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 どうやって獣人国の学園に戻ったのか、はっきりとは覚えていない。馬車で獣人国に来たものの、行く宛てなど思いつかなかった。ただ、足が赴くまま馬車から降りると、先生たちが来てくれたのはなんとなく覚えている。ふたりの姿を見て、全身の力が抜けた感じがしてからの記憶が全くなかった。

「……ここは」

 目が覚めると、学園の医務室に寝かされていた。ぼうっとする頭を抱えて身を起こす。

「アイリス、起きたのか? 一体、何があったんだ?」
「ハリー先生……」

 先生たちに色々聞かれたけれど、何をどう説明していいのかわからない。自分でも信じがたく、認めたくないことなのだから。

「実は……家から、追い出されたんです……」

 ぽつりと、そのことだけを伝えた。それからの言葉が出てこない。出そうとすると、喉がけいれんしたかのように動かなかったし、あんな家でも、追い出されたなんて、とても言えなかった。

 これ以上口を開けば泣きそうだ。

 何も言わないわたくしに、先生たちは無理に聞き出そうとはしなかった。しばらくすると、ミスト先生が出ていき、ハリー先生とふたりきりになる。

「アイリス、無理に話そうとはしなくていい。ただ、今日はもう遅い。眠れそうか?」

 体も心も疲れ切っているのに、一向に眠くない。この現実から、夢でもいいから少しでも逃げたいのに。
 ふるふると、俯いたまま頭を振ると、ぽんっと頭に先生の大きな手が乗せられた。

(この国の獣人がたは、わたくしの白い髪にいとも簡単に触れてくれる。父にも撫でられたことはないのに。だからなのかしら。この一年で、わたくしも普通の人間としての幸せを望むようになったのは)

 クアドリ様とラドロウの、愛し合う姿が瞼に浮かぶ。

(ごく普通の幸せのかけらを求めるなんて、もともと、わたくしには分不相応だったのよ。きっと、わたくしを除籍するまでの間、仮の婚約者という立場だったのに、勘違いして、彼の優しい態度に胡坐をかいて思い上がっていたのね)

 シーツに隠れた手の指輪をそっとなぞる。これは、彼が、例え白い髪を忌避していても、わたくしに向き合おうとしてくれた証だ。わたくしにとっては、唯一だった過去の優しさしんじつであるアクアマリンの指輪があれば、砕け散りそうになる心を保てるような気がした。

「アイリス、もうすぐミストが戻ってくるようだ。男が側にいては落ち着かないだろう? 生憎、女の先生は帰省していてもういなくてね。妻を連れてくるから、ここで待っていてくれるか?」

 わたくしには聞こえないミスト先生の足音が聞こえたのだろう。情報が過多すぎて、ハリー先生が何を言っているのかなかなか理解できないでいる。ただ、言葉そのものはわかったから、こくんと頷いた。

 後から思えば、女の子と男性(しかも先生)が夜中に一室にいるのがまずいのと、ひとりになったわたくしを気遣ってのことだったとわかったのだが。

 ハリー先生が出て行ってからすぐに、ミスト先生が現れた。先生と一緒に来た人物に、凍てついたかのように何も響かない心を少しだけ驚きというもので震わせた。

「先生……。ジョアンさんも来てくださったのですね。ご心配おかけしてすみません……」
「おい、大丈夫なのか? 早く寝るんだっ!」

 いつもはユーカリの木で惰眠をむさぼっているぶっきらぼうな彼が、血相を抱えて産まれたての雛でも触るようにあやされた。
 彼にとっては、わたくしはとっくに天に半分以上戻っているような存在なのかもしれない。

 ものすごく優しくぽんぽんされたのもびっくりした。力があまりにも強いから、体がマッサージチェアを強でぶるぶる動かしているように揺れた。
 誤解を解きたくても、さっさと寝るようにばかり言ってくるし、身じろぎひとつ許してくれない。他の、余計な事が考えられなくなった。だからだろうか、体よりも心が先に動き出す。
 お礼に渡したアンザック・クッキーを気に入ってくれたようでほっとした。それから、わたくしは少し失言をして彼をこまらせてしまう。

「あー、俺は、アイリスに触れたがどうもないぞ」
「はい……」
「ウォンたちだって、神様以上に元気だ」
「はい……」
「だから、人間の国でのことは知らんが、ここでは気にするな。な?」


 けれど、彼は白い髪のことを、本当になんでもない、普通のことのように言ってくれた。なんだか、普段の彼(といってもあまり知らないけれど)とは違う人みたいに思える。
 彼なりに、落ち込んだわたくしを力づけようと一生懸命言葉を選んでくれていることが、その気持ちが嬉しくて、気が付けば口元が緩んでいた。

「はい、ありがとうございます」

 本当に、彼には助けてもらってばかりだ。ウォンはあまり近づくなって言っていたけれど、こうして接してみると、皆と同じように優しい人だった。

 それから、渡したものをひとつひとつ褒めてくれた。ココナツジュースは、ウォンに切ってもらってストローを差しだけだというのに、絶品だったと話す彼が、本で読んだ理想のお母さまのように思えてくる。

 それから、ユーカリのことを聞いて、平謝りした。コアラといえばユーカリだから、それを使っただけだったのだが、知らなかったとはいえ、ユーカリのサンドイッチは、人化状態の彼には毒になり、獣化状態では味付けはご法度だったようだ。

「あの、本当にごめんなさい」
「俺だから気づいて無事だったものの、獣人には気をつけなければならない食材などがたくさんある。とりあえず、人化状態の者に渡すときには、獣化状態では素材そのもののほうがいい。ねぎ、玉ねぎ、アスパラガス、銀杏、じゃがいも、生姜、なす、ごぼう、どんぐり、にら、芽キャベツ、モロヘイヤ、レンコン、にんにく、ミョウガ、わらび、アボカド、びわ、杏、梅なんかは、即死になるようなエクセルシスだっている。他にも、致死性ではないが、下痢になるレタスなどの食材もあってだな」

 エクセルシスさんは、Aクラスのハムスター獣人だ。とても大柄で、ゴーリン会長と人気を二分する、ふわもこぷにぷにさんだ。いつも誰かに何かを頬につめられている。獣化すると、手のひらサイズのジャンガリアンハムスターさんなのだ。

「ハムスター獣人だけでそんなにもあるんですか。ジョアンさん、他種族のことなのに、とってもくわしいんですね」
「獣人だからな、こんなの常識だ。あのマッキーでもこのくらいはそらで言えるぞ。俺たちよりもひ弱なくせに、アレルギーとかいうもの以外は、だいたい食べれるという人間の胃腸がおかしい」
「わたくし、今度からきちんと勉強して覚えます」
「そのほうがいい」

 下手をすれば、殺人未遂になるところだったというのに、ジョアンさんは笑って許してくれた。そうこうしているうちに、ハリー先生がリーモラさんを連れて戻ってきたのである。




エクセルシス【 Excelsis 】: 至高
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