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「お姉さま~!」

 見事な真紅の薔薇のような赤の髪を持つ、愛らしい少女がわたくしを見かけて駆け寄って来る。

 振り向くと、あと少しの所で何もないのに躓いて転んだ。

「だ、だいじょ……」

 大丈夫? と、最近侯爵家で住むようになった妹を心配して問いかける前に、怒鳴り声がわたくしに向かって飛んできた。

「おい! あれほど言い聞かせているというのに、可愛いラドロウの前に姿を現したどころか大けがをさせるなど……! お前など、あの時にあのアバズレと共に追い出せば良かった!」

 腹違いの妹ラドロウが目に涙を浮かべて、やってきたに優しく抱きかかえられる。

「いたぁい。お父さま、私は大丈夫ですから、お姉さまを叱らないであげてぇ?」
「ああ、可愛そうに。痛くて堪らないというのに堪えてまで、お前の前に現れて怪我をさせたそいつを庇うとは……」

 目の前で、何度もリピートされた類似の茶番劇親子劇場が開催される。
 周囲のメイドたちは、先ほど勝手に転んだラドロウの粗相など、はっきり見ていたにも拘らず、素知らぬフリで、健気な少女とその少女を溺愛してやまない二人の陶酔しきった劇を微笑ましく見ていた。

 妹は、わたくしがどれほど彼女たちの視界に入らないように距離を置こうとしていても、メイドから居場所を聞き、こうしてやって来る。今日のように勝手に転んだり、勝手に冷めたお茶を、きれいなドレスのスカートにわざと零したりと忙しそうに演じた。

 彼女のドレスにお茶をひっかけて汚して悲しませた罰として、わたくしはドレスを一着持って行かれるのだ。

 妹が汚すドレスは、彼女が大きくなってサイズアウトしたものか、流行おくれになったもの、あるいは、彼女が飽きただけでまだまだ新品同様で着る事ができるものに限られるため、相手はノーダメージだろう。

 わたくしが身に着ける事が出来るドレスは、追い出された母がわたくしが成人するまでの間に定期的に作るようにと多額を支払い、依頼された工房が作りここに届けてくれる。
 そこは、母の実家が抱える工房で、王都でも人気のデザイナーやお針子たちが勤めている。
 子供の体型はサイズだけでは動きが分からないから、とわたくしの体型を測定するためにデザイナーがここにやって来ても、父の命でサイズだけを伝えられる。
 そのせいで、デザイナーに会えないため、手紙でサイズや好みのデザインを伝え、それを聞いた工房がドレスを作り届けるだけになった。

 ラドロウが産まれてからは、工房に伝えられているサイズは妹のものだ。運良くわたくしに届いても、彼女が気に入らないものであり、小さいため着る事ができない。

 わたくしは、ドレスが汚れても破れても、生地が薄くなり向こうが透けても修復された事はない。勿論新調もされないため、その妹のサイズのドレスにハサミを入れて、針と糸を手に取りリメイクしていた。
 妹は、そんなわたくしのドレスを欲しがり、リメイクされる前の自分サイズのものは勿論の事、わたくしの残り少ないそれらまで、こうして取り上げようとした。

 わたくしは、今着ているドレスとは名ばかりの、つぎはぎだらけのメイド服よりも貧相なボロを見下ろしてため息をつく。

「……もう、ラドロウ様にお詫びが出来るドレスはございません……。わたくしには、この一着しかもうありませんから……」

 そう、これを取り上げられれば、わたくしは下着だけで過ごさねばならない。それもまた、針でほつれを直せばビリビリ破れそうになるほど生地が薄いのだ。

 流石に、残りの一着だと言われてしまえば、侯爵もラドロウも目を見張り口をぽかんと開けた。それもそうだろう、彼らはそれぞれに広い衣裳部屋がありそこには所狭しと衣服や装飾品があるのだから。

 メイドたちですら、自分たちよりもボロを纏うわたくしを見て立ちすくんでいる。メイドに支給される制服は3着。しかも、修繕もきちんとされ、定期的にデザインが変更されるために型崩れすらないのだから。

「……、もういい、目障りだ! いいか? 二度とラドロウの前に現れるなよ? 次にその見ずぼらしく忌々しい姿を見せれば、その服をひん剥いて追い出してやる! アイル、わかったか!」
「お父さま、もうその辺で許して差し上げて? そうだわ、私のドレスをお姉さまにあげようと思うの。いいかしら?」
「おお、なんと慈悲深い……。ラドロウはまるで天使のようだな」
「そんな……。天使だなんて」

 わたくしは、消えろと言われたので名前を間違えた侯爵と、ちらっとわたくしに対してニヤリとしたラドロウに向かって一礼し、背を向けると外に向かって足を進めた。

 一応、ラドロウのその慈悲とやらのおかげで、わたくしの元に数着はドレスが届けられるだろう。彼女すら小さくなったものか、破れたものか、汚れたものか、古いデザインのものが。

 きゅっと口を結んで、縺れそうになる足を交互に一生懸命動かす。通り過ぎるメイドや庭師が、足早に移動するわたくしに向かって嘲笑を浮かべた。

(おかあさま)

 泣くものか。

(おかあさま……)

 泣く、ものか。

(おかあさま…………今、どちらにいらっしゃるの?)

 泣いて、たまるか。

 目が熱い。咽がひくつき胸が苦しい。これは、急いで早足で歩いているから息があがっているせいだ。悲しくなんかないから、そうに決まっている。

(おかあさま、どうして連れて行ってくれなかったの?)

 目が乾燥のためか潤みだす。結んだ唇がわなないて、ところどころに小さな隙間が生まれた。

(あの男は、ラドロウに跡を継がせると言うのなら、どうして家に残したの? おかあさまと一緒に追い出せば良かったじゃない!)

 頬に何かが伝う。熱いと思ったそれは瞬く間に冷えて、頬を冷たくした。

「……ふ、う……」

 唇の小さな隙間から、低く声にならない音が漏れた。雨が降っているのか、濡れた頬が気持ち悪い。ハンカチなど、とっくに紐のようになってしまって捨てられたから持っていない。

 すりきれた袖口で、雨に濡れた頬を拭うと、瞬く間にそこが濡れそぼる。

(あと、少し。あと少ししたら、ここを出て隣国に行ける)

 侯爵に隣国の全寮制の学園に行くように言われた時、嬉しくて仕方がなかった。学園には父やラドロウはやってこない。侯爵が彼女を、野蛮と言われる獣人がいる隣国になど行かせないだろう。

 学園では何も取られないし、体裁を非常に気にする侯爵の事だ、必要なお金は惜しまず払われるから、きちんとした生活が送れるに違いない。

 わたくしは、頬だけに降る雨をしのぐため、誰にも見えない庭の隅の影に隠れた。

 そして、その雨があがるまでしゃがみこんでいたのであった。
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