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 もうすぐ、隣国の全寮制の学園に行く事を、婚約者に手紙を出した。
 すると、すぐに会いに行くと返事が返ってきて、一番きれいなドレスを身に纏い彼を出迎えた。あの時は、まだ妹が来て間もなかったため、型は古くても、ぎりぎり上質のものがあった。

『あー……、久しぶりだね。こうして会うのは二度目だね。急に隣国に行くだなんて体は大丈夫なのかい?』

 やんわりと微笑んでいるけれども、なんと言っていいのか戸惑っている様子がわかる。

『侯爵様は、最近病弱で臥せっていた君が、やっと元気になって、隣国に行きたいからだと仰っていたけれど……』

 侯爵はわたくしを病弱だという事にして、彼にずっと会わせなかった。

 彼と会うのは、初対面以来の事だ。あとは、父が理由をつけて、会わせないようにしていたため手紙でやり取りをしていた。といっても、時事の挨拶がほとんどで、彼からの手紙は、封を開けられ他者が読んだ形跡があったが。



 彼は、母が追い出された後、権勢を誇っていた侯爵家があっという間に傾き、事業の失敗で借金をした頃に、わたくしと婚約をする事で資金援助を申し出てくれた子爵の令息だ。

 うちは借金返済と、今後の資金援助や領地経営のために。彼の家は、爵位目当てに結ばれたという、なんとも陳腐でありきたりの理由だ。

 ただ、ありきたりではなかったのは、わたくしの存在そのものだった。

 3つ年上の彼が両親に連れられてやってきたとき、わたくしの髪の色を見て眉をしかめて青ざめた事は鮮明に脳裏に焼き付いている。

 それ以来、彼は婚約者の務めだからと、忌み子であるわたくしに手紙を時々くれた。内心は、嫌で仕方がないにしても、そんな彼の親切で誠実な態度に喜んでいたのである。

 ほとんど会った事がなくても、手紙だけで十分だと思っていた。


「ねぇ、お姉さま? お姉さまの婚約者のクアドリさまって、とっても素敵ね。お姉さまとは3つ違いなんですって? お父さまったら、クアドリさまがあまりにもお気の毒だから、お姉さまとは一切会わせなくていいって仰っていたようよ? お姉さまは白い髪を持って生まれただけなのにね。クアドリさまもお姉さまも会えずにいただなんて……お気の毒だわ」

 眉をハノ字にして、さも悲し気にそう言いつつ、口元がにやけているラドロウの言葉はわたくしの心に突き刺さった。

 言われなくても分かっている。こんな忌み嫌われた存在を宛がわれた彼が可哀そうだなんて、誰よりもわたくしが分かっていた。

 自分に言い聞かせて納得しようとしていたのに、こんな風に他者から言われた言葉の刃は、容赦なく心を切り裂き、胸が苦しくなるほどの衝撃を与えた。

 時々渡される開封された彼からの手紙には、季節の移り変わりには体調はくずしていないか、ずっと会えない事が残念だと書かれてあった。

 そんな風に綺麗な文字で丁寧に認められた手紙は、読むと胸が温まり、いずれ結婚して夫婦になった暁には、きっと今よりもお互いに尊重して過ごせるだろうと期待もしていたのだ。


 だというのに、ついこの間侯爵家に来たばかりの妹は、いとも簡単に彼に会ったという。しかも、ペラペラしゃべる内容的に、すでに何回も会っている事が伺えた。

 わたくしは、二回目に会ってから、彼が頻繁に来訪していたなんて聞いていない。

 目の前が真っ暗になっていくような、どこか、ここではない場所で取り残されているような感覚がわたくしを襲う。

 ラドロウの後ろに控えているメイドたちも、意地が悪そうにニヤニヤとこちらを見て来ていた。

「そうそう、クアドリさまったらね、昨日来られた時に、隣国に行くためにお忙しいお姉さまを連れて行けないからって、今度私を観劇に連れて行ってくださるんですって。未来の義理の妹だから仲良くしたいって仰られて。ふふふ、その日はクアドリさまから頂いたリボンをつけて、彼の色である水色のドレスを着ようと思うの」

 自慢話を捲し立てるように言ったあと、侯爵に呼ばれたラドロウは目の前からやっと姿を消した。

 会わないようにしていても、わざわざこうしてやってきてはわたくしを傷つけようとする彼女の意図がわからなかった。

 ただ、嫌われているのだろう、とは感じていた。

 反論すれば、侯爵に即時に背びれ胸びれをつけて報告される。すると、侯爵から叱責されるため口を閉ざして耐えていた。

 

 自室に帰り、この間彼が来たときに贈られた左手の薬指にある水色の指輪を、そっと右手でなぞった。

『その、これを君に。今まではお菓子とかリボンとか女の子が喜びそうなものを贈っていたけれど、こうして元気になったし、そろそろ指輪を贈ろうかなと思って用意したんだ。これから君は、野蛮な獣人のいる隣国に行くからさ、つけていてほしい』

 お菓子やリボンなど手元に届いた事はない。彼からの手紙も年に数通だけだ。彼から聞かされた事実を知り驚愕すると同時に悲しくなる。もう悲しみを感じる部分なんてなくなったと思っていたのに。
 それらは、使用人たちに全て廃棄されたか盗られていたのだろう。どれほど忌み嫌われ、憎まれているのかを思い知らされた。

『お守り代わりに。指のサイズには嵌めれば自然に合うよ。僕はそれとペアの土台で、石は真珠を指につけるから。せっかく、君が元気になってこれからは沢山会えると思っていたけれど、留学したいのなら仕方ないね……。その、隣国でも頑張って』

 彼の視線が、わたくしの左手に落ちる。彼はわたくしの頭部を見ない。視界に入れないようにしていた。

 それもそうだろう。彼だって忌み子とは会話もしたくないほどなのだ。
 でも、政略で結ばれたとはいえ、婚約者として優しく接してくれる彼に、胸がドキドキ高鳴る。

 そして、彼の手がわたくしの手を取り、水色の石──アクアマリンの指輪を薬指にはめてくれるのをじっと見つめた。

 頬が熱くなる。二度目に会った彼は、記憶の中野彼とは違ってとても大人で、とても紳士で。侯爵やここの使用人のようなあからさまな侮蔑の眼差しを向けてこない。

 彼が、忌み子の証を見なくてもいい。ただ、こうして彼と二人おだやかに歩む事ができればと思った。


 ピジョンブラッドの愛を一心に受ける妹の笑顔を思い出す。侯爵は緑の髪で、妹と同じ青い色の瞳だ。風属性の魔法を扱う。妹はその色と同じ火の魔法。彼女の母も見事な赤の髪だ。

 妹のように、普通の色を持って生まれれば、彼とこんな風に離される事はなかったのだろうか。侯爵を父と呼び、母も追い出されず、あの三人のように幸せな家族の姿があったのだろうか。

 考えても仕方のない事が頭をよぎる。彼の隣にいて観劇を見に行くのは、本来ならわたくしなのにと妹を妬ましく感じる。

 左手の薬指の指輪は、クアドリさまとわたくしを結ぶ小さな絆だ。

 婚約者はわたくしなのだ。今は禄に会えないけれど、きっと、留学を終えて結婚したら……

 数年後、彼が隣で微笑んでくれる未来を夢見て瞼を閉じたのだった。

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