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第2章
第31話 夜木奏向の憂鬱
しおりを挟む白峰さんに振られてしまった翌日、俺が目覚めたのは朝の8時だった。
なぜこんな日に限って早起きしてしまうんだろう。もっと寝ていたかったけど、やけに頭が冴えていて、二度寝も諦めるしかなさそうだ。
1階のリビングへ降りると、母はいつものように朝のニュース番組の胡散臭い星座占いに、一喜一憂している。
「おはよ母さん……」
「えっ……!? あんた……本当に奏向……?」
「どういう意味だよ」
「あんたがこんなに早く起きてくるだなんて、遥香ちゃんと中身入れ替わったのかと思ったじゃない」
母のホッと息を吐く様子から、この反応はあながち冗談などではなく、本気で驚いているようだった。
「朝飯、なんかある?」
こんな時でも腹は減るらしい。昨日、晩飯もあれほど食ったっていうのに。
「昨日の残り物でいいわよね? 今温めてあげるから」
「さんきゅー」
テーブルに並んだ、既視感のある光景。昨日の残り物であれば濃いめの味付けであることは変わっていない筈なのに、俺の舌はバカになってしまったのか、それを全く濃いと感じない。
むしろ、ほとんど味がしなかった。
朝食を済ませて部屋へ戻ると、また悲しくなる。
1人になった瞬間に襲いくる、孤独感。
それを紛らわすようにバタンと、またベッドで横になる。飯を食べてからすぐ寝ると牛になる……なんてガキの頃に母さんから言われたことがあったような気がするけど、今は牛にだってなりたい気分だった。
もぉ~もぉ~もぉ~。
そう考えたら牛って、常に文句を言っているみたいな声で鳴くよな。
俺が知らないだけで、牛さんも色々大変なのかもしれない。牛といえば白と黒、白と黒といえば……シマウマ。
シマウマといえば…………やめよう。
無理してどうでもいい事を考えようとしても、結局いつしか白峰さんに突き当たる。
それほどに俺は、彼女が本気で好きだったんだろうな。
まだ出会って3ヶ月しか経っていないのに、白峰さんの一体どの部分にこんなにも惹かれてしまったのだろう。10年以上にも渡る付き合いの遥香を差し置いて、彼女に気持ちが靡いてしまった一番の原因は、なんなのだろう。
そりゃあとんでもなく美人なのは間違いないけど、それは遥香だって全然負けていない。個人の趣向で好みが分かれる程度の差だろう。
表に出ているか隠れているかの違いはあれど、性格だって2人とも優しくて、俺なんかより何倍もできた人間だ。
今までここまで深く考えたことはなかったけど、じゃあどうして俺は――
ふいに扉の奥から、幼馴染の声がする。
「奏向~、入っていい?」
もう9時か……と、時計を見ずして時間を知った。
「嫌だと言っても入って来るんだろ?」
見えない相手へ悪態をつく元気くらいは、俺にも残っていたらしい。
「ま、そだけど」
ガチャリと開いた扉から姿を見せた遥香は、いつもと少しだけ雰囲気が違った。
「髪結んでるの、珍しいな……」
綺麗な青い髪を、後ろで束ねたポニーテール。小学生の頃はたまに見かけた髪型だったが、えらく久しぶりに見た気がする。
「あ、これ……? 今日寝坊しちゃって急いでたからさ」
「この家へ来るのを学校や仕事と勘違いしてないか? ゆっくり準備してから来れば良かっただろ?」
――俺はまだ、いつもの顔を作れない。
というか……いつもの顔って、どんなだっけ。
「だって……奏向が心配だったし……」
静かにそう溢す遥香の顔を見ると、どこか安心する。あのままもの想いに耽っていても、気落ちするだけだっただろうから。
「悪いな……気を遣わせて……」
「あたしがやりたくてやってるんだからいいの!」
「昨日もサンキューな。肉じゃが、美味かった」
「ホント!? 今度は味付けミスんないようにするから!」
パッと晴れやかになる、遥香の顔つき。
俺は正直コイツに、救われてる。こんなにも優柔不断でなんの取り柄もない男を好きだと言ってくれる、優しい幼馴染に。
普段は高飛車なメスガキで、俺をところ構わずコテンパンにしてくるくせに、俺が本当に弱った時は、一番近くで支えてくれる。
「ありがとう遥香……お前が幼馴染で、良かったよ」
「ちょっ、何……!? 恥ずいんですけど……」
カァッと赤くなった頬と、まん丸な青い瞳が、色鮮やかに映えていた。
「たまにはお礼言っとかないと、バチが当たると思ったから……」
「素直な奏向って、なんか不気味……」
さっきまではあどけない少女のようだったかと思えば、今度は疑心の目を向けてきた。
「じゃあもう言わね」
「う、うそうそ! もっと素直になっていいから……! そだ、今日は奏向のやりたいことやろうよ。何かしたいこととかないの?」
そう言いながら遥香は、ちょこんといつもの定位置に腰掛けた。
「あ……そう言えば、宿題……全然やってない……」
「あたしに手伝えっていいたいの……?」
向けられたジト目に、俺は思わず目を逸らす。
「ち、違うって、ただふと思い出しただけで……」
鼻で笑いながら、遥香は言う。
「ま、どうせそんなことだろうと思って、一応勉強道具持ってきて正解だったかなぁ……?」
「流石、なんでもお見通しだな……」
「あたしが何年奏向の幼馴染やってると思ってるの?」
「参りました……」
「ざぁこ♡」
この日の決め台詞は、優しさに塗れていた。
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