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第84話 幕間17 ロクサーヌ

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 ギルド指定の厩舎に行き、そこで馬を借りての移動になった。わたしと並んで馬を走らせているエリゼは、さりげなく辺りの様子を窺いながら森の中へと入っていく。
 さすがに森の中ともなれば、並走するのは難しくなる。
「ゆっくり行こう」
 彼はわたしを気遣いながら、馬の手綱を引いてスピードを緩めた。

「妹さんのこと、聞いてもいい?」
 何となく無言になるのが気づまりで、わたしは前方にある大きな背中に話しかける。わたしが遅れていないかと何度も振り返っていた彼だったが、話をしていればそれも必要はない。それに、彼はやっぱり話したいようだった。
「妹がいなくなったのは、ギルドの依頼の途中だ。俺と二人で行動することが多かった」
「今のわたしたちみたいに?」
「ああ。俺たちはフォルシウスで活動していて、今日みたいに馬を借りて森の中に入った」
 森の中、か。
 わたしはそっと辺りを見回してみるも、いい天気だし静かだし、魔物が出てくる気配もない。平穏そのものといった光景が広がっている。
 しかしそう見えて、危険はどこにでも転がっているものだ。
「その頃は魔物も結構姿を見せていて、ギルドの仕事も魔物討伐が多かった。妹――シャンタルって言うんだが、さっきも言った通り魔力が強くてな。しかし魔術師としては暴発が多いから攻撃魔法くらいしかまともに扱えなくて、色々問題児だったんだ」
「問題児……」
「だが、魔物討伐においては俺よりも優秀だった。まあ、魔物そのものを吹き飛ばして魔石が回収できなくなるってことも多かったから、悪い意味でもギルドでは有名だった」
「あらら……」
 わたしは苦笑しながら、そっと首を傾げる。「でも、そんなに強いのに行方不明って……どういうこと? とんでもない魔物でも出たの?」
「出たら俺でも解る。俺は魔力はそれほど強くはないが、気配を察知する能力は高いと自負している。それなのに、森の中で昼間、俺が少しだけ離れた直後に煙のように消えたんだ。馬だけをその場に残してな」
「恋人と駆け落ちとか」
 それはちょっとした冗談。
 でも、彼が心配している事態よりはマシだろう。少なくとも、わたしの意見では妹さんは『生きて』いる。
 エリゼが考えているのは、何らかの事件に巻き込まれたってことだろう。そして今までずっと行方不明というからには、身の安全は――うん、そういうことだ。

 案の定、エリゼは駆け落ちを否定した口調で言った。
「森の中で?」
「……ないわよね。馬を乗り捨てる意味もないし」
「ああ。だから俺は、妹を攫ったのが人間だと思ってる。何らかの事件に巻き込まれたんだと」
 んー。
 わたしはちょっとだけ考えこむ。
 ギルドの依頼の間に、人間に襲われた? それはちょっと無理があるんじゃない? どうせ襲うなら街の中でもいいんだし、そっちの方が逃げるのも簡単だ。魔物が徘徊している森の中でやる意味がない。
 それに、いくら魔物の気配を察知するのが得意とはいえ、魔物にだって色々な種類――種族?――がいる。敵が気配を遮断するような存在だったらどうだろうか。

 エリゼの心情を思いやると口には出せないけれど、わたしの考えの中では魔物に襲われて、血も残さず、頭から丸呑みされてしまったと考えるのも仕方ない。人間一人を食べれば、魔物だって満足するだろう。そのまま魔物も森の中に逃げてしまったのでは?

「俺は――というか、俺の家族は悪しきもの、つまり魔物の気配ならどんな小さなものでも見逃すことはない」
「えー」
 そんなことはないでしょ、という意味合いを込めて声を上げると、ちらりと彼がわたしを振り返った。そこにあるのは酷く真剣な表情。
「実は俺の先祖には、聖女様と結婚した男がいるらしい。そのせいかもしれないが、魔力の気配には敏感すぎる人間ばかり生まれる。さらに、妙に先祖返りしたやつもいて……それが俺の」
「妹さんってこと?」
「ああ。子供の頃には神殿に入らないかと声をかけられたこともあったらしいが、うちの父親が大反対してな」
「大反対?」
「女の幸せは結婚にある、というのが父の信念だった。でも、神殿に入ったら……」

 ああ、なるほど。結婚が程遠い生活になってしまうものね、とわたしは笑った。
 わたしが知っている程度の知識でも、神官、聖女、巫女といった神職の人間はいわゆる男女交際が禁止されている。神に仕える者として、清い身体でいろ、ってことらしい。
 それでも、巫女だったら時々、還俗する人間もいるみたいだ。それは、魔力が思っていたほど強くなかったとか、神殿で生活するにはちょっと……っていう人たちに限られるけど。
 神官、聖女は違う。
 凄まじい魔力持ちであることが前提での身分だから、一度そうなってしまったらもう二度と神殿の外には出られないはず。

 そういえば。

「でも、あなたのご先祖さまってどうやって聖女様と結婚したの?」
 普通、絶対に許されないことだと思うんだけど。
 そんな疑念を込めて訊くと、彼は「眉唾かもしれない、ただの言い伝えみたいになるけど」と前置きして続けた。

「昔、魔王と戦った時代があるって知ってるか?」
「ああ、そうみたいね。人間が勝ったんでしょ? だからそれ以降ずっと、魔王の力は弱まってるって聞いたわ」
「ああ。その時、俺の先祖の『英雄』と呼ばれた男が武勲を立ててな。その時の王から訊かれたんだ。褒美は何が欲しいか、と」
「え、やだ、まさか」
「聖女様を所望した」
「でもあり得ないでしょ! 神殿は許さないと思うけど!」
「既成事実があったなら別だ」
「え、やだ」
「そういう意味でも『英雄』だった」
「自慢になってないし!」

 わたしは思わず額に手を置いて、深いため息をついた。
 エリゼが言っているのが本当に事実なら、大事件だったろうなあ、と思う。でも、確かに眉唾かも。魔王と人間が戦った時代は、随分と昔のことだ。過去にあったことが正しく後世に伝わることは稀だし、作り話も交じってるのかもしれない。
 でもまあ、聖女様の血を引いている――というよりも、有名な魔術師の血を引いている、とかはありそうだ。

「まあ、そんなわけでな。俺は魔物には敏感だ。だから、こうして馬に乗っていても近くに魔物がいるかいないかなんて簡単に解る。妹もそうだった。悲鳴一つ上げずに消えたということは、魔物じゃなくて敵は人間だった、というのが俺の考えだ。だから、あんたも気を付けろ。女一人で活動するには、この森は安全じゃない」
「……ご忠告、どうも」

 保護者みたいに言うのね、と内心では忌々しく思う。
 まだ会ったばかりだっていうのに、必要以上にわたしのことを心配しすぎじゃないだろうか。まあ、守ってくれるなら別にいいけど。

 でも。

 ふと、わたしは別のことが気になっていた。

 そうか、相手が聖女様だったとしても、既成事実があれば結婚する可能性は生まれるんだ。
 それはつまり、あの店長さんも可能性はある、のかも。
 万が一、彼が聖女様と接触したら。そして、あの綺麗な笑顔を向けられたら。どんな女性だって……いや、男性に慣れていないだろう聖女様だったらなおさら、恋に落ちる可能性があるんだ。

 厭だな、と感じてしまった。
 できれば、彼にはあのままでいて欲しい。あの店で、これからもずっと笑っていて欲しいから。

「ああ、目的地についた。馬から下りよう」
 エリゼのその声に我に返る。いつの間にか森の奥を抜けて、大きな川の前にやってきていたようだ。流れの激しい川は、地面を抉り取っている。しかし、川底や河川敷には、上流から流れてきた魔道具の素材が埋もれていることが多い。ちょうど川が曲がりくねっているところで、そこに下流までは流れずにいる魔力を宿した鉱石や化石といったものが溜まっている。
 川だから近づけば危険だけれど、これが今回の依頼だ。
 わたしたちは手分けして依頼内容である素材を探し、回収する。重いから一度には大量に持ち帰れないし、数日かけてやるしかないが、そこそこの収入にはなる。

 陽が落ちる頃にはギルドに帰り、報酬を受け取る。
 エリゼは何故かわたしを食事に誘ってきたけれど、それは断っておく。必要以上に関わるのは厭だし。でも、笑顔でまた明日の朝ね、とギルドで会う約束をして別れた。

 そしてわたしは。
 例の店長さんに会いたくなって、夕食を取るという口実を胸に足をそちらへと向けた。
 できれば彼が聖女様と接触しませんように、と心の奥で考えながら夕焼けの空の下、足早に進む。

 でも。

「うぃっす!」
 店長さん――確か、ミッチーと名乗った彼が店の扉を開けたところに出くわした。お洒落な店の前で、見覚えのある背中がいくつもあって。
 その人たちに、店長さんはニヤリと笑って揶揄うような口調で続けた。
「何だアキラ、今日は化粧してんのか! まーた可愛くなっちゃって!」
「やめろ、言うな! ……サクラに遊ばれたんだよ」
 そう居心地悪そうに店長さんの胸を押し返した黒髪の少女。
「せっかく女の子なんだから、化粧の一つや二つ、覚えておかないと!」
 と、背の高い男性が笑っているのも解った。顔は店長さんに向いているから表情は見えないけれど、凄く楽しそうだ。それと、彼が手をつないでいるのは猫獣人。
「似合いますよ、我が」
「女神って言うな」
「アキラ様」
 少女に優しい声をかけているのは――どう見てもミカエル様の背中で。連れも増えて、随分と大人数といった様子。

 わたしはじりじりと後ずさり、近くの路地へと逃げ込んで息を吐く。

 何で? 何で?

 何であいつらがここにいるのよ!?
 何でミカエル様がここにいるの!?

 わたし、二度と顔を見せるなって言われたのに! 何で……あいつら、店長さんのそばにいるの?

 もしかして知り合いだった?
 店長さんは妙にあの黒髪の子と仲良さそうに話をしてた。その笑顔は、わたしに向ける穏やかな笑顔じゃなくて、もっと砕けた感じのものだった。

 どういうことよ。
 何で、どうして。

「わたし……、あの店にも行けない……?」
 ぼんやりとしたまま呟くと、それが自分で思っていた以上に重く肩にのしかかってきたような気がした。
 ねえ、嘘でしょ?
 わたしは頭を抱えて、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。
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