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十四話 分岐点 前編

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 「問題とは何ですかな?」

 国の要人達には、秘密裏に連絡を取り合う秘匿回線が存在する。
 ある日、ある時。魔力によって生み出されし仮想の現実空間にて、六つの影はやり取りした。

 「おや、フクマ殿はご存知でない?」
 「いや知っていますとも。ただ何が問題なのかと話しているだけですな」

 一つ間を置いて、国の声を代理する進行役は主題を述べる。

 「皆々様周知であると思いますが……ドクターヘルゼンより報告がありました。某母胎、通称零番の魔力成長が、想定を大幅に上回ったとの事です」

 より詳細なデータが一斉送付される。
 そこにはすっかり変わり果てた少年の肉体の胸元から漏れ出す乳白色の液体が、過剰化した魔力の漏出現象であるという結論が書き記されており、以下その根拠とされる見識の数々が列挙されていた。
 予々不安視されていた事態がいよいよ現実味を帯び、一部を除いて一同呆れた様な溜め息が漏れ、騒つき始める。

 「おやおや、美しく成長なされましたなぁ」
 「ふん、あの想定を更に上回るとはな、恐れ入ったわい」
 「厳しい待遇が、器の更なる成長を促したのか……?」
 「おいミズチの! お前の所の飼い犬が余計な事をしたからなんじゃないのか?」
 「ふ、フクマ氏にも責任がありましょう! 自分の所の愛人なんかを主任にするなんて、適当が過ぎる!」

 六つのうち四つの影の矛先は、緩やかに此度の責を追うであろう二つへ向く。
 が、双影の内の片方、大きく丸いシルエットは「ほっほっほ」と笑って見せた。

 「先程申したままですな。これの何が問題なのですかな? 国母の著しい成長ですぞ、喜ばしく思うべきではありませんかな?」
 「んなっ、分かって無いのか⁉︎」
 「念の為訊いておくが、玄霧の若造の方は?」

 厳つい男の声の問いに、尋ねられた一つの気怠げな影が静かに首を横に振った。
 進行役は苦々しく「フクマ殿。幾度も言われている通り、この計画は子を成さなければ……」と口にする。
 が、その声はふくよかな笑い声に遮られた。

 「ほほっ! まったく、何事にもサブプランというものは用意されているのですよ!」

 直後、一同の前に新たなデータが送付される。

 「む、なんだ」
 「……は? は?」

 その内容を一瞥した者達は俄かに総毛立つ。
 仮想紙面は思考が過去で止まった軍部が筋書きを書いたかの如き前時代的絵空事の大きく躍る、一見短絡的な見出しで始まる物だった。
 しかし、書かれている詳細を読めば、彼らは考えざるを得なくなる。

 「責任逃れの為の虚言にしては手が込んでおるが……おんどりゃあ、これ本当なんだろうなぁ?」

 しわがれた老人の声が真っ先に凄んだ。
 対し、相手は全く動じず。「安心なされよ御大老」と一蹴してみせる。

 「他の御不安な方々も。そこに書かれている事はミズチから提供されこの私が精査したもの。嘘偽りは御座いませんぞ」
 「これは、凄いぞ……本当なら、この国は世界を牛耳れるっ」

 若輩の影が一人歓喜した。
 素直に喜んだのは彼一人だったが、覇権を狙う人間は皆心中穏やかでは無かっただろう。

 「して、国家元首代理殿。如何様に?」
 「……閣下に伺わねば、何とも言えません」
 「うむ、それはそうですな」

 大きなシルエットは両手を広げてその場を仕切って見せる。「この場今すぐには決め兼ねましょう。皆一度持ち帰って、それから、という事で宜しいですかな?」と。

 元首代理が先送りの意思を決めた以上、その場にいる者達に反対する者は居なかった。
 流れのままに解散の号令が下った。その中、真っ先に切り上げた者が一人。“朱馬あかま”という立て札の置かれた執務室の机の前、仮想現実から意識を戻してすぐに一つ荒々しく息を吐くと、気怠そうな皺の深い顔を俯かせ静かに愚痴を溢す。

 「……この狸めが」

 そこへ「如何でしたか」と問う、涼やかな男の声。
 美しくキレのある面長の容姿、黒の短髪に青い瞳の、黒いスーツを着た若い長身男性が、赤茶けたスーツ姿の執務室の妙齢主人を出迎える。

 「お前の読み通りだ……早急に動く必要性が出てきた。急ぎ国主を説得する資料を作れ」
 「承知しました。して、潜り込ませた彼女らは」
 「機を見て動かす……」
 「早い方が宜しいかと。かの切り札を切って来たという事は、向こうはかなり強引に動いて来るでしょうから」

 彼はそう言い残して、慌ただしく部屋を出て行こうとする。
 妙齢主人は「待て、クロギリ」と彼の名を言って呼び止めた。

 「そろそろチハヤ君に伝えた方が良いのではないか……?」
 「…………いや」

 知性深き青の瞳が物憂げに細まり、「これは我々大人が起こした事態です、我々が対処せねばなりません」と返す。

 「何より、あの子の大事な時期に、煩わせたくはない」
 「そう、か……」
 「急ぎましょう。子供達の為にも、ここで負ける訳にはいきませんから」



 靄の掛かった日々はあっという間に過ぎて、年の瀬。
 世間一般では殆どの者が休みを取る期間であろうとも、使用人としての仕事に休みは無い。
 昼間、しんしんと積もる屋外の雪景色と同じ色合いの髪を揺らす給仕服姿の少女レイは、結露した窓の掃除を言い渡され、ボロ雑巾を手に冷たいガラスを拭いていた。

 「はーー……はーーっ……っ……」

 熱い吐息が、意図せず外と内の境界を曇らせる。
 引き攣る腹部をくの字に曲げながら、彼は人知れず葛藤していた。

 っーー……オナニーしたいっ……。

 覚えさせられて以来、頭の片隅は常にそれだ。着せられて以来サイズの変わらない給仕服に無理矢理収められた肢体はもう破裂寸前。成長した尻と胸が強調されて、思考はどうしても其方に引っ張られて止まなかった。
 特に胸は酷く、何らかの理由で装具が外されてしまっている故、布に包まれた柔肌が強烈な刺激に苛まれ続ける。
 正気を保っていられず、懸命に繋いできた耐え凌ぎこの窮地を脱するという心は、とうとう淫欲によって腐り堕ちかけていた。

 「はーー……っーー、ぁ゛ーー……」

 もう死ぬしかない。死んでしまいたい。近頃強く抱く様になった絶望さえ、塗り潰される。
 終わりを望んでいるのに、夜の夜伽訓練が待ち遠しく感じられた。上手に張り方をしゃぶれば、褒美にオナニーさせて貰えるし、装具でイかせて貰えるのだ。
 「上手くなりましたね」と褒められ、頭を撫でられながら身体を慰めた記憶が過ぎる。

 ────後は達する時、何かが来そうな時はイク、とちゃんと言いましょうね。

 イク。言えた。イク。褒めて貰えた。イク、イク、イク。どの快感の爆発がイクなのか分からないし、言えてるのかも分からなかったが、撫でて貰えた。
 植え付けられた強烈な依存心が振り払えない。続け様に昨日のシスイの言葉が反芻される。「明日は一年の最後だから特別な事がある」と。
 果たして、どのような気持ち良い事をして貰えるのか。期待に胸が膨らみ、内腿は滑ってしまう。

 オナニーしたいオナニーしたいオナニーしたいオナニーしたい────
 
 体重を掛けて雑巾を動かし、前がかりになった所、出っ張った胸元が不意に冷感と接触し「ひゃんっ」と声が上がった。
 近くで同じ仕事をしていたカゾノが、すぐさま「どうしたの?」と駆け寄って来る。
 彼は慌てて取り繕った。

 「はーー……っ、なんでも、ございません……」
 「ほんと? 顔赤いよ? 風邪じゃない?」

 しかし、指示を受けていないので身体は止まらない。彼女に意識が向いた事で再び胸の先がガラスにくっ付き、そして擦られる。
 滲む母乳と熱っぽい肌への刺すような冷感が快感を呼び覚まし襲い来るが、羞恥とバレて止められたくないという心理が結託し、今度は声を堪えられた。

 「っ……かおがあかいのは、いつものことにございます……」
 「……敬語、上手になったね。嘘は下手くそなままだけど」

 しんみりした様子の彼女は、その八重歯で唇を甘噛んだ。
 何かを口にしようとしている。と、そんな時だ。
 カツリカツリ、硬質な靴音が二人の下へ迫る。
 廊下の曲がり角、その影から姿を現したのは、知っての通り黒髪長身の女、キクチだ。

 「カゾノ、呼び出しです。行って来なさい」
 「えっ、今ですか? 忙しいので急ぎの用でないのなら……」
 「火急の用事だと申していました。急ぎなさい」
 「ぇっ……わかりましたっ」

 彼女は大慌てで去っていった。
 続けて、取り消されていない指示を淡々と続ける彼に「止まりなさい」と冷ややかな声が飛ぶ。
 手脚は指示の通りに止まり、彼は仕方なく惚け顔をキクチの方へ向けた。

 「……? なん、でしょうか……っ⁉︎」

 瞬間、「喜びなさい」と彼女。彼の濡れた給仕服の両胸をもぎゅっと掴み上げた。
 長身の女の両腕にすっぽり収まる程度の華奢な肢体は鋭い刺激に襲われ爪先立ちになった後、冷たい胸の先端に熱いものが滲み出し、温い快感で一気に力が抜ける。

 「はっ、ぐっ……なに、をっ……」
 「こんな浅ましい姿に成り果てた貴方に、素晴らしい役割が舞い込みました。来なさい」

 そのままぐいぐいと引っ張られ、何処かへ連れて行かれる。
 露骨な乱雑さに、久々に痛みを痛みとして感じ、唯ならぬ雰囲気に正気に引き戻された彼は「クソっ、やめろっ……!」と堪らず悪態を吐き、自由な挙動を許される体幹の力を使って後ろへ倒れようとした。

 「はぁ、まだそんな口が叩けますか。前々から封じたかったのですが」

 キクチの手にある白い指輪が赤く光りだし、そして悪辣な笑みを浮かべて言う。

 「今ならやっても構わないでしょう。『クソと言ったら絶頂』」
 「なにいってんだこのクソっ……くっ……?」

 ゾリゾリゾリゾリ。下腹部に何やら高速で刻み込まれる感覚が走った。
 その後、何のキッカケも無しに背筋をかの快感が駆け上がり、あっという間に体内で飽和する。

 「ぃ゛っ……っっ゛~~~~⁉︎」

 熱し過ぎた鍋が吹き零れるが如く達して、腰を折って崩れ落ちると、彼はふっと意識を手放してしまった。
 くたりとした柔和で軽い肉体を、キクチは肩で担ぎ上げて何処かへと運んでいく。
 その様子を影から覗く、蛇の如き視線が光る。

 「さぁ~て、どう動こうかねぇ~」



 暗転、幾許かの間の後、狂おしい全身の熱感と共に再び目覚める。

 「……っぁ?」

 かの淫紋を刻み込んだあの部屋を彷彿とさせる、機構のぶら下がった白い天井が迎える。
 辺りを見回せば、認識阻害や衝撃吸収等々、様々な術式の施された白い部屋、白い空間が辺りに広がっていた。
 さながら簡易ラボと言った所で、となると当然、彼女がいる。

 「ありゃっ、お目覚めだねぇ」
 「はっ……っ⁉︎」

 視界に飛び込む防毒マスク。それとは別に気付き、驚愕した。胸に付けられた搾乳機の様な物もそうだが、それだけではない。
 何と、淫紋を形成していたかの刻印と同色同質の物が、下腹部より薄らとではあるものの肩や腕、指先に至る隅々まで広がっていたのだ。
 視認した瞬間から、熱感はより一層酷さを増してその身を蝕み、金切る様な絶叫が上がる。

 「ぅぁ゛っ、あ゛あああぁ!」
 「うぉわぁ、ごめんよぉ~」

 身を屈め彼を覗き込む防毒マスクの女は「もう効くか分からんけどぉ、気休めに、えいっ」と彼の首筋に注射器を突き刺し、プシュッ。素早く注入した。

 「バイタル大丈夫かなぁ~、どう足掻いても死にはしないだろうけど、う~ん」

 苦しみは全く収まらない。
 しかし、余りに苦しいが故、正気を保つ事が出来た。

 「はぁ゛っ……ぐぅ゛っ、これ゛っ、なん゛っっ……!」
 「おぉ、メンタルの方は本当に素晴らしいねぇ……折角だから話しちゃうか」

 そうして語られたのは、現状のレイと、それを取り巻く勢力争いに関する話。

 「君の魔力量がねぇ、ちょぉっともう色々と身に余りそうなんだぁ」

 その胸から搾り上げられる乳白色の液が証拠だと彼女は言って、既に採った分の物を入れたビーカーを揺らして見せた。
 そこには特濃の魔力が含まれているという。小水等排泄物にも多分に含まれている為さして不思議では無いらしいが、其方とは違って加工利用が出来る可能性が高い故、念の為採取に励んでいると気怠げながらも楽しげに説明した。

 「そのせいで先方は早急に計画の変更を行う様命令してきてねぇ……」

 行われたのは、パワーゲームを振り翳しながらの電撃戦。所属不明という体の兵を動かし、秘密裏にレイを確保、先行して改造手術を施してしまおう、という物である。
 後に分かる事だが、既成事実によって選択肢を早期に潰し、主導権を握る意図がそこにはあった。
 情報の開示隠匿を握る者達にとってはローリスクハイリターンの賭け。やらない意味が無かったのだろう。

 「何を無駄話をしているんですか?」
 「ひっ、キクチしゃん⁉︎」

 話は、突如壁を捲り上げ外から訪れたかの女によって遮られた。

 「余計な情報は与えないで下さい、無意味です。それより必要な手順の完結を願います」
 「ここで出来る事はもう全部やったよぉ! 魔力リソースを出来る限り埋めておいたから、ちゃんとした設備と例のモノさえあれば、後はもう」

 刹那、屋外からの強襲か。白い壁に見える空間が一瞬歪み、捲れ上がった。
 外から吹き込んだ雪と極寒の風と共に、キクチの舌打ちと「シスイもかっ……!」という呟きが耳に入る。

 「でしたら此処は任せました、私は迎撃に参ります」
 「えっ、あっ、はぃ~」

 整った黒髪と羽織っている雪除けのコートを翻し、彼女はひとっ飛びに外へと消えた。
 その場に一時の静寂が戻り、彼自身の呻き声だけが再び聴こえてくる。
 ヘルゼンが「あっ、慌ただしいなぁ~」と口にした、その時。白衣の背中から出ている機構腕が瞬間的に駆動し、背後から飛来した硬質な何かをキンッと弾いた。

 「ん?」

 鈍く光る八本が広がり、鋭く尖って獲物を探す。
 針が飛んで来た方向は防護の壁がある。果たして、どうやって────

 ドスッ! 
 その内の一本が何かに反応して振り下ろされた。
 先端は床に刺さる。貫く物は無し。しかし、その先に一人、小柄な人影あり。
 上から下まで赤の少し差した黒一色。頭は頭巾、上半身は余らせ気味の布を出来る限りだぶつかない様巻き付けたかの如き上衣を纏い、下は動き易そうな袴を履いている。

 所謂忍び装束だった。尚、機構の視覚が姿を捉えた時間は瞬きの間にも満たない。
 その者は先程吹き込んだ風よりも速く動き、機構腕達の電光石火の反射的追撃を置き去りにしてレイを連れ去っていく。
 取り残されたヘルゼンは一切何が起きたのか分からず。ただガラ空きになったベッドを眺めて「おやぁ?」と首を傾げるのだった。


 
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