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67話 トリュースの秘密
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「ツキが回ってきたぞ!」
トリュースこと、トリスタン・ホングレイブは迸る感情のまま、風を斬るように愛馬を駆っていた。
「絶対に失敗は許されないぞ!しかしイールズ商会やレンラ子爵家もこちら側のようだし、うん!いろいろとツイている、待った甲斐があった」
興奮のせいか、独り言の囁きのはずが、全て口から零れ落ちている。
トリスタン・ホングレイブ。
実はドレインが疑った出自そのまま、先代ホングレイブ伯爵の次男である。
兄ゲイザードが伯爵家を継いでおり、ドレインと同じく自由の身だ。
ホングレイブ伯爵家にはもうひとりルシーラという可愛らしい妹がいた。
家族皆の掌中の珠で、蝶よ花よと大切に育てられたが、学院に通うようになって二年上に在籍していたアレン・ジメンクスと出会ってしまった。
ホングレイブ家は六代前の国王が重用した暗部の家柄だった。
既にその道から距離を置いてはいるが、目立つことを嫌い、どの派閥にも属さず、外枠と呼ばれる位置に身を置いて、王都より離れた辺鄙な領地で実直に暮らしてきた。
それが良くなかったのかもしれない。
可愛がられて純粋培養されたルシーラは、自分がアレンの何人もいる秘密の恋人の一人、婚約者は別におり弄ばれたに過ぎないと知った時、心を壊してしまったのだ。
両親が激怒し、ジメンクス伯爵家に捩じ込んだが伯爵に軽く往なされ、貴族裁判所に訴えたまではよかった。
しかし。
トリスタンの両親が、病んだルシーラを静養所へ連れて行くと三人で家を出た日、馬車が野盗に襲われて護衛もろとも命を散らしてしまう。
ジメンクス伯爵家の仕業だとトリスタンは熱り立ったが、ゲイザードはもうやめようと言った。
ジメンクス伯爵家と戦えばこちらが潰される、両親や妹のように、と。
ゲイザードはトリスタンに相談もなく、裁判所の訴えも取り下げた。
裏切られたと思ったが、兄は臆したのだと問い詰めることはせず。
ゲイザードは何も言わないトリスタンがわかってくれたのだと理解したが、直後に出奔、ホングレイブの名を名乗るのも止めた。
腑抜けの裏切り者とは袂を分かつことを選択したのだ。
今や敵だと明確になったジメンクス伯爵家を、必ずその手で裁くと心に決めて。
だがいくつか問題があった。
敵と見極めたのはあくまでもトリスタンの心証によるものだ。証拠を集めようとしても、貴族やその使用人たちは往々にして口が固く、トリスタンが聞いて回っても成果は得られなかった。
金も、ほとんどを兄が相続し、平民となるトリスタンには3ヶ月ほど暮らせるだろう独立資金が渡されたのみ。
いくら嫡男とは立場が違うと言っても、公平な父の性格を考えるとどうにも納得がいかなかったが、遺言書にそう書かれていてはどうしようもない。
遺言書の偽造を疑ったが、それも証拠を見つけることが出来ず、仕方なしにその金と両親と妹の形見だけを持って屋敷を飛び出した。
当てもなくジメンクス伯爵家を見張るが、そのうちに金が少なくなってきて、働かねばどうにもならなくなってきたそんな時だ。
情報収集のために定期的に顔を出していた、ホングレイブの出入り商人チューラーの愚痴を聞いたのは。
娘が町で知り合った悪い男に誑かされて困っている。縁談相手に知られる前に別れさせたいがどうしたものかと。
そこで平民トリュースとして町に潜り、その容姿を活かして娘に取り入って、男から引き剥がしてやった。
娘がトリュースに夢中になって男と別れると、当のトリュースは美しい涙を一粒溢しながら、貧しい自分は貴女には不相応。身を引き、遠くで貴女の幸せを祈り続けると嘯く。
娘は泣きながら頷いた。
それは想像以上にちょろいものだった。
もともとホングレイブ伯爵家夫妻に一方ならぬ世話になったと恩義を感じ、ゲイザードのやり口に怒りを覚えていたチューラーは、恩あるトリスタンの思いを汲み、その復讐に力を貸すことにした。
以来チューラーの手を借り、裕福な商人たちがお困りの、恋の道を正す別れさせ屋として活動を始めたのだ。
生活費の問題はこれで解決。
なのだが、ジメンクスの調査は難航した。
チューラー商会は中規模の商会だが、オープンにされた社交についてはまあまあ情報を掴むことができた。
どこで茶会や夜会に参加するか、どの貴族とつるんでいるか、最近の仕事の様子などだ。
当然それでは足りず、裏稼業で知り合った情報屋たちからアレンやジメンクス伯爵家の噂を仕入れ、また彼らから情報の集め方を聞き出して、ただ張り込む、正面から聞き込むやり方では通用しないと思い知る。
別れさせ屋にも下調べは絶対に必要だ。
恋に狂った依頼主の話を鵜呑みにしては、自分が危険に巻き込まれかねない。
そこで下町のいかがわしい探偵に金を払い、追尾や潜入、聞き込み、張り込みといったあらゆるスキルを鍛えてもらった。
それでもジメンクス家の守りを突破することはできなかった。
平民は入れないどころか近づくこともできない場所がこれほど多いとは、トリスタンは知らなかったのだ。
家名を捨てたのは間違いだったかと、ふと後悔するようになった時、世話になっている情報屋ガナリーから依頼されたのがドレインの件である。
奇しくも標的アレン・ジメンクスの件を持ち込んたドレイン・トロワー。
何を思ったか、馬鹿正直に偽名を詫たドレインがトロワー伯爵家の末子というのは、薄っすらと貴族年鑑で目にした記憶があったので、すぐにわかった。
末子は文官になる者が多いと踏んで深掘ると、やはり調査官で、失態を返上するために自腹でトリュースに依頼したという。
背に腹は代えられないとトリュースに縋ったドレインが、国内でも数本の指に数えられるイールズ商会での買い物すべてを支払ってくれるという破格の待遇。
「これで失敗したら父上に顔向けができないぞ!絶対にやり遂げてみせる」
町外れの森の中に、隠れるように建つ小屋に戻ると、トリスタンは自分を鼓舞するように呟いた。
トリュースこと、トリスタン・ホングレイブは迸る感情のまま、風を斬るように愛馬を駆っていた。
「絶対に失敗は許されないぞ!しかしイールズ商会やレンラ子爵家もこちら側のようだし、うん!いろいろとツイている、待った甲斐があった」
興奮のせいか、独り言の囁きのはずが、全て口から零れ落ちている。
トリスタン・ホングレイブ。
実はドレインが疑った出自そのまま、先代ホングレイブ伯爵の次男である。
兄ゲイザードが伯爵家を継いでおり、ドレインと同じく自由の身だ。
ホングレイブ伯爵家にはもうひとりルシーラという可愛らしい妹がいた。
家族皆の掌中の珠で、蝶よ花よと大切に育てられたが、学院に通うようになって二年上に在籍していたアレン・ジメンクスと出会ってしまった。
ホングレイブ家は六代前の国王が重用した暗部の家柄だった。
既にその道から距離を置いてはいるが、目立つことを嫌い、どの派閥にも属さず、外枠と呼ばれる位置に身を置いて、王都より離れた辺鄙な領地で実直に暮らしてきた。
それが良くなかったのかもしれない。
可愛がられて純粋培養されたルシーラは、自分がアレンの何人もいる秘密の恋人の一人、婚約者は別におり弄ばれたに過ぎないと知った時、心を壊してしまったのだ。
両親が激怒し、ジメンクス伯爵家に捩じ込んだが伯爵に軽く往なされ、貴族裁判所に訴えたまではよかった。
しかし。
トリスタンの両親が、病んだルシーラを静養所へ連れて行くと三人で家を出た日、馬車が野盗に襲われて護衛もろとも命を散らしてしまう。
ジメンクス伯爵家の仕業だとトリスタンは熱り立ったが、ゲイザードはもうやめようと言った。
ジメンクス伯爵家と戦えばこちらが潰される、両親や妹のように、と。
ゲイザードはトリスタンに相談もなく、裁判所の訴えも取り下げた。
裏切られたと思ったが、兄は臆したのだと問い詰めることはせず。
ゲイザードは何も言わないトリスタンがわかってくれたのだと理解したが、直後に出奔、ホングレイブの名を名乗るのも止めた。
腑抜けの裏切り者とは袂を分かつことを選択したのだ。
今や敵だと明確になったジメンクス伯爵家を、必ずその手で裁くと心に決めて。
だがいくつか問題があった。
敵と見極めたのはあくまでもトリスタンの心証によるものだ。証拠を集めようとしても、貴族やその使用人たちは往々にして口が固く、トリスタンが聞いて回っても成果は得られなかった。
金も、ほとんどを兄が相続し、平民となるトリスタンには3ヶ月ほど暮らせるだろう独立資金が渡されたのみ。
いくら嫡男とは立場が違うと言っても、公平な父の性格を考えるとどうにも納得がいかなかったが、遺言書にそう書かれていてはどうしようもない。
遺言書の偽造を疑ったが、それも証拠を見つけることが出来ず、仕方なしにその金と両親と妹の形見だけを持って屋敷を飛び出した。
当てもなくジメンクス伯爵家を見張るが、そのうちに金が少なくなってきて、働かねばどうにもならなくなってきたそんな時だ。
情報収集のために定期的に顔を出していた、ホングレイブの出入り商人チューラーの愚痴を聞いたのは。
娘が町で知り合った悪い男に誑かされて困っている。縁談相手に知られる前に別れさせたいがどうしたものかと。
そこで平民トリュースとして町に潜り、その容姿を活かして娘に取り入って、男から引き剥がしてやった。
娘がトリュースに夢中になって男と別れると、当のトリュースは美しい涙を一粒溢しながら、貧しい自分は貴女には不相応。身を引き、遠くで貴女の幸せを祈り続けると嘯く。
娘は泣きながら頷いた。
それは想像以上にちょろいものだった。
もともとホングレイブ伯爵家夫妻に一方ならぬ世話になったと恩義を感じ、ゲイザードのやり口に怒りを覚えていたチューラーは、恩あるトリスタンの思いを汲み、その復讐に力を貸すことにした。
以来チューラーの手を借り、裕福な商人たちがお困りの、恋の道を正す別れさせ屋として活動を始めたのだ。
生活費の問題はこれで解決。
なのだが、ジメンクスの調査は難航した。
チューラー商会は中規模の商会だが、オープンにされた社交についてはまあまあ情報を掴むことができた。
どこで茶会や夜会に参加するか、どの貴族とつるんでいるか、最近の仕事の様子などだ。
当然それでは足りず、裏稼業で知り合った情報屋たちからアレンやジメンクス伯爵家の噂を仕入れ、また彼らから情報の集め方を聞き出して、ただ張り込む、正面から聞き込むやり方では通用しないと思い知る。
別れさせ屋にも下調べは絶対に必要だ。
恋に狂った依頼主の話を鵜呑みにしては、自分が危険に巻き込まれかねない。
そこで下町のいかがわしい探偵に金を払い、追尾や潜入、聞き込み、張り込みといったあらゆるスキルを鍛えてもらった。
それでもジメンクス家の守りを突破することはできなかった。
平民は入れないどころか近づくこともできない場所がこれほど多いとは、トリスタンは知らなかったのだ。
家名を捨てたのは間違いだったかと、ふと後悔するようになった時、世話になっている情報屋ガナリーから依頼されたのがドレインの件である。
奇しくも標的アレン・ジメンクスの件を持ち込んたドレイン・トロワー。
何を思ったか、馬鹿正直に偽名を詫たドレインがトロワー伯爵家の末子というのは、薄っすらと貴族年鑑で目にした記憶があったので、すぐにわかった。
末子は文官になる者が多いと踏んで深掘ると、やはり調査官で、失態を返上するために自腹でトリュースに依頼したという。
背に腹は代えられないとトリュースに縋ったドレインが、国内でも数本の指に数えられるイールズ商会での買い物すべてを支払ってくれるという破格の待遇。
「これで失敗したら父上に顔向けができないぞ!絶対にやり遂げてみせる」
町外れの森の中に、隠れるように建つ小屋に戻ると、トリスタンは自分を鼓舞するように呟いた。
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