落ちこぼれ[☆1]魔法使いは、今日も無意識にチートを使う

右薙光介

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9巻

9-2

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「ハルタ侯爵が到着したよ、我が主マスター

 歓談が熱を増す頃、俺のすぐ横に姿を現したナナシが、周囲にうやうやしく礼をしつつ告げた。
 それを聞いて冷え冷えとした緊張を高めたのは、俺だけではないはずだ。
 ……今回の重要な議題の内の一つが現地にご到着となれば、旧交にゆるんでいた気を引き締め直さなくてはなるまい。

「では、皆さん。そろそろ会議場へ移動してくださいませ」

 来場者と歓談していた広いホールの扉を、ナナシが魔法で開く。
 会議室……通称『井戸端いどばた』までは迷うことはない。一本道だ。
 俺は率先して足を動かす。
『井戸端』の扉を開くのは、俺の役目だからだ。
 少し長い廊下を歩いて、突き当たりの両開きの扉の前でキーワードを唱えて、鍵を開ける。
 ここは様々な魔法で保護されていて、部屋そのものが魔法道具アーティファクトといった風情ふぜいの場所で、俺のサービスの極みとも言える。
 特徴的なのは、この部屋には『呪縛せいげん』がかかっていることだ。
 また、ありとあらゆる盗聴や気配察知、ナナシの遠見すらも遮断しゃだんする仕様になっており……早い話が、ここはダンジョンの最深部のように手厚く守られているのだ。
 部屋には大きな円卓が置かれており、きっちり参加者の人数分だけ椅子が並べられている。
 この部屋には、護衛も同行者も使用人も入れない。
 お茶のお代わりなど、何か用事があれば、絡繰使用人マトンバトラーに命じるか、俺に用向きを伝えてナナシを動かすしかない。
 そのくらい厳重に作られた、特に重要な話をするための部屋なのだ。
 そしてこの部屋を作った最大の理由は、俺自身にある。
 吟遊詩人達がうたう八人の勇者の内一人――賢者アルワースの役割をした俺が生存していること。
 その俺が☆1であり、貴族のくらいを得てしまっていること。
 そして、俺が『淘汰』に対して対策を講じていること。
 これらの情報が漏洩ろうえいしないようにするために、必要な措置なのだ。
 下手をすれば、俺の家族にだって何かしらの危険が及ぶかもしれない。
 それくらい俺の立場はあやういものなのだと、自分で理解している。

「こちらでございます」

 全員が席についた頃、執事姿のナナシに案内されて不機嫌そうな表情のハルタ侯爵が会議室に到着した。

「皆、よく集まってくれた。議長進行役は、私が務めさせてもらう」

 全員が着席したのを確認したヴィーチャが、軽く片手を挙げて宣言する。

「会議前によろしいですかな?」
「何か? ハルタ侯爵」

 そう問い返したものの、ヴィーチャ本人も、他の誰もが、ハルタ侯爵が何を言い出すかはわかっていた。
 わざわざ先だって書面で送るくらいだ。

「まず、ここに集まっている面々のことでございます。そして、このような会議を一個人の屋敷……しかも、名ばかりの貴族である☆1の前で行うのは、王国としてどうなのでしょうか」

 ハルタ侯爵は不穏な視線を隠しもせずに俺へと向ける。
 前バーグナー伯爵にも似たその不躾ぶしつけな視線には、もうずいぶん慣れてしまっているが。

「では、ハルタ侯。会議室から退室してくれ」

 冷めた様子のヴィーチャの声が、静まる会議室に響いた。

「は? なんですと……!?」

 先程のような小言じみた苦言をハルタ侯爵が口にすることは今まで多々あったが、ヴィーチャが強硬な言葉を返すのは今回が初めてで、俺も驚いた。

「勘違いをしてもらっては困る。此度こたびの集まりは、我々がアルワース賢爵に知恵を借りるためのものだ」

 それを聞き、ハルタ侯爵が眉をひそめる。

「国政をつかさどる我々貴族が、☆1に頼るなど……」
「彼は私の信頼のおける友人であり、王家の血族だ。そして賢人かつ優秀な魔法使いでもある」
「優秀な魔法使いであることは認めましょう。しかし、政治やその決定に☆1を関わらせるべきではないと言っているのです」

 ハルタ侯爵は静かに、しかしながら熱を持ってヴィーチャを説得する。

「人材不足は理解しております。戦功ある〝☆足らず〟を貴族として召し上げるのも良しとしましょう。しかし、まつりごとの決定は、高貴なる者の意思によるものでなくてはなりません」
「それは古い考えだ。そして、その結果が現在のエルメリアの状況だろう」

 この舌戦自体は何度も見てきた。
 ハルタ侯爵の言うことはある意味で正しい。
 ☆5というのは、この世界にとって事実上の上位者だ。
 俺のような特別な環境にある者はともかく、☆1は☆5に能力でまさることは非常に困難だし、☆による能力上限の差はやはり歴然として存在する。
 悲しいかな、人間というものは差別をする生き物だ。
 それは意識下、無意識下にかかわらず常にどこかにあるもので、自分より下だと判断した者の意見を理解しがたくさせている。
 逆に、十二神教会の誤った思想――魔王シリクが誘導した思想のもとにあるレムシリアの住民は、存在係数コストの高い人間、つまり☆5の人間の言うことならば多少問題があっても受け入れてしまう。
 それは社会形成においては非常にスムーズな統制を行うシステムであると、俺は評している。
 魔王シリクのやり方を肯定するわけではないが、レムシリアの人間が社会構造を維持しようとした時に、非常に合理的に政治を進めることができるように構成されているのだ。

「ハルタ卿、私の作るエルメリアは新しいエルメリアだ。☆5一極集中の体制は一体どれほどった?」
「言いたいことはわかります。しかし、これでは民が納得しません」
「で、あるから……この『井戸屋敷ウェルハウス』を使っているのだろう? そもそも信頼のおける高貴なる者☆5の貴族は何人いる? 私の知っている限りでは、貴公とラクウェイン卿、グランゾル卿、バーグナー卿、それにレイニード卿くらいしか思い浮かばかないのだが」

 ヴィーチャが名を挙げたうち、今日来ていないのは、グランゾル侯爵だけだ。
 彼は今、軍を率いてモーディア皇国の国境地帯に詰めている。
 自分は会議などのデスクワークには向かないので、話し合いの結果だけ送ってくれと連絡が来ていた。

「では、今名前が挙がった者だけで話し合いをすればよいのです。☆の足りぬ人間を、政治に関わらせるべきではない。一度それをしてしまえば、あとは特例の裾野すそのが延々と広がって、取り返しのつかないことになるだけです」

 王政である以上、最終的な決定権は国王であるヴィーチャがにぎる。
 それは、本人からも相談を受けて、最低でも数世代先まではそれを続けるべきだと俺が進言した。
 政治のことは俺にはわからない。しかし、復興が最優先の今は、意思決定を迅速じんそくに行える強権が必要になるのは理解できる。
 そのためには、☆5で王族であるヴィーチャの立場が絶対に必要だった。
 その強権を維持するには、意思決定を行うヴィーチャに対し、一切の疑念や反論を許さない鉄壁の理論武装が必要なのも事実である。
 俺をはじめとする〝☆足らず〟はその足元を危うくしてしまうのだ。
 王の意思決定にリックのような☆3の貴族がんでいる……ましてや、☆1の俺がその助言をしているなどと知られれば、大きな問題になるのは目に見えている。
 ハルタ侯爵はそれを危惧しているのだろう。
 彼は☆至上主義者だが、現実主義者でもある。
 ☆至上主義という信念を持った上でも、俺という特殊人材について過小評価もしないし、過大評価もしていない。
 それは彼と関わるうちに、おのずとわかっていた。
 彼は俺にできることを正確に把握しているし、能力そのものについて俺をあなどったりおとしめたりしたことは一度もない。

「では、ハルタ卿。アストルの助けなしにこの国の完全な立て直しを図れるのか? ダンジョン攻略、モーディア皇国への対処、世界危機への対応……これらを彼以外に行える人材がいると?」
「話をすり替えていただいては困ります、王よ。それらは我々高貴なる者が裁断し、下々に命を下せばいいことで、その判断を☆足らずの者達にゆだねるべきではないと言っているのです」
「その判断を私達が正確に下せるのか? 知識不足ではないのか?」
「その知識の補完はこのような形で行うべきではありません。必要であれば召喚し、命じて答弁させればよいのです。会議という形で討論すべきは彼らでなく、我々高貴なる者のみです。それが貴族の責任というものです」

 実に貴族らしい貴族だと、俺は素直に感心する。
 貴族の責任と彼は言ったのだ。
 ハルタ侯爵からは、俺のような下々の者が国と国民という重荷を背負わないで済むように、という意図が見え隠れしていた。
 俺は王国貴族に良い印象は持っていなかったが、彼のような高位貴族がいたからこそ、王国はそれでも平和でいられたのだろうとすら思える。

「ハルタ卿、そこまでにしよう」

 すずしげな、まるでベルベットのような声が低く響く。
 長く伸びたつややかな黒髪の貴族が、切れ長の目を細めている。

「レイニード卿。あなたも高貴なる者であれば、王をいさめるべきだ」
「ハルタ卿、此度は茶話会がてらの非公式な意見交換会に過ぎない……そうではないかな?」

 建前としてはそうなっている。
 ハルタ侯爵の危惧するところは、当然俺達も危惧している。
 俺などは〈異空間跳躍ディメンションジャンプ〉でしかこの屋敷を出入りしない。どこに人の目があるかわかったものではないからだ。
 今日も、有志を招いての茶話会としか周囲には伝達されていないし……ヴィーチャは王城から続く秘密の通路を使ってこの『井戸屋敷ウェルハウス』に入っているはず。
 外から中はうかがえない仕様になっているし、使用人も最低限で、ナナシに見張らせている。
 情報や状況が漏れる可能性は限りなく低い。

「レイニード卿、建前の話をしているのではない。まつりごとへの姿勢について言っておるのだ。そうでなくては、会議の意味などない」
「では、やはり卿はこの場を去るべきだ。これから我らがするのは茶話会であって、なんぞ決定する王議会ではないのだから。王の茶の時間にまで卿が口を出すのは、越権が過ぎるであろう?」

 レイニード侯爵の言葉に、ハルタ侯爵が詰まる。
 建前というのは重要なもので、そうでもしないと立ち行かない事情がある時によく使われるものだ。
 今のハルタ侯爵は、招かれたとはいえ、王のプライベートな茶の時間にまで自分の意見を押しつけて、その茶の相手にまで難癖なんくせをつけているという形になってしまっている。

「……失礼させていただく」

 熱の冷めた冷静な顔で、周囲を見やり……ハルタ侯爵が席を立つ。
 扉の前に控えるナナシが『井戸端』の扉を開けると、ハルタ侯爵は振り返ることなくその先へと歩き去った。
 再び閉じられた扉を見て、ヴィーチャが大きなため息を吐き出して、ぬるくなってしまった茶をぐいっとあおる。
 そして、気を取り直したように笑顔を見せて告げた。

「さて、それではを始めようか」


 ◆


 雑談という建前の会議はつつがなく終了した。
 そもそも、ほとんどの議題は単なる確認だけだったのだ。
 モーディア皇国の難癖を呑むつもりは毛頭ないし、せっかく出したうみとも言える逆臣達をわざわざ国内に引き入れるつもりもない。
 かの国とは最初から戦争状態にあるので、これ以上の関係悪化も別に気にする必要はなかった。
 そも、俺達にとってモーディア皇国というのは、『淘汰』たる魔王シリクがこの世界に打ち込んだ破滅の楔の一つだ。
 最初から和睦わぼくなど結べるとは思っていない。
 その国に住む人々にとっては、残酷な話だろうけれど。
 会議後、歓談を交えた立食の軽食会にて、俺はヴィーチャに問いかける。
 本来なら、俺のような者が王様に直接口をきいて質問するなどあってはならないことだが、この屋敷ではそれが可能だ。
 この屋敷にいる限り、彼は俺のただの友人という立場でいられる。

「よかったのか? ヴィーチャ。ハルタ侯爵閣下を追い出してしまって」
「仕方がないだろう。彼がいたらいつまでたっても会議が始められなかった。言い分は正しいかもしれないが、今は迅速な判断が求められる時期で、私には助けが必要なことが多すぎる。王議会でいちいち呼び出して質問なんてまどろっこしい真似はできない」

 王族でありながら冒険者でもあったヴィーチャの目には、王議会をはじめとする政治の迂遠うえんな部分は少しばかり堅苦しく映るらしい。
 とはいえ、あれはあれできちんと記録がとられるので、何か問題があった時に責任の所在をはっきりさせたり、何がいけなかったのか再検証したりする際に、王の助けとなるのだが。

「私はハルタ侯爵の言い分もわかりますけどね」

 そう言って、ヴィーチャと俺の会話にレイニード侯爵が入ってきた。

「レイニード卿……。では何故、あのような?」

 俺の質問に、美麗びれいを絵に描いたようなレイニード侯爵が静やかに笑う。
 森人エルフの血が混じるレイニード侯爵家の人々は、とても美しいことで有名だ。

「あのままでは、お互いぶつかり合ったままですので。ですが、私も政治の責は高貴なる者が負うのが良いと感じます。我々☆5の立場は依然として強い。対して、政治の失敗となれば、あなたや☆3では命を失いかねませんから」

 その言葉に、ヴィーチャが反論を口にしようとするが、レイニード侯爵がそれをとどめる。

「王よ。あなたの理想も理解しているつもりですよ。ですが、友人と臣下を思うなら、少しだけ譲歩が必要です。甘さや油断が、彼らの命を危険に晒すこともあります。当然、王国の命運も」

 諭すようにレイニード侯爵は告げる。
 エルフの血を引く彼の寿命はとても長い。ヴィーチャを含めて三代の王につかえる彼の言葉は、とても重みのあるものだ。

「そうだな……。何も古いもの全てを捨てることもないか」
「悪い部分は是正ぜせいして参りましょう。今はそれができる機会でもあります。ですが、国として必要な部分……それこそ必要悪と呼ばれるものも残していかなければなりません」

 綺麗事きれいごとで政治はできない。レイニード侯爵は暗にそう告げている。

「ああ。では王議会ではそれを議題に挙げよう。各所に是正すべき箇所とその理由をリストアップするように根回ししてくれ」
御意ぎょい。そうそう、それでいいのですよ、我が王。人を使ってください」

 くすくすと笑いながら、レイニード侯爵が一礼して場を離れた。

「やれやれ、王になんてなるんじゃなかった。アストル、今からお前に代わっていいだろうか」
「お断りする。嫁が二人もいれば、俺は充分に幸せだ」
「子供はまだか? 名付け親は私に任せてもらうからな」
「ヴィーチャも急かされているんじゃなかったか?」
「ああ、連日貴族達から手紙が届いているよ。早くきさきめとれと、ハルタ卿もうるさいしな……」

 ため息をつくヴィーチャを慰めていると、リックとミレニアが連れ立って現れた。

「おう、相棒。おつかれさん」
「リック。……と、ミレニア」
「その言い方は少し失礼でなくって? アストル」

 ミレニアが小さく笑いながら、俺に視線を向ける。その優しげで穏やかな瞳が、彼女の今が充実していることを示していて、俺は少しばかりほっとする。
 彼女がリックとそういった間柄あいだがらになるには、少しばかり時間がかかったようだが……リックのねばり勝ちというやつだな。
 ミレニアは俺のことで少しばかり視野を狭めてしまっていたので、それは申し訳ないと思う。

「二人の結婚はいつ?」

 親友二人の結婚だ。お祝いのプレゼントは、きっと驚くようなものにしようと思う。

「それがなぁ……」
「ええ……」

 困ったように二人は王に視線を向ける。
 その視線を受け止めることなく、ヴィーチャは目をらした。

「どういうことだ? ヴィーチャ」
「そう怒るな、アストル。これにも事情があるのだ」

 ヴィーチャいわく、二人ともが現役の領主貴族であることが問題らしい。
 南部一帯の広域を治める『バーグナー辺境伯へんきょうはく』と南東部と国境帯を治める『ヴァーミル侯爵家』。
 この二人の婚姻は、いくつかの問題の火種となる。
 まず、どちらかがどちらかの家に入るとなった時、家格的にはリックがバーグナー家に婿むこに行くという形になる。
 となれば、せっかく戦功によって立てた、リックのヴァーミル侯爵家が早々に潰れることになる上、その領地が空白となってしまう。
 それでは外聞がいぶんが悪いし、竜殺しの英雄となったリックをプロパガンダに利用するのが難しくなる。
 それに、ザルデン王国と上手くやっているリックをそこから動かすのは、現状少し問題だ。
 だからと言ってミレニアをヴァーミル侯爵家に嫁入りさせてしまっては、今度はバーグナー家の領地をどうするか、ということになる。
 大型のダンジョン二つとダンジョン跡地を一つ抱えるこの南部地域は、ある事情により急ピッチで復興と開発が行われており、仕事も多い。
 前領主であるミレニアの父は、形式上行方知れず(俺は場所を把握しているが。元気に海賊の下働きをしている)だし、戻ってきたところでミレニアのような領地経営ができるとは思えない。
 ならば両家で合併してしまおう――というのも、これまた問題がある。
 それによってできあがる領地が大きすぎるのだ。
 つまり、一つの家が力をつけすぎると、王国内のパワーバランスを崩すことにもなりかねない。

「……と、いうわけなのだ。賢爵、何か妙案は?」
「単純な人材不足だな。家を持たない貴族の子息はいるだろう? リックの実家カーマイン家にだっているはずだ」

 俺の答えを聞き、リックが大きなため息を漏らす。

「うちの実家はリカルド王子に加担したかどでお取り潰しが決定している。オレはその中で唯一、ヴィクトール陛下に最初からついたってことで、家格を上げてるんだ」

 魔王シリクの影響というのは、毒のようにこうやって後々まで世界と生活と幸せをむしばむのだと、俺も一緒にため息をついてしまった。
 リック……何よりミレニアには、幸せになってもらいたい。
 そう思って、俺はこの問題をどう解決すれば一番いいだろうか、と考えを巡らせはじめた。


 ◆


「モーディアの動きが妙?」

 会合から一週間後、呼び出しを受けて再び『井戸屋敷ウェルハウス』にした俺に、リックからそんな情報が伝えられた。

「ああ、妙だ。中枢ちゅうすうで何か大規模な動きがあったのかもしれねえ」
「具体的にはどうおかしいんだ?」

 俺の質問に、リックは報告書らしい紙の束をいくつか差し出す。
 相変わらず、こういう仕事は早くて助かる。
 一見雑っぽく見えるリックだが、これで政務能力は高く、仕事も確かだ。

「まず、例の賠償がどうのこうのって手紙が届かなくなった。次に、それに連動して亡命貴族からのしらせもなくなった」

 一見良い話のように思えるが、国として決めた方針を簡単に翻して、無言で引き下がることはまずない。

「国境帯も小競こぜいがうそのように収まっているって、グランゾル侯爵から連絡があった。これを鎮静化と見るべきか……」
「……いや、モーディア皇国で何か大きな変化があったに違いない。クーデターでも起きたか?」

 こうも急に国の方針が変わるということは、舵取かじとりをしている人間が代わったと考えた方が自然だ。
 そう、かつてのエルメリア王国のように。

間諜かんちょうは?」
「中央にいる奴らからは連絡がない。捕まったのかもな」

 優秀な諜報員ちょうほういんがそう簡単に捕まるとは思えないが、逆に彼らが身動きできないほどに何か大きな出来事が起きている可能性もある。
 モーディア皇国はかなり情報や人の出入りに厳重な国で、国民一人一人に魔法で刻印がされている。
『カーツの蛇』の簡易版が、全国民に打刻されているのだ。
 主導しているのは『アルカヌム正教せいきょう』と呼ばれる、カーツの根底に深くかかわる宗教団体。
 起源は『二十二神教にじゅうにしんきょう』と同じとされるものの、その教義は魔王シリクに都合の良いものへと変わっている。
 ……すなわち、度を超した☆至上主義だ。
 モーディアはこの『アルカヌム正教』を国教とし、全国民を強固に管理している。
 誰がどこに住んでおり、どのような職業で、どのように生活しているか、家族も、資産も、スキルさえも完全に把握しているらしい。
 そして、その☆とスキルに沿った人員配置を、国家主導で行うことによって発展してきたのだ。
 ☆1は全て、殺されるか奴隷として扱われる。
 これらは元モーディアの民であるビスコンティをはじめとした複数の人間から証言を取った。
 とにかく、あの国に諜報員が侵入するのは、極めて難しいだろう。
 一部の高位神官などが使用する特殊な魔法によって、国民かそうでないかはすぐに見抜かれてしまう。そうでなくても『アルカヌムの刻印こくいん』がなければ、魔法によって自動化されたいくつかの施設の機能を使えないのだという。


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