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プロローグ 美女シスターと美少年(?)司教は廃都で躍る
噂をすれば影
しおりを挟む「ゼタ!」
私が彼の名を叫ぶよりも早く、彼は影へ向け掌をかざし光の輪を放った。暗幕が広がって男を包み込もうとする直前、間一髪で光はその間に割り込む形で到達。影は彼に届かず、その輝く輪の中へと吸い込まれ始める。
「オネスト! 彼を頼むっ!」
「分かってます!」
思いの外事が起こるのが早くて何よりだ。私はまだ事を理解していない様子の男の腕を掴み、「ボーッとしてないで! 逃げますよ!」と肩が抜ける勢いで引っ張って走り出す。
「いだっ! 姉さっ、急に何をっ⁉︎」
「振り向くな! 走りなさい!」
「はっ、はひぃ⁉︎」
一般人なら失神していてもおかしくないのに、まだ返事出来るだけの余裕があるか。動転はしてるけど、これは助かるな。
ヘタレオーラ全開でムカつく男だが、餌として協力してくれたのだ。感謝ついでに、兎に角まずは安全な場所まで退避させなければ。
身体を動かしながら思考を回す私。その背中にひんやり冷たい悪寒が走り、脳がひび割れたと錯覚する程に強烈な雑音が耳を劈く。切迫する恐怖を感じ、そんな場合では無いと自分で言ったのに、ふと振り向いて声を詰まらせた。
「っ、うっ……!」
背後に広がる暗がり。ゆらりゆらりと揺らめく暗黒は、かの横倒しになったビルと同等かそれ以上に巨大な大蛇の頭の様であった。追い縋るそれの顎は大きく開かれており、今にも私達に食らいつかんとしている。
これっ、蟒蛇っ……? それにしてもちょっと、デカすぎないっ……⁉︎
妙だ、おかしいと脳裏に疑念が生じたのも束の間。質量、サイズ感を感じさせない速度でガチンと顎が閉じた。しかし寸でのところで牙は届かず。どうやらギリギリの所で失速したらしい。
ゼタきゅん様、ありがとうっ……!
とはいえあの巨大さだ。ビルやアスファルトに響く苦戦の音も聴こえるし、そう長くは持つまい。私はここが勝負だと判断し、止まった化け物から十分距離を取った所で一度脚を止め、先を急ごうとする男に「待って!」と叫んだ。
「い゛っ⁉︎ えっ、ええっ……?」
またも突然強引に腕を引っ張られ、痛みと困惑の中立ち止まる男。対しすかさず「背中を向けなさい!」と指示し、私は背中の荷物を素早く下ろして中から紙面を取り出した後、カチリと音を立てて、左手の手首から先を取り外した。
「へええっ⁉︎」
「便利でしょう? さっ、早く向けて!」
視線を向ける男を強引に回れ右させ、義手に仕込まれた道具の一つ、瞬間接着剤を背中に少しばかり塗布。そしてそこに紙面を貼り付けた。
「なにをっ……ひっ⁉︎」
すぐ向こうで暴れる巨大な影を目にしたのだろう。その場で腰を抜かし怯え竦んだ。丁度良いと私、その隙に右の指先の皮膚を少し噛み千切り、「起動するかどうかは少し賭けです、祈りなさいっ!」と、紙面上の複雑な模様の欠けた部分に一本、血で線を足した。
「はっ、はっ? ははっ…………はっ?」
過呼吸を起こす男。その背中を支え、私は起動を祈る。
ダメ、か…………?
一瞬不安になったが、次の瞬間、紙面は光を帯びて、燃焼の如き振る舞いを開始。塵に変わっていくと共に光は彼の身を包み、やがて天へと昇る程の細長い柱となる。
「はーーっ、よかった。この辺のソーツ薄いんだよもーっ」
「わっ、オレ光ってる! 光ってるよ……!」
背中にこびり付いていた黒い影モヤが徐々に祓われていく。この調子なら暫くは大丈夫だろう。
「立って! 一応あんたがアレに追われる原因は抑えたから! 真っ直ぐ向こうへ走りなさい!」
「っていっても、アシがふるえて……」
パシィン。私はへたれた男の頬を叩いた。「へぇっ……?」と涙目になる男。対し「死にたくないでしょ⁉︎」と一喝。今一度立って走る様求めた。
「ひぃっ!」
立ち上がり、滑稽な声と走り方で男は走り去っていく。私は似合わない事をしたな、と反省しつつふうっと一つ息を吐いて、改めてのたうつ巨大な影を見据えた。
さて、どうしようか。正直、あそこまで肥え太った相手は一度撤退して騎士団の助力を得るのが定石なんだけど……。
思案の最中、大蛇の頭が大きく動いて尾の方で重く激しい衝突音が轟き、ずらり立ち並んだ十メートル前後の背丈の廃墟群が薙ぎ倒されていく。一瞬不安が過った私は一度目を凝らしゼタの安否を確認するが、その彼は予想外の角度、上空から飛来し、タッと私の隣に降り立った。
「退避は完了した様だな」
「ええ、まぁ……私達も撤退しません?」
「ダメだ。アレをここで放置したら被害が何処まで拡大するか分からん」
「そうは言いますけど……勝算は?」
私がそう尋ねると、まあ呆れたものだ。彼はきょとんとして「それは今僕が訊きたかった事だ」などと宣った。
「いや、厳しいから撤退を提案してるんじゃありませんか……」
「厳しい、なら不可能じゃ無いのだろう?」
「うっ、このっ……」と言いかけて止まる。今は言い争っている場合じゃない。
決定権は常に彼にある。分かっている。ここまで来た時点で、もうこの子は曲がらない。これは彼に対する初動を間違えた私の責任だ。
探し回る様に動いていた巨大な大蛇の影の頭部が此方を向いた。揺らめき、蛇行し、痺れる様に耳障りなノイズを発しながら此方に近付いて来る。
どの道後味の悪い犠牲を払わずにアレから逃げ果せる自信は全く無い。仕方ない、か。
「無茶振りしたんです。言う事ちゃんと聞いて下さいね、貴方にも頑張って貰いますからっ」
「……善処する」
少し訝しげで濁った返事の直後、大蛇の頭が降ってきた。避けられるか怪しい程の速さであったが、私は自分よりずっと小さな彼に抱え上げられ難を逃れた。
「どうするオネスト」
「っ~~ああもうっ! あの怪異知ってますか⁉︎」
「ウワバミだろう、君の想定の中段階に入っていた」
「ええ! と言ってもサイズが完全に想定外で最悪一歩手前って感じですけどねぇ!」
「確かにあれ程大きいウワバミは初めてだが……何を怒っているんだ? そんな場合では」
ぬらり。世闇の中を泳ぐ様に敵は此方を追撃。まるで頭が複数生えたかの如き挙動で、無数の噛みつき行動を繰り返して来る。対し私という荷物を持ちながら、ゼタの華奢な体躯は軽々と舞い、躱す、躱す、躱す。
「あうっ、アレには質量っ、実体がありません! その癖、与える影響は殆ど物理的なモノに限られます!」
体質は極めて良くある理不尽な怪異だが、好みの噂の匂いがする獲物を進んで喰らったりする習性や、縄張りを荒らした者、獲物を横取りした者へ執拗に報復行動する気性、破壊、ないし捕食行動によって齎される結果は現実に生きる動物と大差無い。
「それは概ね把握した」
「貴方の御加護が純粋に苦手とするタイプですが、速い話怪異の形をした動物ですっ! 習性は逆手に取れます!」
これを持って下さいと手渡したのは、今朝方酒場でたっぷりと溢れた酒を拭き、染み込ませた手拭いだ。
「ゼタのヘイトは十分かもしれませんが念の為。恐らくそれでより確実に引き付けられるので、今一度囮役をお願いしますっ!」
「なっ⁉︎」
「貴方が引き付けている間に準備します! 場所は廃都支部前! 出来たら合図を送るので、その時に地点に誘導を!」
「結局かっ!」
私は「誘導ルートはしっかり考えて下さいね!」と言い残し、彼の腕の中から転げ落ちる様に離脱。巨大な影が間違ってこちらに来ないかヒヤリとしつつ、大急ぎで準備に向かった。
暫くして。
(くぅっ……流石にキツくなってきたぞっ……!)
囮役のゼタは少しずつ戦線を廃都支部の方へ移しながら闘牛士の如く敵の突進をあしらい続けていたが、遂に体力、精神力の限界が近付き根を上げ始める。
(もう居住区が近いっ……! 逃げる方向がっ……!)
「まだかっ、オネストっ……!」
その時だった。合図と言わんばかりに、所定の場所の方から金色の光の柱が立ち上がったのが見えた。彼は最後の力を振り絞り加速。考えていたルートをひた走り、地点に到着する。
「はぁっ……これはっ……?」
ゼタが目にしたのは仄かに光り輝く酒樽であった。何やら術式が施されている様だ。
(酒樽だけじゃ無い。足元にも広範囲に術式の基点となりそうな模様が描かれている…………短時間でこれだけ描けるのか……?)
ふふふ、驚いてる驚いてる。
「酒屋さんから先程無理を言って頂きましたっ……それにっ、対蟒蛇用の術式をっ……!」
私は息を切らし、腕を震わせ滅茶苦茶重かったと嘆息しつつ、「時間掛かってすみませんでした」と彼に頭を下げた。
「いや、間に合ったのだから良い……というか、それどころじゃない、来るぞっ!」
夜闇の中、宙を滑る様に巨大な影が迫り来る。私とゼタは酒樽の後ろにゆっくりと後退。いつでも回避出来る様身構え、様子を窺う。
「っ…………!」
大蛇の大顎は開き、酒樽と私達とを一直線上に捉える様飛び掛かった。対し私達は左右に決死のダイブ、これを回避する。
「よし食ったっ! 今です! ゼタ! 術式の起動を!」
「っ、おおっ!」
彼の左手が基点の一つに触れた。すると、忽ち地面に描かれた模様に光が満ち、煌々と輝きだす。
────!
大蛇からまた強烈なノイズが発せられる。が、襲っては来ない。その場で痙攣するが如くビクビクと震え、苦しみにのたうち回っている。
「ふふっ、お味はどうですかぁ? しっかり味わって下さいねー」
「一体酒にどんな術式を加えればああなるんだ……?」
「単純に逸話ですよ。アレの始祖は酒好きで、それが原因で討伐されたという話が」
疲労で重い腰を上げ鼻高々に語り出したその時、暴れる奴の尾が私の方に向かって撓った。速い、躱せない。衝撃に備え歯を食いしばる。が、衝撃は来なかった。私の前にゼタが割り込んで、その背中で一撃を遮ったのだ。
パァン! 尾は届く前に不可視の何かに弾かれたかの如く跳ね返り、大蛇は衝撃で反対側へと転がると、そのままゆっくりと衰弱していき、やがて動かなくなった。
「っ……ゼタ…………」
「っ、気にするな……はぁっ……今のは、仕方なかった……」
顔が赤い。加護の使い過ぎだ。
「ゼタ!」
彼はその場でふらふらとたたらを踏んだ後、ゆっくりと倒れ伏した。
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