェルミに食べさせる。自分でできると言っても聞いてくれなかった。

「フェルミさん、ついてる」
「はぇ? え?」

 甘酸っぱいイチゴの美味しさに夢中になっていると、耳元で、カインの熱い吐息とともに自分の名を呼ばれた。ただでさえ密着状態だったのに、やけに近い彼の唇の位置に、心臓がとまりそうなほどドクンと大きく跳ねる。

 唇がくっつきそうなほど近い場所で微笑む彼に、何度も勘違いしそうになった。

 悔しくて、カインにも「あーん」のお返しをすると、とても嬉しそうに普通に食べたので、仕返しにはならなかったようだ。

 店員から、記念のお土産に渡されたのは、ガヴァネスが依頼したものだ。これは、この店の個室を利用しないと手に入らない。
 ガヴァネスは、このことを知っていて、敢えて頼んだのだと理解すると、フェルミはなんとも言えない気持ちになった。

 帰りの馬車でも同様で、カインのイチゴのケーキよりも甘い態度に胸焼けしそうだ。

 フェルミは、今日一日で疲れてしまい、いつもよりもそっけない態度になってしまった。そんな彼女を見て、カインが慌てふためいてご機嫌をとってくるのが、なんだか楽しくなる。けれど、フェルミは今日のようなことは今回限りにして欲しいと、カインに自分の気持ちを伝えることにした。

「カインさん、今日はありがとうございました。でも、今後は、先生たちが頼んでも、こういったことはなしにしてくださいね」
「フェルミさん?」
「どう考えても、仕事とはいえやり過ぎだと思います」
「すまない、迷惑だったか?」
「いえ、迷惑というわけではありませんけれど、私には刺激が強いと言うか。とにかく、こういうのは、ちょっと……」

 飼い主に叱られて、しょんぼり耳を下げるわんこのようだ。そのまま訂正しなければ、もう二度と今日のようのことは起こらないというのに、フォローしてしまう。すると、今の今までしょんぼりしていたカインの顔が、ぱっと笑顔に変わった。

「そうか、わかった! 今日は、急ぎすぎたね。俺たちは、まだ始まったばかりなのに。なら、次からは少しずつして、コースも熟考して、フェルミさんに喜んで貰えるようにするよ」
「あー、えーと。それもちょっとちがうというか……。か、カインさん……あ、行っちゃった……」

 自分で納得して、カインは去っていった。あっという間に彼の姿が見えなくなる。本当に、言ってることを理解してるのかどうかと、一抹の不安がよぎった。

(えええ? 次もあるのかしら? デートの練習は、心が持たないわ。もう、懲り懲り……どうしよう……)

 カインのことは、どちらかと言えば好きだ。だが、フェルミにとってカインという存在は、頼もしい護衛であり素敵な騎士だ。外見も身分も申し分なく、強引だが性格だって良い。これで、好意を持たない女性はいないだろう。
 フェルミもまた、徐々に彼に惹かれている部分もある。しかし、産まれてから今までの境遇を思い出すと、どうしても男性との未来を描くことができないのであった。

 ガヴァネスたちに、カインとのことを報告し、頼まれたものを渡す。そして、カインがフェルミにやり過ぎたことを知り、完全に逆効果になっていると長いため息をついた。

「カイン卿って、モテるし女慣れしてそうなのに……」
「残念男子だったのね……」
「人選ミスったかしら?」
「でも、不器用男子だけど、その分一途なんじゃ?」
「カイン様も、デートの練習が必要かも」

 フェルミに聞こえないように、ガヴァネスたちがひそひそ話をする。次に、カインが来たら、フェルミのような女性へのスマートな対応を教えようと一致団結した。

 ところが、カインがフェルミのところに来ることがなくなった。

「え? 岩の国に?」
「はい。ひと月ほどカインは外します。ですが、ご安心ください。残った者たちで、きちんと護衛しますので」

 カインは、騎士団の仕事のために不在になったという。フェルミは、ほっとしたような、寂しいような気持になった。

 そして、ピスティとシアノが彼女を守る日、風の国の言葉で詩集を楽しむお茶会に参加した。ガヴァネスが及第点を出してくれたが、自分の発音が大丈夫なのか不安だったが、侯爵夫人が絶賛してくれた。周囲の令嬢や夫人たちも、フェルミがきちんとブリーゼ国の言葉を話したことに笑顔で拍手をする。

「素晴らしいわ、フェルミ様。まあまあまあ。世にも貴重なスキルをお持ちだけでなく、慣れない言語も操れるなど。ふふふ、私の息子が、あと10年成長していれば、是非うちに来てもらいたいくらいよ」
「過分なお言葉、痛み入ります。これも、先生や皆様のご支援のおかげです」

 公爵夫人の息子は、まだ3歳だ。10歳成長しても13歳。どう考えても釣り合わないので、侯爵夫人なりに緊張をほぐすための冗談を言ってくれたのだと思った。

 同じ年頃の令嬢や、すでに夫を持つ夫人たちとも打ち解け、その日のお茶会は大成功に終わった。

 胸が温かい。充足した時間を過ごして、フェルミはこの気持ちを誰かと共有したくなった。

(こういう時、カインさんがいてたら……そうしたら、一緒に喜んでくれて、いっぱい褒めてくれただろうな)

 ひとり座る馬車の中、いつも隣にあったぬくもりがない。自然と、カインの顔を思い浮かべた。

 その時、急に馬車が止まった。高く大きく、馬がいななく。

「なに? なんなの?」

 一体どうしたというのだろうか。尋常ではない外の様子を感じ、恐ろしくて自分の体を抱きしめた。

 金属がぶつかり合う音や、男たちの怒声が鳴り響く。シアノのくぐもった声が聞こえた。こうしてはいられないと、フェルミは窓から外を見た。すると、道端に、数人の男たちが横たわっており、その中に、シアノもいた。

「シアノさん、シアノさん? どうしたんですか?」
「フェルミさん、馬車から出ないでください」
「ピスティさん?」
「敵襲です。フェルミさんは、馬に乗れませんよね? 私がこのまま、馬車を動かして安全な場所に向かいます。今のところ、敵の追撃はありません。安心してください」
「て、てきしゅう……そんな……」

 フェルミは、ゲブリオ公爵やコーパから、自分が狙われていると説明されていた。だが、今までそういった気配が一切なかったので、どこか嘘のように感じていたのだ。これまでは、自分の知らない場所で騎士たちによって退けられていたのだと知り、愕然となった。

「シアノさんや、御者さんは……」
「まだ息があります。あとで騎士たちが救援に来ますから、ご安心を。フェルミさん、荒っぽくなると思うので、歯を噛み締めて、できるだけ頭を低くして体を守ってください!」
「わ、わかりました!」

 ピスティの大きな声に、条件反射のように体を縮こませる。今まで経験したことがないほど、馬車が揺れ動いた。それは、まるで自分に降りかかる厄災そのもののようだ。

(カインさん、たすけてっ!)

 フェルミは、一心不乱に、ここにはいない人物に助けを求めたのであった。
 

    
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